行きて帰りし物語

ミスミ シン

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三章

きもち

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 翌檜とガーラハドの協力を得ることとなった我々が次にした事は、敵の情報を探ることでした。
 翌檜の持っていた資料にはその名前も写真もなく、ある情報と言えば彼が語ってくれた「大きくて小さい」「黒くて人の形をしているけれど人の形ではない」という、相反する曖昧なものだけです。
 彼にもっと詳しく話を聞けばまた違うのかもしれませんが、何となく聞き難いものがあって今まで聞けずにおりました。
 彼にとっては天敵であり仇であるのですから、下手に思い出させたくないという気持ちがあったから、なのかもしれません。
 しかしそのままではいけないのです。
 彼が残り時間が少ないと言ってから、もう幾日か経過しています。
 それだけ経てばさらに残り時間が少なくなっているのは明白で、刻一刻とエードラムは死に近付いているのですから。
 まぁ、今ここで物凄い勢いでジャガイモをマッシュしている姿からは、死が間近であるとはまったく思えないわけですが。
 夕飯はとっくの昔に終わっており、時刻は日付が変わるほんの数時間前といったところです。
 そんな時間にエードラムがジャガイモを潰しているのは、今日も彼があまり食事を摂らなかったからに他なりません。
 一応食べてはいるのですが、勇大よりも食べるのが遅く、そのわりに勇大にあわせて食事を終えてしまうので満足に食べきれていないのではと思ってしまいます。
 だからエードラムは、前に彼が旨いと言っていたポテトサラダを作っている真っ最中でした。
 世の中には草食系男子というものが流行っているといつぞやのテレビで申しておりましたが、ここまで肉食系でありながらこんなに丁寧に料理を作っている姿というのも、何となく不思議で面白いものです。
 さてわたしはそんなことよりも、このあとに何と言って彼から情報を引き出そうかと思案しておりました。
 翌檜も色々調べてくれてはいるようですが、やはり一番の近道は本人から話を聞く事です。
 我々も少なからずその魔王と戦っているのは確実なのですが、まだはっきりと思い出せない以上は彼に聞くしかないでしょう。
「でかくて小さい、なー。男のブツみてぇだな」
『下品ですよエードラム……』
「わかんねぇんだよ。その意味がよ……毎回形が違うもんなのか?」
『どうなの、でしょうね。多分同一犯だとは思うのですが』
「違う奴だったらオレどんだけ恨まれてんだって話になるな」
 考えつつも、ジャガイモを潰す手は止まりません。
 今彼は勇大を寝かしつけているところなので、ついつい思考が先立ってしまうのでしょう。
 気持ちはわかります。
 わたしも同じですから。
「……コーヒー」
「おう、ガキは寝たかよ」
 さてどうするかと考えていると、勇大と共に寝かけたのか目を擦りながら彼がリビングに戻って参りました。
 今日は話があるからリビングに来てくれと予め話しておいたのですが、これならば先に寝てもらっていてもよかったかもしれないとつい思ってしまいます。
 時間がないのですから、少しくらいは頑張ってもらわないといけないとも、思うのですが。
 彼はエードラムからコーヒーを受け取ると、眠い目を擦りながらテーブルに座りました。
 すでに彼は言葉少なく、エードラムが話しかけても首を振ったり頷くだけで言葉を発することはありません。
 以前は会話は成立してはおりましたが、そもそもその機能を差し出している彼にとっては、この空間だって苦痛なのかもしれません。
 コミュニケーションをとるにおいて重要であるツールを数々失っている彼にとって会話というものがどれだけ重荷であるのかは、我々は考えることしか出来ません。
 察することだって、不十分です。
 それでも理解はしているのですから、頷くだけでも、我々には十分な反応でした。
 何しろほんの数日前までは、そんな反応すらも返っては来なかったのですから。
「あのよ、オレを殺す魔王ってのはどんな奴だよ?」
「……どんな」
「姿かたちとか、名前とかよ。少しでも情報を仕入れておかねぇと、やっぱ戦い難いだろ」
 小さく首を傾げつつ見上げてくる彼にエードラムがそう返すと、彼は合点が行ったのか頷いて口元に手を当てました。
 表情が一切変わりませんので何を思っているのかはこちらからは察し切れませんが、、もしかしたら迷っているのかもしれません。
 頑なに一人で戦うと言い切った彼のことですから、それを考えていてもおかしくはありませんので。
 しかしエードラムが向かいに座ってじっと彼を見詰めていると、観念したのか立ち上がってリビングに設置してあるパソコンを指差しました。
 はて何だろうとそちらに視線を向けますと、彼は立ち上げたパソコンをなにやら操作し始めます。
 わたしはこの家の中の家電を操作する権限を持っているとはいえ、実際にはその機械が何をするものなのかを理解しているとは言い難いので、彼が何をしているのかは正直さっぱりわかりません。
 エードラムも同じであるのか、自分用にいれたコーヒーのカップを持ったまま首を傾げつつ彼の後ろに近付きます。
 どうやら彼はパソコンの中に隠されたフォルダを開いていたようで、幾度か暗号を打ち込むと透明のそのフォルダを開き、中に保存されていた文書を開いてまたモニターをこちらに向けました。
「なになに……名称、スカー?」
『その者の名、では……ないのですね?』
 一応確認をすると、彼は小さく首を左右に振りました。
 名前ではない、名称……ということは、それはその者の固体名ではなくあくまでも識別名として付けられた名前なのでしょう。
 確かに、呼ぶための名前がなければ不便でありますのでそれは実に有難いものです。
 誰がその名前をつけたのかは、流石にわかりませんが。
「写真とかはねぇのな」
『そりゃあ、戦っている相手を悠長に撮影なんかはできないでしょう』
「それもそうか。つか、このデータもアンノウンばっかじゃねぇか」
 頷き、彼は自分の指で眉間に皺を寄せる動作をしておりました。
 困った顔をしたいのに出来ないと言いたげなその行動は少しコミカルでありましたが、困った顔すら出来ない彼を思うとちょっとばかり胸が痛みます。
 とにかく、彼がそんな表情を作るという事は、彼にとってもまだ相手は未知数の相手という事なのでしょう。
 幾度ループをしてもそうなのですから、一体どんな敵であるのやら……
「……猫」
「ねこ?」
「猫……の、姿で……」
 とても辛そうに、今度は自然と浮かぶ眉間の皺を隠しながら彼がぽつぽつと単語を紡ぎます。
 猫の姿、と聞いて、わたしとエードラムは弾かれたように互いを見詰めておりました。
 何か引っ掛かります。
 猫なんかはこの家の周囲にも沢山野良猫が居て見慣れたものではありますが、しかし彼の言う猫の姿というものが、何かとてつもない意味があるようで胸の中がいっぱいになりました。
 不安なのか、何なのか。
 一瞬感情回路の故障なのではと勘違いしてしまいそうなくらいに弾けたそれに、わたしは嫌な予感がしてたまりませんでした。
 エードラムもまたわたしと同じであったのか、何かを思い出そうとするように頭を抱えて唸っています。
 猫、の、姿。
 猫の姿の、魔王。
 わたしたしは、もしかしたらその姿を見たのかもしれません。
「かわる……姿……同じ、じゃない」
「猫だけじゃねぇって事か」
「小さくて、大きい……黒くて……」
 不定形という事なのか、それともループのたびに違う姿であったのか。
 そこまではまだ分かりません。
 ほんの一言二言を紡ぐのにもとても時間がかかり、こちらからの言葉を受けて繋ぐ方法がとれない彼は、こちらが質問をしても暫くの空白の後にしか喋れないようでした。
 あの日よりずっと会話がしにくくなっているらしい彼の姿に、太古の人々へ差し出した対価というものの重みを感じます。
 簡単に蹴飛ばせるものであったら、そりゃあ対価にはならないわけですけれども……
「何度戦った?」
 その問いには、両手の平を上に向けて考え込み、エードラムを見ることでその指の数以上だと示します。
 彼がそれだけ戦っても決して勝つことが出来なかった魔王とは一体何なのでしょうか。
 彼の作っている資料を見ても一切分からぬその正体に、少しばかりの恐ろしさを感じます。
「……いつ、戦う?」
 その次の問いには、彼は少しの間動きを止めて、じっと開いた手の平を見詰めておりました。
 思案しているのか何なのかは、わたしからは伺い知ることは出来ませんが、今彼が葛藤の中にあることくらいはわかります。
 それでも、彼は暫くの躊躇の後にパソコンのモニター内に表示されているカレンダーを指差しました。
 月は、今と同じ月を表示させています。
 日は……今日を含めてあと、四日の先を示しておりました。
「……あと三日かよ」
「前後は……一日」
「前倒しもありなのか」
 頷く彼に、エードラムの表情が引き締まりました。
 彼の指差した日付はあと三日の先。
 けれど前後一日が今まであったという事は、短くて二日、長くて四日程度しか猶予がないという事になります。
 オマケに、今までも前後があったという事は、今回も同じ日付で来るとは限らないという事……
もしかしたら、明日突然襲撃を受けることだってあるかもしれないのです。
 エードラムはまだ、魔力を取り戻したとは言えません。
 取り戻せるかも分からないのですけれど、戦いの準備が万全であるとは言えないのです。
 けれど、それでも、戦いの日は来ます。
 それは決して、避けられないのです。
「スカー……か」
『どうしました?』
「いや、そんな名前の奴居たかなと思ってよ」
 エードラムは、難しい顔をしたままリビングの中をぐるぐると歩き回り始めました。
 手にコーヒーを持ったままでありますので少しばかり行儀が悪いのですが、深く考え込んでいるらしいエードラムを止める気は起きません。
 スカーという名前の魔王は、わたしも聞き覚えがありません。
 わたしの中にあるデータベースには名の知れている魔王の名前はある程度入っているはずなのですが、その名前のデータはないのです。
 エードラムも自分で知る限りの記憶を掘り返しているようですが、やはり知らないらしく眉間に深く皺を刻みます。
 スカー。
 たった三文字の短い名前だというのに、やけに遠い存在のように感じてしまいます。
「なぁ、おい。何でオレらには記憶ってもんが残ってねぇんだ?」
 苦々しい表情で、不意にエードラムがそんな事を言いました。
 彼も不思議そうに顔を上げ、わたしもついついエードラムに意識を向けます。
「お前と翌檜はちゃんと覚えてるくせぇのに、何でオレ等には過去の記憶が残ってねぇんだ?もうちょっと覚えてれば、色々対策とれたかもしれねぇのに」
『そういえば、そうですね……』
「もどかしすぎんだろ、こんなのはよ」
 言われてみればその通りです。
 彼の場合はループを引き起こした張本人であるから、という名分があるかもしれませんが、それだというのならエードラムだって記憶が残っていておかしくはありません。
 反面、翌檜はきちんと覚えているのですから不思議です。
 彼の場合にはもっと早くにループに気付いていたのでしょうからその影響かもしれませんが、それであるのならばもう一度ループが起きたら我々も覚えている事が出来るのでしょうか。
 いえ、ループは起きないにこしたことはないのですが。
「……やり直すから」
 はて、と首を傾げていると、独り言を言うように彼が小さく呟きました。
「やり直すって、人生をってことかよ?」
「全部……その全て……気持ちも、生活も……」
 やはり、彼の言葉は返事にはなっていません。
 しかしその言葉は確実にエードラムへの返答となっていて、エードラムは鼻の頭にぎゅうと不快そうなしわをたっぷりと刻みました。
 全てをやり直す。
 気持ちも、生活も。
 彼のその言葉がとても重く、耳に痛いような気分になりました。
 彼が言いたいのはきっと、ループして時間をやり直す時にエードラムの気持ちもやり直しをさせるため、という事でしょう。
 記憶を残して最初から恋人関係でスタートをするのは簡単だったのかもしれません。
 それによって敵への対策を万全にして挑むというのも、出来ないことではなかったのかもしれません。
 けれど彼はそれを選べなかったか、選ばなかったのでしょう。
 それが何故であるのかは分かりませんが、少なくともこのループにおいてはエードラムとの関係性もやり直して、その上で一緒に居る事を選べるかが肝要だったようです。
 その間に愛情が芽生えればよし、芽生えなくてもそれはそれでよし、だなんて、全てを覚えている彼にとってはある種拷問のようであったのではないかと思います。
 しかし、エードラムに新たな人生を与える以上は必要なファクターであったのだという事も、なんとなしには理解が出来ます。
 全てを知った上での過去へのループなどというものは、流石に反則過ぎるでしょう。
 だからこそ、記憶を持って戻れないという足かせが必要だったというのは、太古の人々の性格上納得がいく話です。
「オレが、お前を愛さない事ってのはあったのか?」
 流石にそれには、彼は返答をしませんでした。
 翌檜の言葉を信じるなら、エードラムは一度彼をその手にかけているのですから、彼とエードラムの関係が良好ではなかったループというのも確かに存在していたのだと推察が出来ます。
 それを彼に問うのは、ちょっと残酷すぎやしないでしょうか。
 しかし彼に問いかけるエードラムの目は真剣で、少しばかり視線を上げた彼が思わず視線をはずしてしまうくらいには、真っ直ぐでした。
「こっち見ろ、おい」
「…………」
「ったく、頑なだなお前は……あのよ、オレは今、正直お前が好きだとか嫌いだとか、そんな気持ちは一切ねぇんだわ」
  何を言い出すのでしょうかこの男は!
  ピクリと指だけ反応を返した彼を見て、私は背中に冷たいものが走ったような心地がしました。
  デリカシーがない男だというのは分かっていましたが、まさかこれほどであったとは!
「でもな、お前が死ぬのは、やっぱ嫌だわ」
  殺しちまうのも絶対ごめんだ。
  きっぱりと言うエードラムに、彼の視線がまた上がりました。
「オレは今、お前の知ってる前のお前よりもずっと短い時間しかお前といねぇんだろうな。だから、まだ近くない。でも、近付きたいって気持ちは確かにある。なんだろうな?こりゃあ、お前が知ってるモンなのか?」
  テーブルに座って、彼の目を真っ直ぐに見て、エードラムが問います。
  彼の表情は一切の変化も見えません。
  顔色も、視線も、ただぼんやりと目の前に居るエードラムを見詰めているだけで、感情の揺らぎすらあるようには見えませんでした。
  けれど、ゆっくりと伸ばされた手がエードラムに触れ、自分のものよりも幾分か分厚く、ずっと大きな手に重ねられるのが見えました。
  言葉もなく、感情も揺れず。
  けれど確かに何か意味のあるその動作に、エードラムが口角をニィと押し上げて笑いました。
 結局その日は何の収穫もなく、会話というものにか、それともエードラムの軽口にか、ずっしり疲れてしまったらしい彼が燃料が切れたようにうとうとと舟をこぎ始めたためにそのまま話は終了となりました。
 わたしは少し考えて彼の出してくれた資料を翌檜へ送り、何度も何度も文面を読み返すことにしました。
 彼の作った資料はほとんどアンノウンでしたが、スカーの使ってきた技や、今までの姿なんかはメモ書き程度には記録がされています。
 属性に囚われぬ多彩な魔術に、鉄板すらも打ち砕くパワー。時にわたしの刃すらも弾き返す肌など、まったくとんでもない性能の持ち主です。
 それでも、打ち倒すことに成功したことは少なからずあったと記載はあります。
 残念なことに、最期っ屁のようにエードラムを道連れにされたようですが……忌々しいことです。
「おい、ソファで寝るんじゃねぇ」
 翌檜からの返信を待ちつつデータを確認していると、完全にソファで寝入ってしまった彼をエードラムがつつき始めました。
 元々あった眠気に疲労が重なってしまったのでしょうが、ぐっすりと寝入ってしまっていて起きる気配がありません。
 起こすのもしのびないのでこのまま眠らせておいてあげたいのですが、こんな所で寝ていては風邪をひいてしまいそうです。
 この大事な時期に風邪でダウンだなんて、そんな情けない敗北の仕方は流石に問題です。
『エードラム』
「へぇへぇ」
 仕方なく、エードラムが彼を横抱きに抱え上げました。
 眠りによってぐったりと身体の力の抜けている彼はとても抱き難そうではありましたが、頭を自分の首で支えるよう抱えて抱き寄せるようにして抱えてやると安定したのか、ひょいと抱え上げて階段を上がっていきました。
 もっとゆっくり眠らせてあげたいのですけれど、それはきっと全てが終わるまでは無理なのでしょう。
 全てが終わった時に対価として差し出したものが戻ってくるとは思えないのですけれど、しかしほんの少しでもいいので戻ってくればいいと思わないではいられません。
 穏やかに、何も心配せずに、愛しい者と一緒に眠ることが出来たなら。
 そうは思うのですけれど……思うだけなのですけれど……
 ふぅ、と無い肺からため息を吐き出すと、パソコンにメールの着信音が軽やかに鳴りました。
 翌檜からの返信です。
 開いてみると、その返信は実に短く、しかし重々しいものでした。
『スカーは存在しない魔王、か……』
 翌檜すらも知らない魔王。
 それはつまりは、存在がしない存在であるという事。
 太古の剣であるわたしも、太古の勇者である彼も、魔王そのものであるエードラムも、全てを知ると言われている賢者である翌檜すらも知らない魔王。
 存在しないけれど確かに存在している、もの。
 胸の中がざわざわとして、とても嫌な心地がして、わたしは無言でメールを閉じ、パソコンの電源を落としました。
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