多忙な天使たち

ゆるりこ

文字の大きさ
上 下
30 / 31
珠希の章

しおりを挟む
「…助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「でも、どうして…」
「あの中のひとりに、用があったから」
「用?」
「ま、ね。もう済んだ。食べないの?」

 促されて珠希はドーナツを半分に割り、更にもう一度千切ろうとしたとき、百合香がそのままのドーナツにかぶりつくのが目に入った。チョコレートと粉砂糖がコーティングされていたので唇のまわりが白くなっている。

「藤島、さん」

 珠希がナプキンを手渡すと百合香はにこりと笑って唇をぺろりとなめた。

「円いのがさ、途切れちゃうのが好きなの」

 欠けたドーナツを指でつまんで見せびらかすように百合香は言った。

「そんで、この欠けたとこから食べてくの」

 大まじめな表情に珠希は思わず笑った。

「そんな食べ方して、叱られない?」
「誰に?」
「…家の人とか」

 指についた粉砂糖を舐めて百合香は頷いた。

「前に弥生から言われたな。家ならいいけどよそでは絶対にしちゃダメだって」

 不意に予期せぬ名前が出て珠希は戸惑った。幸いにも目の前の百合香は気がついていないようだ。

「だけどこうやって食べるのが一番美味しいなら、それでいいよって透ちゃんは言ってくれた」
「透ちゃん?」
「兄貴だよ」

 珠希は三年生の、藤島透のことを思いだした。この藤島姉妹と瓜二つ、いや、ウリ三つの有名人だ。

「お兄さんのこと、透ちゃんだなんて…」
「珠希は兄妹いないの?」
「……」

 いるにはいる。だけど、あんなヤツは兄貴なんかじゃない。

「いるけど…仲良くないんだ。一緒に住んでないし」
「ふーん」
「大ッ嫌い、あんなヤツ」

 何で私はこんなことを言ってるんだろう。

 目の前の百合香は顔色も変えずに黙って珠希を見ていた。

「ごめん、忘れて」
「そういえば、何でこんな時間に帰ってんの? 塾?」
「ううん、生徒会。卒業式とか前夜祭とか準備がいろいろあるの」
「ったく、女の子をこんな時間にひとりで歩かせるなんて、生徒会役員は気が利かないね」

 自分だってこんな時間にひとりで歩いていたくせに。

「ううん、生徒会長は送ろうかって言ってくれたんだけど面倒くさいから断ったんだ」

 何で?という目で見る百合香に珠希は説明した。

「水野先輩は人気があるから余計な敵を作りたくないの。ただでさえ嫌われてるから」
「誰が?」

 私、と珠希が自分を指さして見せたその指を百合香はそっと握って下ろさせた。

「ほんとは、生徒会になんて入りたくなかったのに…立候補だってクラスのみんなから推薦されて…押しつけられたのに…何で当選しちゃったんだろう」

 冷たかった指先が温かくなってくる。

「苛められてるの?」
「そんなことないけど」

 どうしてこんなことを言っているのか自分でも判らない。戸惑う珠希を百合香は大きな瞳を瞬きもせずにじっと見つめている。

「仕事、押しつけられたり?」
「みんな大変だから」
「バカだね」

 目の前で天使が微笑みを浮かべた。

「働き蜂は女王蜂のために働くんだよ。たった一匹の牝のために命だって投げ出すんだから、うまく使わなくっちゃ」

 もう少しでこぼれそうだった涙は一瞬で乾いてしまったようだ。珠希は切れ長の目を大きく見開いた。

「背筋を伸ばして」

 ドーナツを頬ばって百合香がぴん、と背中を伸ばして見せた。

「選挙演説の時、ぴしっとしてたじゃん」
「……」
「かっこいいって思ったよ」
「あのときは開き直ってたから。藤島さんだって…」
「わたしは百合香。そう呼んで」
「…百合香さんにはわかんないよ。なりたくなかったのに、目立ちたくなんかないのに、みんなで押しつける…」
「さん、はいらない。目立つんだから仕様がない」

 百合香はにっこりと笑った。説得力があった。そう、いつだって彼女は目を引いてしまう。この店に入って大分時間が経つのに、未だに注目の的だ。

「いやじゃ、ないの?」
「嫌がったっていきなり周りに壁ができるわけでもないしね」
「…それも、そうだ」

 思わず笑ってしまった珠希に百合香も微笑んだ。

「だけど、女王蜂はひどい…」
「ひどくなんかない。言っちゃ悪いけど今の生徒会なんか、水野と珠希以外、屁の突っ張りにもなんないよ。あ、」
(屁の突っ張りって…)
「あと、そうだ。あとひとり、いたなぁ」

 百合香は一瞬だけ照明を見上げた。

「藤堂。書記だ。なんであいつが会長にならなかったのかは意外だけど」

(藤堂先輩…)

 図星だった。藤堂航(わたる)は唯一、生徒会役員で空手部と生徒会を両立していた。

「藤堂先輩は部活があったから」

 部活がなくても無愛想な藤堂が珠希を送る、なんて言い出さないのは判っているが。

「ま、確かに水野や他のヤツじゃ、いたってボディガードにもならないしなぁ。逆にあの面じゃ因縁つけられるのがオチかもね」

 百合香がミルクのカップに唇をつけて、珠希の脇に目をやった。その視線を追って珠希が横を見上げると男が立っていた。大学生くらいだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

心の交差。

ゆーり。
ライト文芸
―――どうしてお前は・・・結黄賊でもないのに、そんなに俺の味方をするようになったんだろうな。 ―――お前が俺の味方をしてくれるって言うんなら・・・俺も、伊達の味方でいなくちゃいけなくなるじゃんよ。 ある一人の少女に恋心を抱いていた少年、結人は、少女を追いかけ立川の高校へと進学した。 ここから桃色の生活が始まることにドキドキしていた主人公だったが、高校生になった途端に様々な事件が結人の周りに襲いかかる。 恋のライバルとも言える一見普通の優しそうな少年が現れたり、中学時代に遊びで作ったカラーセクト“結黄賊”が悪い噂を流され最悪なことに巻き込まれたり、 大切なチームである仲間が内部でも外部でも抗争を起こし、仲間の心がバラバラになりチーム崩壊へと陥ったり―――― そこから生まれる裏切りや別れ、涙や絆を描く少年たちの熱い青春物語がここに始まる。

瞬間、青く燃ゆ

葛城騰成
ライト文芸
 ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。  時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。    どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?  狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。 春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。  やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。 第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作

3分で読めるショート短編集

ROOM
ライト文芸
一話完結型のショートショートです。 どの話から読んでも楽しめるようにしています。 ふとした時に投稿します。 楽しんで貰えたら嬉しいです。

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指すい桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

総務部人事課慰労係

たみやえる
ライト文芸
不幸続きの新入社員が仕事に恋に頑張るお話

パパLOVE

卯月青澄
ライト文芸
高校1年生の西島香澄。 小学2年生の時に両親が突然離婚し、父は姿を消してしまった。 香澄は母を少しでも楽をさせてあげたくて部活はせずにバイトをして家計を助けていた。 香澄はパパが大好きでずっと会いたかった。 パパがいなくなってからずっとパパを探していた。 9年間ずっとパパを探していた。 そんな香澄の前に、突然現れる父親。 そして香澄の生活は一変する。 全ての謎が解けた時…きっとあなたは涙する。 ☆わたしの作品に目を留めてくださり、誠にありがとうございます。 この作品は登場人物それぞれがみんな主役で全てが繋がることにより話が完成すると思っています。 最後まで読んで頂けたなら、この言葉の意味をわかってもらえるんじゃないかと感じております。 1ページ目から読んで頂く楽しみ方があるのはもちろんですが、私的には「三枝快斗」篇から読んでもらえると、また違った楽しみ方が出来ると思います。 よろしければ最後までお付き合い頂けたら幸いです。

処理中です...