190 / 263
四章 進む道の先に映るもの
184話 『取り返しのつかない事』
しおりを挟む
──投げ放たれた羽根をレイは盾を展開して防ぐ。
左腕に纏わりつくように黒い粘液のような『何か』が放射状に広がり、人一人覆うほど大きな盾が飛んできた羽根を形成途中の『何か』に掴まれて速度を手放し、地面に落ちる。盾が、形成される。
トッ、と木を叩くような音が連続してレイを襲う。
音が続けば続くほどその表情を険しくしていく。
「お兄ちゃん……?」
そんなレイを見かねて、ナツミが声をかけるとレイはバッと振り返った。
「ナツミちゃん──」振り向いたレイは、一度だけ目を背け、首を小さく振って、ナツミに目だけを向ける「君に、お願いがあるんだ」
「えっ……」
「杉浦さんと、あの狼の女の人。あの二人と一緒に、外に戻って」
「っ。わ、私も、お兄ちゃんの役に立ちたいの……! お願い! このままじゃ、私は……」
「ううん。逃がすためじゃなくて、やって欲しいことがあるからだよ。──人を信頼、だよね?」
「あ、ありがと……。そっ、それで、何をしたらいいの……?」
「皆をここに連れて来てほしいんだ。ここには、あの化物は来てないから、きっと安全だから」
「わ、分かった……!」
視界の端に、泡が見えた──。
「な、あ──っ!?」
すぐに周囲に目を配らせ、次の瞬間、腹の底に響き渡るような重たい悲鳴とも聞き取れるような絶叫が耳を駆け抜けて脳天に響く。続く泡の増加にレイは息を飲む。
「ど──」
遠くで醜悪なドス黒い塊が動いているのが僅かに見えて、レイはそちらを向く。しかし、増加した気泡の隙間からはそれを見る事は叶わずに歯を噛んだ。
気泡が視界を外側から侵食していくように出現し、レイから視界を奪っていく。
袖を引っ張られてそちらを向くと、そこには必死に口を動かしているナツミがいた。
彼女を中央に捉え、それに手を伸ばすと同時に遂に視界が気泡に覆い尽くされた。泡が出来上がる音しか聞こえない中、必死に探るように周りに手を伸ばし、藻掻いて、気泡の奥を目を細めて認めようとする。
「ぼくはまだ、死んでない……! 殺されてない……! なんで、なんで……!?」
まるで水の中を暴れるように纏わりついてくる空気の重たさをその身に受けながら、レイは腕を振り回す。やがて、気泡が小さくなっていき、晴れてくる。
──光が、目を焼いた。
「うっ……」
その眩しさに目を細めて庇を作りながら後ずさると体勢を崩してしまい、蹌踉めいてしまう。
「あ」
ずるりと段差を踏み外し、もう何歩か後ずさって姿勢を整えると一つ、息を吐いた。
「だ、大丈夫かい? 剣崎くん」
聞き覚えのあるその声を聞き、目を見開いた。
ここにはいないはずの、彼女のその声を聞き、再び舞い戻ってきた事を知覚する。
「──ああ、うん」
返事をして、顔を上げるとそこには心配そうな顔をする滝本の姿があった。
「そうかい。良かったよ」
不自然に繋がれた輪のようにこの時へと再び舞い戻って来たレイは、自分の手を確認する。そこには、ただただ震えている、決意を無下に、誰も救えなかったか弱く、頼りない手だけがそこにはあった。
※※※
「よいしょっとー」
しずかは帰る準備をしていた。鞄の中がぐちゃあ、となっているのを見て、しずかは慌てて鞄をひっくり返してその中身を一からしっかりと直そうとする。
──ひっくり返した瞬間、一体いつ渡されたのかすら分からないプリント群がその中から数え切れないほど飛び出して来たのを見てぼんやりと口を開けて呆けてしまった。
「あああああーっ!」
泣く泣くそれを片していると、レイカが散らばったプリントの何枚かを揃えて「はい」と渡してきて、一瞬だけきょとんと固まってしまったものの、その手元を見てからもう一度レイカを見上げたしずかは柔らかく目を細めた。
「ありがとー」
「どういたしましてっ。てかしずかちゃん、こんなにも溜めてたんだ。──私なんかネネさんに調べられるからすぐにプリントとかは持って行かれちゃうよー」
あはははは、と苦々しい思い出があるのか、それともまずい事でもあったのか、から笑いするレイカは目に涙を浮かべて泣きそうになりながらたらたらと脂汗をかいてしまっていた。
「どーしたのー? レーカちゃんー」
「いや、なんでも? ないよぉ? にゃはははは……はあ……。ウソ。ほんとは教科書とかに挟んで隠してたプリント、渡さなきゃいけなかったやつで……。渡すの怖い。ネネさん、すっごい怒るし……。あれ、明日までだし……」
「レーカちゃん……」
項垂れるレイカの頭を撫でて、弾かれたように顔を上げるレイカに笑って見せる。
レイカはその顔を見て、うるっと目に溜まる涙が増加したのを感じながら「うにゃああああああっ!」としずかに抱きついた。その瞬間、咄嗟に宙に浮いたプリントをキャッチして、抱きつかれる。
「しずかちゃんはなんて優しいんだ……! 私は嬉しいよおおおっ!」
物凄い勢いで
「レーカちゃーん、周りの人が驚いてるからー、一旦落ち着こー……?」
「──あ、そ、そうだね」
いやー、お騒がせいたしましたっ。と周りに向けてお辞儀をするレイカを中心に笑いの渦が巻き起こった。その光景を、まるで女優を見るような目で見て小さく微笑んでから視線を外し、鞄にプリントを直す作業を早々と終わらせた。
「帰る準備してくださいねー。じゃないと早く帰れなくて夜まで学校にいる事になるわよーっ」
からかうように両手を上げて如何にも脅かそうとしているのを見て、多くの生徒達が笑う。笑って、それぞれの席にゆっくりと戻って行き、全員が各々の席に座ると担任の先生がその手を下ろした。
「まー、今日も何かと元気だったね皆! 別段いつもと変わんなくて先生安心安心。──とまあ、このまま話しちゃうとずっと続きそうだからやめといて、手紙、幾つか配るわよー。はいはい回して回してー。早く帰れなくなっちゃうからー。先生が」
その言葉に従い、渡されたプリントを手際良く後ろに回していく生徒達。
その全員にプリントが行き渡ると、先生はうんうんと頷いてから「それじゃー帰りの挨拶っ」と片手を挙げる。
「今日も一日お疲れーっ!」勢い良く手を振り下ろした「はい解散っ!」
がやがやと突然に騒がしくなる教室に、しずかは一瞬だけびくっと体を震わせる。
「しずかちゃーん! 帰ろーっ!」
斜め後ろを向いてそう言うレイカに、こくっ、と快く頷いて見せた。
「いいよー。レーカちゃん」
「やたー」
その小さな子供みたいに純真無垢な笑顔を見せられて、しずかはそっと肩の力を抜いた。悩んでいたのが馬鹿らしくなったような、そんな吐息を漏らしてしずかは鞄を背負う。
「それじゃー帰ろー」
レイカに笑いかけて、その隣まで歩いて行った。学校指定の紺色の鞄のチャックを閉じて、背中に背負うと「帰ろー帰ろー!」と拳を高く掲げた。
※※※
「ただいまー」
いつも通り、ドアを開けると同時にドタバタと激しい音がして、慌てて部屋から出て来た優太がしずかを見る。走り続けていたかのように肩を上下させる優太の様相に優しい笑顔を向けてもう一度「ただいまー」と静かに、そう言う。
「お、おかえり……」
小さく、躊躇うように手を挙げて、優太は一息ついた。
後ろ手にドアを閉じて玄関に座って靴を脱いでいると、側へと優太が歩いて来る。
「お帰り、姉さん」
「ただいまー」
脱いでいる最中の靴を見つめ、紐を解くその手を休めながら再びそう返す。
優太は少しだけ顔を背け、それからその背中に少しばかりの迷いが見える黒い瞳を向けて口を開け、言い損ねる。口をつぐんで、首を横に振り、強引に意を決したように自分の胸に手を当てて、短く息を吸い込んだ。瞳に漂う迷いを押し隠して少しだけ目尻を尖らせる。
「──姉さん」
「んー? どーしたのー?」
「姉さんは、さ……」
その先を続けられない優太の方を見ず、顔を下に向けたまま、しずかは「んー」と聞く姿勢を見せる。その少し丸められた背中から目を背け、壁の方に目線を注ぎながら優太は「どう、やったの……?」と怖がるような口振りで聞いた。
「──お姉ちゃんはねー、たぶんー……一人じゃ何もできなかったと思うんだー」
「……そんな事、ないよ。姉さんは、強い」
「レーカちゃんがー、私をー、助けてくれたからー。──だからねー、私もー、ゆうくんのー、力になれるならー、なるよー?」
振り返って見れば、そこに映るのは苦々しく、悲しみを堪えるような、怒りを隠すような、それはまるで熱を取り払った恥ずかしさのように、少年の顔を歪めていた。
ただ、それは次の瞬間には顔の内側に隠されて少し遠慮がちな笑みが代替品としてその顔に浮かべられる。その一瞬の葛藤に、しずかは悲しみを彩る瞳を目を伏せて隠した。
「……そう、なんだ。ありがと……」
小さく、弱々しく、それは諦めのような、それは落胆のような、負の方面へと顔を向けたまま、優太はそう口にした。
「んー……」
再び靴に視線を戻し、しずかはぐちゃぐちゃになってしまっていた紐を解こうとして、はたと目を大きく見開き、弾かれたように顔を上げる。再び振り返って「待ってー」と間の抜けた声がその廊下に響いて、部屋に戻ろうとする優太の足が止まった。
振り返らずに、優太は答える。
「……どうしたの? 姉さん」
「お姉ちゃんとー、お出かけしよー?」
「どうして……?」
「お姉ちゃんとならー、きっとー、平気だよー……?」
ぎりっ、と歯を噛み砕くほど強く、歯を軋らせる。
まだ幼い顔を向けて、優太は答える。その顔には、もはや喜びや嬉しさのようなものは知らないとでも言うような、悲しみが彩られていた。それはいっそ、憐れみのようなものをその瞳に宿しているようで。
「──姉さんは、ほんと、姉さんだね」
それだけ言い残し、優太は部屋に入って行った。
しずかは目を伏せて、そっと、こんがらがった紐を一人でどうにか解いて靴を脱ぎ、部屋に戻って行った。家の廊下が、まるで大きな溝のように二人の間に存在しているかのような、もう会えないと思ってしまう、そんな虚無感や悲しみが入り混じった瞳を細めて、ほろりとほんの一つだけ、涙を流した。
[あとがき]
レイくんの方も少しずつ終わりが見えてきた頃合い……まだ終わらないけれどね!
ループの条件は、レイくんの死亡ではないです。勘のいい人はもう分かったと思うけれど、もうしばらく謎のままで……。
連続更新まだまだ続くよ!次回もよろしくね!
左腕に纏わりつくように黒い粘液のような『何か』が放射状に広がり、人一人覆うほど大きな盾が飛んできた羽根を形成途中の『何か』に掴まれて速度を手放し、地面に落ちる。盾が、形成される。
トッ、と木を叩くような音が連続してレイを襲う。
音が続けば続くほどその表情を険しくしていく。
「お兄ちゃん……?」
そんなレイを見かねて、ナツミが声をかけるとレイはバッと振り返った。
「ナツミちゃん──」振り向いたレイは、一度だけ目を背け、首を小さく振って、ナツミに目だけを向ける「君に、お願いがあるんだ」
「えっ……」
「杉浦さんと、あの狼の女の人。あの二人と一緒に、外に戻って」
「っ。わ、私も、お兄ちゃんの役に立ちたいの……! お願い! このままじゃ、私は……」
「ううん。逃がすためじゃなくて、やって欲しいことがあるからだよ。──人を信頼、だよね?」
「あ、ありがと……。そっ、それで、何をしたらいいの……?」
「皆をここに連れて来てほしいんだ。ここには、あの化物は来てないから、きっと安全だから」
「わ、分かった……!」
視界の端に、泡が見えた──。
「な、あ──っ!?」
すぐに周囲に目を配らせ、次の瞬間、腹の底に響き渡るような重たい悲鳴とも聞き取れるような絶叫が耳を駆け抜けて脳天に響く。続く泡の増加にレイは息を飲む。
「ど──」
遠くで醜悪なドス黒い塊が動いているのが僅かに見えて、レイはそちらを向く。しかし、増加した気泡の隙間からはそれを見る事は叶わずに歯を噛んだ。
気泡が視界を外側から侵食していくように出現し、レイから視界を奪っていく。
袖を引っ張られてそちらを向くと、そこには必死に口を動かしているナツミがいた。
彼女を中央に捉え、それに手を伸ばすと同時に遂に視界が気泡に覆い尽くされた。泡が出来上がる音しか聞こえない中、必死に探るように周りに手を伸ばし、藻掻いて、気泡の奥を目を細めて認めようとする。
「ぼくはまだ、死んでない……! 殺されてない……! なんで、なんで……!?」
まるで水の中を暴れるように纏わりついてくる空気の重たさをその身に受けながら、レイは腕を振り回す。やがて、気泡が小さくなっていき、晴れてくる。
──光が、目を焼いた。
「うっ……」
その眩しさに目を細めて庇を作りながら後ずさると体勢を崩してしまい、蹌踉めいてしまう。
「あ」
ずるりと段差を踏み外し、もう何歩か後ずさって姿勢を整えると一つ、息を吐いた。
「だ、大丈夫かい? 剣崎くん」
聞き覚えのあるその声を聞き、目を見開いた。
ここにはいないはずの、彼女のその声を聞き、再び舞い戻ってきた事を知覚する。
「──ああ、うん」
返事をして、顔を上げるとそこには心配そうな顔をする滝本の姿があった。
「そうかい。良かったよ」
不自然に繋がれた輪のようにこの時へと再び舞い戻って来たレイは、自分の手を確認する。そこには、ただただ震えている、決意を無下に、誰も救えなかったか弱く、頼りない手だけがそこにはあった。
※※※
「よいしょっとー」
しずかは帰る準備をしていた。鞄の中がぐちゃあ、となっているのを見て、しずかは慌てて鞄をひっくり返してその中身を一からしっかりと直そうとする。
──ひっくり返した瞬間、一体いつ渡されたのかすら分からないプリント群がその中から数え切れないほど飛び出して来たのを見てぼんやりと口を開けて呆けてしまった。
「あああああーっ!」
泣く泣くそれを片していると、レイカが散らばったプリントの何枚かを揃えて「はい」と渡してきて、一瞬だけきょとんと固まってしまったものの、その手元を見てからもう一度レイカを見上げたしずかは柔らかく目を細めた。
「ありがとー」
「どういたしましてっ。てかしずかちゃん、こんなにも溜めてたんだ。──私なんかネネさんに調べられるからすぐにプリントとかは持って行かれちゃうよー」
あはははは、と苦々しい思い出があるのか、それともまずい事でもあったのか、から笑いするレイカは目に涙を浮かべて泣きそうになりながらたらたらと脂汗をかいてしまっていた。
「どーしたのー? レーカちゃんー」
「いや、なんでも? ないよぉ? にゃはははは……はあ……。ウソ。ほんとは教科書とかに挟んで隠してたプリント、渡さなきゃいけなかったやつで……。渡すの怖い。ネネさん、すっごい怒るし……。あれ、明日までだし……」
「レーカちゃん……」
項垂れるレイカの頭を撫でて、弾かれたように顔を上げるレイカに笑って見せる。
レイカはその顔を見て、うるっと目に溜まる涙が増加したのを感じながら「うにゃああああああっ!」としずかに抱きついた。その瞬間、咄嗟に宙に浮いたプリントをキャッチして、抱きつかれる。
「しずかちゃんはなんて優しいんだ……! 私は嬉しいよおおおっ!」
物凄い勢いで
「レーカちゃーん、周りの人が驚いてるからー、一旦落ち着こー……?」
「──あ、そ、そうだね」
いやー、お騒がせいたしましたっ。と周りに向けてお辞儀をするレイカを中心に笑いの渦が巻き起こった。その光景を、まるで女優を見るような目で見て小さく微笑んでから視線を外し、鞄にプリントを直す作業を早々と終わらせた。
「帰る準備してくださいねー。じゃないと早く帰れなくて夜まで学校にいる事になるわよーっ」
からかうように両手を上げて如何にも脅かそうとしているのを見て、多くの生徒達が笑う。笑って、それぞれの席にゆっくりと戻って行き、全員が各々の席に座ると担任の先生がその手を下ろした。
「まー、今日も何かと元気だったね皆! 別段いつもと変わんなくて先生安心安心。──とまあ、このまま話しちゃうとずっと続きそうだからやめといて、手紙、幾つか配るわよー。はいはい回して回してー。早く帰れなくなっちゃうからー。先生が」
その言葉に従い、渡されたプリントを手際良く後ろに回していく生徒達。
その全員にプリントが行き渡ると、先生はうんうんと頷いてから「それじゃー帰りの挨拶っ」と片手を挙げる。
「今日も一日お疲れーっ!」勢い良く手を振り下ろした「はい解散っ!」
がやがやと突然に騒がしくなる教室に、しずかは一瞬だけびくっと体を震わせる。
「しずかちゃーん! 帰ろーっ!」
斜め後ろを向いてそう言うレイカに、こくっ、と快く頷いて見せた。
「いいよー。レーカちゃん」
「やたー」
その小さな子供みたいに純真無垢な笑顔を見せられて、しずかはそっと肩の力を抜いた。悩んでいたのが馬鹿らしくなったような、そんな吐息を漏らしてしずかは鞄を背負う。
「それじゃー帰ろー」
レイカに笑いかけて、その隣まで歩いて行った。学校指定の紺色の鞄のチャックを閉じて、背中に背負うと「帰ろー帰ろー!」と拳を高く掲げた。
※※※
「ただいまー」
いつも通り、ドアを開けると同時にドタバタと激しい音がして、慌てて部屋から出て来た優太がしずかを見る。走り続けていたかのように肩を上下させる優太の様相に優しい笑顔を向けてもう一度「ただいまー」と静かに、そう言う。
「お、おかえり……」
小さく、躊躇うように手を挙げて、優太は一息ついた。
後ろ手にドアを閉じて玄関に座って靴を脱いでいると、側へと優太が歩いて来る。
「お帰り、姉さん」
「ただいまー」
脱いでいる最中の靴を見つめ、紐を解くその手を休めながら再びそう返す。
優太は少しだけ顔を背け、それからその背中に少しばかりの迷いが見える黒い瞳を向けて口を開け、言い損ねる。口をつぐんで、首を横に振り、強引に意を決したように自分の胸に手を当てて、短く息を吸い込んだ。瞳に漂う迷いを押し隠して少しだけ目尻を尖らせる。
「──姉さん」
「んー? どーしたのー?」
「姉さんは、さ……」
その先を続けられない優太の方を見ず、顔を下に向けたまま、しずかは「んー」と聞く姿勢を見せる。その少し丸められた背中から目を背け、壁の方に目線を注ぎながら優太は「どう、やったの……?」と怖がるような口振りで聞いた。
「──お姉ちゃんはねー、たぶんー……一人じゃ何もできなかったと思うんだー」
「……そんな事、ないよ。姉さんは、強い」
「レーカちゃんがー、私をー、助けてくれたからー。──だからねー、私もー、ゆうくんのー、力になれるならー、なるよー?」
振り返って見れば、そこに映るのは苦々しく、悲しみを堪えるような、怒りを隠すような、それはまるで熱を取り払った恥ずかしさのように、少年の顔を歪めていた。
ただ、それは次の瞬間には顔の内側に隠されて少し遠慮がちな笑みが代替品としてその顔に浮かべられる。その一瞬の葛藤に、しずかは悲しみを彩る瞳を目を伏せて隠した。
「……そう、なんだ。ありがと……」
小さく、弱々しく、それは諦めのような、それは落胆のような、負の方面へと顔を向けたまま、優太はそう口にした。
「んー……」
再び靴に視線を戻し、しずかはぐちゃぐちゃになってしまっていた紐を解こうとして、はたと目を大きく見開き、弾かれたように顔を上げる。再び振り返って「待ってー」と間の抜けた声がその廊下に響いて、部屋に戻ろうとする優太の足が止まった。
振り返らずに、優太は答える。
「……どうしたの? 姉さん」
「お姉ちゃんとー、お出かけしよー?」
「どうして……?」
「お姉ちゃんとならー、きっとー、平気だよー……?」
ぎりっ、と歯を噛み砕くほど強く、歯を軋らせる。
まだ幼い顔を向けて、優太は答える。その顔には、もはや喜びや嬉しさのようなものは知らないとでも言うような、悲しみが彩られていた。それはいっそ、憐れみのようなものをその瞳に宿しているようで。
「──姉さんは、ほんと、姉さんだね」
それだけ言い残し、優太は部屋に入って行った。
しずかは目を伏せて、そっと、こんがらがった紐を一人でどうにか解いて靴を脱ぎ、部屋に戻って行った。家の廊下が、まるで大きな溝のように二人の間に存在しているかのような、もう会えないと思ってしまう、そんな虚無感や悲しみが入り混じった瞳を細めて、ほろりとほんの一つだけ、涙を流した。
[あとがき]
レイくんの方も少しずつ終わりが見えてきた頃合い……まだ終わらないけれどね!
ループの条件は、レイくんの死亡ではないです。勘のいい人はもう分かったと思うけれど、もうしばらく謎のままで……。
連続更新まだまだ続くよ!次回もよろしくね!
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です
岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」
私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。
しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。
しかも私を年増呼ばわり。
はあ?
あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!
などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。
その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる