多忙な天使たち

ゆるりこ

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弥生の章

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 翌日、登校の途中から大騒ぎだった。
 わたしは改めて百合香の知名度というか、有名さを思い知った。短くなった髪を揺らしながら百合香が歩くと前後左右を歩く生徒達が息を飲んで見ているのが判る。

(なんで?)
(髪切ったの、どっちだ?)
(かわいい)
(いや、前の方が…)
(どうして切ったんだ?)

 門をくぐるまでの間にみんなの考えていることは大体判った。
 何故、切ったのだろう。これが大まかな問いだ。
 門をくぐり、わたしは心の扉を閉じた。下駄箱で上履きに履き替え、廊下に出るまで百合香はおすまし顔で歩いていたが、ちらりとわたしを見て目で合図した。前方から丸坊主になったバレー部の主将が歩いてきたのだ。

「おはようございます」

 わたしたちは頭を下げて挨拶をした。双子だからか、こんな時の動きはぴたりと鏡のように揃ってしまう。小高さんは引きつった顔で後ずさりした。立ち止まったわたしたちを周りにいた人たちは遠巻きにして窺っている。

「そ、その、」

「よく、お似合いですね」

 百合香が微笑んだ。優雅である。

「そうかな? その、きみも…」

 似合っていると言いかけて小高さんはやめた。
 その原因はバレー部の部員にあったのを思い出したからだろう。

「約束は、果たしたから。それから、部員全員に箝口令も敷いておいた。それだけ伝えに来たんだ」
「そうですか」

 わたしは小高さんを見上げた。小高さんは頭を掻いて赤くなる。

「こんなことで許して貰えるなんて、感謝するよ。この恩は忘れないから。僕にできることがあったら何でも言ってね」

 百合香は口に手を当てて小さく笑った。

「ありがとうございます」

 わたしも真似して笑った。

「でも、忘れてください」

 可哀想な小高さんは真っ赤になって俯いてしまった。百合香のお出かけスマイルで堕ちなかった男はいない。この笑顔で透ちゃんのために今まで何人堕としただろう。

「じゃ、失礼します」

 声を揃えてそう言うとわたしたちは小高さんの両脇を通って教室に向かった。こう髪型が変わってしまってはもう入れ替わることができない。ちょっと寂しくなったような気がした。

「じゃね、弥生」

 百合香は右手を軽く挙げて自分の教室に行ってしまった。一つ先の教室に百合香が入っていくまで見送っていると後ろから声がした。

「どういうこと?」

 根本美輪だった。全ての元凶がこいつだ。わたしが貴憲に手紙を書いたことも、昨日の昼休みのことも、みんなこいつが富樫に報告したのだ。

「何が?」
「何であの子、髪切ったの?」

 答える必要はない。
 わたしは無視して自分の机に向かった。その後から根本美輪はついてきた。

「どうしてバレー部の人が全員丸刈りになってるの?」
「さあ?」
「しらばくれないで。昨日のこと、知ってるんだから」
「何を」
「…富樫さんのこと、手紙で呼び出したでしょう。何をしたのよ!」

 根本美輪は完全に頭に血が上っていた。

「それが何なの?」

 わたしは静かに言った。
 根本美輪は言葉に詰まった。答えられるはずがない。
 教室は静まりかえっている。
 ヒロコが根元美輪の後ろに立った。

「そう言うってことは藤島さんが手紙を出したことは事実なんだ」

 勝ち誇ったようにヒロコが言った。

「そうよ、何で手紙なんか…」
「そんなことはあなた達には関係ない」
「な、何よ?」
「わたしが誰に手紙を出そうと、バレー部が丸刈りになろうと、金髪になろうと、何の関係もない。あなたが直接富樫さんに訊いたら?」

 わたしは椅子に座り、鞄から教科書とノートを出した。根本美輪はいきなり机の上の教科書を払い、床に落とした。
 わたしは黙ってそれを拾おうと立ち上がった。

「あんたなんか!」

 乱暴に肩を押され、続けて髪を引っ張られる。教室のみんなは驚いて固まった。

「何であんたなんかが!」
「やめてください!」

 誰かが間に入って根本美輪をわたしから引き離した。

「大丈夫ですか?」
「…貴憲…」

 静まりかえっていた教室がざわめいた。
 貴憲の顔にはまだ傷が残っていたけれど短く刈った髪は制服にとても似合っていて前より数段かっこよくなっていた。

「どしたの? 貴憲、もう平気なの?」
「ええ。この制服、透さんのなんです。ボタンだけ、僕のなんですけど…。すみません、僕なんかが透さんのを……」
「ううん、丁度いいんじゃない? コンタクト、もう痛くない?」
「大丈夫です。だけど、心配だって透さんが送ってきてくれたんですよ。申し訳なくて」
「ふふっ、透ちゃん、弟が欲しかったから貴憲のことかわいくて仕方ないんだよ。うーん、でもやっぱりまだ痛そうだなぁ。ここ」

 まだ腫れている右の頬にそっと親指で触れると貴憲はちょっと顔をしかめた。

「平気ですよ」
「ここは?」
「いたっ…」

 脇腹を押すと貴憲は身を捩って、照れ笑いをした。

「無理しちゃ駄目だよ。そうだ、百合香には会った?」
「いえ、直接教室に来ましたから」
「まだ時間があるから見せに行こう。百合香、喜ぶよ。きっと」
「え? で、でも…」

 わたしは貴憲の手を掴むと教室から出ていった。
 何かを忘れているような気がした。

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