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彼の事情

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「セイファート様!」

 カノープスの大声と共にガシャーンとコップの割れる音が響いた。その音で二人は我に返った。二人を包んでいた光は急速に消え、身体は床に着地した。セイファートは慌てたように腕の中のアルタを離した。彼女は怯えたように後ずさると、くるっと後ろを振り向いて、カノープスの脇を擦り抜けるように部屋から無我夢中で飛び出して行ったらしい。腕の中のアルタの感触が消えたとたんに、彼は疲れたようにベッドに腰掛けると、頭を抱え込んだ。

-何が起きたのか?

 見えない力に操られていた。もし、あのままだったら、セイファートは間違いなくアルタを自分の物にしていただろう。自分の意思でなく見えざる者に導かれるように・・・



「愛してるわ」

 彼女はそう言った。白いドレスを身にまとい、こぼれんばかりの笑みを浮かべて寄り添う彼女を彼は両手いっぱいに抱きしめた。幸福だった。これ以上の幸福はないと言わんばかりに彼は腕の中の彼女をぎゅっと抱きしめ、もう二度と離したくはないと誓った。そうもう二度と離したくはなかったのに・・・



 セイファートははっとして顔を上げた。アルタを買ったのも、その見えない者の意思が働いたせいではないか?

-アゥスツールス

 セイファートは何度その名をいまいましそうに呟いた事か。生まれてから、彼は創造神アゥスツールスの意のままに、生かされてきたような気がしてならない。

-アルクティーラオス皇国に行って、神に会う時が来たのだ。

 バルジの言葉が不意に蘇った。

「セイファート様」

 カノープスが気後れしたようにドアのそばに立ち尽くしていたが、やっと声を出してきた。セイファートは自分を心配そうに見つめる彼の護衛に目をやった。

「今のは一体・・・」

「カノープス、マーフィーを呼んで来てくれるか?」

「・・・・わかりました」

 カノープスが即答を避けたのは、意味があっての事ではない。たぶん、彼自身が混乱していたせいだ。すぐに飛び出す訳には行かなかった。割れたコップの後始末をしてから、主の意思を果たすために彼は急いで部屋を出た。

 一人になると、セイファートはベッドに寝転んだ。考えなければならない事が多過ぎるが、頭痛はまだ続いている。その痛みよりも胸の狂おしいような思いに彼は顔を歪めた。それにしても、アルタの額に浮かんだ紋章は何だったのだろう? 

 彼が知っている各皇国にはそれぞれに紋章がある。ケンタォローゼ皇国には玄武、シリリュース皇国には白虎、アルクティーラオス皇国には朱雀、そして、レガゥールス皇国には青龍。その四つの紋章のどれでもなかった。

 マーフィーの帰宅は思ったよりも早かった。セイファートは起き上がると、部屋に入ってきた二人をぼんやりと見つめた。

「道の途中で会いました」

 カノープスが慌てて説明をした。彼が初めてみる傷ついたような顔をする主の顔を見かねたからだ。

「アルクティーラオス皇国に向かう」

 セイファートの言葉をマーフィーはまるで予期していたようにうなづいたのだった。

「出会いが早過ぎた。二人のオーラが天空を貫いたのだ」

 マーフィーはそう言うと悲しそうに目を伏せた。普段は無表情な彼にしては珍しい。不意にセイファートは不安を覚え、そっと彼の名を問いかけた。

「マーフィー?」

「アルタを見てくる。今頃は怯えているだろう。アルタはまだ子供なのだ」

 ああとセイファートは唇をかみ締めた。彼は自分の感情を持て余し、アルタのことにまで思いが回らなかったのに気づいた。彼の戸惑いはもっと幼い彼女に何をもたらしたのかさえ分からずにいる。マーフィーが出て行くと、カノープスが自分の主におずおずと近寄った。

「出発はいつに致しますか?」

「明日にする。今日は疲れた。カノープス、一人にしておいてくれ。誰も今日は部屋に近付かせないで欲しい」

「ですが、今日は朝から何も召し上がってません」

「何もいらない。心配しなくてもいい。明日にはキチンと食事を取る」

「セイファート様、私には何が起きたのか理解できませんが、自分を責める事ではありません」

 セイファートは顔を上げて、カノープスを見つめた。彼がレガゥールス皇国に戻った時に、カノープスは見習騎士を終えたばかりだった。そのまま皇子付きの護衛官として任命され、この四年間ずっと一緒にいる。彼にはそそっかしいところもあるし、変に涙もろいところもある。護衛官になるだけの腕前も持っている。どちらかと言えば、カノープスの人選はセイファートの友達になれる者を選んだのかもしれないと思ったりもした。彼の存在はいつも重荷に押しつぶされそうな自分を浮上させてくれるありがたい存在でもある。

「責めているのではないんだ。自分が情けなくなるんだ。アゥスツールス神は私に何を求めているのか? 子供の頃からずっと考えていた。こうして旅に出たのは、その答えを探したかった事もある。自分が特別な子供だとは思いたくなかったせいもある」

「セイファート様」

「アルタとの出会いが神に仕組まれた事なら、私の全ては神の意思によって動かされているのかもしれない。私は自分の意思で動く事が出来ない神の操り人形なのだ」

 胸の奥に沈んでいた苦い思いが一気に吹き出してきたようだった。顔をゆがめたままセイファートはベッドにドサッと寝転んだ。カノープスを困らせるだけだと分かっているのに、言わずにはいられなかった。彼は頭を抱えると横を向いた。子供じみた行為なのはわかっている。それでも、そうせずにいられない。

「セイファート様は間違っています」

 彼の護衛艦にしては珍しく静かな声だった。思わず彼は顔を上げた。カノープスがひざまづいて彼を見つめていた。その顔は非難する様に険しかった。彼はカノープスのそんな顔は初めて見たと思う。

「セイファート様が神の意思で動く操り人形と言うのなら、リィバード大陸全ての人間が神の操り人形になります。セイファート様は考え過ぎです。神にも分からない事はあるはずです」

「カノープス」

「申し訳ありません。言い過ぎました」

 カノープスは深くお辞儀をすると、慇懃な態度のまま部屋を出て行った。部屋に一人残されたセイファートは所在なげにまたベッドに寝転んだ。カノープスの言葉は彼には考えつかない事だった。不意に笑いが込み上げてきた。自分は何てバカバカしい事を気にし過ぎていたのだろうか? セイファートは頭の後ろで手を当てると、寝転んだまま足を組んだ。そう、考えても答えは今は出ない。

-アルタはどうしているのだろうか?

 心が冷静になると、怯えた目をしていたアルタの姿が浮かんできた。マーフィーに任せたまま、自分の事が手一杯で、アルタの事まで考えられなかった。勝手にバードたちから離して、どれほど心細い思いをしていたのか。そこまで思いやる余裕等これまでのセイファートにはなかった。彼女はどこから来て、どう生きてきたのか。急に彼女の素性が気になり始めた。

-アルタの事を調べる必要がある。

 心が決まるとセイファートは動き出した。部屋の周囲には誰もいなかった。今から急げば、レガゥールス皇国の皇都フィオレーンに入る前にバードたちを捕まえられる。そう思うと、このまま無意味に寝転んでいるのが惜しくなった。

 一人で勝手に行動する事は気が引けるが、どうしてもアルタについて知りたかったというのもある。彼女のことをもっと知らなければ、自分の中で持て余す気持ちが何なのかわからない。

 街外れで竜笛を吹くと金青竜が飛んできた。セイファートの騎竜カペラだ。セイファートは手慣れたようにカペラに乗ると、レガゥールス皇国へと向かった。

 レガゥールス皇国の東には海が広がっている。その対岸にはシリリュース皇国がある。この世界はリィバード大陸と海以外には何も無い小さな星だった。空には赤い大きな月が浮かんでいる。昔神々が住んでいたと言われる月は、南の空を覆い隠すように浮かんでいる。カペラはその月に向かって飛んでいく。
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