当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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五章 『運命の糸』

242話 『深まらない』

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「……ん、ぅ」

 目覚めたそこは、見覚えのある天井だった。
 朦朧とした意識の中、周囲を見回せば、そこは確かにエミリが寝泊まりした、あの建物の中だった。しかもここはるんちゃんの部屋だ。どうしてここに自分がいるのか分からず、目を閉じて思い出す作業に没頭する。

 エミリの最後の記憶としては首を絞められ、真っ暗闇の中で五感が機能しなくなった時、人はこんなにも簡単に意識を手放してしまうのかと、そんな感想を抱いた所までであった。

 その後、どうなったのだろう。

 レイカやまほまほくん。それにるんちゃんの事も、何が起こったのか知りたくて、エミリは体を起こして布団を出た。服装は、寝間着として用意されたぶかぶかで通気性が良く、すぅすぅと風が入って来て若干寒いパジャマだった。
 きっとこれは、大人用の服だろうなと益体の無い事を目やにでぼやつく目を擦りながらその部屋を出た。さて、静かな廊下に出てエミリは左右を見た。左側は部屋を一つ挟んで行き止まり。右は部屋を二つ跨いで上下へ移動できる階段を見つけた。

 ひとまず、階段の方に足を向けて歩き始めた。

 階段まで来ると微かに階下から声がして、迷わず下へ。下りると、大勢の声が色々と聞こえてきてそんなに人はいたかなと、首を傾けながらエミリは歩いた。

 やがて、音源と思しき食堂を覗くと、中には一、二、三、四、五。それだけの数の人間が集まっていた。レイカ、まほまほくん、愛香、後はエミリは知らない二人の女性が。いつの間に、こんなに人数が増えたのだろうか。

「あ、エミリちゃん。おはよーございます」

 そう、右側から声をかけられて、食堂にはいなかったるんちゃんが声をかけた。
 食堂への入口の壁沿いに、隣の調理室へと繋がる通路がある。そこを通ってきて笑顔で挨拶してきたるんちゃんにエミリはおはよー、るんちゃんさんと平坦な口調で返した。

「ハイかわいいっ!」

 隣の部屋からるんちゃんが湯気の立つお椀をエミリを除いた人数分、トレイに載せて運んで来た。エミリが挨拶すると、ぴたりと食堂の賑やかさが止み、それらの視線のほとんどはエミリに向けられていた。目を背けていたのは愛香とまほまほくん。それ以外は、エミリをジッと見つめていた。

「実はエミリちゃん、一週間近く眠り続けてたんですよ」

 そう、エプロンを外しながらるんちゃんが答える。

「エミリちゃんの分も今入れてきますね」

「ありがと」

 再び隣の部屋へと戻ったるんちゃんを見送り、エミリは正面を向いた。
 自分を見つめてくる視線、わざと自分から背けてくる視線。二種類の視線の意味はエミリには到底理解できず、ただその場に立ち尽くした。

「エミリちゃんは自分の膝にどうぞ!」

「ん。分かった」

 空いている席はちょうど一つだけで、おそらくはまだ目覚めて来ないと思われていたのかもしれない、と考えながら、椅子に座ったるんちゃんの膝の上によじ登り、そこに上手い具合に収まる。

「ああああ……この軽さ、さらさらの白い髪、なんだか落ち着きますねぇ」

「るんちゃん、それは少し……変態だぞ」

 苦笑したレイカは、一足先に手を合わせていただきますと、お椀に入ったカスのような具材が幾らか入ったスープを少しずつ口の中へと流し込む。それから、他の人も口々に同じように言いながらスープを啜っていった。

「食べ終わる、と言うか飲み終わったら、少しお話しますね、エミリちゃん」

 エミリの肩を抱いて、上から覗き込むように声をかけてきたるんちゃんの方を向いて、エミリは「分かった」と言ってこくんと頷いて見せてから前を向いた。

「いただきます」

 スープを、渇いた口の中に流し込んでいる間、誰も何も話さなかった。いや、一人だけまほまほくんに「ゆーくん、垂れてる垂れてる!」と注意していた少女がいた。年の瀬は十五前後といった容姿だ。

 とにかく、ほとんど静かだったその静寂を切り裂くようにしてレイカが声を上げた。

「エミリちゃん」

 呼ばれて、スープを飲んでいたそのお椀をテーブルに置こうとしたエミリに「そのままでもいいよ」と優しい口調で告げて、呼び掛けの続きを話した。

「そのままでも良いから、聞いてね」

 頷きを返すと、レイカは一つ息をついてから話し始めた。

「改めて、今の私達の状況を簡単に説明するよ。一つ目は七つの大罪が一人、怠惰を冠する愛香ちゃんを捕まえられた事」

 エミリは目を瞬かせて、音を立てずに目を伏せながらスープを啜る愛香へ視線を向けた。
 反応は無かったし、ずっと見ている用も無かったのですぐにレイカへ視線を戻す。

「二つ目は私達の情報が、敵に知れ渡ったかもしれない、てこと」

 盛大にむせ返ったまほまほくんがほぼ全員の視線を集めるがレイカは無視して話を進める。

「三つ目は私達も少しは敵について知ることができた、と言うくらいだね」

「エミリちゃんのお陰ですよ」と上からるんちゃんがエミリの頭を撫でて言う。

「それとこれからの方針だけど、ひとまずここでのンびりしてもらう」

 スープを飲み終わって、エミリはお椀をテーブルの上に置いた。

「今日から一週間後、ここにいる全員でとある会社へ行く事になった。──て言っても分からないか。会社も、実質今世界にあるのは一社だけだしね」

「働くの?」

「──ううン。働かない。潜入調査だよ」

「どうして皆で行くの?」

「それはちょっとした大人の都合でね」

「分かった」

 エミリが頷きを返して話に一区切りが着いたと見計らったのか、まほまほくんの隣に座っている少女がエミリに「初めましてー」と手を振る。

 事ここに至り、エミリはここに来た際に頭に浮かべた疑問符の解消に当たる。

「だれ?」

「私はねー、川田しずかですー。よろしくねー、エミリちゃーん」

「よろしく、かわたしずか」

「フルネームかぁ……。うーん……それならー、しずかお姉ちゃんとかしずかちゃん、て呼んでほしいかなあー」

「分かった。しずかちゃん」

「よろしくねー」

「よろしく、しずかちゃん」

 そして次に、レイカの対面に座っている白銀の髪をした少女に目を向けたエミリ。その視線に気づいて、彼女は咥えて遊んでいたお椀をテーブルに置いた。

「私はメルだよ。仲良くしようね、エミリちゃん」

「うん分かった」

 そこで話し合いは終わり、皆は解散した。
 るんちゃんはお椀を洗いに、レイカ、川田ゆう、しずかの三人は食堂の外へ。そうしてこの場に残ったのはエミリ、メル、愛香の三人であった。
 エミリはるんちゃんのためにどいた椅子の上へ再び座った。

「…………」

 しかし、その場に落ちるのは沈黙のみ。
 誰もが口を噤んで数秒が経った頃、愛香はテーブルの上に腕を組んでそこへ顔を埋めた。

「エミリちゃん」

「なに、メル」

「体の調子はどう?」

 言われて、改めて自分の体を確認するエミリ。白く長い髪、色白の肌、細っこい指に、小さな掌。体を回してみたりもしたものの、やはり、何も変わりはなかった。

「だいじょーぶ」

「そっか。……なら良かったよ」

「うん」

 笑顔を浮かべながら目を閉じて立ち上がったメルを見て、はたとエミリは気づいた。
 それはこれまで出会い、見てきた中でも異質なもので、エミリは目を丸くする。

「それじゃあ私はこれで──」

「──メル」

 波紋を立てるようなその呼び掛けに、メルの体が固まる。一瞬の後、メルは顔を上げてエミリを見た。白銀の髪と、同じ色の瞳。それらを瞳の正面に据え、エミリは尋ねた。

「メルも、運命を変えられる?」

「────」

 異質な存在。それは容姿の問題では無く『運命の糸』の問題であった。
 ちらりとすぐ側で愛香が腕枕に顔を埋めているのを見て、そんな彼女を取り囲むように糸が漂うのが見えた。引き千切ったはずの糸も、少しだけ傾きを変えたり絡まり方を変えたりして、また漂っている。

 しかし、目の前の少女──メルには、それが一本も無かった。

 輪を描いてどんな人間にも存在するはずのその糸を一本も見つけられず、エミリは目を丸くしていたのだった。少しの間メルは笑顔をその顔に貼り付かせたまま石化したかのように固まっていた。もっと言うなら石の塊のようだった。

「メルには、ボクはどう映ってる?」

 それは見える者に対しての、簡単な質疑だった。
 自分にも、見えないだけでそれはあるのか、もしくは無いのか、それをハッキリさせたいだけで、それ以外は何も裏も無かった。

 しかし彼女は少しだけ、およそ十秒ほどその場で笑顔を浮かべながら固まって、石化を解かれたメルはふるふると首を横に振る。

「──私にそんな力は無いよ。ただ、私の目にはエミリちゃんは、女の子に見えるよ」

「……うん、分かった」

 胸にすぅっと穴を通り抜けるような風が、吹き抜けたように感じられた。

「お話はそれだけ?」

「うん、これだけ」

「なら、私は部屋に戻るよ。頑張ってね小さな『勇者』ちゃん」

 ※※※

「…………」

 るんちゃん、レイカ、川田ゆう、しずかの計四人は、食堂を出た所でこっそりと聞き耳を立てていた。どうにも彼女達は会話が不得手らしい。

「なんだか気まずそうだねー」

 しずかがそうこそこそと告げたものに、レイカはそうだなと答えた。

「あの二人に、エミリちゃんと何か話してやって欲しいと願ったのは私達だからな。文句は言えるはずもないよ、しずかちゃん」

「うー……もどかしいぃぃ……。仲良くして欲しいのになあー……」

 ぎゅぅと目を固く瞑りながらしずかは語った。
 時間としては数日前になるが、知り合いの少ない者通し仲良くしてもらえると嬉しいと、そういう風な話を二人に持っていったのだ。提案はもちろん我らがるんちゃん、そしてしずか。
 そして今のこの状況が展開されてしまっている。

「……失敗か?」

 ぼそりと言ったレイカの口を両手で押さえながら、しずかが口をいーっと引っ張って白い歯を見せる。それに頷きを返して、また四人は静かにした。

「……るよ。頑張ってね小さな『勇者』ちゃん」

 がたりと椅子を直すその音を聞いたしずかが吐息を漏らす。

「最後に一つ聞いていい?」

 そう尋ねて、エミリは彼女の動きを止めた。
 沈黙が場を支配する。それを、四人は静かに聞き守る。

「メルは、運命のことどう思う?」

「……私は、運命の事は好きじゃないかなあ」

 どこか悲壮を帯びたその背中に、エミリはそうなんだとだけ返した。その後何も言葉が掛かってこないと、メルは食堂を出て左へ曲がる。自室へ戻るようだった。

「……あの子は、皆のことちゃんと好きだよ」

 そっと呟いたメルはそのまま歩き去ってしまった。
 その背中を見送ったしずかの肩を叩いたレイカは、見上げるしずかへと壁の向こう側を視線と顎の動きで指し示した。二人に何かがあったようだった。

「……この一週間」

 そう、愛香は切り出していた。

「ほんとに最悪だった。何も話さなくても次々と情報は漏れ出して、ここの連中は誰も操れなくて。どうして殺してくれないのか。こんなにも殺して欲しくて、もう生き地獄みたいなこの世になんて一秒たりともいたくない。ずっとそう考えていた」

「…………」

「──私の負けだよ。満足?」

 自嘲するような、鼻につく笑みが、引き上げられた顔には浮かべられていた。
 エミリの、いつも通りの無機質に戻った空虚にも似た瞳が振り返って愛香を捉える。

「生きて」

「……どの口が言うの? あのまま君がいなくなってしまえば、それで解決したのに……」

「昔のボクは、ボクは知らない。──間違えた。一つだけ、知ってた」

「…………」

「前に進む、て目的だけ、あの人のことを知ってる」

「前に……?」

 それは怒っているような、困っているような、とにかく、不貞腐れた感じで愛香は眉をひそめていた。それに対し、エミリは頷き返す。

「ボクは前に進む。誰に何を言われても。その人の事を分かるのはそれだけだから、ボクはその人の意志を少しでも、尊重したい」

「…………」

「愛香は昔のボクがいなくなって、悲しい。だけど、愛香が死ねば、悲しむ人だっている。そうでしょ? 愛香」

 同意を求めたエミリから目を背け、愛香はぼそりと返す。

「……そんな人、一人もいない」

「レイカは?」

「本当の私を知って、幻滅しちゃってるよ」

 吐き捨てて、忘れ去るかのような、そんな口調だった。
 いらない物を捨てた、そんな感じで告げた言葉に、エミリは無機質な口上を述べる。

「なら、ボクが悲しんであげる」

「は?」

 驚いて思わず振り向いてしまった愛香はぽかんと口を開けたまま目をぱちくりとさせる。
 その顔に、エミリは言葉の続きをたどたどしく告げる。

「ボクは昔のボクじゃないけれど、愛香の事はもう知った。──人を傷つけるのも、自分を傷つけるのも、たぶん、悲しい事だよ」

「だから、同情されろって?」

 眉が少しずつ歪んでゆく。

「違う。だって、ボクは今何も感じてない。だから同情じゃないよ」

「……それなら、これまでと変わらないじゃん」

 その声には渦巻き始めた激情が孕まされていた。

「それも違う」

「何が?」

 突き刺すような視線がエミリに向けられ、それを一身に受け止めながら、

「一緒に歩いて、一緒に考えて、一緒に進める。違う?」

 互いを交互に指さして、そんな事を言った。

「…………」

 何も答えず、目を見開いた顔のまま固まる。
 それはまるで時間を凍らせたかのようだった。

「一人は寂しい?」

「…………」

 もう一度尋ねられた質問にも答えず、愛香は押し黙る。

「昔のボクは知らないけれど、昔のボクが愛香を守るて言ったならボクは愛香を守る」

「……っ」

「昔のボクの続きを、ボクがする」

 そう決意を固めて、エミリは手を伸ばした。
 その伸ばされた手を見て、鼻で笑うと「なんのつもり?」と返事がきた。

「一緒だよ、愛香」

 ──衝撃。

 鼻面に真正面から拳が飛んで行って、エミリの軽い体を食堂の外にまで弾き飛ばした。
 壁に背中を打ち付けてずるりと廊下にへたり込む。
 周囲で悲鳴がいくつか上がるが、そんな些細な事は気にせず愛香は、頬を撫でるエミリを見下ろして眉間に力強いシワを刻んだ愛香が叫ぶ。

「もう二度とッ! 私に話しかけるなぁッ!」

 そう叫んで、愛香は走って食堂を出て行った。
 それを見送りながら、エミリはもたれている壁に全体重を掛けて吐息する。

「……難しい」

 ぼそりとエミリが言った直後、たらりと鼻血が垂れてきた。
 それを拭き取ることもしないまま、エミリはぐったりと自分の足元を見つめ続けていた。

 その後、るんちゃん達に連れられて、鼻に丸めたティッシュを詰めてこの話は終わった。





[あとがき]
 次回は一月十五日です。
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