当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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五章 『運命の糸』

228話 『純白の少女』

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 一日中歩き通しの足が悲鳴を上げている。雪が降り積もる道を独り、どこへ向かうとも決めずにその小さな素足で歩いていた。肺も、休ませてとキリキリ痛みを訴えていた。

 辺り一面の雪景色。まっさらな雪原をお腹を鳴らしながら、荷物を何一つ持っている様子もなく一人の少女が歩いていた。その周囲に他に人の姿はない。

 限界がそろそろ間近に差し迫った時、ふと、赤くなった鼻を啜り、空を見上げた。

 どこまでも続く曇天の中、キラリと光るその白く丸い太陽が体中に染み渡るような感覚を、冷たいものが当たった箇所から少しずつ感じる。それは、はらはらと舞い落ちる粉雪だった。

 重たくなった足を動かす気力も既に無く、疲れた体に鞭打って振り向けば、そこには一本に続く自分の足跡。それを眺めて、体の芯から冷えていくのに体を震わせて白い息を吐く。

 再び前を向いた。

 寒気もするし、喉は引きつり、悲鳴のような、嗚咽のような、そんな呼吸を繰り返しながら重たい足取りで進み始める。行く先は果てなく雪原が広がり、他に目立ったものもない。

 一人歩く少女は、ただひたすら進み続ける。何をすればいいのかも、するべきなのかも、する事も何も思いつきはしないけれど、それでも進み続けた。

 進み続けなければ、という、どこか脅迫めいた恐怖に駆られ、ただ歩く。

 しかし──、

「──っ」

 雪に足を取られてそのまま転倒。雪のように白い髪を伸ばした少女は、ぼんやりとした視界に映る積もり積もった雪に溶けるように体中に力を入れることも叶わない。
 その凍えるような寒さに意識を持っていかれてそっと、目を閉じた。

 ※※※

 時計が針を刻むような音に気がつき、雪原を歩いていたはずの少女はうっすらとまぶたを上げた。そこに見えるのは生活感のない、埃が舞った部屋の白い天井。

「ん、ぅ……」

 まだおぼろげなその視界の内にひょっこりと金色の髪を持った少女が顔を出す。
 その顔に、そしてその特徴的な「まろ眉」に全くもって見覚えがなく、困惑に眉をひそめると、少女はにこっと笑って見せた。

「先輩! 目を覚ましました!」

 後ろを振り向いて叫ぶ少女は、黒ずくめの格好をしていた。その姿にどこか既視感を覚え、これまで眠っていた彼女は突然、酷く訴えてきた頭痛に顔をしかめる。

 少し気だるい体を起こすと、黒く長い髪を後ろに一纏めにしたどこか大人びた雰囲気の女性が、自分が眠っていたベッドの隣にあった椅子に座り、覗き込むように顔を寄せた。

 怯えた様子で顎を引いた白髪の少女を見てぱちくりと驚いた風に瞬きをする。
 女性の隣では、どこからか持って来た椅子をそばに置いて座るまろ眉少女の姿。

「にゃはは……。ゴメンゴメン。まずは自己紹介だね」

 遠慮した笑みを浮かべて、彼女は顔を離して背筋を伸ばした。
 弱々しくも睨みつける少女の姿を見て、彼女は──、

「ワタシはレイカ。苗字は忘れちゃって知らないけど。──ンまあこの名前も、ワタシを誘拐した人がそう呼んだから、って話なンだけどね」

「ハイハイ! 自分も自己紹介したいです!」

 立ち上がりながら大きな声で挙手した少女は、レイカと名乗ったポニーテールの女性に名乗る権利を求める。大きい声出すな、と頭を軽く小突かれた少女は、小突かれた箇所を撫でながら苦笑いする。

「いいよ、自己紹介しちゃってしちゃって」

「自分の名前は秘密ですけれど、強いて呼ぶなら『るんちゃん』と呼んでほしいです!」

 さあっ、と笑顔で詰め寄られて少したじろぎながら、少女はぎこちない頷きを返して口を開く。

「るんちゃん、さん……?」

「何この子カワイイ!?」

 自称るんちゃんが口元を押さえて頬を赤くしているのを隣で苦笑して、さて、とレイカが表情を消して少女に向き直る。

「君の名前はなンだい?」

「……エミリ」

「エミリィちゃんか。……外国人? どこから来たの? お父さんお母さんは?」

「違う。エミリ、で止める」

「ゴメンゴメン、エミリちゃんね、それで……答えてくれないかな?」

 尋ねられ、エミリは押し黙る。それから少しの間沈黙が場を支配し、エミリが俯いた。
 雪のように白い前髪が目元を隠してエミリの表情を隠す。

「……分から、ない」

「分からない? どうして?」

「……何も、覚えて、ない」

「ふぅン……?」

 片眉を上げたレイカを見たるんちゃんが、口元に手を当てて顔から血の気を引かせていく。青くなっているるんちゃんの顔に構わず、エミリは話を続けた。

「ぼくはただ、『進まなきゃ』って思って、ずっと、歩いてて……」

「……分かった。つまりエミリちゃんは、『知らない』って。そう言うンだね?」

「うん……」

 白い髪の隙間から覗く瞳を見つめ、それを値踏みするかの如く目を細めるレイカ。
 その間、微塵も少女は白く透き通るような目を逸らさなかった。

 やがて、レイカは目を閉じて疲れたように一つ息を吐く。

「エミリちゃんはね、普通の人は入り込めない場所に倒れてたンだよ。だからワタシ達は、正直な話、君のことを疑ってる。君が何者か分からないから、もしかしたら『七つの大罪』の間者なンじゃないか、って……」

 七つの大罪。その単語に聞き覚えがあり、エミリはバッと勢い良く顔を上げた。
 黒く深い左目と白く透き通る右目の、その色違いの両目には驚きが宿り、食い入るようにレイカの顔を見つめる。それからふと、眉根を上げて視線を下の方で彷徨わせる。

「えと……『七つの大罪』って……?」

「世界の支配者」

 ぽつりと、何事も無く答えられた回答に目を見開いた。

「ぇ?」

「構成員のそれぞれは民衆の中に紛れてるらしくて、実際に世界の支配者らしく顔を知ってるのは『ワタライカエデ』一人だけ。それ以外は隠れて活動していると聞いてる。実際、国や街の維持はある会社がほとんど単体で行ってるしね」

 与えられる情報量をぽかんとした目でレイカを見つめ、黙り込んで聞いているエミリの様子を見て、レイカはため息を吐いた。

「その様子を見る限り間者の可能性は無いみたいだけど、少しだけこの部屋で待っててね。ちょっと会わせたい人がいるから」

 部屋を出て行ったその背中を見送って、エミリは部屋の中を見渡した。
 フローリングの床に、白い壁と天井。今座っているベッドは部屋の隅、部屋の入り口から見て右手前に位置していて、左側、つまりベッドから見て入り口よりも奥に、紙の束が置かれた机が。それ以外は、入り口から真っ直ぐ行ったところに、ちょうど窓があるくらいで、それ以外は何も無かった。

「この部屋、何も無いですよねぇ?」

「ぇ……」

 苦笑いを浮かべたるんちゃんがエミリに話しかけた。掛けられた言葉に返す言葉を見つけられず、エミリは口をつぐんで俯いてしまった。

「……エミリちゃんは、何か名前以外に覚えてることってありますか?」

「…………」

 左上を見つめ、片眉を上げたエミリの顔を見て、るんちゃんが和やかに笑顔を浮かべる。
 ふと、エミリは見当がついた顔で瞬きをした。

「ボクは、運命を変えられる」

 自分の胸に手を当ててそう告げたエミリの言葉に目を白黒させて、るんちゃんはその顔を固く強張らせる。けれども、どこか曖昧で、分かり切っていないようなエミリの表情に、困惑も含めた視線を注いだ。

「運命、って……あの運命?」

「たぶん……?」

「要領を得ないねぇ……。あ、そうだ」

 ちょっと待ってて、と言われ、るんちゃんが部屋から出て行くのを見送ったあと、手持ち無沙汰になったエミリは自分の両手を眺める。
 あまり、見覚えの無いその小さくか弱そうな手を見つめていると、喉が凍りつく。

 そもそも、自分の姿だってあまり認識していないのだ。今確認できる範囲では、十歳前後の女の子、長くてさらさらな白い髪の毛、白い肌、小さい体、と言うこと。

 そして、胸の内に抱く違和感にも似た嫌悪感に、どこか居心地の悪さを覚えている事も分かる事の一つだ。

 それから最後に、この右目だけは、糸のように漂っている運命が見えた。

 自分のものは分からないけれど、確かにそれは運命と呼ぶものだと、すぐに分かった。
 そして、その運命に触って、簡単にその人の人生を変える事が、自分にはできた。

 できてしまったから、喉が凍りついた。

 ※※※

「戻って来ましたよ。エミリちゃん」

 にこにこと笑顔を浮かべながら、両手を後ろに回して、るんちゃんは部屋の中に入って来た。そのどこかよそよそしい態度に眉をひそめると、るんちゃんは後ろに隠していた手を前に持ってきた。

 そしてその手には、宝石のようにきらきらとした、白が基調のフリルがたくさんついた可愛らしいドレスが大切そうに握られていた。首を、傾ける。

「なに、ソレ……?」

 淡白な口調ながらも尋ねると、るんちゃんはクワッと大きく目を見開き、ドレスと同じようにその金色の瞳をきらきらと輝かせて高らかに声を張る。

「ドレスです!」

「どうして……?」

 間髪入れず聞き返したエミリの答えにその笑顔を深く、その顔に刻み込んで、

「かわいいからですっ!」

 鼻息荒く、うるさいくらいの声を出するんちゃんを目を閉じて視界の外へ。すると、るんちゃんは一言付け加えた。

「下着も持って来ました!」

「した、ぎ……?」

 目を開け、斜め上を見上げたエミリはふと、肌寒さを感じて下半身に掛けられていたシーツを手繰り寄せる。それを肩から被ると温かくて、ほっとした。

「ほら、このパンツとか──」

「アホか」「いでっ」

 見上げれば、るんちゃんの背後に立っていたのは一人の女子だった。が、その声は明らかに男子のソレに近しいもの。もしくは少し声の低い女性、といった風な声で、目付きの鋭い、女性にも見えた。
 黒い短髪の、冷たく感じるその少年に、るんちゃんは遠慮がちに笑う。

「痛いですよぉ、まほまほくん」

「その名前で呼ぶなアホ」

「思春期真っ盛りですねぇ……まほまほくんは」

「コロスゾ?」

 殺意をその瞳に宿らせて睨んだ彼に「やめてくださいよ」と汗をかいた笑顔で返す。

「て言うかまほまほくん、ちょっとだけ外に出てください。この子、すっぽんぽんなので」

「は?」

「女子の着替え覗かないでください、って話ですよ」

「一瞬で済むんだからいいだろ」

「まほまほくんはバカですねぇ。女の子は裸を見られると恥ずかしいんですよ。知らないんですか?」

「男でもだ。それにオレは──」

 ぺちん、とるんちゃんの額を引っ叩きながら前に出て、エミリのおでこに触れる。そしてその黒い瞳が見つめるのは、エミリのオッドアイ。無性に力が入る背筋に困惑しながら姿勢を正して固まった。

「触れるだけで済むんだから」

 すると、まほまほくんと呼ばれている少年が触れた箇所が、ぼんやりと白い光に包まれる。頭上から差す光に目を細めていると、少年はエミリからすぐに手を離した。
 その後にくしゃくしゃと頭を掻き回され、余計に困惑した面持ちで口をぽかんと開ける。

「大丈夫。この子は敵じゃない。本当に記憶喪失だ。今のところ」

 るんちゃんへ振り向いて話していたまほまほくんを見上げ、エミリは瞬きをする。その白い瞳に映ったのは、ゆらゆらと彼の周りに漂う無数の糸。赤や黄色、青や白。たくさんの色が漂うそれらは、様々な道が存在する中で彼の辿る、まさしく『運命』であった。

「なら、ウチで預かりましょう。まほまほくんは、先輩に報告しに行ってください」

「なんでだよ」

「女の子の裸を見るつもりなら容赦しませんよ?」

「ハイハイ。行きゃあいいんだろ行きゃあ」

「あと、今日のご飯はご馳走なので楽しみに、とも」

「覚えてたらな」

 素っ気なく答えたまほまほくんはそう吐き捨てて部屋を出て行った。
 起きてから何度目になるかも分からない人の背中を見送り、ふとエミリは一言呟く。

「おなか、すいた……」

 く、きゅぅ、と。

 小さく腹の虫が鳴いた。





[あとがき]
 次回は11月8日です。
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