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弥生の章
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保健室のドアを開けると、中には担任の教師と養護教諭がいた。ふたりともわたしを見て驚いている。
「あの、木村くんは」
心配げなわたしの声に担任はわざとらしく肩を抱きながら木村くんのベッドの脇に連れて行ってくれた。
養護教諭が、手当はしたけど骨は折れてないみたい、と言った。だけど、木村くんの顔は傷だらけで腫れあがっていて、眼鏡が無かった。眠っているのか、気を失っているのか、判らない。
「どうして…」
「階段から落ちたらしい」
担任が無責任に言った。
養護教諭は何か耳打ちして、担任と一緒に部屋から出ていった。
階段から落ちてこんな傷のはずがない。これは殴られた傷だ。しかも拳じゃない。棒だ。竹刀とか、木刀とか。
「う…」
木村くんが呻いて、目を僅かに開けた。
「ふじ、しまさん…」
わたしは木村くんの髪をそっと撫で上げた。
額に切り傷がある。この傷はカッターナイフだ。浅いせいか、血が止まったせいか手当は消毒だけで済ませてあった。
「大丈夫、じゃなさそうね」
「すみ…ません」
「何が?」
「約束の場所に行けなくて」
木村くんは涙を浮かべながら腫れた頬をつらそうに動かした。
「話さなくて、いい。何があったのか、思い出して。ほんとに階段から落ちたの?」
「ええ…そうです」
目を閉じた木村くんの心は別のことを訴えていた。断片が見える。
わたしはおでこを木村君の肩に当てた。流れ込む心。
話したら、おまえだけじゃなく藤島弥生もめちゃくちゃにするぞ。
心が震えている。
口止めされたんだね。
わたしは心の中で呟いた。
だけどどうしてわたしの名前が?
今朝のことが関係あるのだろうか。
一緒に教室まで歩いただけ、それしか思い当たらない。
「木村くん」
木村くんは目を薄く開け、ぽたりと涙がこぼれて白い枕に灰色のしみを作った。
今朝の水澄先輩の言葉が滴のようにぽたりと心に落ちてくる。
守るって言うのは力だけじゃ、ないんだよ。
木村くんはわたしを守ってくれたのだ。
「ありがとう」
わたしは木村くんの涙を唇で受け止めた。木村くんが目を見開いてわたしを見ている。
「ちょっと、しょっぱい」
できるだけ優しく、微笑んだ。
「藤島さん?」
「弥生、だよ。名字だと百合香や透ちゃんと同じでしょ」
「でも…」
「弥生って呼ばないと、返事しない」
「…ムリです。そんな」
木村くんはやっと笑ってくれた。顔を歪めただけだったけど。
「タカノリ」
「え?」
「わたしはこれから木村くんのこと、貴憲って呼ぶことに決めたから。そしたらお互い様だよね。いい?」
木村くん…貴憲は慌てて頷いた。わたしは貴憲の頭をもう一度撫でた。
「貴憲は、おでこの形がいいんだから前髪はもっと切った方が似合うと思う。それに、眼鏡、ない方がかっこいいかも」
「…や、やよいさん…」
「さん、はナシ。一回しか言わないからね。返事しないよ。歩ける?」
「え?」
「ここじゃ、どうしようもないからうちに連れてく。ここから歩いて一〇分だから。そしたら車で家まで送っていけるし」
「そんな…」
「遠慮も、ナシ」
何とか体を起こそうとする貴憲の身体を支えてわたしたちは立ち上がった。抱えた方が早いんだけど学校の中でそれを披露するわけにはいかないので、腕を肩にまわし、体重を支えた。触れた瞬間、貴憲の思考がわたしの中に流れ込んでくる。
どうして、と彼の頭は疑問符でいっぱいだった。
どうして藤島さんが僕に……。
わたしはにっこりと笑ってみせた。
意識して心を遮断する。油断すると次々と隙間を縫うように流れ込む心。百合香や透ちゃんと同じで、これは結構大変だ。
「さて、行こうか」
保健室のドアを開けると、三人の男が立っていた。先生じゃない。先輩方だった。
「いい度胸だな。忠告してやっただろう」
貴憲の体が小さく震えだした。そのくせ、頭の中は必死でわたしを逃がすための算段を探している。
なんて、お人好しなんだろう。
「あんたたちが、やったのね?」
わたしの口調に三人の先輩と貴憲はぎょっとした。自分でもわかる、冷めた声。
「竹刀、カッターナイフ、木刀。恥ずかしげもなく無抵抗の人間をよくここまでやれたもんだわ」
けっ、とわたしは顔を背けてやった。
これは百合香がよくやる仕草だ。わたしはやったことがなかったけど、こんなときはこうしたほうがあっているような気がしたから。事実、効果は抜群だったような気がする。三人とも呆然としていて、ちょっと気持ちがよかった。
「ふ、藤…島さん?」
貴憲の声をわたしは無視した。
「富樫、野中、品野。二度と貴憲に近づかないで。…忠告したよ」
そう言ってわたしは貴憲を支えて下駄箱に向かった。
「待てよ」
待てと言われて待つほどわたしは素直ではない。構わずに進んだ。
「待てったら」
富樫がわたしたちの前に回りこんで立ちはだかる。
わたしは目を伏せたまま立ち止まった。顔を見たくなかった。見たらきっと歯止めが利かなくなる。
今は手加減する余裕がなさそうだったから。
「今日の用事ってのはこいつと会うことだったのか?」
そこでわたしはようやく思い出した。
富樫。美輪ちゃんが紹介しようとした先輩の名前も同じだったことを。
「あの、木村くんは」
心配げなわたしの声に担任はわざとらしく肩を抱きながら木村くんのベッドの脇に連れて行ってくれた。
養護教諭が、手当はしたけど骨は折れてないみたい、と言った。だけど、木村くんの顔は傷だらけで腫れあがっていて、眼鏡が無かった。眠っているのか、気を失っているのか、判らない。
「どうして…」
「階段から落ちたらしい」
担任が無責任に言った。
養護教諭は何か耳打ちして、担任と一緒に部屋から出ていった。
階段から落ちてこんな傷のはずがない。これは殴られた傷だ。しかも拳じゃない。棒だ。竹刀とか、木刀とか。
「う…」
木村くんが呻いて、目を僅かに開けた。
「ふじ、しまさん…」
わたしは木村くんの髪をそっと撫で上げた。
額に切り傷がある。この傷はカッターナイフだ。浅いせいか、血が止まったせいか手当は消毒だけで済ませてあった。
「大丈夫、じゃなさそうね」
「すみ…ません」
「何が?」
「約束の場所に行けなくて」
木村くんは涙を浮かべながら腫れた頬をつらそうに動かした。
「話さなくて、いい。何があったのか、思い出して。ほんとに階段から落ちたの?」
「ええ…そうです」
目を閉じた木村くんの心は別のことを訴えていた。断片が見える。
わたしはおでこを木村君の肩に当てた。流れ込む心。
話したら、おまえだけじゃなく藤島弥生もめちゃくちゃにするぞ。
心が震えている。
口止めされたんだね。
わたしは心の中で呟いた。
だけどどうしてわたしの名前が?
今朝のことが関係あるのだろうか。
一緒に教室まで歩いただけ、それしか思い当たらない。
「木村くん」
木村くんは目を薄く開け、ぽたりと涙がこぼれて白い枕に灰色のしみを作った。
今朝の水澄先輩の言葉が滴のようにぽたりと心に落ちてくる。
守るって言うのは力だけじゃ、ないんだよ。
木村くんはわたしを守ってくれたのだ。
「ありがとう」
わたしは木村くんの涙を唇で受け止めた。木村くんが目を見開いてわたしを見ている。
「ちょっと、しょっぱい」
できるだけ優しく、微笑んだ。
「藤島さん?」
「弥生、だよ。名字だと百合香や透ちゃんと同じでしょ」
「でも…」
「弥生って呼ばないと、返事しない」
「…ムリです。そんな」
木村くんはやっと笑ってくれた。顔を歪めただけだったけど。
「タカノリ」
「え?」
「わたしはこれから木村くんのこと、貴憲って呼ぶことに決めたから。そしたらお互い様だよね。いい?」
木村くん…貴憲は慌てて頷いた。わたしは貴憲の頭をもう一度撫でた。
「貴憲は、おでこの形がいいんだから前髪はもっと切った方が似合うと思う。それに、眼鏡、ない方がかっこいいかも」
「…や、やよいさん…」
「さん、はナシ。一回しか言わないからね。返事しないよ。歩ける?」
「え?」
「ここじゃ、どうしようもないからうちに連れてく。ここから歩いて一〇分だから。そしたら車で家まで送っていけるし」
「そんな…」
「遠慮も、ナシ」
何とか体を起こそうとする貴憲の身体を支えてわたしたちは立ち上がった。抱えた方が早いんだけど学校の中でそれを披露するわけにはいかないので、腕を肩にまわし、体重を支えた。触れた瞬間、貴憲の思考がわたしの中に流れ込んでくる。
どうして、と彼の頭は疑問符でいっぱいだった。
どうして藤島さんが僕に……。
わたしはにっこりと笑ってみせた。
意識して心を遮断する。油断すると次々と隙間を縫うように流れ込む心。百合香や透ちゃんと同じで、これは結構大変だ。
「さて、行こうか」
保健室のドアを開けると、三人の男が立っていた。先生じゃない。先輩方だった。
「いい度胸だな。忠告してやっただろう」
貴憲の体が小さく震えだした。そのくせ、頭の中は必死でわたしを逃がすための算段を探している。
なんて、お人好しなんだろう。
「あんたたちが、やったのね?」
わたしの口調に三人の先輩と貴憲はぎょっとした。自分でもわかる、冷めた声。
「竹刀、カッターナイフ、木刀。恥ずかしげもなく無抵抗の人間をよくここまでやれたもんだわ」
けっ、とわたしは顔を背けてやった。
これは百合香がよくやる仕草だ。わたしはやったことがなかったけど、こんなときはこうしたほうがあっているような気がしたから。事実、効果は抜群だったような気がする。三人とも呆然としていて、ちょっと気持ちがよかった。
「ふ、藤…島さん?」
貴憲の声をわたしは無視した。
「富樫、野中、品野。二度と貴憲に近づかないで。…忠告したよ」
そう言ってわたしは貴憲を支えて下駄箱に向かった。
「待てよ」
待てと言われて待つほどわたしは素直ではない。構わずに進んだ。
「待てったら」
富樫がわたしたちの前に回りこんで立ちはだかる。
わたしは目を伏せたまま立ち止まった。顔を見たくなかった。見たらきっと歯止めが利かなくなる。
今は手加減する余裕がなさそうだったから。
「今日の用事ってのはこいつと会うことだったのか?」
そこでわたしはようやく思い出した。
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