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気付きたくなかったもの 3

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 さびれたスナックに、客は三人だけで、眠たそうなママは、ノロノロとおしぼりを差し出し、「よっこらしょ」と言いながらツキダシを作り始める。

「しっかし、お前は相変わらず下をコキ使ってるよな。城崎准尉、出来ないことは出来ないとはっきり言わないと、エライ目にあうぞ」

「ちょっと、高村、もうその話は終わりだよ」

 機嫌の直った荒川は、両手で夕の耳を塞ごうとする。

「やめてくださいよ」

 暴れてみるが、力の差で逃れることが出来ない。

「高村の話は、いい加減なんだから」

「俺の話は、真実だ。こいつ、いい年してオトコもいないのは、どうしてか知ってるか?」

「いいえ。へぇ、カレシいないんですか?」

「やめなさいよ!」

「昔……こいつもまだ若かったときに、どういうわけか、こいつに惚れた隊員がいてな。命しらずのそいつは、よせばいいのに、夜、こいつを隊舎の裏に呼び出したんだ。ところがさ、酒の入っていたこいつは、そいつをいきなり叩きのめして、病院送りにしたんだぜ。挙句、そいつは精神的ショックのあまり、転属するハメになった」

「ちょっと!!! あれは、彼女がいるのにコクったヤツが悪いでしょうが!」

「まだまだあるぞ。セクハラしてきた幹部がいてよ。持久走の最中に、こいつ隊舎の屋上から、いきなり狙撃しやがったんだぜ。それも、一発じゃない。まず、帽子飛ばして、次に肩狙って尻もちつかせて、トドメに股間の数センチ先の地面に一発。ペイント弾だったけど、失神したよ、そいつ」

「そ、それは、冗談じゃすまないでしょう……」

「そうさ、冗談じゃすまない。けど、こいつは湊教官の前で、訓練の一環ですと言いやがった。いつでも、即応態勢を整えておくべきで、呑気にちんたら走っているヤツが悪いと」

「は、はは……」

「かと思えば……」

 それからも、高村は荒川の昔話をし続け、夕は青ざめたり、腹が痛くなるほど笑い転げたりした。
 最初は抗議していた荒川も、途中から諦めたらしく、無言で黙々と杯を空けていた。

「いやー、飲んだ飲んだ!」

 スナックがもう店を閉めるというので、タクシーを呼んでもらい、それに乗り込んだ夕たちは、基地へ戻った。
 独りでかなり飲んでいた荒川は、すでに泥酔状態でまともに歩けず、高村が抱えようとすると、するどいパンチを浴びせかけた。

「こいつ、キライ」

「キライで結構。おら、行くぞ」

「キライなのーっ! いやーっ! ふが」

「おま、やめろ」

 いきなり大声を上げた荒川の口を高村が慌てて塞ぐ。

「ふがっ!」

「いてっ!」

 暴れる荒川にスネを蹴り上げられ、高村が蹲る。

「コイツ、やっちゃって!」

 荒川に襟元を締め上げられ、命令された夕は、精一杯首を振る。

「それは、出来ません」

「なんらとー、上官の命令に逆らるるら!」

 すでに回らぬロレツでつっかかる。

「そうだ、そうだ。上官の不始末は、部下の不始末。おまえ、後はよろしくな」

「え、高村大佐!」

 助けを求める夕を無視して、高村はさっさと立ち去ってしまう。

「城崎准尉!」

「はぁ」

「私、そんなに悪いことした?」

 そういって至近距離で見上げて来る目は、心なしか潤んでいて、夕の頭の中に警戒警報が鳴り響く。

 ヤバイ。

 急に、密着度合いが気になる。
 その背に、腕を回したくなる衝動と戦っていると、ぐらりと体が揺れた。

「わ、荒川大佐!」

「城崎准尉」

「はい?」

「……ねむい」

 抱き止めた腕の中で、荒川はすでに寝ていた。

 俺って…何?

 業務外でも上官の面倒をみなきゃいけないなんて、公私混同もいいところだ。
 残業手当の代わりに、なんかくれよ。
 そう心の中で叫びつつ、大きく息を吐き出すと、ぐったりした荒川の身体を担ぎ上げた。
 お姫様だっこなんぞ、するわけがない。もちろん、訓練通りに、両肩に横向きに担ぎ上げたのは当然だ。




 高村の隊と行った視察演習は、なんとかこちら側の勝利で終わった。

 多少、手心を加えてくれたようだが、荒川は素直に宮内たちをねぎらった。
 実際、あのとんでもない予行演習がトラウマのように兵士たちの警戒心を強めるきっかけとなったのは事実で、兵士たちからはブーイングの嵐であった即席の強化訓練も役に立った。

 しかし、総括を終えた荒川は、ほっとしている宮内、小川らに対し、通常訓練の見直しと更なる即応態勢の強化訓練を命じた。
 来週頭から行えるよう、二日以内に計画書を提出するように求められた二人の表情は、信じられないものを見た、という驚きでいっぱいだった。

 鬼。

 そう、叫びたかったに違いないと、夕は二人に同情した。

 後片付けも大方終わり、明日には高村たちが去るという日の夕方、無事の検閲終了と高村が本隊へ戻る挨拶とを兼ねて、夕は荒川共々、湊の病室を訪ねた。

 一ヶ月ぶりに見る湊は、なんとか起き上がりはしたが、その顔色は土気色に近く、病名を尋ねることも憚られた。
 高村が、少し湊と二人きりで話したいというので、夕と荒川は、喫茶室に引き上げた。

「あいつ、結婚するのよ」

 夕が差し出したコーヒーを受け取って、荒川は静かに言った。

「はぁ…」

 なんと反応していいか分からずに、間の抜けた返事をすると、それが不満だったのか少し唇の端を引き下げた。

「相手は、看護婦さんで、那美ちゃんっていう…湊少将の娘さん」

「はぁっ!?」

 今度は、俺の反応に満足したらしい。
 荒川は、にやりと笑った。

「湊少将が、私たちの教官だった頃に知り合って、それからずっとだから、ま、いい加減潮時っちゃぁ、潮時よね」

「でも…」

 元とはいえ、自分の上司だった人物の娘を妻にするなんて、かなりの勇気だ。

「あいつ、軽そうに見えて純朴だからねー。付き合って半年以上、キスどころか手も握れなかったのよ」

 そう言って、荒川はゲラゲラと笑った。

「まさか。信じられません」

「本当よ。私、相談されたんだもん。どうやってタイミングを計ったらいいかって」

「タイミングって……何て答えたんです?」

「タイミングがわからないなら、手なんか握るなって言った。そうしたいと思ったときに、そうすればいいんだから」

「それはそうですけど、でも」
 そんな言い方は、あんまりな気がする。

「じゃぁ、城崎准尉なら、どうするの?」

「え? いや、俺は、あんまりそういうことで悩んだこと、ないから……」

「ふうん」

 荒川は、にやりと笑う。

「相手見つけるのにも、それを釣るのにも、苦労しなさそうだもんねぇ?自分からじゃなくても、相手から迫ってくるだろうしね?」

 これまで本気で好きになった女の一人や二人は、いる。

 でも、どの相手のときも、自分が相手をそれほど欲していたか、と聞かれると、頷くことができない。
 そりゃ、健康な男子であるから、そばに柔らかそうな体があれば、触りたい、触れば抑えが利かないのは確かだが、いつもどこかで、冷めている自分を見ていた。
 抱きあっている最中でも、重なる体のどこかに隙間を感じて、夢中にはなれなかった。
 確かに、どうしていいかわからないほど、相手にのめりこんだり、盲目になったことはない。

「あんまりお遊びが過ぎると、マジな恋愛出来なくなるよ? 恥ずかしくて」

 そう言って笑った荒川の表情は、何の含みもなく、屈託がなかった。
 その笑顔をまともに見た夕は、心臓が口から飛び出すかと思うほど、うろたえた。
 うろたえたが、それを表に出さないくらいの自制心は、まだあった。

「そうですね」

 どうにか落ち着いた声で答えることに成功する。

「やっぱ、さすがの湊少将も、二、三発は殴るだろうね」

「え! まさか。湊隊長ですよ。しかも相手はよく知っている高村大佐なんですから……」

「そんなのカンケイないよ。一人娘だもん。しかも、ずーっと写真を持っているくらいだもん。溺愛よ。さっさと嫁に行けと口うるさい、うちのとは、違うわ」

 苦笑して、コーヒーを飲み干した荒川は、ふと呟いた。

「式、間に合うと、いいんだけど……」

 その言葉が意味するところを思い、俺は胸の端から、ちりちりと何かが焦げるような思いを味わった。
 そんな思いをかき消すように、荒川は勢い良く立ち上がった。

「さて、行くか!」

 俺の分の紙コップを攫うと戸口へ向かう。
 そこへ、ちょうど、高村がやって来るのが見えた。

「どうだった?」

「え、まぁ……無事にお許しが出たよ」

「タダで?」

「ああ、まぁ…」

 高村の顔には、どこにも傷も痣も見当たらない。
 やっぱり湊隊長は、穏やかな人だと思った夕の横で、荒川の拳が、高村のみぞおちを襲った。

「やめっ!!」

 拳は、寸前で止まったのに、高村は悶絶した。

 荒川は、勝ち誇った表情で、俺を振り返った。

「ほらね。見えるようなところは、殴らない。さすが湊教官よ」
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