当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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三章 炎は時に激しく、時に儚く、時に普遍して燃える

122話 『心は見えないけど』

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 ──朝食を食べ終わったレイ達は、並んでテレビを見ていた。いや、見ていたのはレイとレイカの二人のみ。コオロギとネネは今、この場にはいない。
 ネネは買い物へ。コオロギは部屋に戻って行った。

「むむむ……ニュースはつまんなーい! ゲームしよっ、ゲーム!」

「うん。良いよ」

 先程の剣呑な空気は忘れ切ったようにレイカはソファの上で横に倒れる。その頭が向かう先にあるのはレイの柔らかな太もも。その上に頭を乗せようとレイカは体を横に倒す。

 ──が、

「どうしたの?」

 それはレイの腕に阻まれ、起こされた。

「はにゃぁぁ……。──あっ、そう言えばレイくん、あの時、一つお願いするって言ったよね?」

「あ、うん。言ったね。何か思いついたの?」

「うん。──私が好きな時に一緒に遊んで。一緒にいてね」

「そんな事でいいの?」

「うんっ! レイくんがいたらつまんなくなることはあんまりなさそーだし!」

「分かったよ」

 白い歯を見せて笑うレイカは、嬉しそうに、ちょっとだけ寂しそうに眉尻を下げて、それでもやっぱり笑って見せた。

「それじゃあ早速、さっきのとは別にお願いがあるんだけど……」

「どうしたの? ボクにお願いって……」

「眠たいから太もも枕にしていい!?」

 沈黙がこの場に降り立った。しばらく、それがこの場を支配し、テレビからの音声が響き渡る。

『……続いて、天気予報です』

「……良いよ。うん。分かった」

 細められた目をレイカに向けて、レイは太ももの上を数度払い、「いいよ」とだけレイカに微笑みを投げかける。

「ほんと? ほんとに?」

「うん。ほんと」

「にゃははぁ~! さっきはなんか、怖かったし、びっくりして怒っちゃったかと思ったよ~」

「──怒ってないよ。怖がらせたなら謝るよ。ごめんね」

 ぽふっとレイの太ももに頭を乗せたレイカは、あくびをかいた。早かった朝食は六時に食べ終わり、今は朝の七時過ぎだ。ほどなくして、レイカは静かな寝息を立て始めた。それを見て、レイは目を細める。胸をかきむしりたくなるほどの激情に歯噛みして。

 テレビを見ると、ニュースは終わっていた。レイカの足の上に置いてあるリモコンを取って、テレビを消すと、リモコンを置いてレイカの頭を撫でる。

 かつてのそれを思い出すように、優しくそっと、大切なものに触るように慎重に撫でる。

「……」

 ゆっくりと、レイカの少し長い髪をくるくると指に巻いていく。
 それから、ふぅ、と溜息を吐くと、気持ち良さそうに眠っているレイカの頭を持ち上げて逃げるように立ち上がろうとした。それを阻止したのはレイカだ。
 ──正確には、レイカの寝言がレイの行動を変え、再び座らせた。

「行か、ないで……ぇ、ママぁ……」

 レイはそこに座り込んで、再びレイカの頭に手を乗せた。

「──どこにも行かないよ。ボクは……」

 ……──君のだから。

 あの人みたいに、ボクは、君を守る。あらゆる脅威から、あらゆる恐怖から、あらゆる痛みから。至らないかもしれない。それでも、ボクは諦めない。君を守る。ここを守る。これだけを憶えていられたら、それでいい。

 微笑みながら目を閉じたレイは、背中から誰かに優しく抱き締められた感覚に陥った。

 ※※※

「──あら?」

 ネネは素っ頓狂な声と共に両手に提げたレジ袋を離してしまいそうになり、地面に落としかけたが、咄嗟の判断力と素早い機転によってレジ袋はネネの手を離れる事はなく辛うじて難を逃れた。しかし、それもここまで。
 ここまできて、流石のネネも何も打つ手が無くなってしまう。

「鍵を……失くしちゃった……」

 いや、そんなことはない──ッッッ!と己を奮い立たせて地面に置いたレジ袋の中を漁り、一度全てを外に出す。
 アイス、今晩のおかずの材料、マンガ、レイカのお菓子、水、ジュース。しかし、その中のどれも、家の鍵が当てはまることは無かった。

 苦笑と共に力の無くだらりと腕を下ろした肩がかたかたと人形のように上下して、ネネはとぼとぼと庭をリビングのガラス戸の方へと回り込む。
 しかし、呼びかけようがノックをしようがその返事はことごとくない。それに、よく目を凝らして見ると、その向こうではレイとレイカ仲良く眠っていた。
 その事に顔が綻ぶ反面、どうしようもないと言う言葉が脳裏を掠めたが、即座に首を横に振ってそれを否定する。まだ一人、その姿を見ていない者がいるのだ。

 息を吸い込んで、思いっきり吐き出す。そして再び深く、全身に酸素を張り巡らせ、その随所に音響装置を設置するかのように肺に空気を限界まで押し込んだ。そして、それを息苦しさと共に言葉を外へと開放する。

「こぉぉぉぉうぅぅぅぅぅくぅぅぅぅぅんんんん──ッッッ!!」

 大人としての尊厳を捨てたかもしれないこの叫びに応じる声や反応は、一つも返ってはこない。しかし、それとは裏腹に自身への精神的ダメージは途轍もなく大きかった。

 結局、待ちぼうけを喰らうことになってしまい、ネネは玄関のドアに背を向けて重たいレジ袋を地面に置いた。その中から、日頃のご褒美にと買ったアイスを取り出す。低い円柱型の容器に入ったストロベリー味のアイス。その蓋を開けて、袋に入っている小さなスプーンを取り出してアイスを食べる。

「あむあむ……。まさか、鍵を失くしちゃうなんて……」

 一人で寂しくあむあむとアイスをちびちび食べていると、とてつもなく虚しい感慨に迫られ、何かを駄弁るような元気もなくなってきた。しかし、今日のネネは一味違う。
 何せ、アイスがあるのだ。これでしばらくは──十分くらいは平気だろう。しかし、そのスプーンがちびちびと少し躊躇い気味なのには理由がある。

 悪魔の囁きが、肩の上に乗ってネネを誘う。

『キキキ、そんな迷いなんて要らないのさ。別に、太った所で誰も見ないよ』

 しかし、それに対抗するように反対側から天使が耳元で諭す。

『ダメよっ、乙女の心を忘れちゃいけないわ! 太ったりなんかしちゃったら、誰にも見向きされなくなっちゃう!』

 ──双方とも、欲望がだだ漏れだ。

 片や『アイスを食べたい』と悪魔が、片や『太って更に男性に見向きされなくなるのは嫌だ』と天使が。双方とも、救いようのないほど欲望に忠実で、四つの目がネネをギラギラと煮え滾るほど熱く燃え上がった熱線を浴びせている。

 悪魔はまだしも、天使までもが欲望に従順な下僕と成り下がってしまった。

 ネネは頭の上で天使と悪魔が争っているのを認識しながらも意図的にそれらの情報を除外──要するに無視して、黙々とアイスを食べ続けた。出来レースである。

 天使と悪魔の対決は悪魔の勝利で幕を閉じ、それでもやはりまだまだ閉じたまま開く気配の無いドアの前でちびちびとアイスを食べ続けた。アイスは少し溶けていた。

 家の前の道を通り過ぎる人達は、大抵、ちらっとネネの方を見てからすぐに視線を前に戻して通り過ぎていく。男、女、子供、自転車、車、朝なのにけっこう多くの通行人がいた。

 もうすぐアイスも半分くらい食べ終わるが、まだまだ開く気配の無いドアにもたれて食べようとしたが、それは失敗に終わってしまう。

「あっ──」

 背中を押される感覚に、前のめりに倒れそうな所を仰け反ってなんとかバランスを取れたネネは、その姿勢のまま振り返る。

「──ネネさん?」

「あ、レイくん! 良かったぁ……鍵が迷子になっちゃって……」

「……失くしたんですか?」

「うっ……その、通りよ……」

「言ってくれたら開けたのに」

「言おうとしたけど寝てたの! レイくん寝てたのっ!」

「それは──すみません。気を付けます」

 なぜかレイが謝る形で会話を終えて、ようやっとネネは家の中に入る事ができた。
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