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1.セイはトラブルメーカー?
狙われる理由を知りました
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「ノエル?」
「俺はダグラスだ。わかっているな」
金色の髪が夜の街の中で怪しそうになびいている。あたしはまた吹き出してしまう。どう考えても似合わない。
「ごめん。ダ・グ・ラ・ス」
あたしは不意にノエルの頬にキスをした。ノエルが設定したのは夫婦なのだから、このくらいの茶目っ気は許してもらえるだろう。
「セイ?」
戸惑っているノエルがおかしくて、あたしはケラケラ笑ってしまう。ひとしきり笑った後で、急に真顔になって訊ねた。
「ねえ、シイやミヤも入れるの?」
「成り行きだ」
ぶっきらぼうな声でノエルは言った。それ以上は聞くなということなのだろう。
「そう………」
あたしたちがアパートに戻った時には、シイもミヤもまだ帰っていなかった。あたしはノエルにお茶を入れると、ベッドに腰掛けた。この部屋の中で唯一、座り心地の良いところだからだ。
あたしはノエルにチャップマンの本当のことを話せないでいた。それを話すには、親父のことに触れなければならない。あたしはノエルの哀しい顔を見たくない。ノエルの家を出てから、途方に暮れたあたしを親切に面倒見てくれた人と言うのが精一杯だった。チャップマンもあたしの気持ちを気遣って話を合せてくれた。チャップマン自身、自分やあたしの親父が宇宙海賊だったなどと初対面の男に話すほど、お人好しでない。店では誰もあたしが宇宙海賊シャークのボスの娘だと知る人はいない。ただ、二人の間になぜか剣呑な空気の流れを感じたのは、あたしの考えすぎだったのかもしれない。どこか茶番じみたそんな気がしたのも。
「良かったな。お前のそばにああいう頼りになる人がいてくれて本当に良かった」
ノエルはお茶を飲みながら、真顔であたしにそう言った。ノエルはテーブルの向こうから、あたしを優しげな視線で見つめている。優し気なその視線が肌にチクチクと突き刺さる気がして、あたしは俯きがちになる。
「ノエル………」
「この五年間、お前がどうしているか、そればかり考えていた。俺がお前のことを捕まえなければならない羽目になることだけはごめんだった」
ノエルの黒い瞳に見つめられると、自分でもどうしてよいのかわからないくらい、胸がドキドキしてくる。ノエルにもあたしにも隠し事がある。それを互いにさらけ出せない。五年の月日は長すぎたのだとそう思う。
「俺にとって、セイはいつも、初めて会った時のままの保護者の必要な九才の子供だった。それが、いつのまにか俺の手を離れて、独り立ちしている………」
ノエルはあたしの隣に腰をおろす。二人の重みに耐えかねるようにベッドが軋む。
「セイにはきちんと話しておこう」
気が付くとノエルの視線は、あたしを見ていない。まるで、あたしを見るのを避けるよう足元を見つめている。言い澱む様にノエルの声のトーンが低くなる。
「シイの父親がこの麻薬事件に絡んで、殺されたのは知っているね」
「ミヤに聞いた」
「その事件のことは?」
「聞いてないわ」
「そうか」
ノエルはあたしを見つめ、辛そうな顔をしてまた俯いた。ノエルの顔に金色の髪が掛かる。それをかき上げようともしない。それがどこか痛ましげに見える。何を話そうとしているのか?あたしは黙って受け入れようとして、姿勢を正した。
「五年前、シティシャムシール郊外の公園で、変死体が発見された。外傷はなく、最初はただの麻薬中毒と思われた。だが、違っていた。その死体は、一週間前に行方不明になっていたホームの保母だった」
「………」
その言葉にあたしは青ざめていた。マリママのことが即座に浮び上がってきたからだ。
「そのホームには、保母が居なくなる前に問い合せが有ったらしい、『十一才になる赤毛の娘はいないか』と。だが、その娘は養女に出た先を飛び出し行方不明になっていた。その娘を担当していた保母がその電話の主に呼出され、それっきり戻らなかった」
「あたしのせい?………マリママが死んだのはあたしのせい?」
あたしはすがるような目で、ノエルを見た。ノエルは苦しそうな顔をして顔を上げる。その顔は悩んでいるようにも見える。あたしの漠然とした不安は的中した。あたしがマリママを殺したのかもしれない。あたしは一気に崖下まで突き落とされた気分を味わっていた。
「セイ、お前の気持ちもわかる。だが、セイ自身にも関わることだ。よく聞いて欲しい。俺はこのことをいつお前に話せばよいのか迷っていた。話さずに済むならとな………」
あたしの両腕を痛いくらいに掴んで、ノエルは厳しい目をした。真剣なノエルの顔にあたしはたじろいだ。こんなノエルを見るのは初めてだった。あたしは涙を拭い、ノエルにうなずいた。
「マリはセイが出て行ってから、俺に婚約を破棄してくれと言った。小惑星基地に行く前の日だった。『あなたは、偽善者だわ。』それが俺の聞いたマリの最後の言葉だ」
ノエルはあたしの手を離すとまた、俯いた。ノエルの髪が乱れ、無造作にそれをかき上げる。覗いた横顔が痛々しかった。二人が結婚しなかったのもあたしのせいだ。あたしがいたから、あたしのせいで親父もマリママも死んだ。あたしが皆を不幸にしている。あたしは背中が冷え冷えとしてきた。夏の蒸暑い気候なのにあたしは寒くてたまらなくなった。
「シイの父親から、連絡があったのは、マリが死んでから一週間後だった。マリの死はショックだった。あんないい奴が、何でそんな殺され方をしなくちゃならないんだ」
ノエルは悲しみを押さえるように拳を握り締める。あたしの胸は、張り裂けそうになる。
-ノエルハマダ、マリママガスキ………
あたしの存在はノエルを悲しませるだけ。あたしがいなければ、ノエルは親父を撃つ事も無かった。あたしがいなければ、ノエルとマリママは幸福な結婚をして、マリママが殺される事も無かった。あたしの心の中は空洞になったみたいで隙間風が吹き荒れている。ノエルの言葉が遥か遠くから聞こえてくるみたい。こんなに近くにいるのに、離れていた五年間よりももっと遠くに感じられた。
「新しいタイプの麻薬が出回っているということは、惑星同盟パトロールでも問題になっていた。その時はまだ地球だけだったが、直に外へ出てくる。それを危惧していた」
「………」
「マリの死はその麻薬の多量使用によるショック死だった。シイの父親はセイのことを探していた。俺自身お前のことを探していた。だが、見つけることは出来なかった」
あたしは、ノエルが麻薬の話をした時の哀しい瞳を思い出していた。
「ごめん。ノエル、ごめん。あたしが、あたしが………」
声にならなかった。涙が滝の様にあふれてきた。泣いたって死んだ人は戻らない。わかっているのに、あたしには泣く事しか出来ない。あたしがいなければ、誰も不幸になる事なんか無かった。あたしは何のために生きてきたのだろうか?ささやかな幸福を望むのは間違っていたのだろうか?
泣いても何の問題の解決にならない。それでも涙はこぼれる。泣くまいと思えば思うほど、涙がこぼれる。あたしはいつの間にこんなに弱くなったのだろうか?泣くものかってずっと思ってきたのに。ノエルと再会してから、なぜか涙が止まらない。こんなに弱い自分が嫌なのに。本当に泣くなんて弱さを見せつけているだけだ。ノエルが絡むとあたしの心は途端に弱くなる。それが嫌だった。
嘘泣きは女の武器だと教えてもらったことがある。だから、滅多なことでは泣くなと言われた。泣く女は安っぽく見られるのだ。いつも、微笑みを顔に張り付けて、涙は最後の武器にとっておく。それでも、本気で泣くなと、嘘泣きでごまかせと相手を手の上で転がせるくらいにならなければ、一人前の女とは言えないとチャップマンの店の近所のお姉さんから笑って教えてもらった。今にして思うとどうしてもあれは悪女教育の一貫のような気もする。
「セイ、自分を責めるなよ。お前が悪い事は何もないんだ。むしろ、責められるのは俺の方だ」
「ノエル………」
ノエルはあたしを抱き寄せた。子供の時みたいにあたしの頭を優しくなでてくれる。こうした一つ一つの仕草が今のあたしにはうれしくて辛い。ノエルの優しさがあたしを弱くする。どうしてノエルの前ではうまくいかないのだろうか?
「俺は確かにマリの言う通り偽善者だった。俺はお前の事ばかり考えていた。お前の幸福だけを考えていた。その為にマリと結婚しようとしたんだ。セイ、責められるのはお前でなく、俺の方なんだ」
「そんなこと無いよ。そんなこと無い」
あたしは何度も頭を振った。ノエルは悪くない。
「セイ、これだけは言っておく。お前がマリの事で自分を責めたりしたら、却ってマリは悲しむ。俺たちの仕事はそんなことはこれから幾らでもあるんだ。冷たい言い方だが、一々気にしていたら身が保たなくなる。死んだ奴らに詫びるのは、自分が死んだ時でいい」
「ノエル?」
あたしは吐き捨てるように言ったノエルの言葉が信じられなかった。ううん、ノエルがそんなきつい言葉を吐くなんて嘘みたいだ。あたしはノエルを凝視した。あたしの視線に気がついて、ノエルは無理したように軽くあたしに微笑んだ。この五年間の間に、ノエルに何があったのだろうか? 聞いてみたい気もするが、聞けなかった。ノエルの心の傷が深いからそんな言葉が出るんだと気付いたからだ。あたしよりももっと深くノエルは傷ついている。あたしは本能的にノエルをきつく抱き締めた。そうしないとノエルがどこかに行ってしまいそうな気がしたからだ。
「セイ、お前が無事で良かったよ。もう、間に合わないかと思っていた。奴らに捕まっていたらと思うと気が気でなかった」
「ノエル、ごめん」
「いや、むしろ、あの店にいたことが、却って良かったのかもな。あのチャップマンはセイの父親の相棒だった奴だ。裏の世界を知っていたからこそ、あの店でお前を匿えたのだろう」
あたしはノエルを見る。あたしの自称保護者はあたしの肩を抱いて、優しく頭を撫でる。あたしはノエルに寄り掛かる。そう、ノエルにはいつだって適わない。
「知っていたの」
「向こうも俺の事は気付いてたはずだ。自分の相棒を撃ち殺した男だからな。あの時あの場にはいなかったせいで、逮捕を免れているはずだ。その後、足を洗ったと聞いていたが、あんな所にいるとは思わなかったよ」
「嘘! あたしにはシャークの前にコンビを組んでいたと言っていたわ。それにあたしは覚えていないわ」
あたしはノエルの腕から抜け出して、ノエルに詰め寄る。ノエルはあたしを子供を見るような瞳でなだめるように笑みを浮かべた。あたしの記憶の中にチャップマンはどこにもいなかった。
「昔はもっと、痩せていたし、髪もフサフサしていたよ」
「嘘!」
あたしには信じられない。あのチャップマンの痩せた姿なんて、想像できない。
「とにかく、セイを探している奴らがいることは事実だ。そいつらが、この麻薬を流していることもな。そして、シイの父親とマリを殺したのも奴らだ。俺たちの今回の任務は、奴らを壊滅させることだ」
「………」
ノエルは黙って、あたしの肩を抱き寄せた。ノエルの瞳はまだ苦しそうにあたしを見つめている。ノエルが何かを言いたそうで言いにくそうな顔をしていることに、あたしは気付かなかった。
その時、あたしは自分自身を見失っていた。あたしと麻薬がどう結びつくのだろう? そして、なぜ、マリママやシイの父親は殺されなければならなかったのか? わからないパズルの中心に、無理やりはめこまれた気分だ。頭の中は?マークが踊っている。
「チャップマンは、もう自分ではセイを守りきれないと知っていた。だから、俺に何も言わず、セイのことを託したんだ。俺は、セイが宇宙警察官になったことを教えたよ。チャップマンは代りに、これをくれた」
ノエルは気を取り直すように笑みを浮かべて、あたしにそう言った。あたしには、いつ、ノエルがそんな話をしていたのかわからない。ノエルに渡された紙には、《アミュージュ製薬》と書かれている。
あたしには、もう何が何だかわからないでいる。幾つかの事件があり、その先は皆、あたしに繋がっている。なぜ、あたし何だろう。それを考えると気が重い。わからないことだらけだ。許容範囲を超えたことに思考が停止し、これ考えることを拒否したあたしはノエルに寄り掛かりながら、その心地よい温もりに引き込まれるようにいつしか眠りに落ちていたらしい。いろいろなことで精神ががりがりとものすごく削られたせいで疲れ果てていた。
「セイ、起きたの?」
ミヤの明るい声が頭に響く。あたしは、昨日、最悪の夢を見た。どんな夢かはっきり覚えていない。なのに、恐ろしくて逃げ回っていたことだけは記憶にある。夢にうなされるなんて、信じられない。頭がぼうっとしている。
「ノエルたちは?」
あたしはまだ、半分眠っている状態で、ミヤの用意してくれた朝食を食べ始める。あたしは、トーストされたパンを二枚と目玉焼を食べ終わった時になって、初めてノエルとシイがいないことに気が付いた。
「出かけたわよ」
「こんなに早く?」
「セイ、もう十時を過ぎているわよ」
笑いながら、ミヤはあたしに紅茶を入れてくれた。
「えぇー、もうそんなになるのぉー」
「ずいぶん、うなされていたみたいだから、よく眠れなかったんでしょう。そう思って起こさなかったのよ」
「うん、ありがとう」
あたしは紅茶を飲みながら、昨日の話を思い出す。気分が重くなる。あたしは、思いっきり髪の毛を引っかき回した。
キッチンから、片付けを終えて出てきたミヤは、あたしのクシャクシャになった髪を見て、驚いたように立ち尽くしている。
「どうしたの? 何かあったの?」
「何でもない! いいの。気にしないで。あっ、人の気持ち勝手に読まないでよ!」
あたしは立ち上がると、急いで服を着替えた。いつものジーンズのジャンバーにGパン。仕事として貨物船に乗る時やチャップマンの店で働く以外は大抵この格好だ。街の中では浮かずにすみ、動きやすくて気楽だからだ。無理して大人の自分を作ることもない。
「ごめん、ちょっと出てくる」
あたしは何か言いたげなミヤを残し、部屋を飛び出した。ここにいたら、息が詰まりそうで、自分を追い込みそうで怖かった。
昼の街の明るさは、今のあたしにはまぶし過ぎる。何の屈託もなく、通り過ぎる人々。皆、あたしよりも幸せそうだ。
時々思う、あたしはなぜ、宇宙海賊の娘なんかに生まれたんだろうと。普通の暮しがしたかった。普通の娘になりたかった。なのに、あたしはいつもそれと程遠い生活を送る。
目の前を通り過ぎる娘たちの様に、可愛い服に身を包んで、同年代の友達と笑い転げながら街を歩いてみたかった。薔薇色に頬を染めて、恋人と腕を組んで歩いてみたかった。
ショーウィンドウに写る自分の姿。水色のTシャツの上にはおったジーンズのジャンバー。着古したGパンにスニーカー。収りの悪い赤い髪を補うように巻いたバンダナ。どこから見ても女の子らしくない。
そういえば、ノエルも最初は間違えた。親父が死んだ後、あたしを保護してパトロール船まで連れていく途中、黙ってついてきたあたしに、
「泣かないのか?」
頭を撫でながらそう聞いた。あたしは唇をかんでうなずいた。泣けば、ノエルが哀しい目をする。親父が死んだのはこいつだけのせいじゃない。あたしも悪いんだ。あたしが泣けば、こいつ一人に責任を被せるような気がして泣けなかった。子供ながらにずいぶんとあの時は矜持が高かったと思う。それに、親父があんなに呆気なく死んだことが信じられないでいた。泣いたら、親父の死を認めるようで恐かった。
「そうか、男の子だな」
偉いぞとでも言うように、ノエルはあたしの頭をまた撫でた。あたしはムッとして、ノエルを蹴飛ばした。確かにその時のあたしは、白い木綿のシャツにジーンズの半ズボンを着ていたけど、男じゃない。
「あたしは女だ!」
あたしはブスッとした顔をノエルに向けた。その時のノエルのキョトンとした顔が、情けなく見えた。もともと情けない頼りなげな印象の黒髪の男は驚愕したように立ち尽くした。
「女の子? 本当に?」
かがんであたしの顔をまじまじと見たノエル。あの間が抜けた顔を見たら、腹が立つことも忘れて目の前の男に一矢報いた気がして口角をあげた。
あたしは気づくと、チャップマンの店の前に立っていた。勢いに任せて出て来たのに、あたしは中に入ることを躊躇っている。聞きたいことは山ほどある。何度も躊躇った後、思いきって、ドアを開けた。
「セイ、どうしたんだい」
チャップマンは思い詰めたあたしの顔を見て、椅子に座るように促した。あたしはチャップマンと向い合うように椅子に腰掛けた。
「昨日の宇宙警察官に聞いたのか?」
あたしは黙ってうなずいた。チャップマンは、ため息をつくと、あたしの前に酒の入ったコップを置いた。
「セイは、この方がいいだろう」
あたしは、一気に飲み干した。そんなあたしをチャップマンは、目を細めて見ている。
「ジェニーは、俺の妹だった。セイ、お前はジェニーによく似ている」
あたしは穴が開くくらいに食い入るようにチャップマンを見つめた。あたしのコップに新しい酒を注ぎながら、チャップマンはあたしにうなずいた。今、あたしは気が付いた。チャップマンはあたしを待っていたのだ。あたしに話をするために。
「俺とジェニーもお前と同じに早くに両親を亡くしてな、ホームで育ったんだ。ジェニーは俺と違って、子供の時から優秀だった。そのお陰でシャムシール大学を飛び級で出て、ある製薬会社の研究所に勤めていた。俺は、十五の時からホームを飛び出したせいで、その頃、ジェニーがどんな暮しをしていたのかはよくわからない。だが、ジェニーが宇宙海賊をしていた俺たちに助けを求めてきた時、あいつはひどくやつれていたよ」
懐かしそうな目をしてチャップマンは、遠くを見ている。懐かしそうな顔には切なさも浮かんでいる。あたしはまた、酒をあおるように一気に飲干した。チャップマンが始めた母親の話に、あたしは戸惑いを感じている。なんであたしの母親の話になるのだろうか?
「その後、しばらく一緒に暮すうち、ジェニーはユーリーを気に入り、結婚してお前が生まれたんだ」
「………?」
「なのに、ジェニーの奴、あっけなく死んじまいやがって………」
チャップマンの話をあたしはおとなしく聞いている。あたしはカウンターの上に置いた手で空のコップを握り締めた。昨日からの混乱にさらに輪をかけた感じがした。
「ジェニーは俺とユーリーにくれぐれもお前を頼むと言い残して………」
チャップマンはその時を思い出すのか、少し鼻をすすった。母親の死んだ時の話を聞かされても、あたしはピンと来ない。どこか他人事の様な気がしている。自分でもこんな醒めた気持ちを持て余していた。
「俺はユーリーが死んでから、海賊家業に嫌気がさして、足を洗ったんだ。セイが宇宙警察官に保護されて、ホームに入ったことも知っていた。会いに行きたくても、お前には、四六時中、あの宇宙警察官がついていたから行けなかった」
チャップマンはあたしに寂しそうに笑いかけた。あたしは能面の様に顔を強ばらせて、表情を崩せなかった。
「そんな時、ジェニーを探している連中の噂を聞いてな。ずいぶん心配したよ。ところが、お前はここに現れた。俺はジェニーの引合せだと感謝した」
「………」
「セイのいたホームの保母が殺された時、俺は奴らが今度はお前を探していることを知った。ジェニーが何をしたのか俺にはわからない。ただ、ジェニーがいたところだけは調べておいた」
急に思い出したように、チャップマンは、あたしを見ると楽しそうに笑った。あたしは不審そうな目をチャップマンを向けた。
「昨日の宇宙警察官、確かノエルとか言う名前だったな。あの男の世間話は楽しかったよ。俺にもピンと来た。おまえがあのお姉ちゃんと宇宙警察官になったとな。そして、あいつは俺にお前を守り抜くと誓ってた。ユーリーを殺した奴だが、あいつは確かにいい奴だ。安心してお前を任せられるよ」
あたしは、何も言わなかった。あたしは自分の感情が消えていくのだけを感じている。あたしのことなのに、あたしには何の感情もわかない。あたしは握り締めたコップをやっと手離した。コップが小さな音をたてた。
「セイ、もうここには来るな。俺に何かあってもな」
別れる間際に、チャップマンはあたしにそう言った。チャップマンは、あたしを最後に強く抱きしめてくれた。あたしに出来たことは、ただうなずくことだけだった。でもとあたしは思う。まだ何かが足りない。頭の中に広げたジグソーパズルはやっと枠が整ったばかり。まだまだ繋がるピースが揃わない。
店を出ると妙に世界が明る過ぎて、あたしはまぶしげに手を翳した。これで、一つのことはわかった。
あたしを狙っている奴らは、あたしが宇宙海賊シャークのボスの娘だからでなく、あたしがジェニーの娘だからだ。
あたしは母親とはいえ、ジェニーという女を知らない。誰もあたしにジェニーについて、話してくれなかったからだ。あたし自身回りが男ばかりの中で育って、母親というものの存在を忘れていた。
親父もただ一度だけ、あたしに言っただけだ。ジェニーの形見というルビーのペンダントとイヤリングは、あたしが必要になるまでノエルに預けてある。本当は惑星同盟パトロールに没収されるところを、母親の形見ということでノエルが取り戻してくれたのだ。
チャップマンでさえ、実の妹なのに詳しくは知らないと言うジェニー。
あたしは、ジェニーの影に怯えている自分に気付いた。十六年前にあたしを産んだ母親。あたしは顔さえ知らないし、覚えてもいない。なぜ、今頃ジェニー何だろうか?麻薬事件とジェニーがどうかかわるのだろうか?そして、なぜ、あたしを探しているのだろうか?どこにもつなげることができないピースをもって悩む自分がいる。その答えはまだ誰も教えてくれない。
「俺はダグラスだ。わかっているな」
金色の髪が夜の街の中で怪しそうになびいている。あたしはまた吹き出してしまう。どう考えても似合わない。
「ごめん。ダ・グ・ラ・ス」
あたしは不意にノエルの頬にキスをした。ノエルが設定したのは夫婦なのだから、このくらいの茶目っ気は許してもらえるだろう。
「セイ?」
戸惑っているノエルがおかしくて、あたしはケラケラ笑ってしまう。ひとしきり笑った後で、急に真顔になって訊ねた。
「ねえ、シイやミヤも入れるの?」
「成り行きだ」
ぶっきらぼうな声でノエルは言った。それ以上は聞くなということなのだろう。
「そう………」
あたしたちがアパートに戻った時には、シイもミヤもまだ帰っていなかった。あたしはノエルにお茶を入れると、ベッドに腰掛けた。この部屋の中で唯一、座り心地の良いところだからだ。
あたしはノエルにチャップマンの本当のことを話せないでいた。それを話すには、親父のことに触れなければならない。あたしはノエルの哀しい顔を見たくない。ノエルの家を出てから、途方に暮れたあたしを親切に面倒見てくれた人と言うのが精一杯だった。チャップマンもあたしの気持ちを気遣って話を合せてくれた。チャップマン自身、自分やあたしの親父が宇宙海賊だったなどと初対面の男に話すほど、お人好しでない。店では誰もあたしが宇宙海賊シャークのボスの娘だと知る人はいない。ただ、二人の間になぜか剣呑な空気の流れを感じたのは、あたしの考えすぎだったのかもしれない。どこか茶番じみたそんな気がしたのも。
「良かったな。お前のそばにああいう頼りになる人がいてくれて本当に良かった」
ノエルはお茶を飲みながら、真顔であたしにそう言った。ノエルはテーブルの向こうから、あたしを優しげな視線で見つめている。優し気なその視線が肌にチクチクと突き刺さる気がして、あたしは俯きがちになる。
「ノエル………」
「この五年間、お前がどうしているか、そればかり考えていた。俺がお前のことを捕まえなければならない羽目になることだけはごめんだった」
ノエルの黒い瞳に見つめられると、自分でもどうしてよいのかわからないくらい、胸がドキドキしてくる。ノエルにもあたしにも隠し事がある。それを互いにさらけ出せない。五年の月日は長すぎたのだとそう思う。
「俺にとって、セイはいつも、初めて会った時のままの保護者の必要な九才の子供だった。それが、いつのまにか俺の手を離れて、独り立ちしている………」
ノエルはあたしの隣に腰をおろす。二人の重みに耐えかねるようにベッドが軋む。
「セイにはきちんと話しておこう」
気が付くとノエルの視線は、あたしを見ていない。まるで、あたしを見るのを避けるよう足元を見つめている。言い澱む様にノエルの声のトーンが低くなる。
「シイの父親がこの麻薬事件に絡んで、殺されたのは知っているね」
「ミヤに聞いた」
「その事件のことは?」
「聞いてないわ」
「そうか」
ノエルはあたしを見つめ、辛そうな顔をしてまた俯いた。ノエルの顔に金色の髪が掛かる。それをかき上げようともしない。それがどこか痛ましげに見える。何を話そうとしているのか?あたしは黙って受け入れようとして、姿勢を正した。
「五年前、シティシャムシール郊外の公園で、変死体が発見された。外傷はなく、最初はただの麻薬中毒と思われた。だが、違っていた。その死体は、一週間前に行方不明になっていたホームの保母だった」
「………」
その言葉にあたしは青ざめていた。マリママのことが即座に浮び上がってきたからだ。
「そのホームには、保母が居なくなる前に問い合せが有ったらしい、『十一才になる赤毛の娘はいないか』と。だが、その娘は養女に出た先を飛び出し行方不明になっていた。その娘を担当していた保母がその電話の主に呼出され、それっきり戻らなかった」
「あたしのせい?………マリママが死んだのはあたしのせい?」
あたしはすがるような目で、ノエルを見た。ノエルは苦しそうな顔をして顔を上げる。その顔は悩んでいるようにも見える。あたしの漠然とした不安は的中した。あたしがマリママを殺したのかもしれない。あたしは一気に崖下まで突き落とされた気分を味わっていた。
「セイ、お前の気持ちもわかる。だが、セイ自身にも関わることだ。よく聞いて欲しい。俺はこのことをいつお前に話せばよいのか迷っていた。話さずに済むならとな………」
あたしの両腕を痛いくらいに掴んで、ノエルは厳しい目をした。真剣なノエルの顔にあたしはたじろいだ。こんなノエルを見るのは初めてだった。あたしは涙を拭い、ノエルにうなずいた。
「マリはセイが出て行ってから、俺に婚約を破棄してくれと言った。小惑星基地に行く前の日だった。『あなたは、偽善者だわ。』それが俺の聞いたマリの最後の言葉だ」
ノエルはあたしの手を離すとまた、俯いた。ノエルの髪が乱れ、無造作にそれをかき上げる。覗いた横顔が痛々しかった。二人が結婚しなかったのもあたしのせいだ。あたしがいたから、あたしのせいで親父もマリママも死んだ。あたしが皆を不幸にしている。あたしは背中が冷え冷えとしてきた。夏の蒸暑い気候なのにあたしは寒くてたまらなくなった。
「シイの父親から、連絡があったのは、マリが死んでから一週間後だった。マリの死はショックだった。あんないい奴が、何でそんな殺され方をしなくちゃならないんだ」
ノエルは悲しみを押さえるように拳を握り締める。あたしの胸は、張り裂けそうになる。
-ノエルハマダ、マリママガスキ………
あたしの存在はノエルを悲しませるだけ。あたしがいなければ、ノエルは親父を撃つ事も無かった。あたしがいなければ、ノエルとマリママは幸福な結婚をして、マリママが殺される事も無かった。あたしの心の中は空洞になったみたいで隙間風が吹き荒れている。ノエルの言葉が遥か遠くから聞こえてくるみたい。こんなに近くにいるのに、離れていた五年間よりももっと遠くに感じられた。
「新しいタイプの麻薬が出回っているということは、惑星同盟パトロールでも問題になっていた。その時はまだ地球だけだったが、直に外へ出てくる。それを危惧していた」
「………」
「マリの死はその麻薬の多量使用によるショック死だった。シイの父親はセイのことを探していた。俺自身お前のことを探していた。だが、見つけることは出来なかった」
あたしは、ノエルが麻薬の話をした時の哀しい瞳を思い出していた。
「ごめん。ノエル、ごめん。あたしが、あたしが………」
声にならなかった。涙が滝の様にあふれてきた。泣いたって死んだ人は戻らない。わかっているのに、あたしには泣く事しか出来ない。あたしがいなければ、誰も不幸になる事なんか無かった。あたしは何のために生きてきたのだろうか?ささやかな幸福を望むのは間違っていたのだろうか?
泣いても何の問題の解決にならない。それでも涙はこぼれる。泣くまいと思えば思うほど、涙がこぼれる。あたしはいつの間にこんなに弱くなったのだろうか?泣くものかってずっと思ってきたのに。ノエルと再会してから、なぜか涙が止まらない。こんなに弱い自分が嫌なのに。本当に泣くなんて弱さを見せつけているだけだ。ノエルが絡むとあたしの心は途端に弱くなる。それが嫌だった。
嘘泣きは女の武器だと教えてもらったことがある。だから、滅多なことでは泣くなと言われた。泣く女は安っぽく見られるのだ。いつも、微笑みを顔に張り付けて、涙は最後の武器にとっておく。それでも、本気で泣くなと、嘘泣きでごまかせと相手を手の上で転がせるくらいにならなければ、一人前の女とは言えないとチャップマンの店の近所のお姉さんから笑って教えてもらった。今にして思うとどうしてもあれは悪女教育の一貫のような気もする。
「セイ、自分を責めるなよ。お前が悪い事は何もないんだ。むしろ、責められるのは俺の方だ」
「ノエル………」
ノエルはあたしを抱き寄せた。子供の時みたいにあたしの頭を優しくなでてくれる。こうした一つ一つの仕草が今のあたしにはうれしくて辛い。ノエルの優しさがあたしを弱くする。どうしてノエルの前ではうまくいかないのだろうか?
「俺は確かにマリの言う通り偽善者だった。俺はお前の事ばかり考えていた。お前の幸福だけを考えていた。その為にマリと結婚しようとしたんだ。セイ、責められるのはお前でなく、俺の方なんだ」
「そんなこと無いよ。そんなこと無い」
あたしは何度も頭を振った。ノエルは悪くない。
「セイ、これだけは言っておく。お前がマリの事で自分を責めたりしたら、却ってマリは悲しむ。俺たちの仕事はそんなことはこれから幾らでもあるんだ。冷たい言い方だが、一々気にしていたら身が保たなくなる。死んだ奴らに詫びるのは、自分が死んだ時でいい」
「ノエル?」
あたしは吐き捨てるように言ったノエルの言葉が信じられなかった。ううん、ノエルがそんなきつい言葉を吐くなんて嘘みたいだ。あたしはノエルを凝視した。あたしの視線に気がついて、ノエルは無理したように軽くあたしに微笑んだ。この五年間の間に、ノエルに何があったのだろうか? 聞いてみたい気もするが、聞けなかった。ノエルの心の傷が深いからそんな言葉が出るんだと気付いたからだ。あたしよりももっと深くノエルは傷ついている。あたしは本能的にノエルをきつく抱き締めた。そうしないとノエルがどこかに行ってしまいそうな気がしたからだ。
「セイ、お前が無事で良かったよ。もう、間に合わないかと思っていた。奴らに捕まっていたらと思うと気が気でなかった」
「ノエル、ごめん」
「いや、むしろ、あの店にいたことが、却って良かったのかもな。あのチャップマンはセイの父親の相棒だった奴だ。裏の世界を知っていたからこそ、あの店でお前を匿えたのだろう」
あたしはノエルを見る。あたしの自称保護者はあたしの肩を抱いて、優しく頭を撫でる。あたしはノエルに寄り掛かる。そう、ノエルにはいつだって適わない。
「知っていたの」
「向こうも俺の事は気付いてたはずだ。自分の相棒を撃ち殺した男だからな。あの時あの場にはいなかったせいで、逮捕を免れているはずだ。その後、足を洗ったと聞いていたが、あんな所にいるとは思わなかったよ」
「嘘! あたしにはシャークの前にコンビを組んでいたと言っていたわ。それにあたしは覚えていないわ」
あたしはノエルの腕から抜け出して、ノエルに詰め寄る。ノエルはあたしを子供を見るような瞳でなだめるように笑みを浮かべた。あたしの記憶の中にチャップマンはどこにもいなかった。
「昔はもっと、痩せていたし、髪もフサフサしていたよ」
「嘘!」
あたしには信じられない。あのチャップマンの痩せた姿なんて、想像できない。
「とにかく、セイを探している奴らがいることは事実だ。そいつらが、この麻薬を流していることもな。そして、シイの父親とマリを殺したのも奴らだ。俺たちの今回の任務は、奴らを壊滅させることだ」
「………」
ノエルは黙って、あたしの肩を抱き寄せた。ノエルの瞳はまだ苦しそうにあたしを見つめている。ノエルが何かを言いたそうで言いにくそうな顔をしていることに、あたしは気付かなかった。
その時、あたしは自分自身を見失っていた。あたしと麻薬がどう結びつくのだろう? そして、なぜ、マリママやシイの父親は殺されなければならなかったのか? わからないパズルの中心に、無理やりはめこまれた気分だ。頭の中は?マークが踊っている。
「チャップマンは、もう自分ではセイを守りきれないと知っていた。だから、俺に何も言わず、セイのことを託したんだ。俺は、セイが宇宙警察官になったことを教えたよ。チャップマンは代りに、これをくれた」
ノエルは気を取り直すように笑みを浮かべて、あたしにそう言った。あたしには、いつ、ノエルがそんな話をしていたのかわからない。ノエルに渡された紙には、《アミュージュ製薬》と書かれている。
あたしには、もう何が何だかわからないでいる。幾つかの事件があり、その先は皆、あたしに繋がっている。なぜ、あたし何だろう。それを考えると気が重い。わからないことだらけだ。許容範囲を超えたことに思考が停止し、これ考えることを拒否したあたしはノエルに寄り掛かりながら、その心地よい温もりに引き込まれるようにいつしか眠りに落ちていたらしい。いろいろなことで精神ががりがりとものすごく削られたせいで疲れ果てていた。
「セイ、起きたの?」
ミヤの明るい声が頭に響く。あたしは、昨日、最悪の夢を見た。どんな夢かはっきり覚えていない。なのに、恐ろしくて逃げ回っていたことだけは記憶にある。夢にうなされるなんて、信じられない。頭がぼうっとしている。
「ノエルたちは?」
あたしはまだ、半分眠っている状態で、ミヤの用意してくれた朝食を食べ始める。あたしは、トーストされたパンを二枚と目玉焼を食べ終わった時になって、初めてノエルとシイがいないことに気が付いた。
「出かけたわよ」
「こんなに早く?」
「セイ、もう十時を過ぎているわよ」
笑いながら、ミヤはあたしに紅茶を入れてくれた。
「えぇー、もうそんなになるのぉー」
「ずいぶん、うなされていたみたいだから、よく眠れなかったんでしょう。そう思って起こさなかったのよ」
「うん、ありがとう」
あたしは紅茶を飲みながら、昨日の話を思い出す。気分が重くなる。あたしは、思いっきり髪の毛を引っかき回した。
キッチンから、片付けを終えて出てきたミヤは、あたしのクシャクシャになった髪を見て、驚いたように立ち尽くしている。
「どうしたの? 何かあったの?」
「何でもない! いいの。気にしないで。あっ、人の気持ち勝手に読まないでよ!」
あたしは立ち上がると、急いで服を着替えた。いつものジーンズのジャンバーにGパン。仕事として貨物船に乗る時やチャップマンの店で働く以外は大抵この格好だ。街の中では浮かずにすみ、動きやすくて気楽だからだ。無理して大人の自分を作ることもない。
「ごめん、ちょっと出てくる」
あたしは何か言いたげなミヤを残し、部屋を飛び出した。ここにいたら、息が詰まりそうで、自分を追い込みそうで怖かった。
昼の街の明るさは、今のあたしにはまぶし過ぎる。何の屈託もなく、通り過ぎる人々。皆、あたしよりも幸せそうだ。
時々思う、あたしはなぜ、宇宙海賊の娘なんかに生まれたんだろうと。普通の暮しがしたかった。普通の娘になりたかった。なのに、あたしはいつもそれと程遠い生活を送る。
目の前を通り過ぎる娘たちの様に、可愛い服に身を包んで、同年代の友達と笑い転げながら街を歩いてみたかった。薔薇色に頬を染めて、恋人と腕を組んで歩いてみたかった。
ショーウィンドウに写る自分の姿。水色のTシャツの上にはおったジーンズのジャンバー。着古したGパンにスニーカー。収りの悪い赤い髪を補うように巻いたバンダナ。どこから見ても女の子らしくない。
そういえば、ノエルも最初は間違えた。親父が死んだ後、あたしを保護してパトロール船まで連れていく途中、黙ってついてきたあたしに、
「泣かないのか?」
頭を撫でながらそう聞いた。あたしは唇をかんでうなずいた。泣けば、ノエルが哀しい目をする。親父が死んだのはこいつだけのせいじゃない。あたしも悪いんだ。あたしが泣けば、こいつ一人に責任を被せるような気がして泣けなかった。子供ながらにずいぶんとあの時は矜持が高かったと思う。それに、親父があんなに呆気なく死んだことが信じられないでいた。泣いたら、親父の死を認めるようで恐かった。
「そうか、男の子だな」
偉いぞとでも言うように、ノエルはあたしの頭をまた撫でた。あたしはムッとして、ノエルを蹴飛ばした。確かにその時のあたしは、白い木綿のシャツにジーンズの半ズボンを着ていたけど、男じゃない。
「あたしは女だ!」
あたしはブスッとした顔をノエルに向けた。その時のノエルのキョトンとした顔が、情けなく見えた。もともと情けない頼りなげな印象の黒髪の男は驚愕したように立ち尽くした。
「女の子? 本当に?」
かがんであたしの顔をまじまじと見たノエル。あの間が抜けた顔を見たら、腹が立つことも忘れて目の前の男に一矢報いた気がして口角をあげた。
あたしは気づくと、チャップマンの店の前に立っていた。勢いに任せて出て来たのに、あたしは中に入ることを躊躇っている。聞きたいことは山ほどある。何度も躊躇った後、思いきって、ドアを開けた。
「セイ、どうしたんだい」
チャップマンは思い詰めたあたしの顔を見て、椅子に座るように促した。あたしはチャップマンと向い合うように椅子に腰掛けた。
「昨日の宇宙警察官に聞いたのか?」
あたしは黙ってうなずいた。チャップマンは、ため息をつくと、あたしの前に酒の入ったコップを置いた。
「セイは、この方がいいだろう」
あたしは、一気に飲み干した。そんなあたしをチャップマンは、目を細めて見ている。
「ジェニーは、俺の妹だった。セイ、お前はジェニーによく似ている」
あたしは穴が開くくらいに食い入るようにチャップマンを見つめた。あたしのコップに新しい酒を注ぎながら、チャップマンはあたしにうなずいた。今、あたしは気が付いた。チャップマンはあたしを待っていたのだ。あたしに話をするために。
「俺とジェニーもお前と同じに早くに両親を亡くしてな、ホームで育ったんだ。ジェニーは俺と違って、子供の時から優秀だった。そのお陰でシャムシール大学を飛び級で出て、ある製薬会社の研究所に勤めていた。俺は、十五の時からホームを飛び出したせいで、その頃、ジェニーがどんな暮しをしていたのかはよくわからない。だが、ジェニーが宇宙海賊をしていた俺たちに助けを求めてきた時、あいつはひどくやつれていたよ」
懐かしそうな目をしてチャップマンは、遠くを見ている。懐かしそうな顔には切なさも浮かんでいる。あたしはまた、酒をあおるように一気に飲干した。チャップマンが始めた母親の話に、あたしは戸惑いを感じている。なんであたしの母親の話になるのだろうか?
「その後、しばらく一緒に暮すうち、ジェニーはユーリーを気に入り、結婚してお前が生まれたんだ」
「………?」
「なのに、ジェニーの奴、あっけなく死んじまいやがって………」
チャップマンの話をあたしはおとなしく聞いている。あたしはカウンターの上に置いた手で空のコップを握り締めた。昨日からの混乱にさらに輪をかけた感じがした。
「ジェニーは俺とユーリーにくれぐれもお前を頼むと言い残して………」
チャップマンはその時を思い出すのか、少し鼻をすすった。母親の死んだ時の話を聞かされても、あたしはピンと来ない。どこか他人事の様な気がしている。自分でもこんな醒めた気持ちを持て余していた。
「俺はユーリーが死んでから、海賊家業に嫌気がさして、足を洗ったんだ。セイが宇宙警察官に保護されて、ホームに入ったことも知っていた。会いに行きたくても、お前には、四六時中、あの宇宙警察官がついていたから行けなかった」
チャップマンはあたしに寂しそうに笑いかけた。あたしは能面の様に顔を強ばらせて、表情を崩せなかった。
「そんな時、ジェニーを探している連中の噂を聞いてな。ずいぶん心配したよ。ところが、お前はここに現れた。俺はジェニーの引合せだと感謝した」
「………」
「セイのいたホームの保母が殺された時、俺は奴らが今度はお前を探していることを知った。ジェニーが何をしたのか俺にはわからない。ただ、ジェニーがいたところだけは調べておいた」
急に思い出したように、チャップマンは、あたしを見ると楽しそうに笑った。あたしは不審そうな目をチャップマンを向けた。
「昨日の宇宙警察官、確かノエルとか言う名前だったな。あの男の世間話は楽しかったよ。俺にもピンと来た。おまえがあのお姉ちゃんと宇宙警察官になったとな。そして、あいつは俺にお前を守り抜くと誓ってた。ユーリーを殺した奴だが、あいつは確かにいい奴だ。安心してお前を任せられるよ」
あたしは、何も言わなかった。あたしは自分の感情が消えていくのだけを感じている。あたしのことなのに、あたしには何の感情もわかない。あたしは握り締めたコップをやっと手離した。コップが小さな音をたてた。
「セイ、もうここには来るな。俺に何かあってもな」
別れる間際に、チャップマンはあたしにそう言った。チャップマンは、あたしを最後に強く抱きしめてくれた。あたしに出来たことは、ただうなずくことだけだった。でもとあたしは思う。まだ何かが足りない。頭の中に広げたジグソーパズルはやっと枠が整ったばかり。まだまだ繋がるピースが揃わない。
店を出ると妙に世界が明る過ぎて、あたしはまぶしげに手を翳した。これで、一つのことはわかった。
あたしを狙っている奴らは、あたしが宇宙海賊シャークのボスの娘だからでなく、あたしがジェニーの娘だからだ。
あたしは母親とはいえ、ジェニーという女を知らない。誰もあたしにジェニーについて、話してくれなかったからだ。あたし自身回りが男ばかりの中で育って、母親というものの存在を忘れていた。
親父もただ一度だけ、あたしに言っただけだ。ジェニーの形見というルビーのペンダントとイヤリングは、あたしが必要になるまでノエルに預けてある。本当は惑星同盟パトロールに没収されるところを、母親の形見ということでノエルが取り戻してくれたのだ。
チャップマンでさえ、実の妹なのに詳しくは知らないと言うジェニー。
あたしは、ジェニーの影に怯えている自分に気付いた。十六年前にあたしを産んだ母親。あたしは顔さえ知らないし、覚えてもいない。なぜ、今頃ジェニー何だろうか?麻薬事件とジェニーがどうかかわるのだろうか?そして、なぜ、あたしを探しているのだろうか?どこにもつなげることができないピースをもって悩む自分がいる。その答えはまだ誰も教えてくれない。
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