当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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六章 『追憶の先に見えるもの』

249話『いない蟻』

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 ──七つの大罪の『怠惰』を冠する愛香。
 彼女は三人の奴隷を引き連れて『会社』へ向かっていた。

 ──『レジスタンス』所属の一隊員レイカ。
 彼女は、『白銀の魔女』を名乗るメルを引き連れて『会社』への侵入を開始していた。

 ──記憶を失くしたエミリ。
 彼女は、名無しとるんちゃんの二人と共に『会社』へ向かう準備をしていた。

 ──そして。

 空に浮かぶ島に住む少年イェンは、呑気なあくびをかいて、森の中に入った。

 この島には区画がある。まず、イェン達一般人が住む住宅区画、この島を浮かべている機関が住む中央区画、この周りに、住宅区画はある。そして、それを覆うようにして針金の巻き付いた金網が街の周りに敷かれていて、その外側には森が広がる。

 近頃、その金網に人一人が通る事のできる穴を作ったイェンは、友人であるアミラと共にその森を散策するのが趣味となっていた。いや、趣味と言うよりかは『自分探し』のようなものに近かった。

 そしてこの日も、彼はアミラと共に森で待ち合わせをしていたのだった。

「あ、来た来た。遅いよー。待ち合わせ時間から五分以上経ってる!」

「仕方ないだろ。てか五分で学校から来れるかよ! 学校からここまで徒歩だと二十分掛かるわ!」

「へー。イェンは学校の補習サボっちゃう悪い子なのに──学校のルールは守らないのに、時間の決めたルールはちゃんと守るんだー」

「時間の決めたルールって……いや、時間の法則? を無視して来るのは難しいだろ……」

「やってよー。イェン、前に言ってたじゃん『ルールは破るためにある』って」

「言ったけれどできないものもあるんだよ!」

「仕方ないなあ……やれやれ」

「その言い方、ほんとムカつくな……」

 ガラホ(ガラスフォンの略。ガラスの様な板の液晶画面。平べったく、持ち運びしやすい。落としても持ち主の下に戻ってくる機能付き)をポケットに入れて、彼女は笑う。
 イェンは小さなため息のあと、ここ、待ち合わせ場所に指定した、大きなうろのある木を見上げた。木漏れ日が見えて、すぐに視線を前に戻した。

「それじゃあ行こっか、イェン。探険に!」

 にこっと花のように笑う彼女から目を背けながら、イェンは「ああ、うん」とだけ返事した。
 二人は森の中を歩く。動物は一匹も見つける事はできないが、時折、さあさあと吹く風に耳を澄ましては音のした所に動物が紛れているかもしれないと話し合ったりして、笑う。

 何を探しているか、そもそも『自分』などと言う探しても意味のあるものなのかどうかも分からないものを探しているのだ。──彼らは、ここに来た記憶が無い。

 この足場が浮いていて、下に大地が広がっているのは分かっている。知っている。しかし、そこに自分の住処、家。自分のいた場所があった事など、彼らの記憶には無いのだ。

 それを探すため。──それはつまり『自分の記憶』を探る、自分探しなのだ。

「──ねねっ。なんか、音しない?」

 それは木の根を見つめていたイェンが少しばかり、考え事をしていた時だった。
 ちょんちょんと。耳元で囁いたアミラがそう言うので瞬きの後に顔を上げた。

 木にもたれるように手をつけて立ち上がると、片眉を上げたイェンは質疑するかのような眼差しを彼女に向ける。彼女は足音を忍ばせながらイェンの腕を引いていき、やがて、自分の口元に立てた指を当ててイェンに見せる。

 木の傍に隠れている二人は──と言うよりイェンは屈んでアミラの下から、木の向こう側に顔を出してそこを確認した。

 ──人だ。人間が、そこにはいた。

 そこには、銃器を両手に持った『アーマードスーツ』を着込んだ二人の人物がいたのだった。

「なあ?」と片方の人物が、もう一人へと声をかけた。

「…………」

「なあ、おい! 聞こえてるんだろ?」

「…………」

 頑なに無視を決め込んでいる人物へ、我慢の限界だったのか、その頭をペちんと言うか、がコンとか、ガキンとか、とにかく硬い音を鳴らして何度も叩き始めた。しかも無言で。
 しばらく続けていると、流石にだんまりを決め込んでいた人物も鬱陶しくなったらしく「あーもー! 鬱陶しいなあ! 無視してるのが分かんねーのか!」と怒鳴りつけ、頭を叩いてきた人物へ腹パン。

「ごぅ!? な、なかなか重たいパンチだな……」

「それで!? なんなんだよっ!? 仕事に関係の無い話ならマジで締めるからな!?」

「仕事かあ。関係あるって言えばあるな?」

「つまり、無いと言えば無いんだな?」

「あーあー! あるある! すっごいある! あり過ぎて困るレベル!」

「それじゃあはよ言え。困るような事ならな」

「あー、いや、困るってほどでもないかも?」

「マジで締めるぞ? 早く言え」

「オーケイオーケイ。言う言う」

 ジェスチャーで宥めながら、彼は「えー、おほん」とわざとらしく咳き込んで見せて一呼吸。指を一本立てて、彼は言う。イェンは、小馬鹿な芝居が終わり、真剣味の帯びた話が始まる気配に喉を小さく鳴らした。

「──あの街についてだよ」

「街? ……ああ、新設街の方か。正直オレは、近づきたくもないよ。気味が悪い。あんな所に好き好んで近づくような輩は相当イッてやがる」

 指を立ててくるくると自分の頭の横で回して見せた彼を見て、イェンは眉をひそめる。
 それは聞き慣れない単語がそこに含まれていた事もあるが、一番の原因はそれでは無い。この、誰もいない、動物はおろか、虫の一匹すら立ち入れないこの森において、彼らが存在すること自体がおかしいのだ。

「ここは、立入禁止のはずだ……」

 気がつけば、イェンはそんな事を口走っていた。
 声は小さく、彼らの耳には届いていないらしかったが、アミラはバッとイェンを見下ろす。

「イェン、しー!」と葉の擦れるような音で注意する彼女の声は、イェンには届かない。

「……人に『規則は守れ』だの『ルールは守れ』など言っといて、ズルすぎんだろ」

 怒りを包含した彼の瞳はきらきらと輝いていた。口元も、無意識なのか僅かに緩んでいる。
 それを見て取り、アミラはイェンの髪を鷲掴みにした。仰いで、アミラと目を合わせたイェンに、唇に立てた指を当てた『静かにしなさい』のジェスチャーを見せる。

「慌てちゃダメだよ。落ち着いて。立入禁止の場所にいるのは、私達も同じなんだよ」

 少しだけ眉根を寄せたが、彼は何も答えずに再び前を向いた。鷲掴みにされた髪は引っ張られているが、彼は気にしていないようだった。
 そうして、イェンは続ける。

「アイツらはあの街て言ってた。……アイツらが言った街はきっと、俺たちが住んでる街のことだ。ならお前たちはどこに住んでるんだよ、今この島には、ここしか、人の住める場所は無いっていうのに……」

「イェン……!」

 器用に蚊の飛ぶような声で怒鳴るアミラ。しかし、当のイェンは話し込む二人を凝視しながら、段々と大きくなっていく独り言に気づかないまま、膨れ上がる感情はヒートアップしていった。

「──隠してる事があるんだ!」

 唐突に真実へと思い至ったイェンの口元がひくひくと僅かに笑みを浮かべる。
 その様子を上から眺めていたアミラは危険を察知して、イェンの肩を掴んでその耳にぐいっと顔を近づけると、息のかかる距離で声を投げつけた。

「帰ろう、イェン……?」

 少し、怯えたトーンの震えた声。
 聞いたイェンは、それを伝えたアミラの方をばっと勢いよく向いた。

「帰れるわけ、ないだろ!」

 彼は、興奮しきっていた。

「今まさに、目の前に、餌をぶら下げられて、帰れるわけ無いだろ!? アミラ、見えないのか?」と彼は二人を指さして、一瞬だけそちらに目を向けると「奴らは俺達の知らない何かを知っている。たぶん、意図的に、俺達は何かを隠されている。それが、知りたいんだよ。もしかしたら、俺達がどこから来たのか分かるかもしれないだろ!? ──これは、チャンスだ。覚えていない俺達が、何者なのかを知りに行こう……!」

 アミラは、指を指していた方のイェンの手を両手で握って、ふるふると首を横に振った。見せつけるように、分かりやすく、否定の意を示すために、ゆっくりと。
 今にも泣き出しそうな顔で、彼女は告げる。

「危ないよ、帰ろうよ……!」

 泣きつくようなか細い声が、彼女の喉を震わせている。
 その声を聞いてイェンは目を見開き──

「──賭けなきゃ、何もできない」

 そんな、言い聞かせるかのような口調で彼は呟いた。

「ぇ?」

 イェンの声に目を剥いたアミラはその表情をまっさらなものにして、ぽかんと口を開けながらただイェンを見ていた。──思考が、一瞬間停止した。

 イェンの手を握っていた両手が、振り払われる。

「何かが欲しいなら、そのために動かないといけない」

「イェン……」と彼女はそのまっさらな表情を険しくしていく。

 嫌な予感に襲われたアミラは考える前にその手をまっすぐイェンの体へ伸ばして捕まえて、今まさに立ち上がらんとするイェンを引き止める。

「──だから、俺は一人で行く」

 ──そうは、ならなかった。

 その手が届く前に、彼は一歩、前に出てしまった。

「だから、気色悪ぃって言ってるんだよ。あんまりに人に」「こんちは」

 声を挟んで、イェンは二人の前に出た。
 二人は呆気にとられて、出て来た彼を見つめてはいたが、その思考は停止していた。

 その空白時間にイェンは穏やかに笑って一つ尋ねた。

「あなたに質問なんですけどあの街には何がいますか?」と向かって左側にいた人物を指さしたイェン。そんな彼に指さされた人物は「あ、ああ。あの場所には人造人間が……」と戸惑いながら答える。

「ああそうですか分かりましたさようなら」

「お、おう。じゃあな」

 くるりと小さな円を描くようにして踵を返したイェンは流れるような動作で立てた指を真横にするりと突き立てる。二人の視線はその指が指す先へ。その隙にイェンは木の陰に戻って行き、アミラの手を引いて立ち去る。

 ※※※

「あ、アハハハハハ! す、すごいねイェン!」

 目に涙を浮かべながら、彼女は笑っていた。
 手首を掴まれて歩くアミラは、前を行くイェンの背中を見つめながら、軽く浮いたように思えてならない足をきびきびと動かしてどうにか彼について行っていた。

「すごい、ほんと、すごいよ……!」

 から笑いのように延々と同じことを言っているアミラは一度、黙り込む。
 何も答えないイェンに不安を覚えていたのも一つの要因ではあるが、主なものではない。

 それは──

「イェンは、平気?」

 不安よりも、彼の態度が気がかりだった。


「……俺達は、いない蟻と同じなんだ」

「え?」

「俺達は、そもそも、この世界にとってはいらなかった。──だから……いなかった。これでハッキリしたな。ああクソ。知らなきゃ良かった。この島にとって蟻がいらないからいないのと同じなんだよ、きっと。だから俺達は『いない蟻』だ。いらない存在なんだよ。邪魔者だ。──ハハハハハハハハ。……マジで、笑えてくるな」

 イェンの言葉を眉間にシワを寄せて聞いていたアミラは口を開いた。

『どうしたの、急に? イェン、なんか……怖がってる? 怖いの? イェン?』

「あ、あぁ……」

 ──びちゃっ、と。

 手を引いていたイェンの腕が赤く濡れる。

 突然、後ろに体を引かれたイェンはそのまま勢いに引っ張られて倒れ込んだ。
 自分の下敷きになった生温かい手触りに、ゾッとした。

 失敗した。

 彼の頭にそんな言葉が浮かんだ。

「アミ、ラ……」

「ぅ、ぁあぁああぁ……いぁぃ……っぁ、ぃ……!」

 胸に空いた風穴。自分の体を見て、アミラは絶望をその顔に浮かべる。
 そこを見つめてがくがくと震え始めた顎で泣いて、穴を押さえる。

「喋るな……! しっかりしろ! おい!」

 彼女を抱えたイェンは救いを求めて辺りを見回したが、そこに見えたのは二人の人影。黒いアーマードスーツに身を包んだ二人組だった。咄嗟に彼女の身を隠そうとして、ずるずると引きずりながら移動し始める。

「サンプルなんだから殺すなって言っただろうが! このマヌケが!」

「しかたねーだろ!? 手元が狂っちまったんだよ! ……普段は、絶対にこんな事ねーのに……!」

「チッ……! このチキンが! ──おいガキ! こっちを向け!」

 イェンはぼろぼろと泣きながら、二人を見上げた。

「──なあ、悪かったよ。コイツを助けてくれよ、大人だろ? なあ?」

「……悪いが、俺達はお前を助けることはできないな。ここで俺達を見つけちまったのが運の尽きだ。悪く思うなよ」

「……人造人間だからか?」

 ぼそりと呟かれたその声は話していた人物には上手く届かず、彼は「ああ?」と返事した。

「俺達は、お前らとは違うからか? 助けてくれよ、できるんだろ? やれよ、やってくれよ。なあ、おい。聞いてんのか? 聞こえてるよな? 早く! 助けろよ! 大人だろ!」

 叫んだイェンに対して、彼は冷たく言い放った。

「……俺達は兵士だ。兵士とは、法を遵守する者を守る奴らだ。だから、お前らを守ることは無い」

 その後、イェンは何度も頭にぶつけられた力強い衝撃に意識をごっそり持って行かれて、その思考は暗転した。薄れていく意識の中、血が滴る感触に額を包まれながら、彼女の手はしっかりと握り締めていた。


 ──次の瞬間には、イェンはたった一人で四面真っ白な部屋に閉じ込められていた。





[あとがき]
 ……間隔を二週間にしますね。
 え?理由ですか?
 ……書くのが遅いからです!
 なので次回更新は3月23日です。なんか、ごめんなさい。
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