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ジジを捕獲したウィリアムは、城でジジを拾うときと同じく、ジジの手を握り、人波を器用に縫って歩き、大きな通りから小道に入ると、小ぢんまりした、カウンターしかない酒場というよりはちょっとした待合のような店にジジを案内した。
「こんばんは、モリー!」
カラン、というベルの音と共に扉を開くなり、ウィリアムは陽気に叫んだ。
「あらぁ、ウィルじゃないの! お、ひ、さ、し、ぶ、り」
出迎えたのは、ド派手な化粧を施した毒花のような美しさの、大柄な、おそらく、女性と思われる人物だった。
「ごめんよ、なかなか来られなくて。寂しい思いをさせて、すまなかった」
「いいのよ、アナタ。気にしないで頂戴。ワタシの愛は、そんなことくらいじゃ枯れないの。いつまででも、待っていられるわ」
「ありがとう。やっぱり、モリーが一番だよ」
「まぁっ! ウレシイ!」
店は、くねくねと身を捩らせたモリーと言う名の女性一人で切り盛りしているようだった。
他に店員らしき人物はおらず、奥には独りで飲んでいる年配の男性がいるだけ。
カウンターにどん、と大皿で置かれたいい匂いのする料理と、壁一面に並ぶ色とりどりの酒瓶は、どれも美味しそうだ。
ジジが、初めて見る大人の空間に、しかも初めて見る性別のわからない人物に戸惑いながらも視線をあちらこちらへ彷徨わせていると、ウィリアムが椅子を引いてくれた。
「どうぞ、姫」
姫って何なの、と恥ずかしく思いながらも腰を下ろせば、目の前に温かな湯気の立つ手巾が差し出された。
「このロクデナシに泣かされたの? 顔、拭いちゃいなさい。あなた、綺麗だから、お化粧なんかしていなくても、大丈夫よ」
にっこり微笑むモリーに、礼を言いながら手巾を受け取ったジジは、ここで、手巾で顔を拭くなんてはしたないのではと思ったが、涙で崩れた化粧をそのままにしているよりはマシかと思い直した。
「半分は、俺のせいじゃない……」
「半分も、責任があったら、十分ウィルのせいでしょう」
「うっ」
胸を抑えたウィリアムに、コロコロと笑いながらモリーは綺麗な青色の酒を注いだ杯を差し出す。
「で、そちらのお姫様は何がいいかしら?」
そう言われても、何を頼めばいいのかがわからない。
ジジが戸惑って視線を向ければ、一息に杯を空けたウィリアムが甘い笑みを浮かべた。
「どんなものが飲みたい? ジェレーヌ嬢。酒の種類がわからなければ、好みの味を言えば、モリーが作ってくれる。何でも、好きな物を頼むといい」
「やぁねぇ。何、気取っちゃってんのよ、ウィル。ジェレーヌ嬢なんて。愛称はないの? 愛称は!」
分厚い睫毛を瞬かせるモリーに見つめられ、ジジがこういう場合はどうすべきか考えあぐねて視線を彷徨わせていると、ウィリアムがあっさり答えを口にした。
「ジジ」
ウィリアムに甘い笑みと共に呼ばれ、ジジは頬が熱くなるような気がした。
愛称で呼ばれるなんて、考えたこともなかった。
「ジジ! カワイイわねぇ! よろしく、ジジ。ワタシ、今、あなたにぴったりのお酒を思い付いたわ。蕩けるように甘くって、初々しい爽やかさもありつつ、でもちょっぴり小悪魔的にスパイシー。どうかしら?」
まるで想像も着かないが、ジジがそれでお願いすると頷けば、モリーはいきなり腕まくりし、逞しく鍛え上げた腕を露わにして、素早く棚から何本もの瓶を一度に取り出すと、鼻歌を歌いながら杯に次々注ぎ、かき混ぜる。
程なくして、少し背の高い綺麗な硝子細工の杯に、柔らかな桃色の液体と金色の斑点が浮かぶ芸術的な一品が差し出された。
驚き、嬉しくなって、早速口をつければ、甘くて美味しい。
飲み干した後には、爽やかな香りが鼻を抜け、舌にはピリッとした刺激が残る。
「とても、美味しいです。ありがとうございます」
ジジがお礼を言えば、モリーは片目を瞑ってみせた。
「あなたの素敵な髪の色と一緒よ」
言われてみれば、とジジは、胸のあたりまである自分の髪を摘み上げた。
金色に赤みが交じるジジの髪は、珍しいとよく言われる。
亡くなった祖父が北方の出身だから金が交じっているのだと思われるが、何がどう作用しているのかは、わからない。
ただ、侍女が着るお仕着せは、汚れが目立たぬように暗めの色合いなので、あまり似合わないのが悩みといえば、悩みである。
「うん、ジジの髪は、本当に綺麗な色をしている」
ウィリアムも同意して、モリーが差し出す次の杯を、今度は真っ赤な色の酒が注がれたものを受け取り、再び一息で飲み干すと、ジジの方へ手を伸ばした。
何をする気かと目を瞬けば、ジジの髪をひと房掬い上げ、その先に口づけた。
その仕草に、ジジはますます頬が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らす。
ウィリアムは、モリーに次の酒を要求しながら、そんな行為に特別な意味などないとばかりに文句を言った。
「こんなに綺麗なのに、いつも纏めているのは、勿体ないと思わないか?」
「あら。だからこそ、いいんじゃないの。いつもはきちんとしているのが、そういう時には別人のように乱れるのが」
「……げほっ」
含んだ酒を危うく吹き出しかけたジジに、モリーは意地の悪い笑みを向け、耳元で囁いた。
「ウィルは、昔っから、高嶺の花、お堅い女が好みなのよ」
それは知っている、とジジは頷いた。
ウィリアムの想い人のミアは、立派な将軍を父に持ち、本人も近衛騎士団の副団長を務める程の剣の腕前を誇り、それでいながら女性らしい柔らかさを失わず、凛々しく美しく優しい、正真正銘、高嶺の花だ。
女性のジジでさえ素敵だと思うくらいで、例え結婚していなくとも、恋をするにはなかなかの覚悟と自信がいる相手だ。
「いい加減、無理めの女に恋をしては失恋し、飲んだくれるというこの悪循環をどうにかしたら?」
モリーの説教に、ウィリアムはムスッとして応える。
「……失恋は、していない。まだ」
「する予定なんでしょ」
「……」
沈黙するウィリアムの代わりに、「間違いなく失恋する予定」、とジジは心の中で返事をした。
ミアは、夫のリカルドと結婚するまで、恋の噂が立ったことはなく、また、結婚した以上、夫以外に目が行くような性格でもないだろう。
どうしてルーベンスへ来ることになったのかはわからないが、時々、寂しそうな顔をするところを見れば、やはり夫への想いがあるように思われた。
「告白くらいは、したんでしょうね?」
モリーの問いに、ウィリアムはムスッとしたまま杯を空け、次を要求すると呟いた。
「していないし、これからすることもない。困らせるだけだから、一生、言わない」
ウィリアムらしい答えに、ジジは甘い酒を二口飲んだ。
ミアが結婚している以上、ウィリアムの想いが叶わないのは当然なのだが、それでも、仮初にでも、ウィリアムの想いが叶えばいいとは、どうしても思えなかった。
「……つまり、望みは全くナシってことね」
止めを刺されたウィリアムは、カウンターに額をぶつけるようにして蹲ったが、やがて顔を上げてモリーを睨むと背後の棚を顎で示し、物騒な気配に満ちた暗い声で告げた。
「モリー。端から順番に、注いでくれ。朝までには、全部飲み終わるだろ」
支払いは大丈夫なのかと思ったジジの前で、ウィリアムは懐から厚みのある袋をモリーに差し出した。
「一か月分の給金で、足りるだろ。足りない分は、翌月に払う」
**************************************
「ほら、しゃんとして!」
「るさい……」
「ほら、そこ、足を掛けて! いっくらワタシが逞しい元騎士でも、あんたの図体を持ち上げるなんて無理なんだからっ!」
明け方まではまだ間があるが、夜半をだいぶ過ぎた頃、店を閉めて帰るというモリーが呼んだ馬車に、モリーと共に泥酔したウィリアムを押し込め、ジジは欠伸を噛み殺した。
「もうっ!」
どうにかこうにか、ウィリアムを乗せ、その横にジジ、向かい合う席にモリーが座れば、小さな馬車は満員だ。
まずは城へ向かうように御者に言い付けたモリーは、すっかりジジに凭れかかって寝ているウィリアムを睨む。
「ワタシ、明日から店を開けられないじゃないの」
ウィリアムは、モリーが注ぐ酒を片っぱしから飲み干した。
さすがに、全部は無理だろうとモリーも思っていたようだが、あろうことか、ウィリアムは見事、棚にひしめき合っていた酒をすべて飲み尽くした。
モリーが、マズイと思って途中で密かに隠した幻の酒と言われる東の果てから仕入れたという貴重な一本を除き、綺麗に、空にした。
飲んでいる間、顔色一つ変えず、普通に会話を交わしていたウィリアムだが、最後の一杯を飲み干した途端、嘘のような泥酔状態になった。
そのままカウンターで寝入ろうとするのを無理矢理叩き起こし、こうして馬車に乗せたのは、護衛騎士であるウィリアムの体裁のためではなく、ウィリアムと一緒に外泊したと噂になれば、結婚前のジジにとって、ローレンヌ人であるジジにとって、名誉とは言い難い醜聞になりかねないからだ。
「しかも、ジジをほったらかしにして酔っ払うなんて、信じられないわ!」
憤慨するモリーに、ジジは何となく、自分にも責任があるような気がして、一応詫び、誤解を正す。
「……すみません。でも、あの、ウィリアム様が私を連れ出したわけではないので……」
「それでも、あなたをワタシの店に連れて来たんだから、ちゃんと送り届けるのが、ウィルの役目でしょうに。まったく、なってないわ」
「でも、楽しかったので……」
ジジは、これまで知らなかったウィリアムの色んな顔を見られて、騎士としてではないウィリアムを知ることが出来て、嬉しかった。
立派な護衛騎士としてのウィリアムも、ちょっと情けない普通の青年としてのウィリアムも、どちらも、ジジは好きだった。
「それなら、いいんだけど。でも、あんまり優しくしちゃ駄目よ? 男はすぐに勘違いして付け上がるから。しかも、弱っている時に優しくされると、直ぐに慰めてくれと言いだして、都合良く手を出して、後から、どうかしていたなんて、言い訳するものなんだから」
モリーの忠告に、ジジはこんな風にウィリアムが自分に弱みを見せることなど今後はないだろうし、慰めてくれと要求するようなことだってないはずだと、苦笑する。
そもそも、身分が違う。
国王の右腕とも言われる護衛騎士と、しがない侍女だ。
どんなにジジが想いを寄せても、ウィリアムは自分のことをそういう対象だとは思わないだろう。
せいぜい、ちょっと親しい友人くらいの関係だ。
そう説明しようとしたとき、ガタンと大きく馬車が揺れ、寄りかかっていたウィリアムがジジの身体を滑り落ちるようにして、倒れ込んだ。
慌てて、膝の上で抱き止めれば、膝枕する格好となる。
「あらぁ。さりげなく、オイシイ思いしてるわね。ウィルは」
モリーが、叩き起こしてやろうかという冷えた眼差しでウィリアムを睨む様子にくすくすと笑いながら、ジジはウィリアムの目元に落ちかかる髪をそっと掻き上げた。
無防備に身を預けるウィリアムの姿は、庇護欲をそそる。
いつも、立派な騎士然としているウィリアムのこんな一面を知っている侍女は、自分だけかもしれないと思えば、優越感も湧いて来る。
ジジは、どこかくすぐったくて、温かな気持ちが胸を満たすのを感じながら、何気なく柔らかな濃い茶色の髪を撫でた。
すると、あどけない顔で眠っていたウィリアムが、微かに眉根を寄せ、その唇から、小さな呟きを洩らした。
「ミア……」
その瞬間、ジジは弾かれたように手を離した。
強い視線を感じて顔を上げれば、モリーと目が合う。
「止めておきなさい。最初から、報われない恋などする必要はないんだから」
モリーの言葉に、ジジは頷けなかった。
既に、手遅れだと、たった今、気付いてしまったから……。
「こんばんは、モリー!」
カラン、というベルの音と共に扉を開くなり、ウィリアムは陽気に叫んだ。
「あらぁ、ウィルじゃないの! お、ひ、さ、し、ぶ、り」
出迎えたのは、ド派手な化粧を施した毒花のような美しさの、大柄な、おそらく、女性と思われる人物だった。
「ごめんよ、なかなか来られなくて。寂しい思いをさせて、すまなかった」
「いいのよ、アナタ。気にしないで頂戴。ワタシの愛は、そんなことくらいじゃ枯れないの。いつまででも、待っていられるわ」
「ありがとう。やっぱり、モリーが一番だよ」
「まぁっ! ウレシイ!」
店は、くねくねと身を捩らせたモリーと言う名の女性一人で切り盛りしているようだった。
他に店員らしき人物はおらず、奥には独りで飲んでいる年配の男性がいるだけ。
カウンターにどん、と大皿で置かれたいい匂いのする料理と、壁一面に並ぶ色とりどりの酒瓶は、どれも美味しそうだ。
ジジが、初めて見る大人の空間に、しかも初めて見る性別のわからない人物に戸惑いながらも視線をあちらこちらへ彷徨わせていると、ウィリアムが椅子を引いてくれた。
「どうぞ、姫」
姫って何なの、と恥ずかしく思いながらも腰を下ろせば、目の前に温かな湯気の立つ手巾が差し出された。
「このロクデナシに泣かされたの? 顔、拭いちゃいなさい。あなた、綺麗だから、お化粧なんかしていなくても、大丈夫よ」
にっこり微笑むモリーに、礼を言いながら手巾を受け取ったジジは、ここで、手巾で顔を拭くなんてはしたないのではと思ったが、涙で崩れた化粧をそのままにしているよりはマシかと思い直した。
「半分は、俺のせいじゃない……」
「半分も、責任があったら、十分ウィルのせいでしょう」
「うっ」
胸を抑えたウィリアムに、コロコロと笑いながらモリーは綺麗な青色の酒を注いだ杯を差し出す。
「で、そちらのお姫様は何がいいかしら?」
そう言われても、何を頼めばいいのかがわからない。
ジジが戸惑って視線を向ければ、一息に杯を空けたウィリアムが甘い笑みを浮かべた。
「どんなものが飲みたい? ジェレーヌ嬢。酒の種類がわからなければ、好みの味を言えば、モリーが作ってくれる。何でも、好きな物を頼むといい」
「やぁねぇ。何、気取っちゃってんのよ、ウィル。ジェレーヌ嬢なんて。愛称はないの? 愛称は!」
分厚い睫毛を瞬かせるモリーに見つめられ、ジジがこういう場合はどうすべきか考えあぐねて視線を彷徨わせていると、ウィリアムがあっさり答えを口にした。
「ジジ」
ウィリアムに甘い笑みと共に呼ばれ、ジジは頬が熱くなるような気がした。
愛称で呼ばれるなんて、考えたこともなかった。
「ジジ! カワイイわねぇ! よろしく、ジジ。ワタシ、今、あなたにぴったりのお酒を思い付いたわ。蕩けるように甘くって、初々しい爽やかさもありつつ、でもちょっぴり小悪魔的にスパイシー。どうかしら?」
まるで想像も着かないが、ジジがそれでお願いすると頷けば、モリーはいきなり腕まくりし、逞しく鍛え上げた腕を露わにして、素早く棚から何本もの瓶を一度に取り出すと、鼻歌を歌いながら杯に次々注ぎ、かき混ぜる。
程なくして、少し背の高い綺麗な硝子細工の杯に、柔らかな桃色の液体と金色の斑点が浮かぶ芸術的な一品が差し出された。
驚き、嬉しくなって、早速口をつければ、甘くて美味しい。
飲み干した後には、爽やかな香りが鼻を抜け、舌にはピリッとした刺激が残る。
「とても、美味しいです。ありがとうございます」
ジジがお礼を言えば、モリーは片目を瞑ってみせた。
「あなたの素敵な髪の色と一緒よ」
言われてみれば、とジジは、胸のあたりまである自分の髪を摘み上げた。
金色に赤みが交じるジジの髪は、珍しいとよく言われる。
亡くなった祖父が北方の出身だから金が交じっているのだと思われるが、何がどう作用しているのかは、わからない。
ただ、侍女が着るお仕着せは、汚れが目立たぬように暗めの色合いなので、あまり似合わないのが悩みといえば、悩みである。
「うん、ジジの髪は、本当に綺麗な色をしている」
ウィリアムも同意して、モリーが差し出す次の杯を、今度は真っ赤な色の酒が注がれたものを受け取り、再び一息で飲み干すと、ジジの方へ手を伸ばした。
何をする気かと目を瞬けば、ジジの髪をひと房掬い上げ、その先に口づけた。
その仕草に、ジジはますます頬が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らす。
ウィリアムは、モリーに次の酒を要求しながら、そんな行為に特別な意味などないとばかりに文句を言った。
「こんなに綺麗なのに、いつも纏めているのは、勿体ないと思わないか?」
「あら。だからこそ、いいんじゃないの。いつもはきちんとしているのが、そういう時には別人のように乱れるのが」
「……げほっ」
含んだ酒を危うく吹き出しかけたジジに、モリーは意地の悪い笑みを向け、耳元で囁いた。
「ウィルは、昔っから、高嶺の花、お堅い女が好みなのよ」
それは知っている、とジジは頷いた。
ウィリアムの想い人のミアは、立派な将軍を父に持ち、本人も近衛騎士団の副団長を務める程の剣の腕前を誇り、それでいながら女性らしい柔らかさを失わず、凛々しく美しく優しい、正真正銘、高嶺の花だ。
女性のジジでさえ素敵だと思うくらいで、例え結婚していなくとも、恋をするにはなかなかの覚悟と自信がいる相手だ。
「いい加減、無理めの女に恋をしては失恋し、飲んだくれるというこの悪循環をどうにかしたら?」
モリーの説教に、ウィリアムはムスッとして応える。
「……失恋は、していない。まだ」
「する予定なんでしょ」
「……」
沈黙するウィリアムの代わりに、「間違いなく失恋する予定」、とジジは心の中で返事をした。
ミアは、夫のリカルドと結婚するまで、恋の噂が立ったことはなく、また、結婚した以上、夫以外に目が行くような性格でもないだろう。
どうしてルーベンスへ来ることになったのかはわからないが、時々、寂しそうな顔をするところを見れば、やはり夫への想いがあるように思われた。
「告白くらいは、したんでしょうね?」
モリーの問いに、ウィリアムはムスッとしたまま杯を空け、次を要求すると呟いた。
「していないし、これからすることもない。困らせるだけだから、一生、言わない」
ウィリアムらしい答えに、ジジは甘い酒を二口飲んだ。
ミアが結婚している以上、ウィリアムの想いが叶わないのは当然なのだが、それでも、仮初にでも、ウィリアムの想いが叶えばいいとは、どうしても思えなかった。
「……つまり、望みは全くナシってことね」
止めを刺されたウィリアムは、カウンターに額をぶつけるようにして蹲ったが、やがて顔を上げてモリーを睨むと背後の棚を顎で示し、物騒な気配に満ちた暗い声で告げた。
「モリー。端から順番に、注いでくれ。朝までには、全部飲み終わるだろ」
支払いは大丈夫なのかと思ったジジの前で、ウィリアムは懐から厚みのある袋をモリーに差し出した。
「一か月分の給金で、足りるだろ。足りない分は、翌月に払う」
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「ほら、しゃんとして!」
「るさい……」
「ほら、そこ、足を掛けて! いっくらワタシが逞しい元騎士でも、あんたの図体を持ち上げるなんて無理なんだからっ!」
明け方まではまだ間があるが、夜半をだいぶ過ぎた頃、店を閉めて帰るというモリーが呼んだ馬車に、モリーと共に泥酔したウィリアムを押し込め、ジジは欠伸を噛み殺した。
「もうっ!」
どうにかこうにか、ウィリアムを乗せ、その横にジジ、向かい合う席にモリーが座れば、小さな馬車は満員だ。
まずは城へ向かうように御者に言い付けたモリーは、すっかりジジに凭れかかって寝ているウィリアムを睨む。
「ワタシ、明日から店を開けられないじゃないの」
ウィリアムは、モリーが注ぐ酒を片っぱしから飲み干した。
さすがに、全部は無理だろうとモリーも思っていたようだが、あろうことか、ウィリアムは見事、棚にひしめき合っていた酒をすべて飲み尽くした。
モリーが、マズイと思って途中で密かに隠した幻の酒と言われる東の果てから仕入れたという貴重な一本を除き、綺麗に、空にした。
飲んでいる間、顔色一つ変えず、普通に会話を交わしていたウィリアムだが、最後の一杯を飲み干した途端、嘘のような泥酔状態になった。
そのままカウンターで寝入ろうとするのを無理矢理叩き起こし、こうして馬車に乗せたのは、護衛騎士であるウィリアムの体裁のためではなく、ウィリアムと一緒に外泊したと噂になれば、結婚前のジジにとって、ローレンヌ人であるジジにとって、名誉とは言い難い醜聞になりかねないからだ。
「しかも、ジジをほったらかしにして酔っ払うなんて、信じられないわ!」
憤慨するモリーに、ジジは何となく、自分にも責任があるような気がして、一応詫び、誤解を正す。
「……すみません。でも、あの、ウィリアム様が私を連れ出したわけではないので……」
「それでも、あなたをワタシの店に連れて来たんだから、ちゃんと送り届けるのが、ウィルの役目でしょうに。まったく、なってないわ」
「でも、楽しかったので……」
ジジは、これまで知らなかったウィリアムの色んな顔を見られて、騎士としてではないウィリアムを知ることが出来て、嬉しかった。
立派な護衛騎士としてのウィリアムも、ちょっと情けない普通の青年としてのウィリアムも、どちらも、ジジは好きだった。
「それなら、いいんだけど。でも、あんまり優しくしちゃ駄目よ? 男はすぐに勘違いして付け上がるから。しかも、弱っている時に優しくされると、直ぐに慰めてくれと言いだして、都合良く手を出して、後から、どうかしていたなんて、言い訳するものなんだから」
モリーの忠告に、ジジはこんな風にウィリアムが自分に弱みを見せることなど今後はないだろうし、慰めてくれと要求するようなことだってないはずだと、苦笑する。
そもそも、身分が違う。
国王の右腕とも言われる護衛騎士と、しがない侍女だ。
どんなにジジが想いを寄せても、ウィリアムは自分のことをそういう対象だとは思わないだろう。
せいぜい、ちょっと親しい友人くらいの関係だ。
そう説明しようとしたとき、ガタンと大きく馬車が揺れ、寄りかかっていたウィリアムがジジの身体を滑り落ちるようにして、倒れ込んだ。
慌てて、膝の上で抱き止めれば、膝枕する格好となる。
「あらぁ。さりげなく、オイシイ思いしてるわね。ウィルは」
モリーが、叩き起こしてやろうかという冷えた眼差しでウィリアムを睨む様子にくすくすと笑いながら、ジジはウィリアムの目元に落ちかかる髪をそっと掻き上げた。
無防備に身を預けるウィリアムの姿は、庇護欲をそそる。
いつも、立派な騎士然としているウィリアムのこんな一面を知っている侍女は、自分だけかもしれないと思えば、優越感も湧いて来る。
ジジは、どこかくすぐったくて、温かな気持ちが胸を満たすのを感じながら、何気なく柔らかな濃い茶色の髪を撫でた。
すると、あどけない顔で眠っていたウィリアムが、微かに眉根を寄せ、その唇から、小さな呟きを洩らした。
「ミア……」
その瞬間、ジジは弾かれたように手を離した。
強い視線を感じて顔を上げれば、モリーと目が合う。
「止めておきなさい。最初から、報われない恋などする必要はないんだから」
モリーの言葉に、ジジは頷けなかった。
既に、手遅れだと、たった今、気付いてしまったから……。
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