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波乱 2

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 いつでも出港出来るように装備や物資を積み込み、着々と準備を整える船の上で、ディオンは水平線を見つめ、陽光を反射させてキラキラと輝く海面に、メルリーナの青銀の瞳を思い浮かべた。

 メルリーナがリヴィエールを再び離れ、ウィスバーデンへ向かってから、そろそろ十日が過ぎる。
 今頃、メルリーナはどの辺りにいるだろうか。
 遠回りしてウィスバーデンへ向かうと言っていたが、そろそろウィスバーデンの港町シーフブレムゼに辿り着いただろうか。

 ウィスバーデンに到着しているとすれば、陸の上だと王子様になるというゲイリーが、性懲りもなくメルリーナに纏わりついているような気がして、つい顔をしかめた時、潮風に乗ってセヴランの声が聞こえた。

「ディオン様」

 振り返れば、その手に白い紙片を持っている。

「アラン様からの知らせです」

 セヴランが差し出した手紙というより走り書きのようなものを受け取ったディオンは、そこに書かれていた言葉を見るなり、乗組員たちに明日までに出港の準備を整えるよう命じ、一旦宮殿へ戻ると告げた。


 港へ向かうボートに乗り込んだディオンに、セヴランはメルリーナが旅立つのと時を同じくしてカーディナルへと旅立ったフランツィスカのことを口にした。

「フランツィスカ王女は無事カーディナルに到着し、一番の大物から援助を取り付けたようです」

「ああ。カーディナル皇帝は、もともとファニーを気に入っているからな。誑かすのも難しくはなかったんじゃないか?」

 ディオンは、フランツィスカなら必要な援助はもちろんのこと、それ以上のものだって引き出せるだろうと苦笑した。
 カーディナルにしてみれば、政情不安定なエナレスに乗り込むための足掛かりとして、リーフラントが自ら跪くのだ。その願いを退けるような勿体ない真似はしないだろうし、むしろ大船団を送り込んで徹底的な援助の下、エナレスにまで侵略する気かもしれない。

 リヴィエールとしても、自国で援助という名の侵略が出来るほどの戦力はない。
 リーフラントがカーディナル寄りに、もしくはその支配下に入ってくれた方が、心おきなくアンテメール海を行き来できるので、有難い。

 ただ、今回は単純にリーフラントと二国間だけの話では終わらない。
 アランからの手紙には、カーディナルが動くこと、彼らが西海からアンテメール海へ入り、リーフラントの沖合へ到達するまでの間、邪魔な海賊を掃討すること、ウィスバーデンの船を牽制することなどがいかにも大したことではないかのように綴られていたが、実際は大事だ。

「父上も出るつもりなのか?」

 大きな戦闘になる可能性があるから逃げたいと言うのではなく、その後のリーフラントはもちろん、カーディナルやウィスバーデンとの関係においては、リヴィエール公爵であるアランの判断なくしては何の話も出来ない。
 自分は、まだまだ全権を預からせてもらえるような身分ではないということは、ディオンも自覚している。

「どうでしょう。雑魚は我々に片付けさせて、後から悠々と現れるかもしれませんよ?」

「それはどうだろうな。最近は全然船に乗れないと愚痴をこぼしていたから、母上に言い訳出来ると、嬉々として船に乗り込むかもしれない」

 リヴィエールに戻るまで、長い間、グレースを陸に置き去りにしていたアランは、公爵となってからは昔のように頻繁に船に乗ることはしていない。
 そもそも、アンテメール海で大きな争いが起きなかったし、せいぜい商船を襲った海賊を見せしめとばかりに、容赦ない砲撃で滅多打ちにしていたくらいだ。

 新しい船で新しい技術を試したり、小さくとも破壊力の高い砲を開発したりと、船を改良する方に熱心だった。
 そのおかげで、リヴィエールの軍艦はいつも最新鋭の状態だ。

 港からリヴィエールの宮殿へと馬車を走らせて戻ったディオンは、珍しく出迎えた母グレースに首を傾げた。

「母上、どうしたのです? 誰か客人でもいらっしゃるのですか?」

「いいえ。あなたを待っていました、ディオン」

「俺?……ええと……俺が、何か……」

 グレースが待ち構えているとき、それがよい知らせだったことはない気がして、顔が引きつった。

「何かあったのは、あなたではありません」

 ややその顔が青ざめているのを見て、嫌な予感がした。

「もしかして……」

 ディオンがその名前を口にするより先に、グレースが美しい顔を歪め、つい先ほど齎された情報だと呟いた。

「メルリーナが……海に落ちて、行方不明です」


◇◆


 丸二日。満身創痍のまま、海岸線沿いの海を走り回るようにしてあるものを探していたヴァンガード号は、結局探し物を見つけられないままだった。

 一旦、近場の寂れた港町に停泊し、申し訳程度に船の修復と必要な手配を終えた後、当初の目的地へと向かうとブラッドフォードは告げた。

「ジャック、クルト。進路をウィスバーデンへ取れ」

「ブラッドっ!」

 昼も夜も必死に海面を見つめ、僅かな手掛かりはないかと目を凝らし続けたゲイリーは、他の乗組員同様、目の下に隈を作っている。
 その憔悴ぶりに、この腐れ縁の悪友が意外に本気だったのだと知って、ブラッドフォードはやるせない気持ちになった。

 海賊船との戦闘の最中、メルリーナが海へ落ちたに違いないと気付いたのは、激しい戦闘にどうにかこうにか勝利した後、エメリヒが青い顔をしてメルリーナが戻らないと言って来たからで、その時点でメルリーナが海に落ちたと思われる時から、既にかなりの時間が経っていた。

 混乱した船上で、メルリーナの行動の一部始終を見ていた者などいるはずもなかったが、半分死にかけているような船員たちにも聞き回った結果、銃を撃った後で船から落ちたらしいとわかった。

「これ以上探しても、無駄だ。ゲイリー」

「無駄って……もしかしたら、どこかに漂着しているかもしれないだろうっ!?」

「そうだとしても、これ以上探し回るのは無理だ」

「無理って……」

「早いところウィスバーデンへ戻らねぇと、片手じゃ足りない数の野郎共が死ぬし、リーフラントへの対応を誤れば、ウィスバーデンにも少なくない死人が出るかもしれねぇ」

 一隻で二隻の海賊船を相手にしても勝機はあるとブラッドフォードは思っていたが、予想以上の打撃を受けた。
 破れた帆や壊れた索具は応急処置で保たせている状態のため、船足はかなり遅くなっているし、無傷な船員の方が少ないくらいで、操船可能なぎりぎりの人数だ。
 もう一度でも襲われたなら、それが漁船のような海賊船であっても、危うい。
 船長として、船に乗る者全員の命を預かる者として、たったひとりのためにその他全員の命を危険にさらすことは出来なかった。

 そのためには、言いたくないことも、言わなくてはならない。

「諦めろ、ゲイリー」

 ブラッドフォードの襟を締め上げていた手が震え、やがて力なく落ちた。

「……教えるんじゃなかった」

 ぼそっと呟いたゲイリーは、自嘲の笑みを浮かべ、ぐしゃぐしゃと乱れた髪を掻きむしる。

「僕が、メルに銃の撃ち方を教えなければ、こんなことにはならなかった」

 そうではない、と言っても聞く耳は持たないだろう。
 むしろ、ひねくれた悪友が求めているものはその逆だとブラッドフォードにはわかっていた。

 メルリーナは、ゲイリーを狙っていた海賊を撃とうとしたようだと、偶然目撃していた乗組員は言っていた。
 本当かどうかはわからないが、メルリーナが銃を撃つとすればそれは誰かのためだろうし、ゲイリーのためだったということは、十分にあり得る。

「そうだな。おまえが教えなければ、メルは何も知らないままだった。だが、知りたいと望んだのはメル自身だ」

「メルが望んでも、駄目だと言えばよかった」

「ああ、そうだな。だが、それで納得はしなかっただろうよ。だから、おまえの言いつけを守らずに甲板に出て、当たりもしねぇ銃をぶっ放したんだろう」

「部屋に閉じ込めておけばよかった」

「メルは閉じ込められるのは嫌だと言うだろうし、おまえの言うことに黙って従ったりはしない。メルは、メルの考えで行動し、選ぶことを望むだろう。だから……少なくとも、後悔はしていないはずだ」

「だから、後悔するなとでも?」

 苛立ちと痛みに塗れた声で呟くゲイリーは、ここ一年ほどで、狂犬から番犬へとマシになりつつあったのに、きっとあっという間に再び狂犬に逆戻りすることだろう。

 ブラッドフォードは、今のゲイリーはディオンに殴り殺されたいに違いないと思いながら、その胸を拳で軽く叩くとその耳に囁いた。

「後悔するのは、おまえでも、メルでもねぇ。……エナレスだ」
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