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五章 『運命の糸』
238話 『決断する時』
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いわば倉庫と化した小学校から、幾つか掘り出された住宅のある、ほぼ雪の壁に左右を囲まれる形で続く道を歩くこと十数分。そこには雪で作られた小さなトンネルがあった。
「どうしてここだけ穴が空いてるの?」
例えるなら、ウサギ穴に近いそれを見下ろして、指さして、すぐ隣にいる愛香へと、エミリは問いかける。問いかけられて視線を絡ませる愛香は、にこっといたずらっぽく笑って、
「ここはね、秘密の通路なの!」
「秘密?」
「うん! 大人達には内緒の、子供だけの、抜け道」
だから内緒ね、と指を立てて唇に当てた愛香の答えに、エミリは首を傾けた。
しかし、それならば、どうしてここに来たのだろうか、と疑問が湧き上がったからだ。
「なら、レイカは?」
「ん? レイカさんは知らないよ?」
「レイカに会うんじゃないの?」
「──ああ! そういうことね。それはね、この道が、近道になってるからだよ」
「近道?」
「そっ! 日々の勉強をサボりたい子供達が作った、ちょっとしたいたずら。逃げ道だよ」
「へー……」
その穴を眺めながら、エミリはそんな声をこぼした。
※※※
「ここが寄り合い所!」
「学校じゃないの?」
二人は学校から歩いて、ウサギ穴のような狭い場所を這って通り、寄り合い所へと来ていた。
そこには多くの人々がいて、その中にはエミリくらいの子供達の姿も見られる。彼ら彼女らは元気に校庭をはしゃぎ回っていて、エミリはそれをジッと眺めていた。
そこに何か、興味を惹かれたり特別な情があったわけではない。ただ、ぼんやりと、ありふれた景色を眺めているかのような、そんな遠い心地でそれらを俯瞰していた。
「元、学校ね。今は寄り合い所として使ってる。あの学校も、早ければ明日には使えるようになるよ。ここだけだと、人が多過ぎてぎゅうぎゅう詰めで大変だから、今はできるだけ多くの建物が必要なの」
そこへ先の問いかけの答えが返ってくる。振り向けば、肩越しにエミリを見ていた愛香がそう語る。しかし、それは今しがた見ていた景色の様子とは全く異なっており──
「大変……そうには見えないよ?」
それが、口をついて出た。
「夜になれば分かるよ。それに、遊んでるのは子供達だけ。大人達は雪かきとか、食料調達とかしてるんだよ。だからほら、その証拠に──」
愛香が指さした校庭を見渡すと、たしかに、大人達の姿はほとんど見られない。いても、赤ん坊を抱き抱えている人が歩いていたり、小さな子達を引き連れている大人とか、片手で数えても足りるくらいの人数しかいなかった。
しかし、そこにはここに来た目的の人物の陰すらも見当たらない。
「──レイカは?」
それは、市長と会いに行くと告げていた彼女の言葉と、ここまで来る途中で口頭で伝えられた内容を照らし合わせた事による質問。
今、この街の統治は市長と呼ばれる老人が行っている。その老人は、歳のせいもあってかずっと建物の中に引き篭もっているという。それが、ここ。元小学校で、今は寄り合い所として活用されている、この建物だった。
「中だと思うよ。入ろっか」
「うん」
校庭の只中を真っ直ぐ進んで、校舎の前に着いたところで、立ち止まった。
立ち止まったエミリの少し前まで進んで止まった愛香は、振り返らずに尋ねる。
「ね、どうしたの? 早く来なよ」
「どうして、周りの人達はボクのこと、見てるの?」
辺りを見回すと、子供大人問わず、ジッと、まるで人形のような目でエミリの事を見つめていた。その、昏く深い黒色の瞳にエミリは片眉を上げる。
「珍しいからじゃない? だってエミリちゃん、髪の毛白いし」
「──赤ちゃん、泣き止んでる」
次に目を付けたのは、女性に抱かれていた赤子だ。それすらも泣き止み、うっすらと目を開け、ただ静かに、エミリの事をジッとよだれを垂らして見つめている。
「……タイミングだね?」
そう、確認を取るかのような、それとも、問い掛けるような、いかにもわざとらしい答えを返した愛香へ、エミリは「へえ……」とだけ返事。
「それより、行こうよ。おにぃ──エミリちゃん」
「おにぃ? なに、それ?」
その質問に一歩だけ下がり掛けて、上半身が後ろに傾いた所で意識的にやめた。
それとは逆に、一歩、前へ踏み出した愛香は唇に立てた人さし指を当てた。
「言い間違え。それより、レイカさんに会うんでしょ? ここ、寒いから中に──二階に行こうよ」
「うん。そうだね。──話したい事があるんだ」
奥へ進んでいく愛香の後ろ姿を数瞬遅れて歩き出したエミリは、すぐ後ろまで近づいていく。振り返る事もせず、ただ一度、腕を振り上げて、そっと目を細め、振り下ろした。
プツリと、糸の切れる音を聞きながら。
※※※
意識を取り戻したまほまほくん。
彼は、声を出さずにゆっくりと瞼を上げた。
視界は何もかもが真っ暗で、何も見えない。
「ああ、くっそ……」
ぐわんぐわんと脳みそが動いているかのような気持ちの悪さに堪え切れずに、頭を押さえようとした手が、鉄を噛み合わせたような音と共にその動きを止められる。
「……は?」
乱暴に腕を振り回そうとしても、背後でガチャガチャと鉄を噛み合わせたような音しか鳴らず、彼は、大きなため息をついた。
「……捕まった」
手錠らしき物に手首を後ろ手に縛られ、両足も、膝辺りからぐるぐるとロープに巻かれ、一人で抜け出すのには困難を極めるだろう。それを確認しながら、まほまほくんは項垂れる。
未だ治まることを知らない頭の中をねっとりと纏わりつく気持ちの悪さに耐えかね、彼は眉間にシワを寄せて、光の一切届かないその部屋を睥睨する。
どうやらそこは、倉庫のようだった。
段ボールが積み立てられていたり、ポリ袋が一箇所に纏められたりしていて散乱としている様子はないものの、やはり、どこか汚さを覚える場所だった。
「誰だよ、こんなことしたのは。……俺が記憶を読んだ中にはこんな事考えてる奴は一人もいなかったぞ……。ああ、くそ。最悪だ」
あああああ、と声を出しながらぐったりと、その場で横になる。後ろ手に縛られてはいるものの、そこは床だ。何かに繋がれているわけではないので、付け入るのならそこだろう。
「……っても、付け入るってどうすればいいんだよ」
そうぼやいた矢先、ガコンと何かが外れる音を聞いて、床を向いていた目を音の方向へと上げる。そこは、彼から見て正面。音が聞こえてから数秒が経ち、扉が開いた。
「……こんにちは、川田ゆうくん」
その姿に、まほまほくん、もとい、川田ゆうは、口を小さく開いたまま、その瞳孔を絞りに絞って、瞳に映ったその人影の姿に、言葉を失う。
見知った顔だった。今日この日は会ってはいなかったが、これまでに何度と、昨日も会って話したばかりだったのだ。その時に、記憶も、読んだ。
「どう、して……?」
力への、自信が、揺らぐ。
恐怖を克服したはずなのに、アイデンティティをそれで埋めたはずなのに、また、その力への信頼が、また揺らぐ。しかし、体感数十分前の一つ目犬との戦いでズタボロに砕かれたそれに耐性がついていたのか、彼自身にも意外と冷静な心持ちでいられる事に驚きだった。
「──いや、それは……どうでもいい。それより、なんで、こんな事を……?」
それでも沸いてくる、困惑と、不安と、焦りと、色々なものをまぜこぜにした瞳を、この部屋へと入ってきた彼女へと向ける。逆光で顔は見えないが、声で、その正体は図り知れた。
その正体は、ホリと共に小さな子供達に勉強を教えている女性だ。
「──名前はたしか、矢尾さん、だったっけ」
「正解です。偉いですね」
「誰かの命令か? 脅しか? だったら、ソイツは俺が倒す。俺には、それだけの力がある。だから、早く放せよ。なあ、早く。早くしろよ。今の状況分かってるか? 人が死んだんだ。こんな所で足止め食らわせるなよ。どうなってもいいのか?」
「──死んだのは、二人だけです」
「…………」
思考が、停止した。
「…………は?」
目を見開き、外からの明かりで見えないその顔をジッと覗き込むように見上げる。
「ええ、知ってますよ。この世界への侵略者。ヴィジター。アレらを待機させていたのは、私達ですから」
おそらく、何食わぬ顔で言っているだろうそれに、強く、奥歯を噛み締めて彼女を睨みつけた。
「……何言ってるのか、分かってるのか?」
「ほぼ、君の解釈で間違ってないと思います」
「だとしたら、お前は、罪の無い子供達を殺したんだぞ? 心が痛まないのか?」
「痛みますよ。──しかし、罪の無い、と言うのは間違いでしょうに」
「は? 何を言ってるのか、分からない……」
「あの子達は、不用意に外に出るなという言いつけを破った。ルールを破った。これは、許されるべき行為ではないですし、罰せられるべき行為ですよね? そして、彼らは罰を受けた。──ただ、それだけです」
まるで、自分には非がないと、そう言うような口調だった。
到底理解できない領域の、彼女の言動に、川田ゆうは、見開いていた目を鋭く尖らせ、その瞳に熱湯のように熱い、敵意を宿す。
「お前は、悪だ」
「悪は、この世界を変えたものです」
「……ここの日常を、奪い去った」
「私が何もしなくても、あと一ヶ月もすれば争い始めていたでしょう」
「人の心を理解できないクソ野郎は、死ぬべきだ」
「……記憶を読めるからって、心まで分かった気でいるのは、子供ですね」
冷静だった心は、既に熱く、煮え滾っている。手を縛る手錠が、ガチャガチャと激しい音を立てていた。鋭く尖った熱を込めた目はずっと、彼女へと向いている。
「──さて、世間話もここまでにして、本題に入りましょう」
「何言ってるんだよ。さっさと解放しろよ」
「とある話を聞かせてもらえれば、ええ、いいですよ」
「聞いてんのかよ! アレは人が操れるようなモンじゃねーって言ってんだよ!」
瞬間、鳩尾に蹴りが炸裂する。
急所にめり込んだその爪先が腹の中身を嬲り、舐り、かき混ぜる。
胃の内容物を吐き出した川田ゆうは、ほぼ液体だけのそれを床に広げて激しく咳き込んだ。
「……図々しい」
ぼそりと、呟かれたその声は、これまでよりも低く辺りに響いた。
「男のくせに、その美貌、その声、女の全てを手に入れて……気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! そのちぐはぐさが、歪さが、世の中を見下すような態度が! めちゃくちゃキモいッ!」
「ぁ?」
たんが絡んだような声で見上げた彼は、その指摘に眉をひそめる。
唐突な、その物言いに脳の回転率が急激に落ちる。
「──違います。今は、これじゃない」
ゆっくりと、深呼吸。吸って、吐いて、吸って、吐いて。それを繰り返す彼女を見上げながら、川田ゆうは、喉の奥に引っ掛かった物を唾と共に吐き出した。
やがて、深呼吸を終えた彼女は、眉間を押さえて言葉を紡ぐ。
「──勇者、知ってますね?」
「…………」
「運命を変える力を持つ、人の事です」
「…………」
「その人の事を、知っている限り全て話していただけるのなら、解放しましょう」
[あとがき]
月末連続更新です。つまり、30日も更新です。
予約時間間違ってました。ごめんなさい。
「どうしてここだけ穴が空いてるの?」
例えるなら、ウサギ穴に近いそれを見下ろして、指さして、すぐ隣にいる愛香へと、エミリは問いかける。問いかけられて視線を絡ませる愛香は、にこっといたずらっぽく笑って、
「ここはね、秘密の通路なの!」
「秘密?」
「うん! 大人達には内緒の、子供だけの、抜け道」
だから内緒ね、と指を立てて唇に当てた愛香の答えに、エミリは首を傾けた。
しかし、それならば、どうしてここに来たのだろうか、と疑問が湧き上がったからだ。
「なら、レイカは?」
「ん? レイカさんは知らないよ?」
「レイカに会うんじゃないの?」
「──ああ! そういうことね。それはね、この道が、近道になってるからだよ」
「近道?」
「そっ! 日々の勉強をサボりたい子供達が作った、ちょっとしたいたずら。逃げ道だよ」
「へー……」
その穴を眺めながら、エミリはそんな声をこぼした。
※※※
「ここが寄り合い所!」
「学校じゃないの?」
二人は学校から歩いて、ウサギ穴のような狭い場所を這って通り、寄り合い所へと来ていた。
そこには多くの人々がいて、その中にはエミリくらいの子供達の姿も見られる。彼ら彼女らは元気に校庭をはしゃぎ回っていて、エミリはそれをジッと眺めていた。
そこに何か、興味を惹かれたり特別な情があったわけではない。ただ、ぼんやりと、ありふれた景色を眺めているかのような、そんな遠い心地でそれらを俯瞰していた。
「元、学校ね。今は寄り合い所として使ってる。あの学校も、早ければ明日には使えるようになるよ。ここだけだと、人が多過ぎてぎゅうぎゅう詰めで大変だから、今はできるだけ多くの建物が必要なの」
そこへ先の問いかけの答えが返ってくる。振り向けば、肩越しにエミリを見ていた愛香がそう語る。しかし、それは今しがた見ていた景色の様子とは全く異なっており──
「大変……そうには見えないよ?」
それが、口をついて出た。
「夜になれば分かるよ。それに、遊んでるのは子供達だけ。大人達は雪かきとか、食料調達とかしてるんだよ。だからほら、その証拠に──」
愛香が指さした校庭を見渡すと、たしかに、大人達の姿はほとんど見られない。いても、赤ん坊を抱き抱えている人が歩いていたり、小さな子達を引き連れている大人とか、片手で数えても足りるくらいの人数しかいなかった。
しかし、そこにはここに来た目的の人物の陰すらも見当たらない。
「──レイカは?」
それは、市長と会いに行くと告げていた彼女の言葉と、ここまで来る途中で口頭で伝えられた内容を照らし合わせた事による質問。
今、この街の統治は市長と呼ばれる老人が行っている。その老人は、歳のせいもあってかずっと建物の中に引き篭もっているという。それが、ここ。元小学校で、今は寄り合い所として活用されている、この建物だった。
「中だと思うよ。入ろっか」
「うん」
校庭の只中を真っ直ぐ進んで、校舎の前に着いたところで、立ち止まった。
立ち止まったエミリの少し前まで進んで止まった愛香は、振り返らずに尋ねる。
「ね、どうしたの? 早く来なよ」
「どうして、周りの人達はボクのこと、見てるの?」
辺りを見回すと、子供大人問わず、ジッと、まるで人形のような目でエミリの事を見つめていた。その、昏く深い黒色の瞳にエミリは片眉を上げる。
「珍しいからじゃない? だってエミリちゃん、髪の毛白いし」
「──赤ちゃん、泣き止んでる」
次に目を付けたのは、女性に抱かれていた赤子だ。それすらも泣き止み、うっすらと目を開け、ただ静かに、エミリの事をジッとよだれを垂らして見つめている。
「……タイミングだね?」
そう、確認を取るかのような、それとも、問い掛けるような、いかにもわざとらしい答えを返した愛香へ、エミリは「へえ……」とだけ返事。
「それより、行こうよ。おにぃ──エミリちゃん」
「おにぃ? なに、それ?」
その質問に一歩だけ下がり掛けて、上半身が後ろに傾いた所で意識的にやめた。
それとは逆に、一歩、前へ踏み出した愛香は唇に立てた人さし指を当てた。
「言い間違え。それより、レイカさんに会うんでしょ? ここ、寒いから中に──二階に行こうよ」
「うん。そうだね。──話したい事があるんだ」
奥へ進んでいく愛香の後ろ姿を数瞬遅れて歩き出したエミリは、すぐ後ろまで近づいていく。振り返る事もせず、ただ一度、腕を振り上げて、そっと目を細め、振り下ろした。
プツリと、糸の切れる音を聞きながら。
※※※
意識を取り戻したまほまほくん。
彼は、声を出さずにゆっくりと瞼を上げた。
視界は何もかもが真っ暗で、何も見えない。
「ああ、くっそ……」
ぐわんぐわんと脳みそが動いているかのような気持ちの悪さに堪え切れずに、頭を押さえようとした手が、鉄を噛み合わせたような音と共にその動きを止められる。
「……は?」
乱暴に腕を振り回そうとしても、背後でガチャガチャと鉄を噛み合わせたような音しか鳴らず、彼は、大きなため息をついた。
「……捕まった」
手錠らしき物に手首を後ろ手に縛られ、両足も、膝辺りからぐるぐるとロープに巻かれ、一人で抜け出すのには困難を極めるだろう。それを確認しながら、まほまほくんは項垂れる。
未だ治まることを知らない頭の中をねっとりと纏わりつく気持ちの悪さに耐えかね、彼は眉間にシワを寄せて、光の一切届かないその部屋を睥睨する。
どうやらそこは、倉庫のようだった。
段ボールが積み立てられていたり、ポリ袋が一箇所に纏められたりしていて散乱としている様子はないものの、やはり、どこか汚さを覚える場所だった。
「誰だよ、こんなことしたのは。……俺が記憶を読んだ中にはこんな事考えてる奴は一人もいなかったぞ……。ああ、くそ。最悪だ」
あああああ、と声を出しながらぐったりと、その場で横になる。後ろ手に縛られてはいるものの、そこは床だ。何かに繋がれているわけではないので、付け入るのならそこだろう。
「……っても、付け入るってどうすればいいんだよ」
そうぼやいた矢先、ガコンと何かが外れる音を聞いて、床を向いていた目を音の方向へと上げる。そこは、彼から見て正面。音が聞こえてから数秒が経ち、扉が開いた。
「……こんにちは、川田ゆうくん」
その姿に、まほまほくん、もとい、川田ゆうは、口を小さく開いたまま、その瞳孔を絞りに絞って、瞳に映ったその人影の姿に、言葉を失う。
見知った顔だった。今日この日は会ってはいなかったが、これまでに何度と、昨日も会って話したばかりだったのだ。その時に、記憶も、読んだ。
「どう、して……?」
力への、自信が、揺らぐ。
恐怖を克服したはずなのに、アイデンティティをそれで埋めたはずなのに、また、その力への信頼が、また揺らぐ。しかし、体感数十分前の一つ目犬との戦いでズタボロに砕かれたそれに耐性がついていたのか、彼自身にも意外と冷静な心持ちでいられる事に驚きだった。
「──いや、それは……どうでもいい。それより、なんで、こんな事を……?」
それでも沸いてくる、困惑と、不安と、焦りと、色々なものをまぜこぜにした瞳を、この部屋へと入ってきた彼女へと向ける。逆光で顔は見えないが、声で、その正体は図り知れた。
その正体は、ホリと共に小さな子供達に勉強を教えている女性だ。
「──名前はたしか、矢尾さん、だったっけ」
「正解です。偉いですね」
「誰かの命令か? 脅しか? だったら、ソイツは俺が倒す。俺には、それだけの力がある。だから、早く放せよ。なあ、早く。早くしろよ。今の状況分かってるか? 人が死んだんだ。こんな所で足止め食らわせるなよ。どうなってもいいのか?」
「──死んだのは、二人だけです」
「…………」
思考が、停止した。
「…………は?」
目を見開き、外からの明かりで見えないその顔をジッと覗き込むように見上げる。
「ええ、知ってますよ。この世界への侵略者。ヴィジター。アレらを待機させていたのは、私達ですから」
おそらく、何食わぬ顔で言っているだろうそれに、強く、奥歯を噛み締めて彼女を睨みつけた。
「……何言ってるのか、分かってるのか?」
「ほぼ、君の解釈で間違ってないと思います」
「だとしたら、お前は、罪の無い子供達を殺したんだぞ? 心が痛まないのか?」
「痛みますよ。──しかし、罪の無い、と言うのは間違いでしょうに」
「は? 何を言ってるのか、分からない……」
「あの子達は、不用意に外に出るなという言いつけを破った。ルールを破った。これは、許されるべき行為ではないですし、罰せられるべき行為ですよね? そして、彼らは罰を受けた。──ただ、それだけです」
まるで、自分には非がないと、そう言うような口調だった。
到底理解できない領域の、彼女の言動に、川田ゆうは、見開いていた目を鋭く尖らせ、その瞳に熱湯のように熱い、敵意を宿す。
「お前は、悪だ」
「悪は、この世界を変えたものです」
「……ここの日常を、奪い去った」
「私が何もしなくても、あと一ヶ月もすれば争い始めていたでしょう」
「人の心を理解できないクソ野郎は、死ぬべきだ」
「……記憶を読めるからって、心まで分かった気でいるのは、子供ですね」
冷静だった心は、既に熱く、煮え滾っている。手を縛る手錠が、ガチャガチャと激しい音を立てていた。鋭く尖った熱を込めた目はずっと、彼女へと向いている。
「──さて、世間話もここまでにして、本題に入りましょう」
「何言ってるんだよ。さっさと解放しろよ」
「とある話を聞かせてもらえれば、ええ、いいですよ」
「聞いてんのかよ! アレは人が操れるようなモンじゃねーって言ってんだよ!」
瞬間、鳩尾に蹴りが炸裂する。
急所にめり込んだその爪先が腹の中身を嬲り、舐り、かき混ぜる。
胃の内容物を吐き出した川田ゆうは、ほぼ液体だけのそれを床に広げて激しく咳き込んだ。
「……図々しい」
ぼそりと、呟かれたその声は、これまでよりも低く辺りに響いた。
「男のくせに、その美貌、その声、女の全てを手に入れて……気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! そのちぐはぐさが、歪さが、世の中を見下すような態度が! めちゃくちゃキモいッ!」
「ぁ?」
たんが絡んだような声で見上げた彼は、その指摘に眉をひそめる。
唐突な、その物言いに脳の回転率が急激に落ちる。
「──違います。今は、これじゃない」
ゆっくりと、深呼吸。吸って、吐いて、吸って、吐いて。それを繰り返す彼女を見上げながら、川田ゆうは、喉の奥に引っ掛かった物を唾と共に吐き出した。
やがて、深呼吸を終えた彼女は、眉間を押さえて言葉を紡ぐ。
「──勇者、知ってますね?」
「…………」
「運命を変える力を持つ、人の事です」
「…………」
「その人の事を、知っている限り全て話していただけるのなら、解放しましょう」
[あとがき]
月末連続更新です。つまり、30日も更新です。
予約時間間違ってました。ごめんなさい。
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