多忙な天使たち

ゆるりこ

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珠希の章

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「ねえ、よかったら何か食べに行かない? 俺たち、カラオケに行くんだけど」

 店中の人間がことの成り行きを見守っているのが判る。男は何故か自信満々で百合香を見下ろしていた。あどけない唇を僅かに開けて、百合香はじっと男を見ていたが、不意に、にっこりと微笑んだ。

「お腹いっぱい、カラオケは大嫌い」

 台詞と表情のギャップがすごすぎる、と珠希は顔を伏せた。思わず笑いそうになったからだ。様子を窺っていた周りの客たちも苦笑混じりの息をついている。男はちらりと見回しながら、おどけた口調で言った。

「あれぇ、意外とキツいなぁ。大丈夫だよ、俺たち悪いことなんてしないからさ。カラオケ嫌いならゲーセンでもいいよ。あ、彼女、北倫じゃん。お嬢様なんだ」

 男がにやけながら珠希を覗き込んだ。

「あ、すごい。ふたりとも可愛いね。得しちゃったなぁ、ね、行こうよ」

「行きません」

 百合香の顔から笑みが消えていた。
 しかし、男はそんなことにはまるで気付かず、珠希の腕を掴んだ。嫌悪感が全身を支配して身動きがとれなくなってしまう。

「カノジョ、行こうよ」
「わ、私も行きません」

 身をよじる珠希に更に男は食い下がった。

「そんなこと言わないでさぁ、君たちが来てくれないと、お兄さんあいつらから叱られちゃうんだよ」

 男が指さした方向には三人の男が立っていた。

「ね、お願い」

 酒臭い。酔っているのだ。

「放してください」

「いい加減にしていただけませんか」

 ふわり、と百合香が立ち上がり、男の手首に手を添えた。掴まれていた腕が解放されると同時に男の顔が歪んでいる。百合香が男の耳に口を近づけて囁くように言った。

「いい加減にしないと、警察を呼んで貰いますよ。おにいさん。こちとら未成年なんだから」

 男は顔を歪めたまま、いや、男の顔はだんだんと蒼ざめていく。百合香が掴んでいる男の手は血の気が引いていた。

「百合香?」

 百合香は珠希に視線を送り、口元で笑った。

「あの、何か…」

 蒼い顔の店員が近付いてきて言った。すぐ後にはもうひとりいる。

「いいえ、何でもありません。ありがとうございます」

 にっこりと笑って百合香は男の手を放した。男は手首を押さえ、慌てて店から出ていく。店員はほっとした顔で奥に戻っていった。その奥から小さな安堵の歓声が聞こえた。店の雰囲気も和やかなものに変わる。

「大丈夫?」

 百合香は心配そうに珠希を覗き込んだ。

「え?」
「顔色が、悪い。ホットミルク、頼もうか? 成長期なんだからこっちのほうが体にいいよ」

 珠希は思わず笑った。

「ありがとう。でも、これ以上背が伸びたら困っちゃうから」

 笑うと思ったのに百合香は笑わなかった。

「なんで」
「…だって172㎝なんだよ」
「伸びるものは伸ばした方がいいのに。珠希はかっこいいよ」

 ドーナツを食べ終わり、ジャケットを羽織りながら百合香が言った。

「じゃ、そろそろ帰ろうか。珠希」
「え、あ、うん」
「送ってくよ」
「そんな…もう大丈夫だから。家も近いし。…百合香の家は? 近いの?」
「家は学校の近く。だけど迎えに来てもらうから。珠希の家まで来てもらうことにする。だから場所を教えてくれない?」

 そういうことなら、と珠希は住所を教えた。送るとか送られるとかより、もっと百合香と話をしたい気分だったからだ。
 予想外だった。
 学園で超有名な藤島姉妹の片割れ、藤島百合香の性格がこんな感じだったのは、本当に意外だったのだ。いつも清楚な笑みを浮かべ、誰とも話さず、儚げに教室の隅で静かに座っている。そんな印象しかなかったのに。
 百合香は住所を手帳に書いて店の中の公衆電話までかけに行った。

「ケータイ、持ってないの?」
「持ってない。突然音が鳴るのってびっくりしそうじゃん。珠希は?」
「わたしは持ってたってかける相手もいないし、第一、親が嫌ってるから」

 吐く息が白かった。
 店を出て、商店街を抜けるまでに三度ナンパされている。その都度百合香はうまくあしらっていた。珠希もよく声をかけられていたが、ただ無言で逃げていた自分と比べて、その方法のバリエーションの多さに感心していた。

「百合香は、どうして私の名前を知っていたの?」

 頭一つ身長が高い珠希を見上げて、百合香が笑った。

「何?」
「隣のクラスだよ。体育で一緒だし、珠希は目立っているからね。珠希だってわたしのこと、知ってたじゃん」
「だって」
「珠希は生徒会役員。だけど、わたしは部活もやっていないし、ただの帰宅部。でも、みんなわたしと弥生の名前は知っている」
「だってそれは…」
「双子だから? 珍しいから?」
「……」
「わたしたちは入学してから極力努力してきたの。目立たないようにね。だけど目立つんだから仕様がない、でしょ」
「…うん」
「だから珠希も背中伸ばして」

 ばん、と背中を叩かれて、珠希は胸を張る形になった。

「わたしはそろそろ限界が来てるんだ」
「限界?」
「おとなしくしてるのは、性に合わない」

 横を歩く儚げな美少女は不思議なことを言った。

「ま、透ちゃんの卒業式が終わるまでは辛抱するけど、終わったらもう我慢しない」
「どういうこと?」
「やりたいようにやるってこと」

 そう言って藤島百合香は不敵な笑みを浮かべた。この顔で、どうしてこんな表情ができるのか、不思議で仕方がない。

「どうして私にそんなことを」
「勘。勘でわたしと同じような気がした。我慢してる、違った?」
「…私は……」

 違う。
 さっきまでの自分ならそう否定しただろう。
 しかし目の前で真っ直ぐに見つめる相手に、もう嘘はつけなかった。
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