多忙な天使たち

ゆるりこ

文字の大きさ
上 下
7 / 31
弥生の章

7

しおりを挟む
 保健室のドアを開けると、中には担任の教師と養護教諭がいた。ふたりともわたしを見て驚いている。

「あの、木村くんは」

 心配げなわたしの声に担任はわざとらしく肩を抱きながら木村くんのベッドの脇に連れて行ってくれた。
 養護教諭が、手当はしたけど骨は折れてないみたい、と言った。だけど、木村くんの顔は傷だらけで腫れあがっていて、眼鏡が無かった。眠っているのか、気を失っているのか、判らない。

「どうして…」
「階段から落ちたらしい」

 担任が無責任に言った。
 養護教諭は何か耳打ちして、担任と一緒に部屋から出ていった。
 階段から落ちてこんな傷のはずがない。これは殴られた傷だ。しかも拳じゃない。棒だ。竹刀とか、木刀とか。

「う…」

 木村くんが呻いて、目を僅かに開けた。

「ふじ、しまさん…」

 わたしは木村くんの髪をそっと撫で上げた。
 額に切り傷がある。この傷はカッターナイフだ。浅いせいか、血が止まったせいか手当は消毒だけで済ませてあった。

「大丈夫、じゃなさそうね」
「すみ…ません」
「何が?」
「約束の場所に行けなくて」

 木村くんは涙を浮かべながら腫れた頬をつらそうに動かした。

「話さなくて、いい。何があったのか、思い出して。ほんとに階段から落ちたの?」
「ええ…そうです」

 目を閉じた木村くんの心は別のことを訴えていた。断片が見える。
 わたしはおでこを木村君の肩に当てた。流れ込む心。

 話したら、おまえだけじゃなく藤島弥生もめちゃくちゃにするぞ。

 心が震えている。
 口止めされたんだね。
 わたしは心の中で呟いた。
 だけどどうしてわたしの名前が?
 今朝のことが関係あるのだろうか。
 一緒に教室まで歩いただけ、それしか思い当たらない。

「木村くん」

 木村くんは目を薄く開け、ぽたりと涙がこぼれて白い枕に灰色のしみを作った。
 今朝の水澄先輩の言葉が滴のようにぽたりと心に落ちてくる。

 守るって言うのは力だけじゃ、ないんだよ。

 木村くんはわたしを守ってくれたのだ。

「ありがとう」

 わたしは木村くんの涙を唇で受け止めた。木村くんが目を見開いてわたしを見ている。

「ちょっと、しょっぱい」

 できるだけ優しく、微笑んだ。

「藤島さん?」
「弥生、だよ。名字だと百合香や透ちゃんと同じでしょ」
「でも…」
「弥生って呼ばないと、返事しない」
「…ムリです。そんな」

 木村くんはやっと笑ってくれた。顔を歪めただけだったけど。

「タカノリ」
「え?」
「わたしはこれから木村くんのこと、貴憲って呼ぶことに決めたから。そしたらお互い様だよね。いい?」

 木村くん…貴憲は慌てて頷いた。わたしは貴憲の頭をもう一度撫でた。

「貴憲は、おでこの形がいいんだから前髪はもっと切った方が似合うと思う。それに、眼鏡、ない方がかっこいいかも」
「…や、やよいさん…」
「さん、はナシ。一回しか言わないからね。返事しないよ。歩ける?」
「え?」
「ここじゃ、どうしようもないからうちに連れてく。ここから歩いて一〇分だから。そしたら車で家まで送っていけるし」
「そんな…」
「遠慮も、ナシ」

 何とか体を起こそうとする貴憲の身体を支えてわたしたちは立ち上がった。抱えた方が早いんだけど学校の中でそれを披露するわけにはいかないので、腕を肩にまわし、体重を支えた。触れた瞬間、貴憲の思考がわたしの中に流れ込んでくる。
 どうして、と彼の頭は疑問符でいっぱいだった。

 どうして藤島さんが僕に……。

 わたしはにっこりと笑ってみせた。
 意識して心を遮断する。油断すると次々と隙間を縫うように流れ込む心。百合香や透ちゃんと同じで、これは結構大変だ。

「さて、行こうか」

 保健室のドアを開けると、三人の男が立っていた。先生じゃない。先輩方だった。

「いい度胸だな。忠告してやっただろう」

 貴憲の体が小さく震えだした。そのくせ、頭の中は必死でわたしを逃がすための算段を探している。
 なんて、お人好しなんだろう。

「あんたたちが、やったのね?」

 わたしの口調に三人の先輩と貴憲はぎょっとした。自分でもわかる、冷めた声。

「竹刀、カッターナイフ、木刀。恥ずかしげもなく無抵抗の人間をよくここまでやれたもんだわ」

 けっ、とわたしは顔を背けてやった。
 これは百合香がよくやる仕草だ。わたしはやったことがなかったけど、こんなときはこうしたほうがあっているような気がしたから。事実、効果は抜群だったような気がする。三人とも呆然としていて、ちょっと気持ちがよかった。

「ふ、藤…島さん?」

 貴憲の声をわたしは無視した。

「富樫、野中、品野。二度と貴憲に近づかないで。…忠告したよ」

 そう言ってわたしは貴憲を支えて下駄箱に向かった。

「待てよ」

 待てと言われて待つほどわたしは素直ではない。構わずに進んだ。

「待てったら」

 富樫がわたしたちの前に回りこんで立ちはだかる。
 わたしは目を伏せたまま立ち止まった。顔を見たくなかった。見たらきっと歯止めが利かなくなる。
 今は手加減する余裕がなさそうだったから。

「今日の用事ってのはこいつと会うことだったのか?」

 そこでわたしはようやく思い出した。
 富樫。美輪ちゃんが紹介しようとした先輩の名前も同じだったことを。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

乙男女じぇねれーしょん

ムラハチ
青春
 見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。 小説家になろうは現在休止中。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~

Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。 おいしいご飯がたくさん出てきます。 いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。 助けられたり、恋をしたり。 愛とやさしさののあふれるお話です。 なろうにも投降中

ぼくたちのたぬきち物語

アポロ
ライト文芸
一章にエピソード①〜⑩をまとめました。大人のための童話風ライト文芸として書きましたが、小学生でも読めます。 どの章から読みはじめても大丈夫です。 挿絵はアポロの友人・絵描きのひろ生さん提供。 アポロとたぬきちの見守り隊長、いつもありがとう。 初稿はnoteにて2021年夏〜22年冬、「こたぬきたぬきち、町へゆく」のタイトルで連載していました。 この思い入れのある作品を、全編加筆修正してアルファポリスに投稿します。 🍀一章│①〜⑩のあらすじ🍀 たぬきちは、化け狸の子です。 生まれてはじめて変化の術に成功し、ちょっとおしゃれなかわいい少年にうまく化けました。やったね。 たぬきちは、人生ではじめて山から町へ行くのです。(はい、人生です) 現在行方不明の父さんたぬき・ぽんたから教えてもらった記憶を頼りに、憧れの町の「映画館」を目指します。 さて無事にたどり着けるかどうか。 旅にハプニングはつきものです。 少年たぬきちの小さな冒険を、ぜひ見守ってあげてください。 届けたいのは、ささやかな感動です。 心を込め込め書きました。 あなたにも、届け。

処理中です...