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馬よりも仲良くなりたい、王子様 2
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ビヴァリーは、馬場で暴れる一頭の馬を目にした瞬間、ひと目でその馬が好きになった。
美しい黒鹿毛の馬体と額の星から、ドルトンの子だとわかった。
アルウィンと馬場を一周しながら、ビヴァリーはじっと様子を窺うジェフリーを見て、この馬の持ち主のことをずいぶん心配していることを感じ、『ある貴婦人』の正体が何となくわかった。
王子であるジェフリーが、わざわざビヴァリーのような最下層にいる人間に会おうとするなんてよっぽどのことだし、そこまで大事に思っている相手は一人しかいない気がする。
アルウィンはドルトンの子どもらしく、とても気位が高いから、自分が認めた相手にしか騎乗を許さない。馬丁には反抗的な態度を見せていたが、馬場にも慣れているようだし、人にも慣れているから、アルウィンの持ち主はきっと頻繁に乗っていたはずだ。
軽い乗馬を楽しむなら、もっと扱いやすい種類を選んだほうがいいのだが、ギデオンがわざわざアルウィンを贈ったのだとすれば、乗り手は速駆けを楽しむと思ったからだろう。
(運動不足と不安から落ち着きをなくしていただけだから、きっと、ご主人さまと広い野原でも思い切り駆け回れば、満足すると思うんだけど……)
王宮に住まう人には――王子妃には、ただ乗馬を楽しむということすらも難しいことなのかもしれない。
馬はもちろん、乗り手にとっても不幸なことだとビヴァリーは溜息を吐いた。
「おまえのご主人さまは、どうしちゃったのかな?」
アルウィンは、自分こそ知りたいと言うように首を振る。
「会えないと寂しいよね……せっかく、お姫様の馬になれたのにね?」
まったくだと言うように鼻を鳴らしたアルウィンがジェフリーを見る目は、心なしか険しい。どうやら原因はジェフリーにありそうだ。
「うーん……力になってあげたいけど……」
ビヴァリーには、馬のことほど人間のことはよくわからない。
とにかく、アルウィンの運動不足を解消し、少しでも気分よく過ごせるようにしようと決めた。
馬場を一周してアルウィンが落ち着いたので、ハミや鞍をつけて走らせてみる。
がむしゃらに走りたがるのを抑えて、走ったり止まったり。斜めに歩いてみたり、後ろ足で立ち上がってみたり。いろんな運動をさせることで、今の筋力などを確かめて今後の運動の計画を頭の中で組み立てて行く。
レースのような目標があるわけではないが、アルウィンとその主を思い切り走らせてやりたいと思った。
最後にもう一度、アルウィンに馬場を一周させていたビヴァリーは、ふとアルウィンがある一点を気にしていることに気が付いた。
その視線の先には、厩舎の壁に寄りかかってこちらを見ている深緑色のワンピースを着た小柄な女性がいた。
「あ! ようやく来てくれたんだね!」
嬉しそうに頷くアルウィンを連れてハロルドたちのところへ戻ると、ジェフリーが微笑みながら出迎えてくれた。
「見事だ」
「ありがとうございます」
ビヴァリーは、にっこり笑って答えながら、その背後から近づいてくる女性を見つめた。
「馬……馬と、馬主がいいからです」
一人の供もなく、スタスタと足早に歩いて来る女性は、何の装飾もないドレスに背中の中ほどまであるストロベリーブロンドの髪を解いたまま。指輪一つ身に着けておらず、凛とした美貌さえなければ、その辺の町娘といった格好だった。
「ブリギッド……」
青白い顔の中、グレイッシュグリーンの瞳は強い光を宿し、驚いた様子で手を差し伸べたジェフリーをひと睨みで蹴散らした。
「おまえ、名は?」
顎を上げ、傲慢にも見える仕草で尋ねる姿に、アルウィンと似たものを感じてビヴァリーはくすりと笑ってしまった。
淑女の礼は苦手だったし、上手くできる気がしなかったので、片膝をついて最敬礼をする。
「ビヴァリーと申します。お会い出来て光栄です、ブリギッド妃殿下」
難しいことはわからないけれど、ブリギッドが属国となったコルディアの王女であり、一人の味方もいないブレントリーへたった一人で嫁いできたことくらいは、知っていた。
勇気のある人で、だからこそアルウィンが主として認めているのだと思えば、最大級の敬意を払うのは当然のことだった。
「私に跪く必要などないわ。あなたの主じゃないんだから。立ちなさい、ビヴァリー」
ブリギッドは、ビヴァリーに立ち上がるよう促すと、アルウィンの鼻梁を撫でてやり、甘えて頭を擦り寄せるのを許した。
「寂しい思いをさせてごめんね、アルウィン」
小さな声でブリギッドが詫びるのを聞いて、ビヴァリーは微笑んだ。
思った通り、ちゃんとアルウィンを大事にしてくれている。
「アルウィンは気難しい馬だけれど、あなたを気に入ったようね?」
「アルウィンの父親と知り合いなのです」
「そうなの……つまり、リングフィールド卿とも知り合いというわけね?」
ちらりとハロルドを見遣り、納得したというようにブリギッドは頷いた。
「はい」
「私の乗馬に付き合ってくれと言われたの?」
「私は貴族ではないので、無理だと断ったんですけれど……」
「それなのにここにいるということは、無理やり連れて来られたということかしら」
半分そのようなものだと思い、否定も肯定もせずに沈黙を返す。
「この国の男たちは、どれも聞く耳を持たないようね。馬以下だわ」
ブリギッドは、そう言って軽くジェフリーを睨む。
ジェフリーは賢明にも妻に反論はせず、引きつった笑みを返すに止めた。
「私、この世で一番美しくて賢いものは馬だと思っているの。あなたもそう思うでしょう?」
「はい」
ビヴァリーが間髪入れずに答えると、ブリギッドはそれまでの険しい表情を一変させ、にっこり笑った。
長い睫毛に縁どられたグレイッシュグリーンの瞳は、楽しいことを見つけた子どものようにきらきら光り、綺麗な笑みを象ったピンク色の唇からは白い小さな歯が覗いている。
(か、かわいい……妖精みたい……)
深緑色のワンピースのせいもあってか、ブリギッドはまるで森の妖精みたいだった。
がらりと印象を変えたブリギッドに、ビヴァリーは女同士なのに胸がときめくという不思議な体験をした。
「アルウィン。ちょっとだけ乗せて。私たち二人くらい、楽勝でしょ?」
そう言うなり、ブリギッドはワンピース姿をものともせず、ひらりとアルウィンに飛び乗った。
「ブリギッドっ!?」
ジェフリーの悲鳴が聞こえたが、ブリギッドはワンピースを捲り上げて見せる。
「履いてるわよ」
ブリギッドは、ちょうどビヴァリーが履いているような男性用ズボンと長いブーツをワンピースの下に履いていた。
「ビヴァリー」
ブリギッドに呼ばれてビヴァリーがその後ろへ跨ると、アルウィンは張り切って歩き出した。
かなり運動した後なのに、足取りが軽いのはよほど嬉しいからだろう。
ハロルドたちに会話が聞こえない程度まで離れると、ブリギッドは前を向いたままビヴァリーに問いかけた。
「あなた、リングフィールド卿の恋人?」
予想外の問いに驚きすぎて、ビヴァリーはあやうく馬から転げ落ちそうになった。
「えっ!? ち、ちちち違いますっ! ただの、昔の知り合い……です」
キスをしたり、裸で密着したりはしたけれど、それだけで恋人にはならないだろうと思って否定したが、ブリギッドは納得しない。
「……怪しいわね」
「あ、あや、怪しくは……」
「あの堅物潔癖男が、女性を連れているというだけでも前代未聞よ。私の耳にも入るくらいなのだから、王宮は大騒ぎね」
「堅物潔癖……」
「殿下とは正反対。どうして二人が親しいのか理解に苦しむわ」
苦々しい表情で呟くブリギッドの横顔を見て、ビヴァリーはやっぱり原因はジェフリーだと確信した。
「妃殿下は……」
「ブリギッド」
「は、はい……あの、ブリギッドさまはジェフリー様がお好きなんですね」
「はぁっ!? どこをどう取ったら、そんな結論になるのよ?」
王女とは思えない声で異議を唱えたブリギッドが振り返る。
「アルウィンと一緒だと思って……」
「え?」
「アルウィンもブリギッドさまに会えなくて寂しかったように、ブリギッドさまもジェフリーさまと一緒にいられなくて寂しかったのではないかと思ったんですけれど……」
「…………」
しばらく沈黙していたブリギッドは、根負けしたように項垂れた。
「私のところへ来るのは、週に一度。しかも、晩餐を共にして少し話をしたら、さっさと引き揚げる。そのくせ、残りの六日間は『ブランカ』とかいう女のところへ通い詰めて、朝帰りまでしている。これが屈辱でなくて、何を屈辱と言うべきなのかしら?」
まさか、いきなり王子の不倫という重大すぎる秘密をぶちまけられるとは思っていなかったビヴァリーは、絶句した。
「……その、ジェフリー殿下には確かめたんですか?」
貴族の間では、夫婦が別々に愛人を持つのは珍しくないとビヴァリーも知っていたが、単なる誤解ということもある。念のため問い返すと、ブリギッドは「ふん」と鼻を鳴らした。
「一度問い質したら、男には男同士の付き合いがあるのだとか、女性の身体は繊細だから無理はさせたくないとか適当な言い訳をするから、訊いても無駄よ。女官長や親切ぶった世話役の夫人たちは、私が何か相談するたびに『ブレントリーでは女性は大人しく引き籠っているべきなのです』と言うから、そうすることにしたのよ。そのくせ、大人しく部屋に引き籠っていたら、今度は引きずり出そうとする」
「…………」
かなり鬱屈した気持ちを抱えているらしいブリギッドは、青白い頬を赤くして憤然と言い放った。
「私は、王子様を引き立てるためのお飾りの宝石じゃないのよ。その日の気分で、出したりしまったりされるのに、どうして従わなくちゃならないのよ。宝石だって、口が利けるなら一番似合う相手に飾られたいと言うに決まっているわ」
「確かに……」
「だいたい、お世継ぎを早くとかなんとかしきりに言われるけれど、にこにこ笑って仲良く並んで突っ立っているだけで出来るわけがないじゃない。どうせ政略結婚なのだから、私が気に入らないなら気に入らないとはっきり宣言してもらいたいわ。そうすれば、こっちだって気に入らないって言えるもの」
あけすけな話にビヴァリーは頬が熱くなってきたが、ブリギッドの手綱を握る手が震えているのを見て、本当の気持ちはまるで逆なのだとわかった。
「ブリギッドさまは……ジェフリー殿下と仲良くなりたいんですね」
「だからっ……」
「ジェフリー殿下も同じだと思います。そうでなければ、わざわざ私のような者の面接に自ら足を運んだりしないでしょう」
黙り込んでしまったブリギッドの代わりに、ビヴァリーはアルウィンに軽く走るよう指示を出した。
しばらく無言で、悠々と走るアルウィンの背で風を受けていると、ブリギッドの気持ちが少しずつ落ち着いていくのを感じた。
やがて、大きく息を吐いたブリギッドがアルウィンに速度を落とすよう命じた。
「……ごめんなさい。初対面なのに色々とぶちまけてしまったわ。リングフィールド卿には、あなたを無理に採用する必要はないと私から言っておきます。今聞いたことは、忘れて頂戴」
ハロルドたちのいる方へ馬首を向けながら、凛と背筋を伸ばしたブリギッドは、ビヴァリーが望まないことはしなくていいと言った。
「でも……」
「強引な真似をしたのは、たぶん今度の狐狩りに私を引っ張り出したかったからだと思うの。私が参加すると言えば、それで済む話よ」
気は進まないが、いつまでも引き籠っているわけにはいかないことも分かっていると諦めの笑みを浮かべるブリギッドを見て、ビヴァリーは思わず口を開いた。
「その狐狩りまで、アルウィンの世話をさせてもらえませんか?」
「え? でも、あなた断ったって……」
「狩りに参加するなら、もう少しアルウィンの状態を整えたほうがいいと思います。狩りを楽しめるかどうかは別として、きっと広い場所で思い切り走り回ることはできるでしょうから」
ブリギッドは大きく目を見開いてビヴァリーを見つめていたが、グレイッシュグリーンの瞳にふといたずらめいた光を浮かべた。
「あなたが一緒に狐狩りに参加してくれるというなら、いいわ」
「え……でも、あの……」
「主催者は、私を妃の座から追い落そうとしているいけすかない貴族の一人なの。一人くらい、味方を連れて行ったっていいでしょう?」
自ら面倒事に首を突っ込むようなものだとわかっていたけれど、ビヴァリーは断れなかった。
すっかりアルウィンを好きになってしまったように、異国の王女さまのことも好きになってしまっていた……。
美しい黒鹿毛の馬体と額の星から、ドルトンの子だとわかった。
アルウィンと馬場を一周しながら、ビヴァリーはじっと様子を窺うジェフリーを見て、この馬の持ち主のことをずいぶん心配していることを感じ、『ある貴婦人』の正体が何となくわかった。
王子であるジェフリーが、わざわざビヴァリーのような最下層にいる人間に会おうとするなんてよっぽどのことだし、そこまで大事に思っている相手は一人しかいない気がする。
アルウィンはドルトンの子どもらしく、とても気位が高いから、自分が認めた相手にしか騎乗を許さない。馬丁には反抗的な態度を見せていたが、馬場にも慣れているようだし、人にも慣れているから、アルウィンの持ち主はきっと頻繁に乗っていたはずだ。
軽い乗馬を楽しむなら、もっと扱いやすい種類を選んだほうがいいのだが、ギデオンがわざわざアルウィンを贈ったのだとすれば、乗り手は速駆けを楽しむと思ったからだろう。
(運動不足と不安から落ち着きをなくしていただけだから、きっと、ご主人さまと広い野原でも思い切り駆け回れば、満足すると思うんだけど……)
王宮に住まう人には――王子妃には、ただ乗馬を楽しむということすらも難しいことなのかもしれない。
馬はもちろん、乗り手にとっても不幸なことだとビヴァリーは溜息を吐いた。
「おまえのご主人さまは、どうしちゃったのかな?」
アルウィンは、自分こそ知りたいと言うように首を振る。
「会えないと寂しいよね……せっかく、お姫様の馬になれたのにね?」
まったくだと言うように鼻を鳴らしたアルウィンがジェフリーを見る目は、心なしか険しい。どうやら原因はジェフリーにありそうだ。
「うーん……力になってあげたいけど……」
ビヴァリーには、馬のことほど人間のことはよくわからない。
とにかく、アルウィンの運動不足を解消し、少しでも気分よく過ごせるようにしようと決めた。
馬場を一周してアルウィンが落ち着いたので、ハミや鞍をつけて走らせてみる。
がむしゃらに走りたがるのを抑えて、走ったり止まったり。斜めに歩いてみたり、後ろ足で立ち上がってみたり。いろんな運動をさせることで、今の筋力などを確かめて今後の運動の計画を頭の中で組み立てて行く。
レースのような目標があるわけではないが、アルウィンとその主を思い切り走らせてやりたいと思った。
最後にもう一度、アルウィンに馬場を一周させていたビヴァリーは、ふとアルウィンがある一点を気にしていることに気が付いた。
その視線の先には、厩舎の壁に寄りかかってこちらを見ている深緑色のワンピースを着た小柄な女性がいた。
「あ! ようやく来てくれたんだね!」
嬉しそうに頷くアルウィンを連れてハロルドたちのところへ戻ると、ジェフリーが微笑みながら出迎えてくれた。
「見事だ」
「ありがとうございます」
ビヴァリーは、にっこり笑って答えながら、その背後から近づいてくる女性を見つめた。
「馬……馬と、馬主がいいからです」
一人の供もなく、スタスタと足早に歩いて来る女性は、何の装飾もないドレスに背中の中ほどまであるストロベリーブロンドの髪を解いたまま。指輪一つ身に着けておらず、凛とした美貌さえなければ、その辺の町娘といった格好だった。
「ブリギッド……」
青白い顔の中、グレイッシュグリーンの瞳は強い光を宿し、驚いた様子で手を差し伸べたジェフリーをひと睨みで蹴散らした。
「おまえ、名は?」
顎を上げ、傲慢にも見える仕草で尋ねる姿に、アルウィンと似たものを感じてビヴァリーはくすりと笑ってしまった。
淑女の礼は苦手だったし、上手くできる気がしなかったので、片膝をついて最敬礼をする。
「ビヴァリーと申します。お会い出来て光栄です、ブリギッド妃殿下」
難しいことはわからないけれど、ブリギッドが属国となったコルディアの王女であり、一人の味方もいないブレントリーへたった一人で嫁いできたことくらいは、知っていた。
勇気のある人で、だからこそアルウィンが主として認めているのだと思えば、最大級の敬意を払うのは当然のことだった。
「私に跪く必要などないわ。あなたの主じゃないんだから。立ちなさい、ビヴァリー」
ブリギッドは、ビヴァリーに立ち上がるよう促すと、アルウィンの鼻梁を撫でてやり、甘えて頭を擦り寄せるのを許した。
「寂しい思いをさせてごめんね、アルウィン」
小さな声でブリギッドが詫びるのを聞いて、ビヴァリーは微笑んだ。
思った通り、ちゃんとアルウィンを大事にしてくれている。
「アルウィンは気難しい馬だけれど、あなたを気に入ったようね?」
「アルウィンの父親と知り合いなのです」
「そうなの……つまり、リングフィールド卿とも知り合いというわけね?」
ちらりとハロルドを見遣り、納得したというようにブリギッドは頷いた。
「はい」
「私の乗馬に付き合ってくれと言われたの?」
「私は貴族ではないので、無理だと断ったんですけれど……」
「それなのにここにいるということは、無理やり連れて来られたということかしら」
半分そのようなものだと思い、否定も肯定もせずに沈黙を返す。
「この国の男たちは、どれも聞く耳を持たないようね。馬以下だわ」
ブリギッドは、そう言って軽くジェフリーを睨む。
ジェフリーは賢明にも妻に反論はせず、引きつった笑みを返すに止めた。
「私、この世で一番美しくて賢いものは馬だと思っているの。あなたもそう思うでしょう?」
「はい」
ビヴァリーが間髪入れずに答えると、ブリギッドはそれまでの険しい表情を一変させ、にっこり笑った。
長い睫毛に縁どられたグレイッシュグリーンの瞳は、楽しいことを見つけた子どものようにきらきら光り、綺麗な笑みを象ったピンク色の唇からは白い小さな歯が覗いている。
(か、かわいい……妖精みたい……)
深緑色のワンピースのせいもあってか、ブリギッドはまるで森の妖精みたいだった。
がらりと印象を変えたブリギッドに、ビヴァリーは女同士なのに胸がときめくという不思議な体験をした。
「アルウィン。ちょっとだけ乗せて。私たち二人くらい、楽勝でしょ?」
そう言うなり、ブリギッドはワンピース姿をものともせず、ひらりとアルウィンに飛び乗った。
「ブリギッドっ!?」
ジェフリーの悲鳴が聞こえたが、ブリギッドはワンピースを捲り上げて見せる。
「履いてるわよ」
ブリギッドは、ちょうどビヴァリーが履いているような男性用ズボンと長いブーツをワンピースの下に履いていた。
「ビヴァリー」
ブリギッドに呼ばれてビヴァリーがその後ろへ跨ると、アルウィンは張り切って歩き出した。
かなり運動した後なのに、足取りが軽いのはよほど嬉しいからだろう。
ハロルドたちに会話が聞こえない程度まで離れると、ブリギッドは前を向いたままビヴァリーに問いかけた。
「あなた、リングフィールド卿の恋人?」
予想外の問いに驚きすぎて、ビヴァリーはあやうく馬から転げ落ちそうになった。
「えっ!? ち、ちちち違いますっ! ただの、昔の知り合い……です」
キスをしたり、裸で密着したりはしたけれど、それだけで恋人にはならないだろうと思って否定したが、ブリギッドは納得しない。
「……怪しいわね」
「あ、あや、怪しくは……」
「あの堅物潔癖男が、女性を連れているというだけでも前代未聞よ。私の耳にも入るくらいなのだから、王宮は大騒ぎね」
「堅物潔癖……」
「殿下とは正反対。どうして二人が親しいのか理解に苦しむわ」
苦々しい表情で呟くブリギッドの横顔を見て、ビヴァリーはやっぱり原因はジェフリーだと確信した。
「妃殿下は……」
「ブリギッド」
「は、はい……あの、ブリギッドさまはジェフリー様がお好きなんですね」
「はぁっ!? どこをどう取ったら、そんな結論になるのよ?」
王女とは思えない声で異議を唱えたブリギッドが振り返る。
「アルウィンと一緒だと思って……」
「え?」
「アルウィンもブリギッドさまに会えなくて寂しかったように、ブリギッドさまもジェフリーさまと一緒にいられなくて寂しかったのではないかと思ったんですけれど……」
「…………」
しばらく沈黙していたブリギッドは、根負けしたように項垂れた。
「私のところへ来るのは、週に一度。しかも、晩餐を共にして少し話をしたら、さっさと引き揚げる。そのくせ、残りの六日間は『ブランカ』とかいう女のところへ通い詰めて、朝帰りまでしている。これが屈辱でなくて、何を屈辱と言うべきなのかしら?」
まさか、いきなり王子の不倫という重大すぎる秘密をぶちまけられるとは思っていなかったビヴァリーは、絶句した。
「……その、ジェフリー殿下には確かめたんですか?」
貴族の間では、夫婦が別々に愛人を持つのは珍しくないとビヴァリーも知っていたが、単なる誤解ということもある。念のため問い返すと、ブリギッドは「ふん」と鼻を鳴らした。
「一度問い質したら、男には男同士の付き合いがあるのだとか、女性の身体は繊細だから無理はさせたくないとか適当な言い訳をするから、訊いても無駄よ。女官長や親切ぶった世話役の夫人たちは、私が何か相談するたびに『ブレントリーでは女性は大人しく引き籠っているべきなのです』と言うから、そうすることにしたのよ。そのくせ、大人しく部屋に引き籠っていたら、今度は引きずり出そうとする」
「…………」
かなり鬱屈した気持ちを抱えているらしいブリギッドは、青白い頬を赤くして憤然と言い放った。
「私は、王子様を引き立てるためのお飾りの宝石じゃないのよ。その日の気分で、出したりしまったりされるのに、どうして従わなくちゃならないのよ。宝石だって、口が利けるなら一番似合う相手に飾られたいと言うに決まっているわ」
「確かに……」
「だいたい、お世継ぎを早くとかなんとかしきりに言われるけれど、にこにこ笑って仲良く並んで突っ立っているだけで出来るわけがないじゃない。どうせ政略結婚なのだから、私が気に入らないなら気に入らないとはっきり宣言してもらいたいわ。そうすれば、こっちだって気に入らないって言えるもの」
あけすけな話にビヴァリーは頬が熱くなってきたが、ブリギッドの手綱を握る手が震えているのを見て、本当の気持ちはまるで逆なのだとわかった。
「ブリギッドさまは……ジェフリー殿下と仲良くなりたいんですね」
「だからっ……」
「ジェフリー殿下も同じだと思います。そうでなければ、わざわざ私のような者の面接に自ら足を運んだりしないでしょう」
黙り込んでしまったブリギッドの代わりに、ビヴァリーはアルウィンに軽く走るよう指示を出した。
しばらく無言で、悠々と走るアルウィンの背で風を受けていると、ブリギッドの気持ちが少しずつ落ち着いていくのを感じた。
やがて、大きく息を吐いたブリギッドがアルウィンに速度を落とすよう命じた。
「……ごめんなさい。初対面なのに色々とぶちまけてしまったわ。リングフィールド卿には、あなたを無理に採用する必要はないと私から言っておきます。今聞いたことは、忘れて頂戴」
ハロルドたちのいる方へ馬首を向けながら、凛と背筋を伸ばしたブリギッドは、ビヴァリーが望まないことはしなくていいと言った。
「でも……」
「強引な真似をしたのは、たぶん今度の狐狩りに私を引っ張り出したかったからだと思うの。私が参加すると言えば、それで済む話よ」
気は進まないが、いつまでも引き籠っているわけにはいかないことも分かっていると諦めの笑みを浮かべるブリギッドを見て、ビヴァリーは思わず口を開いた。
「その狐狩りまで、アルウィンの世話をさせてもらえませんか?」
「え? でも、あなた断ったって……」
「狩りに参加するなら、もう少しアルウィンの状態を整えたほうがいいと思います。狩りを楽しめるかどうかは別として、きっと広い場所で思い切り走り回ることはできるでしょうから」
ブリギッドは大きく目を見開いてビヴァリーを見つめていたが、グレイッシュグリーンの瞳にふといたずらめいた光を浮かべた。
「あなたが一緒に狐狩りに参加してくれるというなら、いいわ」
「え……でも、あの……」
「主催者は、私を妃の座から追い落そうとしているいけすかない貴族の一人なの。一人くらい、味方を連れて行ったっていいでしょう?」
自ら面倒事に首を突っ込むようなものだとわかっていたけれど、ビヴァリーは断れなかった。
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