多忙な天使たち

ゆるりこ

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弥生の章

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「で? ふたり仲良く手に手を取ってここに来たわけ?」

 百合香は腕組みをして席の前に立つわたしたちを睨みつけた。

「だって、百合香。貴憲の制服姿、格好良くなったでしょ?」
「まーね。さすがママ、というとこかな」

 貴憲は周りにいる子達を恐る恐る見ながら頭を掻いた。

「だけどね、これはまずいと思うよ」
「何が?」
「弥生、何してた?」
「?」
「こいつが来たとき、何してたのかって訊いてんの」

 何って…。

「…あぁっ、根本美輪!」
「弥生がこんな間の抜けたことするなんて、考えもしなかったよ。今頃どうなってるかなぁ、教室は」

 完全に面白がっている百合香は目をきらきらさせている。あの灰色に光った瞳だ。

「そう言えば、なんで百合香が知ってんの?」
「睦月ちゃんが血相変えて飛び込んできた。わたしが行っても火に油だから行かなかったけどね。言い忘れてたけど昨日も来てくれたんだよ。昼休み、呼び出されたとき」
「よ、呼び出し?」

 貴憲が青くなった。

「あんたは心配しなくていいの。柔道部のひよっこなんか弥生の敵じゃないんだから」
「じゅ、柔道部…」

 百合香はにやりと笑って貴憲を見据えた。

「まだまだこんなの序の口だから、貴憲も心して今日を過ごすように。OK?」
「お、おーけー」

 貴憲は引きつった笑顔で百合香に応えて見せた。
 これは昨晩百合香からしつけられた成果だ。百合香は満足げに笑った。

「よろしい。何かあったら迷わず呼んでね、た・か・の・り」

 百合香がとびっきりキュートにウィンクした次の瞬間、教室にいたほとんどの男の子達が怒りの波動を貴憲にぶつけてきた。横にいた私にも防ぎきれない。嫉妬だ。これ以上ここにいたら貴憲は廊下も満足に歩けなくなってしまう。そう思ったわたしは真っ赤になった貴憲を引っ張った。
 百合香の教室から出るとき、背の高い女の子とすれ違った。このクラスの子じゃない。
 すれ違いざま、ベリーショートのその女の子は何か言いたげにわたしを見たけど、すぐに顔を上げて百合香の教室に入っていた。
 誰だろう。すごく、綺麗な女の子だ。

「副生徒会長の神崎珠希さんですよ」

 振り返って後ろ姿を追っていたわたしに貴憲が教えてくれた。

「知ってるの?」
「一年生で生徒会にいるのは彼女だけですから。しかも女子で……有名ですよ」
「そうなんだ」
「早く戻りましょう。……少し恐い気がしますが」

 そう言った貴憲の顔は何だか楽しそうだった。型破りな百合香に慣らされて、少々のことは平気になってしまったのかもしれない。
 案の定、この教室の時は止まっていた。というか、みんなぎこちなく、わざとらしく会話している。置き去りにされた根本美輪は自分の席で、怒りのオーラを発しながら黒板を睨みつけていた。

 教室に入って空気が再び凍りついたとき、チャイムが鳴った。わたしは貴憲に微笑んでから席に着いた。不安げに視線をくれた睦月ちゃんにも笑顔を見せた。気分がいい。何故だか判らないけど、とても気持ちが良かった。もしかしたら、貴憲が来てくれたせいかもしれない。
 きっと、そうだ。

「木村くん、格好良くなったね」

 二時間目が終わって、睦月ちゃんが言った。貴憲は男の子達数人に囲まれて何やら話している。

「うん、うちのママが美容室に連れて行ったんだって。そうだ、睦月ちゃん、さっきはありがとう。百合香のとこに行ってくれたんだね?」

 睦月ちゃんはちょっと赤くなって小さく頷いた。

「でも、こんなことがばれたら睦月ちゃんが嫌な目に遭わない?」

 いいの、と睦月ちゃんは小声で言った。

「私、藤島さんがいたから、学校が天国になったんだもん。前は地獄だった」

 吐き出すように睦月ちゃんは言った。

「藤島さんのおかげなんだ」

 全く訳が分からないことだった。

「忘れちゃった?」

 うん、覚えてない。

「私が夏休み前まで無視されてたの、知ってた?」

 知らなかった。わたしはもしかして、果てしなく鈍いんじゃないだろうか。

「ふふ、知らなくてもいいんだ。藤島さんが助けてくれたんだから。藤島さんがそんなの構わずに話しかけてくれたから、藤島さんの傍にいたら誰もいじめなくなったんだよ。ありがとう」
「そんなこと…」
「ごめんね。勝手に利用しちゃって」
「そんな風に言っちゃ駄目」
「藤島さん」
「弥生でいい。友達なんだから」
「やよい?」

 わたしは頷いた。

「睦月ちゃんだってたくさんわたしを助けてくれたよ。いつだって庇ってくれたじゃない。だから利用したとか、そんな風に考えちゃ駄目だよ」

 睦月ちゃんは呆気にとられた顔でわたしを見ていたけど、急に吹き出した。

「? 何か変なこと言った?」
「違う…ゴメンね。何か、弥生って…」
「何?」
「その辺の男子より、男らしいよね」

 楽しそうに睦月ちゃんは言った。

「見た感じは、これ以上はないってくらい女の子なのに、話してると男の子みたいなんだもん。さっきだって…」
「あ、あのあとどうなったの?」
「そうそう、こんなとこなんか特に」

 お腹を押さえながら睦月ちゃんは声を殺して笑った。

「どうって…あのままだよ。弥生が木村くんを連れて出てった後、みんな何もなかったかのように根本さんのこと見て見ぬ振りでさ」

 呼び方が〈美輪〉から〈根本さん〉に変わっていたことに気がついたけど知らない振りをした。
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