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帰港

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 アラン率いるリヴィエールの軍艦とカーディナル海軍のゆうに二十を超える数の船がサヴァスの港を囲むように停泊したのは、太陽の光が消え、月明かりが海を銀色に染め始めた頃だった。
 
 ラザールはネーレウス号をブラッドフォードに任せ、メルリーナと共にアクイーラ号へ移った。
 すべてが終わった頃にようやく現れたアランもアクイーラ号の横に船をつけて乗り込んで来たが、まるでちょっとした航海に出ていたディオンとラザールと再会した程度の感情を覗かせただけだ。
 アクイーラ号の船長室で、ディオンとセヴラン、ラザールとメルリーナを前にしてアランが最初に口にしたのは、互いの無事を喜ぶ言葉ではなかった。

「カーディナルの予定通り、エナレスの皇帝が死にました」

「その割には、呑気だな?」

 一気にサヴァスへ入らないのは不自然だろうとラザールが指摘すれば、アランは苦笑した。

「カーディナルの船の中は、殆ど空です」

 そのひと言で、ラザールはカーディナルの思惑を見抜いた。

「パスラで下ろしたのか」

「ええ」

「つまり、カーディナルの兵が陸路を使ってエナレスに入ったということですか? パスラは中立なんじゃ……」

 ディオンが、これまでカーディナルとエナレス、どちらにも肩入れせずにいたパスラがそんなことをするのかと驚いたが、アランは肩を竦めた。

「より儲けられる方に恩を売るのは、不思議なことではないだろう。パスラは通行料を取っている。商人は、売れるものは何でも売るものだからな」

 援助をしたわけではない。単にパスラを通ってエナレスへ向かう通行権を売ったのだと言うアランに、ディオンは「結局味方したってことだろ……」と呟く。

「カーディナル軍は、今頃次期皇帝の頭を掴んで地面に擦り付けているでしょう」

 いきなりエナレス帝国全土を制覇するのは無謀が過ぎる。
 カーディナルの息のかかった皇帝を据えた傀儡政権を立て、経済的に支配力を強め、その器ごと乗っ取るつもりだと説明するアランに、ラザールは溜息を吐いた。

「まぁ、血の海にも血の大地にもならない方が望ましいのは確かだが、リーフラントにとって万々歳とはいかないだろうな」

「ええ。今回の援助に対し、カーディナルはリーフラントからエナレスへ向かう道を確保するため、サヴァスの港を無条件で使わせるよう要求しています。空の船をこちらへ回したのも、そのためです。フランツィスカ王女も要求を呑むしかないと思っている」

「ファニーは? カーディナルの船に乗っているんですか?」

 ディオンの問いに、アランは首を横に振った。

「リヴィエールに置いたままになっているリーフラントの船で戻るようだ」

 リーフラントの船と乗組員たちを置き去りには出来ないと判断してのことだと言うアランは、メルリーナを見て微笑んだ。

「メルリーナが行方不明と聞いて心配していたから、無事だとわかれば喜ぶだろう」

 アランはグレースも心配していたと付け加えた。

「メルリーナのために、花嫁衣装を用意しなくてはと張り切っているんだ。無事な顔を見せてやってほしい」   
 
「あ、ありがとうございます……」

 花嫁衣装とは随分先走って準備してくれているような気がするけれど、嬉しいことに変わりはない。
 グレースとは今はまだ、ラザールほど気安く話せる気はしないけれど、いつか自然に受け入れてもらえたらと思う。

「父上のことも心配していましたよ」

 アランの言葉に、ラザールは苦笑して憎まれ口をたたく。

「そうか? うるさいジジイがいなくなって、清々しているのではないか?」  
 
「グレースは、気に入っている相手にほど遠慮がなくなるのです。あれこれ言われるということは、それだけ愛されているということですよ」

「おいおい。あれはどう見ても鬼嫁だろう。おまえの妄想ではないのか?」

 ラザールが疑いの眼差しを向ければ、アランはすっと笑みを消した。

「鬼嫁……なるほど。父上の見解については、グレースにしっかり伝えましょう」

「……っ! い、いや、待て、言わなくていい……」
 
 途端に慌てるラザールに、アランはさも残念だと言わんばかりの顔をする。

「そうですか。私としては、久しぶりにあれが悔し涙を流す様を見たい気持ちもあるのですが……」

 ディオンは父の意外な性癖を初めて知ったと言うように目を見開いている。 

「とにかく帰港するのを首を長くして待っているということです。私はしばらくカーディナルに付き合うことになる。ディオン、父上とメルリーナを無事に連れ帰れ」

「はい」

 ディオンが力強く頷くのを確認したアランは、続けてセヴランに命ずる。

「セヴラン。明日、私とカーディナル海軍の提督がサヴァスへ下りる。アクイーラ号に必要な補充品を書き出しておけ。ディオン。長居は無用だ。準備が整い次第、リヴィエールへ戻れ。ネーレウス号は……」

「優秀な船長見習いを拾ったから、心配いらん」

 ラザールがアクイーラ号に遅れずに付いて来られるはずだと言えば、アランは何かを探るような眼差しを向けたものの、深くは追及しなかった。

「では、ネーレウス号の分も用意するように。ちなみに、報酬代わりに、カーディナル軍に支払わせるから、遠慮しなくていいぞ」

「了解いたしました」

 話すべきことはこれ以上ないと言うように、アランはディオンの肩を叩いて立ち去ろうとしたが、ふと思い出したようにラザールを振り返った。

「父上。ゆっくり休んでください。旅は、まだまだ続くのですから」

 旅はもう終わりではないかとメルリーナはアランの言い回しを不思議に思ったが、ラザールには伝わっているらしく、苦笑しながら答えた。

「ああ、そうだな。老いぼれのジジイにも、まだまだ長い旅が待っているからな」


 
 激しい海戦に勝利を収めた翌日、慌ただしく食料や弾薬などを補充したアクイーラ号とネーレウス号は、リーフラントのその後の運命を見届けることなくリヴィエールへ向け帆を揚げた。

 ネーレウス号はブラッドフォードを船長として、取り敢えず一旦はリヴィエールに戻ることになった。
 アランは、ラザールの言葉を間に受けたわけではなく、ディオンとセヴランに別途指示を与えていたようだが、ラザールの偽りを暴いたりはしなかった。

 ラザールは、メルリーナを無事に見つけたこと、ディオンが海賊に勝利を収めるのを見届けてほっとしたのか、アクイーラ号に移るなり、体調不良のために船室から出られなくなってしまった。

 ディオンがアクイーラ号で一番居心地のよい船長室を譲り、メルリーナはその枕元に付き添って、エメリヒに教わったようにその身体を拭いたり、食事を食べさせたりと甲斐甲斐しく世話をしたものの、ラザールが再びネーレウス号を乗り回していたときのように、元気になることはなかった。

 ディオンとセヴランは、何かを悟っているかのように、ラザールの傍にいる時間を無理矢理にでも確保しているようだった。

 リーフラントを出て三日。
 明日の夕方にはリヴィエールの港が見えるだろう距離まで来たアクイーラ号は、静かな眠りを求めてアンテメール海に錨を下ろした。

「……ディオン?」

 ディオンを呼ぶラザールの声を聞いて、部屋の片隅で微睡んでいたメルリーナは飛び起きた。

 既に日は落ち、月明かりが窓から差し込んでいる時間で、静寂の中に船は漂っている。

「ラザール様?」

 ラザールは、ネーレウス号に乗る前――リヴィエールの宮殿にいた頃のように、起きている時間よりも寝台に横たわり、眠りの国を彷徨う時間の方が多くなっていた。

「おう、メルリーナか。ディオンはどこだ?」

「こ、ここにはいないので、すぐに呼びます」

 廊下に控えていた人物に、ディオンを呼んできて欲しいと告げた後、メルリーナはラザールの枕元に椅子を寄せた。

「夢を見ていた」
 
「どんな夢ですか?」

「うん……マクシムと二人で、初めて船に乗った時のことだ」

「お祖父様と?」

「ああ。海賊相手に深追いし過ぎてなぁ……もう少しで船を座礁させるとこだった」

 ラザールが、マクシムとの若かりし頃の失敗談を語っている間に、眠っているところを叩き起こされたに違いないディオンがくしゃくしゃの髪のまま現れた。

「お祖父様。どうかしましたか?」

 欠伸を噛み殺しながらも、穏やかな声で問うディオンは、メルリーナの座る椅子を半分侵略するように身体を寄せて来る。

 逆らえずに譲る形になったメルリーナがむっとすれば、ディオンは軽々とメルリーナを持ち上げて、自分の膝の上に乗せた。

「ディ、ディーっ!」

「……好き勝手し過ぎると、愛想を尽かされるぞ」

 ラザールの忠告に、ディオンはそんなことはないとばかりにメルリーナの腰をぎゅうっと抱き寄せ、首筋に鼻先を埋めて匂いを嗅ぎながら、きっぱりと言う。

「そういう子供じみた真似は、もうしません」

「嘘を吐け」

「……」

 即座に否定され、黙り込んだディオンがむすっとしているのを背後に感じながら、メルリーナは大きな手を撫でた。

「あ、あの……ディーが好き勝手しているのなら、私もそうなので……」

「メルリーナ。最初が肝心だ。最初から甘い顔をするとナメられる。きっちりしっかり手綱を握るには、甘い顔をするのは夜だけで十分だ」

 ラザールが言う夜というのは、多分、日が暮れたらと言う意味ではないだろうと、メルリーナは途端に熱くなる頬を手で押さえた。

「メルは、母上のようにはならないからいいんだ」

「それはどうかわからんぞ、ディオン。女は海と一緒でいつでも未知数だ。その時々で色んな顔を見せる。時には幸運の女神で、時には戦友で……時には、鬼嫁になることもある」

 最後だけ声を潜めたラザールに、ディオンは苦笑する。

「メルは大丈夫です」

「今はな。船乗りの妻になると……それはもう、逞しくなるものだ。そうでなくては、やっていけないからな。何かしでかしたら、海に沈められるぞ」

「……」

 沈黙したディオンが、恐る恐るといった様子でそっと振り返るのを見て、メルリーナはその脇腹をぎゅっとつねった。

「いっ!」 

「おまえは、陸の上ではまるで駄目だからな。たまには、メルリーナを船に乗せて、惚れ直してもらうといい」

「陸の上で駄目なわけじゃない……ただ、慣れないだけで……」

 ぼそぼそと言い訳するディオンに、ラザールは苦笑する。

「おまえは、いつもよりによってメルリーナの前で一番情けないからな……誰に似たものやら……」

「そ、そんなことは……」

 ないと言い切れないところがディオンらしかった。
 メルリーナがくすりと笑えば、途端にむっとするのもディオンらしい。

「メルリーナ……」

「はい」

「楽しかったか?」

 ラザールの瞳は少年のようにキラキラと期待に光り、メルリーナの答えを待っている。

 ヴァンガード号でリヴィエールを旅立ったのが、遠い昔のような気がした。
 あの時、自分には何も出来なくて、どこにも居場所がないと思っていた。
 ディオンの気持ちも、自分の気持ちもよくわかっていなかった。
 何にも持っていないから、リヴィエール公爵夫人には相応しくないと思っていた。 
 身分や経験が足りないから、無理だと思っていた。
 でも、本当に必要なものはそんなものではなかった。

 今だって、自信たっぷりなわけではない。
 出来ないことだって、たくさんある。

 でも、今では、荒れた海を乗り越える術や、風のない海で身動き出来ないときをやり過ごす術を知っている。
 
「はい。とても……ラザール様との散歩も楽しかったです」

「そうか」
 
 ラザールは満足そうに笑うと、その手を伸ばす。
 メルリーナが手を取り、ディオンがその上から手を重ねる。

「マクシムにいい土産話が出来た」

「まだまだ、続きがありますよ」

 ディオンが、この先メルリーナとの結婚式やひ孫の誕生など、もっと楽しいことが待っていると言えば、ラザールは微笑んで目を伏せた。

「そうだな。だが、それはおまえたちの旅だ」

「お祖父様も一緒に行きましょう」

「そうだな……」

 メルリーナは、解けそうになるラザールの手をしっかりと握り、震えそうになる唇に無理矢理笑みを浮かべた。

「リヴィエールに戻って、ゆっくり休んで、それからまた……また、散歩に行きましょう」

「……ディオンは抜きだぞ」

「はい」

「何だよ、俺も一緒に行くぞ。メル」

 ディオンの瞳にも、メルリーナと同じく光るものがあったが、その声音はいつもの不服そうなものだ。
 ラザールは「邪魔をするんじゃない」と言いながら、深く息を吸った。

「ああ……ちょっと疲れたな……少々遊びすぎたようだ」

「はい……ゆっくり休んでください。ラザール様」

「明日には、リヴィエールに着きますから、もっと寝心地のいい場所で眠れますよ。お祖父様」

「海の上がいい……」

 ラザールは、ゆったりした声で呟く。

「船乗りが眠るのも目覚めるのも……海の上だ」

 ぐっと唇を噛み締めたディオンは、あくまでもいつもの声音で応じる。

「……はい。また明日……日が昇ったら、起こしに来ます」

 それを聞いたラザールは、安心したように大きく息を吐いて呟いた。

「ああ……頼んだぞ、ディオン」
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