多忙な天使たち

ゆるりこ

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弥生の章

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 一時限目が終わり、教師が出ていくと入れ替わりに百合香が教室に入ってきた。
 一直線にわたしの元に走ってくる。みんなの視線で百合香がどのくらい目立っているのかよくわかった。
 つまり、わたしもそのくらい見られているのだろう。

「書いた?」
「ばっちり」

 わたしは教科書で隠しながらクリーム色の封筒を一通、百合香に見せた。

「挟んで」

 言うとおりにすると百合香は教科書ごと持ってさっさと出ていった。根本美輪が食い入るように百合香を目で追っている。気付いているくせに百合香はそれを無視した。口の端に笑みを浮かべたままで。他人の神経を逆なでするのは得意技なのだ。
 心配げに見る睦月ちゃんにわたしは笑んで見せた。

 今日は一日が長くなりそうだ。

「ランチが終わったらちょっと、来てくれない?」

 やっぱり、来た。
 四時間目が終わって皆が食堂に向かい出したと同時にヒロコがわたしの所にやってきた。ちらりと根本美輪を見ると楽しげに男子と会話している。

「どこに?」
「…講堂に行く渡り廊下の前」
「わかった」

 必死で目を合わさないようにしているヒロコにわたしは笑顔で答えてやった。ヒロコが立ち去った後、睦月ちゃんがやってきた。

「藤島さん、これ、さっき言ってたノート」

 思い詰めた顔だ。ノートの話はしていない。

「ありがとう。助かるな」

 わたしの反応に睦月ちゃんはほっとして戻っていった。ノートを開くと小さなメモが挟んであった。

『行っちゃダメ!
 相手は女子だけじゃないから
 ひどいめにあわされる』

 わたしはメモをそっと取り、きちんと畳んでポケットに入れた。

 ありがとう、睦月ちゃん。
 相手がそのつもりならこっちもそのつもりで行ってもいいよね。



 渡り廊下には四人の女子が待っていた。根本美輪とヒロコと、あとは違うクラスの知らない子だ。

「何の用?」
「ずっと我慢してたけど、もうできなくなったの」
「そのふたりは、誰?」
「誰だっていいじゃない。あんたを気に入らない仲間よ」
「ちょっとかわいいからっていい気になるんじゃないわ」

 仲間のひとりが言った直後にもうひとりが力を込めてわたしを押した。勢いで踊り場にあるトイレの入り口で倒れそうになる。体勢を立て直すと男子がふたり、増えていた。見覚えはないが体格はりっぱなものだ。運動部に所属しているのは明確だった。

 根本美輪が勝ち誇ったように言った。

「あんたとヤリたいって男子はたくさんいるの。もてるのも大変よね」
「……どういう意味?」

 突然、平手打ちが飛んできた。頬を押さえて目を伏せる。よけないっていうのもいいかげん、あきてきた。

「トイレでやられるってのも、いい気味」

 美輪はわたしの髪を掴んで女子トイレに引っ張り込んだ。その後ろから男子が入ってくる。

「根本、おまえも見張ってろ」
「そうね。終わったら写真を撮るんだから呼んでよ」
「ああ、カメラ、貸せよ。ヤッてるとこも撮っといてやるから」
「ふふ、サンキュ」

 使い捨てカメラを手渡して嬉しそうに美輪は出ていった。引き戸がぴしゃりと閉まる。

「藤島とヤれるとはラッキーだよな」
「さっさとやろうぜ、時間がない」
「ああ。あんまり抵抗すんなよ。顔に傷つけたくないしな。おまえだって嫌だろ? ……何がおかしいんだ?」

 その言葉でわたしは初めて自分が笑っているのに気がついた。

「どう見てもホウケイでドウテイでド下手クソのくせに偉そうな口叩いてるから、つい」
「なんだと!」
「この野郎!」

 真っ赤になって跳びかかってきた男の動きは止まっているように見える。そのまま腰を屈めて体当たりをして相手の懐に飛び込んだ。片足を持ち上げ腰に手を回し組み付いたまま足を払う。体重をかけ、その上に一緒に倒れ込んだ。硬いタイルに勢いをつけて倒れ込んだので男は動かなくなった。
 後ろからもうひとりが襲いかかってきた。すかさず足の甲を思い切り踏みつける。男が呻いてひるんだので両腕を思い切り左右に開いて腕を解きそのまま半回転して顔面を一撃した。顔を押さえて跪いた男の鳩尾を蹴り上げる。男は床にうずくまった。
 先に倒した男が起きあがった。わたしは素早く回り込んで鳩尾に一撃を加える。男は再び倒れ込んだ。

 トイレの入り口に向かい、小さく言い放つ。

「終わった」

 扉が開いた。

「お早いこと」

 中を覗き込んで百合香が口笛を吹く。ちらりと見たドアの外には誰もいなかった。

「おやおや、丁度いいところに丁度いいものがありますねぇ」

 タイルの上に落ちていた使い捨てカメラを百合香が拾った。
 フラッシュが光る。
 何度か光ったところで男の意識が戻った。
 百合香が片足で男の腹を押さえつけてにやりと笑った。

「いいざまだな、近藤」

 フラッシュが光る。
 近藤と呼ばれた男は眩しげに顔を歪めた。目の前の百合香を見て、次にわたしを見て目を見開いた。

「ふ、藤島…百合……ぐぇっ」

 百合香の踵が近藤の腹にめり込んだ。あれは痛い……。近藤が身を捩り、エビのように身体を丸め、咳き込んでいる。百合香は続けざまにその脇腹や尻を数回蹴りつけた。

「う、ぅう、や、やめ」

 懇願する近藤を、百合香は無表情でもう一度蹴った。更に蹴りながらぶつぶつと呪詛のように呟いている。

「やめ、何? ふざけてんの? あんた弥生に何するつもりだったの? 二人がかりで、か弱い女子に……こっちは殺してやりたいのを堪えてるんだから、ありがとうございますもっと蹴ってくださいでしょうが……バカだわやっぱりバカバカ大バカ……ねぇ踏み潰そうかな、これ踏み潰していいよね、こんな大バカ野郎の子孫なんかいらないって神様が言ってる気がするし」

 足を掴み股を開かせて、百合香は踵を振り上げた。

「誰? これ」

 わたしの問いに振り返った百合香は、掴んでいた足を放り出して楽しげに答えてくれた。

「柔道部の一年、B組だったかな。あんた受け身もっと鍛えな。ったく、莫迦だねー、こんなことして。柔道部の前部長がうちらのファンクラブの会長やってるって、知ってた?」

 言いながら、もう一度蹴る。

「う……」

 近藤は抵抗も出来ず、丸くなったまま頷いた。
 
「知ってた! へぇ、いい度胸。じゃ、空手部も新旧そろってそのファンクラブの会員ってのも知ってるよね。たかだか一年坊主が先輩方の憧れの的、弥生姫に手ェ出したなんて知れたら……どうなるか考えなかったの? 想像しなかったの? まぁ、わたしはおもしろいけど」

 百合香の楽しそうな笑い声に震えながら顔をあげた近藤は、あっと言う間に蒼くなり、両手をついて土下座をした。

「う…すまない。悪かった。もう二度としない。頼むから、言わないでくれ」

 震えながらぺこぺこと頭を上下する近藤の目には涙が浮かんでいる。百合香は楽しそうに笑った。

「言わないよ。秘密は大好きだから」
「ほ、本当か?」
「わたしも弥生も口は堅い…条件はあるけど」

 百合香の笑顔は相変わらず黒かった。




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