ぼくとあいつ

安野穏

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バトル大会

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「お嬢様には困ったもんだ。後で泣きをみても知らないからね」

 キャシーは呆れ果てた顔で、ぼくの脇から立ち上がった。

「時間だからね。あたしはここから出るよ。まあ、せいぜいがんばることだね」

 キャシーはバトル大会会場になっている白兵戦技練習場から、ギャラリー席へと移動した。一人ポツンと残されたぼくは、皆の視線を感じて、手にした練習用の電気ナイフをギュッと握り締めた。

 バトル大会の勝敗のルールは、トレーニングファイトで相手に切りつけられた電気ナイフのダメージによる。本人は軽い電気ショックに見舞われるだけで、たいしてダメージを受けないが、各自のバトルスーツに取り付けられたセンサーが感応し、切りつけられた場所や状態に応じて、相当するダメージを中央の掲示板に番号別に表示する。ダメージが七十以上になったら、赤ランプが点灯して、リタイアとなるのだ。ぼくは百七十五番だ。

 合図と共にたいていの者は、まず手近なところから片付けて行く。ぼくもそうだ。皆は小柄のぼくを与しやすいと考えたのか、当初集中的にマークされた。ぼくには事情があって、白兵戦技を六才の頃から仕込まれていた。そう簡単に身体には触れさせない。人間の急所は数十箇所もある。ヒジ打ち法はもちろん、飛び蹴りや膝蹴りなどで、的確に急所だけを狙った。体格の違いから、抱え込まれたらおしまいだ。ぼくは急所を責めながら反撃にはサッとかわすという身軽な対応をして、相手の後ろに回り込んでは相手のノドを掻き切るといった戦法を繰り返している。

 このバトル大会のルールでは、複数で個人を攻めることは禁じられている。ぼくが誰かを相手にしている以上、他の男たちには手だしができない。どうやら、ぼくが一筋縄ではいかないらしいということがわかってきたらしく、男たちはぼくを押さえ込もうと躍起になった。後ろだけは取られたくないぼくは、常に壁際を背にしていた。羽交い締めにでもされたら、それこそ身の破滅だ。次第に数が減っていって、ぼくの目の前に司令がいた。

「なかなかやるな」

 ぼくは一気に攻撃に出た。司令はぼくの攻撃をサッとかわした。素早い動きだ。今までの男たちとは違う。ぼくは基本に忠実になった。ガードポジションに戻り、相手の隙を伺った。司令が右に出ればぼくは左に引く。木が風の意のままになりながら、根はしっかりとしているように、ぼくは司令の動きに合わせて瞬時に反応した。反撃のチャンスをひたすら待った。緊張感だけが高まる。ぼくの顔に汗が流れた。アッと思った瞬間、ぼくのナイフは弾き飛ばされていた。汗が流れた瞬間、一瞬の隙ができた。司令はその隙を逃さず、ぼくの手を弾いて、喉を掻き切った。百七十五番のランプが赤く点灯した。ぼくは即死したのだ。

「オークリー堤督は尊敬する軍人だった」

 ガクッと気落ちしたぼくの肩を叩いて、司令がささやいた。ぼくがハッとして顔を上げると、既に司令はジムを相手に戦っていた。ぼくは俯いて、リタイアした。キャシーがぼくに近寄ってきた。ぼくは「疲れた」と言って、ドスンと座り込んだ。

 オークリー提督と司令は言った。ぼくの父方の偉大なる祖父が持つ名前だ。お祖父ちゃんの知り合いなのかと思うとぼくは彼を見たことがあると思ったことを思い出していた。たぶん、彼はお祖父ちゃんの子飼いの誰かだ。ぼくも一緒に訓練したから見たことがあるのだろう。あの戦い方はぼくが六歳当時にお祖父ちゃんから教わった白兵戦技に忠実だった。

「よくやったわ。あれだけやれば立派よ」

「でも、負けた」

「だから言ったでしょう。外見に惑わされるなってね」

 キャシーがぼくにタオルを渡してくれた。「ありがとう」と呟いて、ぼくは汗を拭った。練習場に目をやると、司令とジムは互角の勝負をしている。既に練習場には三人しかいなかった。二人が戦っているので、残っているハリーは手持ち無沙汰になっている。

「いつもこうなのよ。ハリーは漁夫の利を狙うつもりなの。と言っても、未だに利を得たことがないけどね」

 キャシーがクスクスと笑った。勝敗はぼくのときと違って、互いに幾度もの攻撃と防御が繰り返された後で決まった。司令はジムとのファイトでそれなりにダメージを食らっている。かなりの腕だと思う。それなのに彼はなんでこんな辺境の地にいるのだろう?彼なら、中央でいくらでも出世できただろうにとぼんやりと考えていた。

「悪いですね。司令、容赦しませんよ」

「バーカ、俺がこんくらいのハンデをやらなきゃ、司令と互角に戦えないくせに」

 負けたジムがぼくの隣に腰掛けてから、ハリーに怒鳴った。確かにそうだとぼくも頷いた。ハリーの動きは白兵戦向きじゃない。ハリーの動きには無駄が多すぎる。当然、勝敗はあっさりとかたがついた。優勝は大方の予想通りに司令だった。

「ケッ、また負けちまった」

 ぼくの隣で面白くなさそうにジムがぼやいた。ぼくが横目で見ると、ジムはぼくの顔をジロジロとながめていた。

「女であそこまで動く奴は初めてだな。あの白兵戦技の動きは、オークリー堤督のものだ。おまえ、身内か?」

 ぼくは膝を抱えて顔を埋めた。ぼくの人生には必ず、その言葉が付きまとう。偉大な祖父を持つと比べられて辛い。ぼくの心は悲鳴を上げた。

 キャシーがアッと叫んで、

「こうしちゃいられないわ。ジョー、こっちに来て」

 ぼくの腕を引っ張った。ぼくはわけがわかんないままに引き摺られて、控え室に連れ込まれた。既に婦人兵が三人ほど待っていて、

「遅い!」

 と、開口一番に怒鳴った。

「悪ーい、ついつい、試合に目がいっちゃって。うっかりしちゃった」

 キャシーがエヘエヘと愛想笑いしながら、自分の頭を撫でさする。ぼくは赤毛の女にクイッと手を掴まれた。

「で、どうすんの?」

 ぼくはバトルスーツを三人がかりで脱がせられて、悲鳴を上げた。必死にもがいて抵抗したが、キャシーも加わって四人に押さえつけられると、ぼくも観念せざるを得なかった。

「あら、若いわね。お肌がピンク色」

「十八よ、十八」

「ええっ、うそぉ!」

「ねえ、ねえ、これよこれにしよう」

 後ろの方でガサゴソと何か探っていたキャラメル色の髪の童顔の女が、探していた箱の中から水色のエプロンドレスを出した。皆が一斉に、「アリスね!」と言って、キャラキャラと笑い転げた。

「いいね。最高だ」

 よってたかって皆は嫌がるぼくに古代地球時代の有名なお伽噺である「不思議の国のアリス」の扮装をさせた。ベージュロゼのぼくの髪をプラチナブロンドに染めて、ドレスとお揃いの水色の幅広リボンを頭の上で結んだ。エプロンドレスに白のタイツ、水色のストラップ付きの靴。鏡の前に立たされたぼくは、真っ赤に顔を染めた。キャシーを含めた四人の女たちは「最高ね!」と言って、また笑い転げた。

 最近、懐古趣味を名乗る考古学者により、まだ人類が地球にいた頃に流行っていたらしいたくさんのお伽噺が発見された。そのお伽噺は女性の間で瞬く間に広がり、そのお伽噺の主人公になりきるやはり古代の地球で行われていたコスプレなるものも流行り、今や一大ブームと化している。

 首都星キャンベルンのパーティ会場はコスプレした仮装舞踏会が流行っているらしく、ぼくも同期に何度も誘われたけれど、そんな恰好はごめんだとばかりにいつも断っていた。まさか、こんな辺境地でコスプレさせられるとは思わなかったと遠い目で現実逃避をぼくは図る。

「キャシー!」

 ぼくは口を尖らせて、キャシーを呼んだ。名を知っているのはキャシーだけだったからだ。キャシーがヒーヒーと笑いながら、苦しそうにお腹を抱えている。

「こんだけ似合うのも滅多にいないわ」

「そうよね、受けるわ」

「キャシーってば」

 ぼくが再度名を呼ぶと、キャシーはケロッとした顔に戻り、

「余興よ。今日はジョーが主役だもの。目一杯ドレスアップしなくちゃね」

 と宣った。その後で自己紹介された三人の名は、赤毛がマギー・クラフト曹長、童顔がエミリ・ミツルギ軍曹、黒髪がシャーリー・クイン軍曹である。全員が戦闘支援勤務の婦人下士官だった。

 彼女たちに強引に連れられて、基地の大食堂に足を踏み入れた。行く途中に擦れ違った当直隊員たちがぼくに口笛を吹いたりした。逃げ出したくても逃げられないぼくに、キャシーは小悪魔みたいな笑みを浮かべて、

「いいかげん、覚悟決めとくことよ」

 と言い、どんとぼくの背中を押した。押されたぼくは、前のめりによろめいた。誰かの手がぼくの身体を掴んだ。

「ありがとう」

 ぼくを抱き寄せたのは司令だった。食堂にワァッと喚声が上がった。司令は優勝賞品であるぼくをエスコートしにきたのだ。食堂は立食パーティ会場に変わっていた。ぼくは渋々と司令の手に引かれて、中央へと歩んだ。

 あとで「新人が来る度にいつもこうなの?」とキャシーに聞いたら、「今回は、暑気払いと重なったから、特別よ」と言っていた。ルッシタンは砂漠化のせいで、年間平均気温が四十度を超える。地下基地なのでそれほど気温の影響は受けないはずだが、地球暦での四月頃がルッシタンの真夏にあたる。ぼくの転属は季節外れの四月に行なわれたのだ。三ヵ月に一度はもっともらしい理由を付けて、こうした馬鹿騒ぎパーティが開かれているらしい。

 多くの問題児を抱えるこの基地にとって、こうした馬鹿騒ぎが鬱憤晴らしになっているということだ。

「ここは近くに何もないでしょう。刺激がないと、統率にも問題が生じるのよね。ここって、問題児ばかり集まってるじゃない。適当に発散させとかないと、一触即発の暴動でも起こしかねない奴が多いのよ」

 と、キャシーは真面目な顔で言ったが、ぼくは基地の全員が単なるお祭り好きなのだとすぐにわかった。

 司令によるぼくのお披露目が終わると、お役御免とばかりにぼくは一時的に解放された。早速にキャシーが近寄ってきた。キャシーはビールのコップをしっかりと手にしていた。既に何杯かは飲んでいるらしく、アルコールの匂が鼻についた。

「アリスちゃん、ジュースでもどうぞ」

 ハリーがぼくの前にきれいなピンク色の液体の入ったグラスを差し出した。「あらっ?」と声を上げて、キャシーがハリーをにらんだ。ハリーがキャシーの唇に「秘密だよ」と言って、指を押し当てた。ぼくは二人の顔を見比べた。グラスを手に取るべきかどうか悩んだ。

「毒なんか入ってないよ」

 ハリーは強引にぼくの手にグラスを握らせると、馴れ馴れしく肩に手を回した。こういうのを虫唾が走るというのか?不愉快な気分になる。

「残念だね。今日、アリスちゃんがぼくの物にならないなんて」

 ぼくはバチンとハリーの手を叩いた。気軽に触るな。

「おや、アリスちゃんは勝気らしいね」

 叩かれた手をさも痛そうに擦りながら、懲りずにまたぼくの肩に手を回してくる。

「おい、ハリー、アリスは嫌がってるぜ」

 ジムがハリーの手を解いて、代わりにぼくを抱き寄せた。ここでもセクハラの被害を受けるのかと思うと、キャシーの忠告が身に沁みてわかった。ぼくはハリーの腕を振り解いて、キャシーの隣に逃げ込んだ。

「はい、はい、今日のアリスちゃんのルイスおじさんはロリコンの司令ですよ」

 キャシーがふざけた口調で二人に告げると、ハリーがチエッと舌打ちした。ジムはフフンと鼻を鳴らした。ぼくを見る目つきがいやらしい!

 それにロリコンの司令って何?あの司令ってば、ロリコンなの?ぼくは心底嫌気がさした。

「おじさんはおじさんのままさ。明日からのアリスは俺がもらう」

 ぼくはバシンとジムの頬を叩いた。オオッという声が上がった。とんだところに来てしまった。ぼくの胸に怒りが込み上がってきた。

「ぼくは誰の物でもない!」

 喉がカラカラに渇いていた。ハリーにもらった手にしたジュースを一気に飲干した。甘くておいしいジュースだった。ぼくの身体がまたカアッと熱くなってくる。

「ジョー! バカ、ハリーったら、酒も飲めない未成年に、こんな強いカクテルなんて飲ませないでよね!」

 キャシーの怒鳴る声が、ぼくの耳にキンキンと響いた。地面がゆらゆらと揺れる。地震が起きたみたいだ。ぼくは立ってられなくて、床にしゃがみ込んだ。

「おい、大丈夫か?」

 懐かしい声?どこかで聞いたことがある?いつもぼくを心配してくれた男の子。暗黒色の髪の年上の男の子の姿がぼくの脳裏に浮かんだ。その茶色の瞳はいつも僕は優しく見つめていた。

「どうしますか?」

「うん、これではもう無理だろう」

 そうだ、ぼくは負けたのだ。約束は守らなくちゃいけない。これもオークリー家の家訓の一つだ。

「ぼくは一晩、一緒にいる。それが約束だ。約束は守らなくちゃ、ぼくがお祖父ちゃんに怒られる」

 眩暈を押して、ふらふらと立ち上がって、ぼくは暗黒色の髪の男の子に似た司令の胸に倒れ込んだ。ぼくの頭には、約束を守ることしかなかった。その腕の中は思ったよりも居心地がよかった。あの頃、訓練についていけずに傷だらけだったぼくはいつも彼に傷の治療をしてもらった。彼だけがぼくをぼくとしてみてくれた。

「アイリーン」

 誰かがぼくの名前を呼んだ。ぼくが十二歳のときに捨てた名前だ。アイリーン・ジャスティス・デライヤ、それがぼくの本名だった。

 ぼくは今ジャスティス・オークリーとして生きている。大好きなお祖父ちゃんの名前を残したかったからだ。偉大なるお祖父ちゃんはぼくが十二歳の年に亡くなった。
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