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弥生の章
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「ここで騒ぎが大きくなったらバレー部のみんなが困っちゃうよ。大会だって近いんだし。もし退学になんてなったら…」
百合香は不安げに彼らの最大の弱みを口にした。
この学校は中、高一貫して運動部が活発な所なのだ。各部とも競い合うようにして練習して、結果を出しているから『出場停止』は屈辱にほかならない。いや、それくらいで済めばまだいいが、廃部にだってなりかねない。
たぶん、小高さんの喉には、内密にしてほしい、と言う言葉が引っかかっているだろう。
「でも、」
わたしは粘って見せた。
「何でもします!」
とうとう小高さんが頭を下げた。というか、土下座だ。
「許してください」
部室のドアが開き、三人がよろよろと出てくる。
百合香の髪はともかく、その他したことはすべて事実だから頭を垂れるしかない。
しかし無関係な小高さんがいきなり跪いて頭を地面に擦りつけたので三人とも泣きそうな顔になった。三人は次々と同じように土下座をした。やっと事の重大さがわかったのだろう。
ちらりと百合香を見ると、百合香は口元をハンカチで隠し、舌を出した。
「頭を、上げてください。そんなことして貰っても困ります」
四人とも頭を上げなかった。
ふいに昔見た、テレビの時代劇で元気に日本中を回っているお爺さんのことを思いだした。おばあちゃんは大好きでよく見てたけど、そのお爺さんは毎回ラスト近くで大勢の偉い人に印籠を見せて土下座させて笑っていた。何が嬉しいんだろうか。
「どんなことでもするから」
小高さんは繰り返した。
「そうですか」
そう言ってわたしは自分の冷ややかな声に、自分でびっくりした。
「じゃあ、五分刈りにしてください」
今度は四人がびっくりする番だった。四人は口をぽかんと開けて顔を上げた。
「五分…刈り?」
百合香も少し驚いたようだ。わたしは百合香に目だけで笑って見せた。目には目を、髪には。
「バレー部全員です。この人達が卒業するまで今年入部する一年生もみんな」
四人のそれぞれ毎朝手入れに時間を割いているだろう髪の毛を見ながらわたしは続けた。
「この三人が退部してもしなくても同じ事です。明日の朝、実行されていなければわたしは両親に連絡して百合香を連れ、そのまま警察に行きます」
「何だと! きさま黙って聞いてれば…」
「黙れ、品野」
小高さんが静かに言って頭を上げた。品野はぴたりと黙った。
さすが部長さんだ。頭の回転が速い。
彼はまっすぐにわたしを見上げた。わたしもまっすぐに視線を返した。
「わかった。明日には必ず実行してるよ。本当に済まなかった」
「いいえ。では失礼します」
百合香の肩を抱いてわたしはその場から退場した。
これからバレー部は大騒ぎになるだろう。
百合香が自分で髪を切ったこともそのうちばれてしまうかも知れない。でも、もうそんなことはどうでもいいことだ。
「やっぱ弥生は恐いなぁ。丸坊主なんて、今時野球部だってやってないのに」
百合香が真顔で言った。涙はとっくに乾いている。
「百合香の嘘泣きほどじゃないよ」
「嘘泣きじゃない、ほんと泣きだよ」
楽しそうに笑った百合香の顎に当たった髪がピンとはねる。わたしは毛先にそっと触れた。
「ごめん」
「何で? 自分でやったんだよ。弥生が謝る事じゃない」
「ううん、わたしが富樫について行ったりしなければこんなことにはならなかった」
「わたしは最初からこのつもりだったよ」
「百合香? だって…」
予定ではあの場所で三人を痛めつけるはずだった。
「髪の毛くらい、どうせすぐ生えてくるんだから問題ないじゃん。あんなやつらに直接手を下す必要はないし。五分刈りは予想外だったけど、今頃あいつらはバレー部の連中からつるし上げ食ってるよね。説明なしで全員今日中に丸刈りってわけにはいかないもん」
くすくすと笑いながら百合香は振り返った。
「ま、オンナの貞操を踏みにじろうとしたんだから当然の報いだよ。もし弥生に指一本でも触れてたら、あいつらのは全部踏みつぶして、バットを突っ込んでやろうと思ってたんだから」
百合香……。女の子がそんなことをさらっと言うもんじゃない。パパが聞いたら卒倒しちゃうよ。
「さて、と」
校門の前で百合香はのびをした。
「じゃ、わたし行くわ」
「探偵のとこ?」
「ううん、今日は行かない。美容室に行く。これに合わせて切ってくるよ」
「それに……って」
その髪に合わせたら腰まである髪が首が見えるくらいに短くなってしまう。
わたしの心配がわかったのか、百合香は不揃いになった髪を掻き上げてにっこりと笑った。
「もともとこの髪はパパの趣味だったから、丁度いいや」
「じゃ、わたしも」
「弥生はそのままがいいよ。似合ってるから」
同じ顔なのに、百合香は真顔だ。
「ま、弥生も切りたいならそれもいいけど、しばらくは別々ってのも悪くないんじゃない?」
百合香はいろんな人の反応を想像してか、心底楽しそうだ。
「そうだね」
「んじゃ、早く帰りなよ。木村が心細~い顔で待ってるよ、きっと」
「タカノリだってば」
わたしが訂正すると、百合香は楽しげに笑って走りだした。
「ママには適当に言っておいてね」
「まかせて」
百合香、ごめんね。
背中にそう小さく言ったとき、突然百合香が振り返った。
「弥生は悪くないんだからね」
そう叫んで大きく手を振った百合香はやっぱり笑っていた。
本当は五分刈りで許すつもりなんかなかった。バレー部は廃部に追い込んであの三人には退学して貰うつもりだった。
だけど百合香が髪を切ったことで、その考えは消えた。百合香は誰も傷つけずに問題を解決するために、ああしたのだろう。
小高さんは判ってくれたと思う。バレー部が全員丸坊主にすればこの件はなかったことになるってことに。あんな三人でもバレーボールの方は達者なのだ。退部すれば大会だって勝ち進めないに違いない。
だけど、百合香が髪を切る理由なんてどこにもなかった。
切るのなら、わたしが切るべきだったのに。
どうして百合香はここまでしてしまうんだろう。
いつだって、わたしや透ちゃんのために無茶をするのだ。
わたしがもっとしっかりしなくては。
いつか、絶対にこの借りは返さなくちゃいけない。
百合香は不安げに彼らの最大の弱みを口にした。
この学校は中、高一貫して運動部が活発な所なのだ。各部とも競い合うようにして練習して、結果を出しているから『出場停止』は屈辱にほかならない。いや、それくらいで済めばまだいいが、廃部にだってなりかねない。
たぶん、小高さんの喉には、内密にしてほしい、と言う言葉が引っかかっているだろう。
「でも、」
わたしは粘って見せた。
「何でもします!」
とうとう小高さんが頭を下げた。というか、土下座だ。
「許してください」
部室のドアが開き、三人がよろよろと出てくる。
百合香の髪はともかく、その他したことはすべて事実だから頭を垂れるしかない。
しかし無関係な小高さんがいきなり跪いて頭を地面に擦りつけたので三人とも泣きそうな顔になった。三人は次々と同じように土下座をした。やっと事の重大さがわかったのだろう。
ちらりと百合香を見ると、百合香は口元をハンカチで隠し、舌を出した。
「頭を、上げてください。そんなことして貰っても困ります」
四人とも頭を上げなかった。
ふいに昔見た、テレビの時代劇で元気に日本中を回っているお爺さんのことを思いだした。おばあちゃんは大好きでよく見てたけど、そのお爺さんは毎回ラスト近くで大勢の偉い人に印籠を見せて土下座させて笑っていた。何が嬉しいんだろうか。
「どんなことでもするから」
小高さんは繰り返した。
「そうですか」
そう言ってわたしは自分の冷ややかな声に、自分でびっくりした。
「じゃあ、五分刈りにしてください」
今度は四人がびっくりする番だった。四人は口をぽかんと開けて顔を上げた。
「五分…刈り?」
百合香も少し驚いたようだ。わたしは百合香に目だけで笑って見せた。目には目を、髪には。
「バレー部全員です。この人達が卒業するまで今年入部する一年生もみんな」
四人のそれぞれ毎朝手入れに時間を割いているだろう髪の毛を見ながらわたしは続けた。
「この三人が退部してもしなくても同じ事です。明日の朝、実行されていなければわたしは両親に連絡して百合香を連れ、そのまま警察に行きます」
「何だと! きさま黙って聞いてれば…」
「黙れ、品野」
小高さんが静かに言って頭を上げた。品野はぴたりと黙った。
さすが部長さんだ。頭の回転が速い。
彼はまっすぐにわたしを見上げた。わたしもまっすぐに視線を返した。
「わかった。明日には必ず実行してるよ。本当に済まなかった」
「いいえ。では失礼します」
百合香の肩を抱いてわたしはその場から退場した。
これからバレー部は大騒ぎになるだろう。
百合香が自分で髪を切ったこともそのうちばれてしまうかも知れない。でも、もうそんなことはどうでもいいことだ。
「やっぱ弥生は恐いなぁ。丸坊主なんて、今時野球部だってやってないのに」
百合香が真顔で言った。涙はとっくに乾いている。
「百合香の嘘泣きほどじゃないよ」
「嘘泣きじゃない、ほんと泣きだよ」
楽しそうに笑った百合香の顎に当たった髪がピンとはねる。わたしは毛先にそっと触れた。
「ごめん」
「何で? 自分でやったんだよ。弥生が謝る事じゃない」
「ううん、わたしが富樫について行ったりしなければこんなことにはならなかった」
「わたしは最初からこのつもりだったよ」
「百合香? だって…」
予定ではあの場所で三人を痛めつけるはずだった。
「髪の毛くらい、どうせすぐ生えてくるんだから問題ないじゃん。あんなやつらに直接手を下す必要はないし。五分刈りは予想外だったけど、今頃あいつらはバレー部の連中からつるし上げ食ってるよね。説明なしで全員今日中に丸刈りってわけにはいかないもん」
くすくすと笑いながら百合香は振り返った。
「ま、オンナの貞操を踏みにじろうとしたんだから当然の報いだよ。もし弥生に指一本でも触れてたら、あいつらのは全部踏みつぶして、バットを突っ込んでやろうと思ってたんだから」
百合香……。女の子がそんなことをさらっと言うもんじゃない。パパが聞いたら卒倒しちゃうよ。
「さて、と」
校門の前で百合香はのびをした。
「じゃ、わたし行くわ」
「探偵のとこ?」
「ううん、今日は行かない。美容室に行く。これに合わせて切ってくるよ」
「それに……って」
その髪に合わせたら腰まである髪が首が見えるくらいに短くなってしまう。
わたしの心配がわかったのか、百合香は不揃いになった髪を掻き上げてにっこりと笑った。
「もともとこの髪はパパの趣味だったから、丁度いいや」
「じゃ、わたしも」
「弥生はそのままがいいよ。似合ってるから」
同じ顔なのに、百合香は真顔だ。
「ま、弥生も切りたいならそれもいいけど、しばらくは別々ってのも悪くないんじゃない?」
百合香はいろんな人の反応を想像してか、心底楽しそうだ。
「そうだね」
「んじゃ、早く帰りなよ。木村が心細~い顔で待ってるよ、きっと」
「タカノリだってば」
わたしが訂正すると、百合香は楽しげに笑って走りだした。
「ママには適当に言っておいてね」
「まかせて」
百合香、ごめんね。
背中にそう小さく言ったとき、突然百合香が振り返った。
「弥生は悪くないんだからね」
そう叫んで大きく手を振った百合香はやっぱり笑っていた。
本当は五分刈りで許すつもりなんかなかった。バレー部は廃部に追い込んであの三人には退学して貰うつもりだった。
だけど百合香が髪を切ったことで、その考えは消えた。百合香は誰も傷つけずに問題を解決するために、ああしたのだろう。
小高さんは判ってくれたと思う。バレー部が全員丸坊主にすればこの件はなかったことになるってことに。あんな三人でもバレーボールの方は達者なのだ。退部すれば大会だって勝ち進めないに違いない。
だけど、百合香が髪を切る理由なんてどこにもなかった。
切るのなら、わたしが切るべきだったのに。
どうして百合香はここまでしてしまうんだろう。
いつだって、わたしや透ちゃんのために無茶をするのだ。
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