ぼくの受難の日々

安野穏

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リーファン王女

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 初心者の洞窟はたくさんの人で賑わっていた。お土産物屋が道にズラッと立ち並び、冷やかし半分にぼくとフェルとアリカは覗き込む。どの店も同じような品物で埋っていた。先を歩いていたレンダークさんとジェムシャ伯爵が、受付をすませてぼくたちを待っていた。

「フェル!」

 突然、洞窟の入口に立っていたきれいなお姉さんが、フェルを抱きかかえた。初めはキョトンとしていたフェルも彼女の顔を見て、嬉しそうに抱きついた。

「リーファン姉様」

 事情の知らないぼくたちは、呆然として二人を見比べた。スッと音もなく、一人の男の人がぼくたちに近寄ってきた。タクミくんたちが身構える。

「リーファン様」

 男の人は抑揚のない声で、フェルに抱きついた女の人に声をかけた。

「ここでは他の方々の迷惑になります」

 男の声でフェルが我に返ったらしく、リーファンという女から離れた。リーファンさんはチエッと舌打ちをして、ぼくとアリカをジロジロと見た。

「で、フェル、どっちがフェルが熱心なモエギなの?」

 ぼくは名前を呼び捨てにされて、面白くない。フェルがふてくされているぼくの手を取った。

「リーファン姉様、この人がモエギさんですぅ。でも、どうして、ここにリーファン姉様がいるのですかぁ?」

 ここしばらく、しっかりとした口調になっていたフェルが元の間延びした声に変わった。リーファンさんに子猫みたいに甘えまくっている。フェルの擬態した犬耳が猫耳に代わり、目を細めたフェルはどう見ても親に甘える子猫に見えた。

「ふうん、あんたが伝説の巫女姫と同じ名前のモエギねえ。確かに黒髪に黒い瞳で姿形は似てるけど、品がないわねえ」

 ぼくを頭からつま先まで無遠慮にながめ回した揚げ句に、リーファンさんは辛辣に言い放った。ぼくは怒りで身体をブルブルと震わせた。レンダークさんがスッとぼくの肩を押さえ込んで、リーファンさんとぼくの間に割り込んだ。

「ディーア国王家のリーファン王女ですね。前に一度お目にかかったことがございます。今回、フェル王子殿下の護衛を賜ったレンダーク・ルーイ・エレメイン伯爵です」

 リーファンさんの前にひざまづくと、レンダークさんはリーファンさんの手に挨拶代わりに口づけた。ぼくの顔が悔しくて、真っ赤に染まった。確かにリーファンさんは大人で、ぼくは成年式前の子供だ。ぼくはバタバタと駆けだしていた。

「あなたって、足が早いのですね」

 洞窟の奥で息を切らして、ハアハア言っていると、後からアリカが追いかけてきた。

「ねえ、本当にあなたとフェル様は婚約していますの?」

 ぼくはコクンと頷いた。嘘ではない。フェルはぼくの婚約者の一人だ。

「でも、不思議ですわ。モエギを見てますと、エレメイン伯爵の方が気になっているみたいに見えますの」

「レンダークさんもぼくの婚約者の一人だもの」

 ぼくはもうどうにでもなれとばかりに、ぼくたちのややこしい事情を話した。ノブユキさんとルイさんがもたらしたぼくの不幸の始まりと十三才の今、四人も婚約者がいる理不尽な状況。アリカは深くため息を吐いた。

「まあ、そうでしたの。わたくし、モエギが羨ましいですわ。皆様に愛されていらっしゃいますのね」

「へっ?」

「わたくし、わかりますわ。ほんの数日ご一緒しただけですが、皆様、モエギを大切になさっていらっしゃいますもの。それが癪に触る部分もありましたの。フェル様に運命的なものを感じたのは確かですわ」

 アリカの目つきが夢見るように潤んでいる。ぼくは洞窟の壁に寄りかかるとこれが恋する乙女かと彼女を見る。ぼくには到底真似できない。そういうところが羨ましいとぼくは思う。

「わたくし、ホッとしておりますの。モエギがフェル様の婚約者であることは確かでも、それは大勢いらっしゃる方の中のお一人で、真実の婚約者ではないのですもの。モエギ、協力して下さいますわよね」

 アリカがぼくの両手をガシッと握りしめた。これって、ジェムシャ伯爵と一緒じゃないか。ぼくを潤んだ目つきでジッと見るアリカ。ぼくの顔が次第に引き攣っていく。

「見つけたぜ。お嬢ちゃん、久しぶりだったな」

 洞窟の奥から、柄の悪い男がバラバラッと数人出てきた。

「ここで張っていれば、必ず来ると踏んでたんだ」

 槐の森で出会った人さらいの男たちだ。

「お頭がだいぶあんたにご執心でね。お頭があんたの魔法で怪我した分、キッチリと落とし前をつけてもらわねえとな」

 男がぼくの手首をギュッと握り、軽々と捻り上げた。捻られた痛みでぼくの顔が歪む。隣のアリカは男たちの腕の中でグッタリとしていた。気を失っているらしい。

「お頭はどうやら、あんたを捜してたようだ。これで、俺たちも自由になれるってもんだ」

 男はぼくの鳩尾を拳でドンと叩いた。ぼくは呆気なく気絶したらしい。




「………ちゃん、モエちゃん、しっかりして下さい」

 レンダークさんの声だ。ぼくは助かったんだ。目を開けると、レンダークさんとタクミくん、タクトくんの顔があった。三人はホッとしたように肩を落とした。

「スライムさんが教えてくれたんですよ。変な男たちがいるって。危ういところでした」

「アリカは?」

「ええ、大丈夫です。ただ、怯えて、殿下にしがみついたままなので………」

 ぼくはプッと吹きだした。アリカなら、やりそうなことだ。ぼくとフェルの婚約が正式なものでないとわかった途端に、一気に攻勢に出るなんて、アリカらしい。ぼくは起き上がった。ぼくが寝ていた場所は、薄暗い洞窟の中だった。スライムさんに負けて、気絶したりする人が休憩できる医務室的なところらしい。

 騎士のお兄さんたちが手下らしい男を一人捕まえたらしく、この地区の駐留騎士団の騎士たちと巡察士のお兄さんがきていた。あっ、そう、そう、巡察士っていうのは、マース国の警察官のことで、目つきがこわぁーいおじさんが多い。本部はエイーガにあり、どこにでもいるわけでなく、たいていは大きな街に置かれた駐留騎士団支部に属していて、そこから騎士たちと一緒に担当地区を定期的に巡回している。ここは有名な観光地なので、特別に支部が置かれているようだ。

「レン、お嬢ちゃんの目が覚めたみたいだな。ちょっと、事情を聞いても大丈夫か?」

 手帳を手にした赤毛のちょっと格好いいお兄さんが、レンダークさんに声をかけた。レンダークさんの知り合いらしいその人は、馴れ馴れしくレンと呼び捨てにする。

「ええ、大丈夫ですよ。ああ、でもライル、恐い顔はやめて下さいね。モエちゃんが怖がるといけませんからね」

「レン、勘弁してくれよ。俺だって、好きで巡察士なんかになったんじゃないぜ」

「冗談ですよ」

 レンダークさんは巡察士のお兄さんに穏やかに微笑んだ。

「ええっと、君の名は?」

 冷や汗を顔に浮かべて、頭を掻きながらお兄さんは、ぼくの脇に腰掛けた。

「モエギ=オーダ」

「えっと、年は?」

「十三才、でももうじき十四になる」

「そこでだ、彼らは君を待ち伏せしていたらしいんだ。何か心当たりあるかな?」

 お兄さんは精一杯のサービスのつもりなのか、ニコッてスマイリングした。筋肉の逞しいマッチョのお兄さんが、笑みを浮かべている。ぼくの背筋にゾワワワァァァァーーンと悪寒が走り抜けた。顔が引き攣って、ぼくはレンダークさんに助けを求めた。

「ライル、その無理な微笑み、止めた方がいいですよ」

 レンダークさんが辛辣に一言、言い放つ。お兄さんがふてくされたようにボリボリと頭をかいた。

「俺だって、好きでやってんじゃねえよ。仕事なんだ、仕事。とにかくだ、レン、このお嬢ちゃんはもしかすると、ここ一連の人さらい事件の重要参考人になるかも知れねえんだぜ」

「困りましたね。ライル、モエちゃんは一応私の婚約者でもありますし、まあ、フェル王子殿下の婚約者でもあるわけで、ここにいるリトライア侯爵家のご子息たちの婚約者でもあるのです。それにルーイ公爵家とオーダ公爵家の正統な継承者でもありますし、それが、人さらい事件の重要参考人などと呼ばれては、あまり芳しくありませんね」

「な、何?」

 お兄さんは飛び上がるみたいに驚いて、ぼくの顔をジロジロと穴が開くくらいに見つめた。礼儀知らずな態度にムッときて、ぼくは横を向いた。

「じゃ、あの、救国の英雄のノブユキ=フェイム=オーダとルイ=ルーイ=オーダの娘か。へえ、この子がね。まあ、もうちょっと胸が大きく育ったら、俺の守備範囲になるな」

 ぼくはキッと男をにらんだ。こいつなんてこと言うんだとぼくは冷たい目で抗議を込める。

「レンダークさん、この人と知り合いなの?」

「ええ、学校時代の友達なのです。ライオネル・シバ・ティラード、ティラード子爵の不良息子ですよ」

「おい、レン、そんな紹介のしかたがあるか。仮にも、俺はおまえの親友だぞ」

「ええ、親友だからこそ、モエちゃんに危ない毒牙をかける前にしっかりと釘を打ったのです。だいたい、ライルがこんな地方の巡察士にとばされたそもそもの原因は、自分で招いた結果ではありませんか。私は情けなかったですよ。なのに、ライルには反省というものがないのですか?」

 ライオネルさんにレンダークさんは、ポンポンとキツイ言葉を投げつける。タクミくんとタクトくんには、レンダークさんの言葉で何か思い当る節があるらしく、感心したように二人のやり取りを聞いている。

「ねえ、何か事件でもあったの?」

 ぼくは小声でタクトくんに耳打ちした。タクトくんは困ったようにタクミくんを見る。

「うん、三角関係のもつれっていうか、ちょっと、まだ、お子様のモエギには刺激が強い話だぜ」

 タクミくんの意見にタクトくんも同調した。

「ライル、ともかくです。捕まえた男が何を言いだしたのかわかりませんが、人さらい事件の重要参考人などと失礼な名称はやめて下さい」

「レン、ずいぶん、ムキになってるじゃねえか。へえ、ついに朴念人のレンにも遅い春がきたってわけだ」

「違います。どうして、ライルは物事を全て、そういった方向に結びつけたがるのですか?私は今、もえちゃんの保護者的な立場にいるのですよ」

 ライオネルさんとレンダークさんの口喧嘩は、留まるところを忘れたようだ。タクミくんが目で合図して、タクトくんがぼくを肱でつついた。ぼくたちは二人を残して、そこから逃げだした。

「モエギさん、大丈夫ですか?」

 スライムさんとの練習場に顔を出したぼくたちを見て、フェルが駆けてきた。

「フェル、ちゃんと練習しなさいよ」

 リーファンさんが恐い目でフェルをにらんだ。リーファンさんは本名をリーファン・リンリン・フィア・ディーアというディーア国の第一王女で、フェルの母方の従姉になる。つまり、フェルの母親であるマース国王妃は、ディーア国の国王の妹なのだ。リーファンさんの年は十七才、タクミくんやタクトくんと同じ年だ。一人っ子のフェルは、リーファンさんにかわいがられて育ったらしい。今回、ここへ来たのもフェルが修業の旅に出たと聞いて、フェルを一人前にしごくためだ。リーファンさんは女とはいえ、一流の剣士の腕を持っているとフェルが言ってた。

 ぼくは驚愕し、南エリシュオーネの三か国の次代を担う王族がなぜに初心者の洞窟に勢ぞろいしているのだと頭を抱えた。こんな簡単に王族がここにいてもいいのだろうか?いやフェルは自国なのだからよしとしても、アリカは城出、リーファんさんに至ってはフェルのしごきという単純な理由なのだから。南エリュシオーネの次期王族たちよ、そんな簡単な理由でこんなところまできていいのかとぼくは嘆く。

 リーファンさんに影のように付き添っている男は、リーファンさんの護衛でディーア国の騎士でもあるデューイ・リウェイ・アラミス侯爵。フェルの話では、二人は婚約しているとのこと。もっとも、政略的なもので、リーファンさんは認めていないそうだ。

 フェルがリーファンさんに引き摺られるようにして去った後、ぼくはスライムさんたちに取り囲まれた。

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