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弥生の章
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「何がおかしいんだ?」
百合香は笑うのをやめ、片手を放し、その手で自分の長い髪を無造作に掴んだ。
そして、その髪にナイフをあて、品野の手を握った手に力を込めて引いた。あっという間もなかった。次の瞬間には、百合香の柔らかな栗色の髪がナイフの位置から分断されていた。
「百合香ッ!」
なんて事を!
「髪はオンナの命…」
百合香は掴んでいた髪を床にたたきつけ、呆然とする三人を見回し、にたりと笑った。
「あんたらと、わたしたち、どっちの言い分が通ると思う?」
まさか、まさか、百合香…。
「賭けよっか? ふふ、でもあんた達に勝ち目はないか」
男達が何か言おうと口を開きかけた時、百合香が叫び声をあげた。
「いやぁーっ」
突然、百合香は掴んでいた手を放し、両手で顔を覆ってわたしの元に走ってきた。野中は愕然としたまま百合香に突き飛ばされ部屋の壁にぶちあたる。
「どうしたんだ」
部室の扉が開き、息を切らせた背の高い男が飛び込んできた。
「小高!」
部長だよ、と百合香が小さな声で教えてくれた。そして大きく肩を揺らしながらわたしの胸に顔を埋め、声を殺して泣き始めた。
小高さんは床に散らばった髪の毛と品野と野中が手にしているナイフを見て息を飲んだ。
「おまえら、なんて事を」
「ち、違う! これは」
「何が違うんだ?」
「これは、こいつが勝手に」
品野が百合香を指さした。
無言で静かに顔を上げた百合香の瞳からは…大粒の涙が溢れていた。泣き声を漏らすまいと懸命に唇を噛みしめている。前にたらせば胸まであるはずの髪が不揃いに、顎の下でとぎれていた。これには男共は口を噤むしかない。百合香は再びわたしの胸に顔を埋めた。
もうこうなったらとことんまでやってやる。
わたしは心に決めた。
「そのひとがわたしにナイフをつきつけて」
わたしは野中を指さした。これは真実だ。
「野中…きさま、なんてことを…」
「お、俺は、そんな」
「それを止めようとした百合香の髪をそのひとがいきなり…」
「嘘だ、小高、こいつらは嘘を…」
「……恐かったです」
わたしは小高さんの目を見てから目を伏せた。
残念ながらわたしは涙を流せないが、これで少しは効果があるだろう。
小高さんは三人を部室に残してわたしたちを外に連れ出した。
「君は…弥生さん、だよね」
百合香を抱きしめて、頭を撫でながらわたしは頷いた。
「百合香ちゃんが、君があの三人に部室に連れて行かれたから鍵を貸してくれって僕の所に来たんだ」
彼は百合香の髪を見ながら唇を咬んだ。
そう、絶妙のタイミングで百合香は自分の髪を切り落として見せたのだ。
「本当に、僕も一緒にすぐ来ればよかったんだけど…こんな事になってしまって。百合香ちゃん、ごめんね」
百合香は小さく首を振った。
毛先の揃わない髪が顎に当たり、痛々しい。更に、無理に作ったような微笑みを小高さんに向けた。
「先輩が来てくれて、助かりました」
「ありがとうございました」
百合香にきゅっと指を掴まれてわたしは慌てて頭を下げた。
「そ、そんな…それよりどうしようか」
そう、どうするのか。刃傷沙汰になってしまったのだからこのままで済ませられるはずがない。
もっとも、それはわたしたちの出方次第になるのだが。
それが判っているから小高さんはこんな問いをわたしたちに向けたのだろう。彼だって部長だから部員の不始末が、今後のバレー部にどんな影響を与えてしまうのか想像つかないはずがない。
だけど被害者の百合香は黙っていた。
百合香はハンカチで目元を拭いながらわたしの腕に腕を絡めて、ただ、俯いている。つまり、結論はわたしに出させる気なのだ。
わたしは口を開いた。
「昨日、わたしのクラスの木村くんが校内で怪我をしたのはご存じですか」
小高さんは唐突な問いに戸惑い、小さく頷いた。
「木村くんはここであの三人に木刀と竹刀とカッターナイフでやられたんです」
「…それは…」
「彼は『階段から落ちた』としか言いませんが、わたしはあの三人から聞きました。医師の診断書もあります」
小高さんの唇が震えたが、何も言わなかった。たぶん、言えなかったのだろう。
「わたしは二度とそんなことをしないよう、富樫先輩にお願いしにここに来たんです。でも先輩は……渡したい物があるから部室に来てくれって……行ったら二人がいて、閉じこめられました」
「そ、それで……」
その形跡がないか、小高さんはわたしの胸元をちらりと見た。
「百合香が来たから、大丈夫です」
ほっと小高さんは息を吐いた。
「でもその代償に、百合香は髪を切られてしまった。同じくらい大切なものですから、両親に相談して警察に行きます。これは立派な傷害事件と暴行未遂ですよね。……未成年同士だけど」
髪を切られたくらいで傷害事件になるかどうか定かではないけれど、騒ぎになるのは目に見えている。小高さんは顔面蒼白になった。
「ちょ、ちょっと待って、藤島さん!」
「……弥生」
俯いたままで百合香が首を振った。
「わたしのことなら、いいから……」
「百合香?」
「髪なんか、またのびるから」
弱々しい笑顔で百合香が言った。
百合香は笑うのをやめ、片手を放し、その手で自分の長い髪を無造作に掴んだ。
そして、その髪にナイフをあて、品野の手を握った手に力を込めて引いた。あっという間もなかった。次の瞬間には、百合香の柔らかな栗色の髪がナイフの位置から分断されていた。
「百合香ッ!」
なんて事を!
「髪はオンナの命…」
百合香は掴んでいた髪を床にたたきつけ、呆然とする三人を見回し、にたりと笑った。
「あんたらと、わたしたち、どっちの言い分が通ると思う?」
まさか、まさか、百合香…。
「賭けよっか? ふふ、でもあんた達に勝ち目はないか」
男達が何か言おうと口を開きかけた時、百合香が叫び声をあげた。
「いやぁーっ」
突然、百合香は掴んでいた手を放し、両手で顔を覆ってわたしの元に走ってきた。野中は愕然としたまま百合香に突き飛ばされ部屋の壁にぶちあたる。
「どうしたんだ」
部室の扉が開き、息を切らせた背の高い男が飛び込んできた。
「小高!」
部長だよ、と百合香が小さな声で教えてくれた。そして大きく肩を揺らしながらわたしの胸に顔を埋め、声を殺して泣き始めた。
小高さんは床に散らばった髪の毛と品野と野中が手にしているナイフを見て息を飲んだ。
「おまえら、なんて事を」
「ち、違う! これは」
「何が違うんだ?」
「これは、こいつが勝手に」
品野が百合香を指さした。
無言で静かに顔を上げた百合香の瞳からは…大粒の涙が溢れていた。泣き声を漏らすまいと懸命に唇を噛みしめている。前にたらせば胸まであるはずの髪が不揃いに、顎の下でとぎれていた。これには男共は口を噤むしかない。百合香は再びわたしの胸に顔を埋めた。
もうこうなったらとことんまでやってやる。
わたしは心に決めた。
「そのひとがわたしにナイフをつきつけて」
わたしは野中を指さした。これは真実だ。
「野中…きさま、なんてことを…」
「お、俺は、そんな」
「それを止めようとした百合香の髪をそのひとがいきなり…」
「嘘だ、小高、こいつらは嘘を…」
「……恐かったです」
わたしは小高さんの目を見てから目を伏せた。
残念ながらわたしは涙を流せないが、これで少しは効果があるだろう。
小高さんは三人を部室に残してわたしたちを外に連れ出した。
「君は…弥生さん、だよね」
百合香を抱きしめて、頭を撫でながらわたしは頷いた。
「百合香ちゃんが、君があの三人に部室に連れて行かれたから鍵を貸してくれって僕の所に来たんだ」
彼は百合香の髪を見ながら唇を咬んだ。
そう、絶妙のタイミングで百合香は自分の髪を切り落として見せたのだ。
「本当に、僕も一緒にすぐ来ればよかったんだけど…こんな事になってしまって。百合香ちゃん、ごめんね」
百合香は小さく首を振った。
毛先の揃わない髪が顎に当たり、痛々しい。更に、無理に作ったような微笑みを小高さんに向けた。
「先輩が来てくれて、助かりました」
「ありがとうございました」
百合香にきゅっと指を掴まれてわたしは慌てて頭を下げた。
「そ、そんな…それよりどうしようか」
そう、どうするのか。刃傷沙汰になってしまったのだからこのままで済ませられるはずがない。
もっとも、それはわたしたちの出方次第になるのだが。
それが判っているから小高さんはこんな問いをわたしたちに向けたのだろう。彼だって部長だから部員の不始末が、今後のバレー部にどんな影響を与えてしまうのか想像つかないはずがない。
だけど被害者の百合香は黙っていた。
百合香はハンカチで目元を拭いながらわたしの腕に腕を絡めて、ただ、俯いている。つまり、結論はわたしに出させる気なのだ。
わたしは口を開いた。
「昨日、わたしのクラスの木村くんが校内で怪我をしたのはご存じですか」
小高さんは唐突な問いに戸惑い、小さく頷いた。
「木村くんはここであの三人に木刀と竹刀とカッターナイフでやられたんです」
「…それは…」
「彼は『階段から落ちた』としか言いませんが、わたしはあの三人から聞きました。医師の診断書もあります」
小高さんの唇が震えたが、何も言わなかった。たぶん、言えなかったのだろう。
「わたしは二度とそんなことをしないよう、富樫先輩にお願いしにここに来たんです。でも先輩は……渡したい物があるから部室に来てくれって……行ったら二人がいて、閉じこめられました」
「そ、それで……」
その形跡がないか、小高さんはわたしの胸元をちらりと見た。
「百合香が来たから、大丈夫です」
ほっと小高さんは息を吐いた。
「でもその代償に、百合香は髪を切られてしまった。同じくらい大切なものですから、両親に相談して警察に行きます。これは立派な傷害事件と暴行未遂ですよね。……未成年同士だけど」
髪を切られたくらいで傷害事件になるかどうか定かではないけれど、騒ぎになるのは目に見えている。小高さんは顔面蒼白になった。
「ちょ、ちょっと待って、藤島さん!」
「……弥生」
俯いたままで百合香が首を振った。
「わたしのことなら、いいから……」
「百合香?」
「髪なんか、またのびるから」
弱々しい笑顔で百合香が言った。
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