当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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三章 炎は時に激しく、時に儚く、時に普遍して燃える

133話 『消してしまいたい過去のこと』

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 二人は彼女を玄関まで見送った。
 玄関から出て行く彼女の顔はにこやかで、晴れ晴れしかった。

「……レイくん」

「……? 何? レイカちゃん」

「にやちゃんがレイくんのこと好きでも、手を出しちゃダメだからね! 絶対!」

 ぶわっ、と肌が粟立つのが分かり、レイは突如として震え始めた肌を擦って温めようと試みるも悪寒は治まらず、それどころか酷く悪化しているようにも感じられる。
 ふと、レイカが目を見開く。

「レイくん……? 顔色、悪いよ? ──怒った?」

「あ、ごめんね、大丈夫。ううん、怒ってないよ。……大丈夫、だから」

 白い歯を見せ、弱くはにかんだように笑って見せるレイの唇が、血色の悪い紫色をしていて、レイカは先程留めて休ませなかったことを悔いてきゅっと握り拳を作った。

「なんか、調子悪いって言ってたもんね。休んでもいーよ。私が悪いんだし」

「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……」

 レイはまだ弱々しく笑っている。階段を上がって行って、こちらを向いていたレイの顔は、最後まで笑っていた。

 ──その日、レイは部屋から出てくることはなかった。

 ※※※

「──ねえ」

 向かいの家、友達の家、レイカ達の家を出た二弥はその門扉の前で立っていた。
 それから空を仰ぎ、赤く腫らした目が電灯がつき始め、等間隔に光る白い電灯が一つ、視界の端に映って目を細める。そこでようやく、返事が返ってきた。

「何かな?」と彼女の口が動く。

「なんで……」

「ああ」と見当が着いたようにその薄く小さな唇が動く。「私との約束、その一つだよ」

「ぇ……じゃあ、それって」

「うん。あの子が、私の探している子。名前は『シェイド』。こんな名前だけど、女の子だよ。見た目はちょうど……にやちゃんくらいの年齢かな……? もしかしたらもう少し小さいかもしれないけれどね」

「……分かった。約束、だもんね」

「協力してくれてありがと、にやちゃん」

 動いていたが、言葉を紡ぐのをやめた。
 二弥は唇を引き結び、背負った赤いランドセルの肩ベルトと服に親指を挟んで覚悟を決める。もしかしたら別れるかもしれない人の顔を思い浮かべて。
 二弥はその庭を出て広くは無いが狭くもない道を左右を確認。左に男性、右に女性、男性の奥に中学生らしき女の子二人、女性の反対側を歩いている犬を連れたお婆さんが一人。何も危険がないことを確認してから家に向かう。

 家の車庫のシャッターが閉まっていて、きっとお父さんが帰ってるんだ、と二弥は心中で呟く。いつもこの車庫が閉まっているのは車が車庫入っている時だけだから、とも。

 いつも閉め忘れているので帰って来てまず家の中に入って、家の中から車庫に移動し、そこからシャッターを下ろしている。家から車庫に繋がるドアにはかけられる鍵が無い。二弥は少し不用心だと思うけれど、ずっと言い出せずにいる。注意できずにいる。

 玄関の鍵穴に鍵を差し込んで回そうとした時、いつもの方向に中々回らない。
 やはり帰って来ていたと確信するに至った。

「……ただいま」

 ドアを開けて言ったその言葉は、小さくて、聞こえたのかどうかが二弥にも分からない。だけど、これだけはやめてはいけないと、二弥はちゃんと毎日欠かさずに言っている。例え誰もいない家でも、必ず言うようにしている。
 今日は例外だ。

 なんて言っても、お父さんがいるから、と二弥は弾む足を抑えて平常を装う。

 玄関で靴を脱いで、白い三和土たたきの左横、壁沿いに設置された上から赤、ピンク、黄色、青の四つの立方体のシューズボックスの内、上から二つ目のピンク色のシューズボックスに脱いだ靴を入れる。

 ぱたん、とシューズボックスを閉じてフローリングの床の上に移動する。ここに来る時に買ったピンク色の水玉模様の靴下がまだ引っ越してきたばかりの新鮮な床を踏む。

 本当に新鮮なのかな、と立ち止まってぼんやりと影の中に自分の顔が反射する床を見つめる。しかし、その正答を持って来る者はこの場にはおらず、疑問はそれこそ晴れなかったがそうだといいな、と腰まで伸びている長い髪の毛先を手首から巻き込み、ちろちろと人差し指で叩くように、でも、どこか大切に触るようにいじる。

 それから、「二弥?」と正面の階段の上から声が聞こえてきて、顔を上げた。
 少し上って、すぐに左に曲がるように上に伸びる階段には低い位置に手すりが付いていて、今の二弥にはちょうどいい高さだった。

「二弥? 帰って来てる?」

「……うん」

 階段が軋む音がして、それがどこか安心したように聞こえて、その音がゆっくりと近づいて来る。ドクンっ、と一際強く心臓が跳ねて、突然襲って来た息苦しさに顔をしかめる隙もなく──あの時を想起させる階段の音が、迫り来る。

 ──にやちゃん、どうしてママの言うことができないの……?

 明るい部屋、テーブルに顔を押し付けられて、手にペンが突き刺さる。

 ──にやちゃん、ママは忙しいから、そこで大人しくしててね。

 暗い場所、押し込められるようにそこに入れられて、鍵を閉められて閉じ込められる。

 ──にやちゃん、隠してって、いつも言ってるでしょう?

 帰って来て、すぐの明かりの付いた玄関で、頭のものを隠すために長くした髪の毛を引っ張られる。

 ──にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん、にやちゃん──……。

 あの顔が、怒っている顔が頭から離れないで、何度も何度も名前を呼ぶ。
 一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人、八人──……まるで、たくさんの人に怒られているような、これまでに出会ったもの全部に怒られているような、逃げたくて、逃げて、でも、逃げ場がなくて、すごく怒られる。
 声を出すこともできないままあの顔が、もう見たくなくて、黒く塗り潰した見えない顔が、怖く目を光らせて呼ぶ。私を。私の名前を──……。

「……──ゃ、にや、二弥、二弥。二弥」

 気が付いた時には、目の前に自分の父親の心配そうな目があった。お父さんは膝をついて肩を掴んで、顔の高さを合わせてくれている。

「二弥、平気?」

 目がぱっちり開いていて、全身に纏わりつくような寒気が、脚を捕まえて、腰を捕まえて、手を、腕を、首を、顔を──そして、目の奥にどっぷりと入り込んでくるように、寒気でぼんやりとしか機能しない頭を使って、けれども、何もできなくて、手を見た。

 ずっと震えていて、上手く力を入れることも叶わない。

「二弥、聞こえる?」

 聞こえる、と言おうとして「ぁ、ぇぅ……」としか言えなかった。
 それでもお父さんは嫌な顔をしなくて、それどころか少し安心したようにも見える。
 少し、やんわりと笑っている。

「返事、できる?」

 優しく、杞憂だったとでも言いたげに聞いてくるお父さんの顔に目が移り、少しだけ、ホッとした。その時に息をしていなかったと、気が付いた。そのまま力が抜けるようにぺたっ、としゃがみ込み、ぬいぐるみのように顔が床を向いた。

 二弥の心臓が強く鼓動を刻む。

 まるで、意識を肉体に繋ぎ止めようとしているかのように。

「……歩ける? おんぶ、して上がろうか?」

 ハッとして、それだけはダメだと思って慌てて顔を振った。
 恥ずかしい。

「もう、へいき」

「そう、……なら、分かった。だけど、無理はしないでね」

「……うん」

「ご飯、食べられそう? 今日は二弥の好きなお刺身にするつもりなんだけれど……」

 近くのスーパーのだけれどね、とほっぺをかいて、少し謝っているようにも見えるように笑っていた。よく見たら、よく見なくても分かる。お父さんは深緑色の、おへその近くにポケットの付いているエプロンを着ている。

「食べる」

 即答した二弥に苦笑を浮かべて、「良かったよ、安心した」とやはり嬉しそうに彼は笑っている。

 二弥は、いつの間にか力の入るようになっていた体で立ち上がって、ランドセルの重さにびっくりして後ろに倒れてお尻をうってしまった。

「歩けないのなら、手を繋ぐ?」

 二弥は父親の手を取った。
 その手の温もりを確かめるように強く握り締めて。





[あとがき]
 おはようこんにちはこんばんわ、作者です。
 文章や物語の構成が上手くなりたいと思うけれど上手くならない、そんな残念な人です。
 前置きは終わりにして、さて、二弥ちゃんの口が言っていた『シェイド』ですが、作中で名前が出る事は今後無いと思います。物語に深く関わってくるんですけれどね。
 でも、関わるって言っても間接的なもので、登場はたぶんしません(今後の予定変更で出るかもしれませんが)。
 あと、話全体が七章構成とか言ってましたが、もう少し長くなるかもしれません。八十万字もたぶん超えます。

 拙い作品をご覧いただきありがとうございます。次回は十月二十三日の更新になります。
 それではまた次回。三章は戦闘ほぼ無いですが、読み続けてくれれば幸いです。
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