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珠希の章
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「…助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「でも、どうして…」
「あの中のひとりに、用があったから」
「用?」
「ま、ね。もう済んだ。食べないの?」
促されて珠希はドーナツを半分に割り、更にもう一度千切ろうとしたとき、百合香がそのままのドーナツにかぶりつくのが目に入った。チョコレートと粉砂糖がコーティングされていたので唇のまわりが白くなっている。
「藤島、さん」
珠希がナプキンを手渡すと百合香はにこりと笑って唇をぺろりとなめた。
「円いのがさ、途切れちゃうのが好きなの」
欠けたドーナツを指でつまんで見せびらかすように百合香は言った。
「そんで、この欠けたとこから食べてくの」
大まじめな表情に珠希は思わず笑った。
「そんな食べ方して、叱られない?」
「誰に?」
「…家の人とか」
指についた粉砂糖を舐めて百合香は頷いた。
「前に弥生から言われたな。家ならいいけどよそでは絶対にしちゃダメだって」
不意に予期せぬ名前が出て珠希は戸惑った。幸いにも目の前の百合香は気がついていないようだ。
「だけどこうやって食べるのが一番美味しいなら、それでいいよって透ちゃんは言ってくれた」
「透ちゃん?」
「兄貴だよ」
珠希は三年生の、藤島透のことを思いだした。この藤島姉妹と瓜二つ、いや、ウリ三つの有名人だ。
「お兄さんのこと、透ちゃんだなんて…」
「珠希は兄妹いないの?」
「……」
いるにはいる。だけど、あんなヤツは兄貴なんかじゃない。
「いるけど…仲良くないんだ。一緒に住んでないし」
「ふーん」
「大ッ嫌い、あんなヤツ」
何で私はこんなことを言ってるんだろう。
目の前の百合香は顔色も変えずに黙って珠希を見ていた。
「ごめん、忘れて」
「そういえば、何でこんな時間に帰ってんの? 塾?」
「ううん、生徒会。卒業式とか前夜祭とか準備がいろいろあるの」
「ったく、女の子をこんな時間にひとりで歩かせるなんて、生徒会役員は気が利かないね」
自分だってこんな時間にひとりで歩いていたくせに。
「ううん、生徒会長は送ろうかって言ってくれたんだけど面倒くさいから断ったんだ」
何で?という目で見る百合香に珠希は説明した。
「水野先輩は人気があるから余計な敵を作りたくないの。ただでさえ嫌われてるから」
「誰が?」
私、と珠希が自分を指さして見せたその指を百合香はそっと握って下ろさせた。
「ほんとは、生徒会になんて入りたくなかったのに…立候補だってクラスのみんなから推薦されて…押しつけられたのに…何で当選しちゃったんだろう」
冷たかった指先が温かくなってくる。
「苛められてるの?」
「そんなことないけど」
どうしてこんなことを言っているのか自分でも判らない。戸惑う珠希を百合香は大きな瞳を瞬きもせずにじっと見つめている。
「仕事、押しつけられたり?」
「みんな大変だから」
「バカだね」
目の前で天使が微笑みを浮かべた。
「働き蜂は女王蜂のために働くんだよ。たった一匹の牝のために命だって投げ出すんだから、うまく使わなくっちゃ」
もう少しでこぼれそうだった涙は一瞬で乾いてしまったようだ。珠希は切れ長の目を大きく見開いた。
「背筋を伸ばして」
ドーナツを頬ばって百合香がぴん、と背中を伸ばして見せた。
「選挙演説の時、ぴしっとしてたじゃん」
「……」
「かっこいいって思ったよ」
「あのときは開き直ってたから。藤島さんだって…」
「わたしは百合香。そう呼んで」
「…百合香さんにはわかんないよ。なりたくなかったのに、目立ちたくなんかないのに、みんなで押しつける…」
「さん、はいらない。目立つんだから仕様がない」
百合香はにっこりと笑った。説得力があった。そう、いつだって彼女は目を引いてしまう。この店に入って大分時間が経つのに、未だに注目の的だ。
「いやじゃ、ないの?」
「嫌がったっていきなり周りに壁ができるわけでもないしね」
「…それも、そうだ」
思わず笑ってしまった珠希に百合香も微笑んだ。
「だけど、女王蜂はひどい…」
「ひどくなんかない。言っちゃ悪いけど今の生徒会なんか、水野と珠希以外、屁の突っ張りにもなんないよ。あ、」
(屁の突っ張りって…)
「あと、そうだ。あとひとり、いたなぁ」
百合香は一瞬だけ照明を見上げた。
「藤堂。書記だ。なんであいつが会長にならなかったのかは意外だけど」
(藤堂先輩…)
図星だった。藤堂航(わたる)は唯一、生徒会役員で空手部と生徒会を両立していた。
「藤堂先輩は部活があったから」
部活がなくても無愛想な藤堂が珠希を送る、なんて言い出さないのは判っているが。
「ま、確かに水野や他のヤツじゃ、いたってボディガードにもならないしなぁ。逆にあの面じゃ因縁つけられるのがオチかもね」
百合香がミルクのカップに唇をつけて、珠希の脇に目をやった。その視線を追って珠希が横を見上げると男が立っていた。大学生くらいだ。
「どういたしまして」
「でも、どうして…」
「あの中のひとりに、用があったから」
「用?」
「ま、ね。もう済んだ。食べないの?」
促されて珠希はドーナツを半分に割り、更にもう一度千切ろうとしたとき、百合香がそのままのドーナツにかぶりつくのが目に入った。チョコレートと粉砂糖がコーティングされていたので唇のまわりが白くなっている。
「藤島、さん」
珠希がナプキンを手渡すと百合香はにこりと笑って唇をぺろりとなめた。
「円いのがさ、途切れちゃうのが好きなの」
欠けたドーナツを指でつまんで見せびらかすように百合香は言った。
「そんで、この欠けたとこから食べてくの」
大まじめな表情に珠希は思わず笑った。
「そんな食べ方して、叱られない?」
「誰に?」
「…家の人とか」
指についた粉砂糖を舐めて百合香は頷いた。
「前に弥生から言われたな。家ならいいけどよそでは絶対にしちゃダメだって」
不意に予期せぬ名前が出て珠希は戸惑った。幸いにも目の前の百合香は気がついていないようだ。
「だけどこうやって食べるのが一番美味しいなら、それでいいよって透ちゃんは言ってくれた」
「透ちゃん?」
「兄貴だよ」
珠希は三年生の、藤島透のことを思いだした。この藤島姉妹と瓜二つ、いや、ウリ三つの有名人だ。
「お兄さんのこと、透ちゃんだなんて…」
「珠希は兄妹いないの?」
「……」
いるにはいる。だけど、あんなヤツは兄貴なんかじゃない。
「いるけど…仲良くないんだ。一緒に住んでないし」
「ふーん」
「大ッ嫌い、あんなヤツ」
何で私はこんなことを言ってるんだろう。
目の前の百合香は顔色も変えずに黙って珠希を見ていた。
「ごめん、忘れて」
「そういえば、何でこんな時間に帰ってんの? 塾?」
「ううん、生徒会。卒業式とか前夜祭とか準備がいろいろあるの」
「ったく、女の子をこんな時間にひとりで歩かせるなんて、生徒会役員は気が利かないね」
自分だってこんな時間にひとりで歩いていたくせに。
「ううん、生徒会長は送ろうかって言ってくれたんだけど面倒くさいから断ったんだ」
何で?という目で見る百合香に珠希は説明した。
「水野先輩は人気があるから余計な敵を作りたくないの。ただでさえ嫌われてるから」
「誰が?」
私、と珠希が自分を指さして見せたその指を百合香はそっと握って下ろさせた。
「ほんとは、生徒会になんて入りたくなかったのに…立候補だってクラスのみんなから推薦されて…押しつけられたのに…何で当選しちゃったんだろう」
冷たかった指先が温かくなってくる。
「苛められてるの?」
「そんなことないけど」
どうしてこんなことを言っているのか自分でも判らない。戸惑う珠希を百合香は大きな瞳を瞬きもせずにじっと見つめている。
「仕事、押しつけられたり?」
「みんな大変だから」
「バカだね」
目の前で天使が微笑みを浮かべた。
「働き蜂は女王蜂のために働くんだよ。たった一匹の牝のために命だって投げ出すんだから、うまく使わなくっちゃ」
もう少しでこぼれそうだった涙は一瞬で乾いてしまったようだ。珠希は切れ長の目を大きく見開いた。
「背筋を伸ばして」
ドーナツを頬ばって百合香がぴん、と背中を伸ばして見せた。
「選挙演説の時、ぴしっとしてたじゃん」
「……」
「かっこいいって思ったよ」
「あのときは開き直ってたから。藤島さんだって…」
「わたしは百合香。そう呼んで」
「…百合香さんにはわかんないよ。なりたくなかったのに、目立ちたくなんかないのに、みんなで押しつける…」
「さん、はいらない。目立つんだから仕様がない」
百合香はにっこりと笑った。説得力があった。そう、いつだって彼女は目を引いてしまう。この店に入って大分時間が経つのに、未だに注目の的だ。
「いやじゃ、ないの?」
「嫌がったっていきなり周りに壁ができるわけでもないしね」
「…それも、そうだ」
思わず笑ってしまった珠希に百合香も微笑んだ。
「だけど、女王蜂はひどい…」
「ひどくなんかない。言っちゃ悪いけど今の生徒会なんか、水野と珠希以外、屁の突っ張りにもなんないよ。あ、」
(屁の突っ張りって…)
「あと、そうだ。あとひとり、いたなぁ」
百合香は一瞬だけ照明を見上げた。
「藤堂。書記だ。なんであいつが会長にならなかったのかは意外だけど」
(藤堂先輩…)
図星だった。藤堂航(わたる)は唯一、生徒会役員で空手部と生徒会を両立していた。
「藤堂先輩は部活があったから」
部活がなくても無愛想な藤堂が珠希を送る、なんて言い出さないのは判っているが。
「ま、確かに水野や他のヤツじゃ、いたってボディガードにもならないしなぁ。逆にあの面じゃ因縁つけられるのがオチかもね」
百合香がミルクのカップに唇をつけて、珠希の脇に目をやった。その視線を追って珠希が横を見上げると男が立っていた。大学生くらいだ。
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