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戦いの爪痕

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 地球ではセイファートの組んだプログラム通りに、着実に再生への道が図られた。まず、虫たちを排除するために、広範囲に超音波発生装置を設置した。それから、奇形植物を排除するためにドームを建設した。ドーム内の地表面を大幅に削り取り、地下内部の汚染されていない土との入れ替えが図られた。これでドーム内に都市を建設すれば、地球人が安心して生活できるコロニーになる。

 セイファートは久しぶりに地球に来た。月の修復が順調に進み、セイファートがついてなくてもマーフィーたちで十分に事足りるようになったからだ。ドーム内は入れ替えられた地面の地ならしが行なわれていた。都市の構図はバルジとアスールが話し合う事になっている。セイファートはその話し合いの場に呼ばれたのだ。

「バルジ、すまなかった。月での雑用が多過ぎて、なかなかここへ来られなかったんだ。何もかも君に任せ過ぎた」

「構わない。私はその為に生まれたのだ。それより、火星の方はどうする気だ?」

「まだ、何も考えていない。彼等は地球が再生されたら来ると言っていた。それが本当なのかも分からない。取り敢えず、コロニーが建設できたら、火星に調査に行くつもりだ」

「私も行こう」

「バルジ、君は連れて行かない」

「セイファート」

 バルジは困惑したようにセイファートを見つめた。彼はニヤッと笑って、バルジの頭を小突いた。

「いつの間にリーファ皇女と婚約する仲まで進んでたんだ。私には一言も言わずに」

 バルジは困ったように頭を撫でた。セイファートは親友の情けない顔にお腹を抱えて笑った。こんなに大声で笑ったのは、久しぶりだった。

「セイファート、話がある」

 セイファートがバルジと笑いながら話し合っていると、アスールがアクシオンたちと入ってきた。彼はアスールを見つめた。元々、ドーム内の都市の構図を話し合うために呼ばれたのだ。それなのに改まったように、アスールはセイファートに「話がある」と声を掛けてきた。アスールは厳格そうに、口を一文字にかみ締めている。セイファートはバルジと顔を見合せた。

「何だ?」

「俺たちは再び、コールドスリープをする事に決めた」

「何を馬鹿な事を言い出すんだ!」

 セイファートは思わず怒鳴った。アスールはジッとセイファートを見据えていた。アスールの表情は能面の様に無表情で、セイファートにはアスールの気持ちが図りかねた。後ろに控えるアクシオンたちも一様に無表情だった。

「アスール、こうして、ドームも出来た。後、数ヵ月辛抱してくれたら、君たちが安心して暮らせる都市も出来る」

「セイファート、これは市民たちとも良く話し合って決めた事だ。俺たちは早く目覚め過ぎた。そのせいで、この三十年は争ってばかりだった。幸い、お前たちが見つけた核シェルターのコールドスリープ装置が使える事が分かった」

 淡々と語り始めた言葉をとぎると、アスールはバルジに視線を向けた。

「俺は父さんの代りに皆を導いていく。だから、俺たちが今度目覚めるまでにこの地球を元の蒼い星に戻してくれ。俺たちの子供には俺たちの様な思いをさせたくない」

「アスール、わかった」

 バルジは鷹揚にうなずきながら、そう答えた。セイファートは不審そうにアスールとバルジの顔を見比べた。二人の間に言葉にならない会話があるように思えた。目の前の光景に胸が痛み、本来ならその役目は自分だったのだと後悔した。

「バルジ?」

「セイファート、君には黙っていたが、私はこの前オリジナルの記憶を引継いだ。彼等が目覚めてからの記憶だ。この事はフレアも知っている。アスール、君は彼女から聞いたのだろう」

 事もなげにバルジは答えた。アスールも表情を崩さずに真顔でうなずいた。セイファートは足元に視線を移した。自分だけが排除された、そんな思いに囚われた。

「俺たちはお前たちの足でまといだ。火星の奴等が何を企んでいるのか、俺たちは知らない。だが、月を狙っている事は見当が付く。そうした大事な時に、お前たちは俺たちの都市建設をしている。そのエネルギーを自分たちを守る事に使わせたい」

「アスール、余計な事は考えなくていい。私たちは足でまといなんて思ってない」

「お前たちが思ってなくても、俺たちは思っている。俺たちがここに来る前に、他の市民たちはコールドスリープに入った」

「何故、勝手な真似をする!」

「俺たちが皆で決めた事だ。俺たちは二千年前の予定通りにあと三千年眠る」

 セイファートは拳を握り締めると、アスールの頬を殴りつけていた。怒りとも悲しみともいえない感情が身体中を駆け抜けて、彼を苦しめた。息苦しくて、全身を震わせて喘ぐように息を切らした。アスールは口の中を切ったらしく、頻りに口を拭っていた。

「セイファート、落ち着け」

 バルジがセイファートの肩に手を掛けた。その温もりを彼は払い除けた。

「アルタを呼んでくる。アスール、確かに私もアルタも君の両親のコピーでしかない。だが、感情はあるんだ。折角会えた君が、勝手にコールドスリープに入ったと分かればアルタが嘆く。私はそんなアルタを見たくない」

 セイファートは苛立ったようにそう言うと、部屋を飛び出した。隣の部屋で控えていたカノープスが、慌だたしくに後から駆けてきた。

「セイファート様、お待ち下さい」

 カノープスの声が耳には入らないかのように、セイファートは歩調を速めた。自分で感情を持て余している。もし、自分がアゥスツールスでなければ、アスールたちがコールドスリープを持ちかけた時に、快く受け入れていたかも知れない。今の状態で、地球人たちの存在は重過ぎた。反対に、セイファートの方から昔の様にコールドスリープに入るようにと再度要請していただろう。理性と感情は相容れないものだとつくづく思い知らされた。

 アルタを口実にしたのは、あの部屋から逃げ出したかったからだ。為政者と父親の感情の間で耐え切れなくなっていた。シャトルに乗り込む直前で、セイファートは足を止めた。

「カノープス、私は人の上には立てないな。感情に左右される人間には、人を導く事など出来ない」

 セイファートの声が震えていた。カノープスは声を掛けられなかった。何を言っても言葉が空を切るだけで、セイファートの心に届かないと判断したからだ。セイファート自身、カノープスの答えを期待してないように、シャトルに乗り込むと椅子に深々と身を沈めた。すぐに目を閉じると、硬直したように身動ぎ一つしなかった。

 神の塔にはバルジから連絡が入っているらしく、既にアルタが待っていた。アルタの顔は心なしか青ざめていた。セイファートもアルタも互いに掛ける言葉を失っていた。シャトルはアルタを乗せると、地球へととんぼ帰りをした。

 アルタは言葉も無く、アスールの腕の中に飛び込んだ。アクシオンたちは核シェルターに引き上げたらしい。部屋にはバルジとアスールしかいなかった。

「バルジ、外へ行こう」

 セイファートはバルジと部屋を出た。アルタはアスールの胸に顔をつけて、しゃくり上げている。アスールは大事そうにアルタを抱きしめていた。

「バルジ、彼等の申し出を私たちは、喜んで受けるべきだと言う事は分かっている。すまない。・・・私は為政者として失格だ。私にはアゥスツールスとなる資格はない」

「そう言うな。お前はオリジナルにそっくりだよ。セイファート、為政者にも感情は必要だ。その感情を良い方向に向けられる人間こそが人の上に立つに相応しいんじゃないのか?私はそう思っている」

 セイファートは窓から外を見つめた。工事はまだ続けられている。

「中止を告げないのか?」

「中途半端には出来ない。ある程度の区切りをつけて、一両日中には引き上げる」

「バルジ、私は地球の空を金青竜で飛んでみたい」

 セイファートの緑の目は、遥か彼方を見渡すかの様に、見えないはずのドームの外を見つめていた。唇の端に自嘲するように笑みを浮かばせた。

「おかしいだろう。他の天体を地球化するテラフォーミングを地球に施す事になるとはな。私は地球人はそこまで愚かだとは考えてなかった。・・・火星の奴等が何を考えているのか、私は話し合いに出掛けるつもりだ。元は同じ地球人なんだ。違う進化を遂げたとしても、彼等と私たちとの違いはないはずだ」

「セイファート、少し無謀過ぎないか?」

「だから、君を連れて行かない。私に何かあったら、君が月の住人を守ってくれ。君なら、地球のテラフォーミングも出来る」

「ふざけるな!」

 セイファートにアスールが飛び掛かってきた。わざと殴られて、彼は床に転がった。

「止めて、アスール!」

 いつのまに部屋から出てきていたのか、アルタが悲鳴に近い声を揚げた。隣の部屋からもカノープスとバリオンが飛び出してきた。

「また、母さんを泣かせる気か! 俺なんかよりも、母さんにはあんたが必要だった。俺を育てるために、母さんが一人でどんなに苦労したのか知っているのか? あんたは救世主気取りで、月に残ったのかもしれないが、母さんも俺も救世主となった父親なんかよりも、いつもそばにいてくれる父親が欲しかったんだ。バカヤロウ!」

 アルタがアスールにしがみついた。

「もう、止めて! アスール、セイファートだって、苦しんだんだ。あたしはセイファートが苦しんでいるのを知っていた。バルジから教えて貰った。セイファートは自分の身体をサイバーノイドに変えてまで、あたしとアスールの為に地球を再生したかったんだ。だから、あたしは決めた。今度は何があっても、セイファートのそばにいるんだって」

 セイファートの頭の中に直接声が響いてきた。子供っぽいその声に、覚えがあった。

《つまらないな。折角面白くなると思ったのに、地球人がコールドスリープに入ったら、月の国力を落とせない。同じ二千年の月日を越えたのに、僕たちよりも強い能力を持って進化した君たちにはもっと、国力を落として貰いたかったんだけどね。》

-どう言う事だ。君たちは地球が再生されたら、来るはずじゃなかったのか?

《セイファート、君たちの能力を僕たちは欲しい。そうすれば、太陽系は僕たち火星人の物になる。かつて、地球人が全太陽系に君臨したように、僕たち火星人が太陽系の覇者になるんだ。そしたら、楽しいだろうな。》

-火星人?

《当然だろう。君たちが月世界人なら、僕たちは火星人だ。二つの勢力が手を組めば、無敵になれる。いい話じゃないか?》

「断る!」

 セイファートはこみ上げてくる怒りで一杯になった。腹だだしく声を吐き出した。子供っぽい声は、無邪気な笑い声を揚げた。

《そう言うと思った。いいよ。ただし、僕たちを甘く見ないでくれよ。》

 声は唐突に始まって、唐突にとぎれた。セイファートは目を閉じた。自分の中のアビリティが高まっていく。アルタといたせいで、自分のアビリティが前よりも強くなっている。

「セイファート?」

 セイファートはフワンと浮き上がった。身体が軽かった。自分だけで、精神体になれるとは思ってもみなかった。床に彼の本体が転がっていた。アルタたちが慌てて彼に駆け寄り揺さぶる姿が見える。それは不思議な光景だった。

「ヘエ、君の特殊能力は進化するんだな」

 ダークブラウンの髪が目についた。子供?男の精神体が二重にぶれて見えた。

「お前たちの目的は何だ?」

「目的? そんな事は別に考えてないよ。僕たちはずっと火星で退屈してたんだ。この三十年はスリリングだった。これからもっと面白くしようと思ってたんだけどね。まあ、いいか。君たちだけでも十分に楽しめる」

「どう言う意味だ」

 男はフフフと笑うと、ついて来いとでも言いたげに宙を飛んだ。セイファートは後を追いかけた。

 目の前に月が見えた。セイファートの顔色が変わった。バリアが消えていたからだ。男の無邪気な笑い声が、セイファートには耳障りだった。

「何をした?」

 セイファートは男を捕まえた。精神体同志なので、捕まえたと言うよりも、精神が触れ合ったと言うべきだろう。男は苦痛に顔を歪ませた。セイファートの強力なアビリティに触れて、自己の意識が崩壊し掛かっていた。男は夢中でセイファートから逃れた。顔色が青ざめていた。

「月を滅ぼす。君たちは僕たちの敵だ」

「勝手に決めるな。私たちは平和に暮らす事を望んでいる。君たちが何もしなければ、私たちも何もしない」

 男の顔が苦痛で歪んでいる。

「君たちの存在自が僕たちの邪魔になる」

 男の声と同時に各皇国から火の手が上がった。突然に火を吹き出したと言う感じだ。我を忘れて、セイファートは月に飛んだ。レガゥールス皇国の皇都が火に包まれていた。何人かの男たちの目が光っていた。

「止めろ!」

 セイファートは全身の力を込めて、叫んだ。セイファートの精神体から、あふれでた光がパァーンと弾け飛んだ。その光は月全体を包み込み、月に入り込んだ邪悪な精神体たちを全部消滅させた。

 小さな子供たちの悲鳴が聞こえたようだ。

《セイファート、君は僕たちの敵だ。覚えておけ。僕の名はダークマターだ。ぼくは絶対にお前を許さない》

 セイファートの意識の最後に、怒りを露にした男の声が響いてきた。
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