想いが恋に変わるとき

唯純 楽

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 そういうわけで、ジジは、ウィリアムへの想いに、今も振り回されている。

 ウィリアムは、城では見せない姿を見られていると思っているからか、今まで以上に、事あるごとに、ジジに声を掛け、何か困っていることはないかと、単なる侍女への気遣い以上と思われる、友情のようなものを見せる。

 放っておいてくれればいいのに。

 ジジは、目の前に立ちはだかるウィリアムに、そう言いたかった。

 ウィリアムへの気持ちを自覚して以来、ジジは、ウィリアムに対して、身分を弁え、親しく振舞わないよう気を付けていたが、ウィリアムの方は、そんなことはお構いなしだ。

 ミアが迎えに来た夫リカルドと共に、ルーベンスを去ってからは、寂しい気持ちを埋め合わせるためだろうか。
 ジジに構う頻度が増している。
 最近では、ジジが休みの日の前日には、必ずジジの前に現れて、予定を聞き、何もないとなれば出掛ける約束をさせられる。

 しかも、やれ、城下で美味しいお菓子屋が出来ただの、ジジの髪に似合う髪飾りを見かけただのと言っては、決して安価ではないが高価すぎもせず、断りにくく、貰えば確実に嬉しいと思う贈り物を持って来ては、ジジが一生懸命蓋をしようとしている恋心を刺激し、閉じかけた蓋を無理矢理開ける。

 夜は出掛けられないというジジに、昼ならいいだろうと誘い、城下は既に見尽くしたと言えば、ちょっとだけ足を伸ばせばいいだけだと言って、馬に乗せ、風光明美な湖などに連れ出す。

 まるで、ミアとしたかったことを、全部叶えるかのように、せっせとジジを喜ばせ、せっせとジジを連れ出して、まるで素敵な恋人とデートでもしているような気分にさせる。
 そんなことをするものだから、二人が恋人同士だという噂が、ちらほら流れてしまい、侍女仲間から訊かれる度に、ジジは必死で否定しなくてはならない羽目に陥っている。

 実際には、甘い出来事など欠片もなく、ウィリアムはジジに対して常に礼儀正しく、不埒な真似、友人として認められる手を繋ぐ以上のことはせず、出掛ける前と同じ状態で、祖母のマリアの下へと送り届けていた。
 それはもう、実に行き届いた友人で、ともすれば、結婚までは、清く正しい交際をするものとされているローレンヌの慣習を律儀に守っているように見えるが、そうではないことは、ジジが一番良く知っている。

 あけすけな男女交際が普通であるルーベンスで、キス一つしない恋人同士なんて、いるわけがない。
 ウィリアムは、ジジの美しさを褒めるけれど、決して愛の言葉は口にしない。
 友人同士でも通用する、「好きだ」という言葉すら、口にしない。

 ジジが本当に欲しいのは、友人に対する気遣いや思い遣りではないのに、それにウィリアムが気付く様子はまったくない。
 もちろん気付かれないようにしているのはジジ自身なのだし、これ以上、ウィリアムに心を傾けたくないし、期待させても欲しくない。
 でも、身勝手だと思うが、あんまりにも気付かれないと、それはそれでなんだか、やるせない気持ちになって来る。
 ウィリアムの保護欲は、友情から生まれたものだと分かっていても、あんまりにも優しいと、勘違いしそうになるではないかと、ジジはウィリアムに八つ当たりしたくもなるし、意地だって張りたくもなるというものだ。

「ジャックが、まだ、しつこく何かして来るのか?」

 ウィリアムには関係ないだろうとばかりに、ジジは黙り込んだ。
 確かに、あの酒場での一件以来、ジャックはジジにあからさまな嫌がらせをするようになった。

 ヴァレリアのために、花を切って欲しいと頼めば、頼んだ花とは違うものを持ってくる。
 薔薇を要求すれば、刺を取らないまま持って来る。
 ヴァレリアが手に取ることもあるので、ジジが刺を取ったのだが、慣れないせいもあって、酷く指を傷つけた。
 それでも、冬が訪れ、顔を合わせることがなくなれば、時間が経てば治まるものだと思って、ジジは誰にも言わなかった。

 しかし、春が来て、ミアがいなくなった頃から、嫌がらせは、治まるどころかどんどん酷くなった。
 頼んだ花を届けない、取りに行けば用意すらしていない、挙げ句の果てには、ジジが勿体ぶらずに自分の相手をするというなら、今まで通りに対応してやると言われ、何を言っても無駄だと諦めた。
 それ以来、ジジは、花を切ったり、鉢植えにしたいものを掘り出したりと、庭師の真似事をしている。
 ジャック以外の庭師に頼めばいいのかもしれないが、誰を信用していいのかも、わからなかった。
 こうして早朝の薔薇園にいたのも、ジャックと二人きりになったら、例え城の中でも何をされるかわからないと思うからだ。

「エドワードは知っているの?」

 ジジは更に黙る。
 エドワードに言えば、ヴァレリアの耳に入るのは確実だ。
 ヴァレリアは今、大事な身体なのだから、余計なことでわずらわせたくなかった。

「どうして、言わなかったんだ?」

 ウィリアムが一歩、踏み出したので、ジジは一歩下がった。
 ちゃんと距離を保たなければと思い、無意識の内に、身体が動いたのだが、それがウィリアムの気に障ったらしい。
 一息に距離を詰められた。

「俺では、頼りにならないと思った?」

 そうではない、と目の前の黒い壁から顔を上げれば、ウィリアムは酷く傷ついたような顔をしていた。

「ジジにとって、俺は頼れるような存在ではないのかもしれないけれど、俺にとって、ジジは大事な人だ」

 ウィリアムの言葉を、友情を、喜ぶべきだった。
 だが、ジジは、どうしても喜べなかった。
 むしろ、酷く痛む胸を抑え、顔を歪めてしまった。

「迷惑なのかもしれないけれど、ジジが困っているのを見過ごせない」

 迷惑だなんてことはないのだと、そう思って首を振ったジジは、ふと、その視界に、茂みの陰に佇み、こちらを見ているジャックの姿を認め、慌てた。
 こんなところを見られたら、ウィリアムに迷惑をかけてしまう。
 城の中でも見境ないなどと、更にいらぬ噂が立てば、しかも、しがない侍女との噂なんて、ウィリアムにとって何のいい結果も齎さない。

「う、ウィリアム様っ! 私は、大丈夫ですからっ、だから、その、もう……」

 早く行ってくれと引きつった笑みで訴えれば、ウィリアムは振り返りもせず、低い声でその名を呼んだ。

「ジャック。そこにいるのは、わかっている。隠れていないで、出て来い」

 ウィリアムの殺気だった声に、逃れられないと観念したのか、ジャックは茂みから歩み出た。

「懲りていないようだな?」

 ウィリアムは、ジジを背に庇うようにしてジャックと対峙すると、剣の柄に手を掛けた。

「大事になってはおまえが職を失う。そんなことになってはジジが責任を感じると、敢えて陛下への進言はしなかった、俺の失態だ。おまえが、ジジに対してどんな嫌がらせをしていたのか、他の侍女や侍従からも、既に聴取している。陛下よりクビを言い渡されるのと、今ここで、自ら職を辞するのと、どちらを望む?」

「そ、そんなっ……お、俺は、ただちょっとした……クビになるようなことは何も……」

「おい。誰が言い訳していいと言った? 選べと言ったんだ。大体、今、生きているだけ有り難いと思えよ? 酒場で、おまえは、ジジに無理に迫った上、手まで上げた。あの場で、斬り捨てるべきだったのに、下手な温情をかけたことを酷く後悔している。今、ここで、その後悔を晴らしてもいいんだぞ」

 ジャックは、凍りついたように固まっていたが、ウィリアムが微かに剣を引き抜くのを見ると、叫んだ。

「や、辞めるっ! 辞めればいいんだろっ! ふんっ、この淫乱め! 身分があれば、すぐに寝るんだろっ! この、売……っ!」

 腹いせのように酷い言葉を吐いたジャックだったが、最後まで言い切ることは出来なかった。
 ウィリアムの剣が、その胸元を切り裂いたのだ。

「ひっ……ひぃぃぃぃぃぃっ!」

 腰を抜かし、青ざめて震えるジャックに、ウィリアムは冷えた声で忠告した。

「日が落ちてもなお、お前の顔を城で……城下で見かけるようなことがあれば、その首を刎ねる」

 今度こそ、声も出ないままにガタガタと震えるジャックに背を向け、ウィリアムは茫然としていたジジに、いつものように手を差し出した。

「おいで、ジジ」

**************************************

 引き摺られるようにして、薔薇園を離れたジジは、どうしてウィリアムが知っていたのかという疑問をぶつけてみた。

「あの、どうして知って……」

「ジジの手が、荒れているのが、気になっていた」

 恥ずかしい、とジジは咄嗟に手を引こうとしたが、ウィリアムは一層強く握り締める。

「ジジが話してくれるまで待つつもりだったけど、ジジの友達から聞いた」

 侍女仲間の友人たちが、護衛騎士であるウィリアムに直接訴えに行くなど考えられなかった。
 ウィリアムの方から、彼女たちに問い質したのだろう。
 
「……言って欲しかった」
 
 そう呟いたウィリアムは、怒っているというよりも傷ついているようで、ジジは何だか罪悪感にかられてしまう。
 そしてつい、ウィリアムが、自分のことを、友人として以上に思ってくれているのではないかと期待してしまうのだ。
 
 何でなの。

 ジジは、口に出来ない問いを心の中で反芻する。

 何で、そんなに優しいの。

 ずっと訊きたくて、でも、訊けずにいる問いは、やっぱり口をついて出ることはなく、ジジの胸に降り積もり、解けることなく留まるのだ……。

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