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二十話「シュタイン領への旅立ち」*

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エアネスト視点

◇◇◇◇◇

翌日の朝早く、ボクとヴォルフリック兄上は少ない荷物を持ち城を出た。

見送る人もいない寂しい旅立ちとなった。

いや実は部屋付きのメイドのエリザが、ボクがシュタイン侯爵領に行くことになったと知って泣いてくれた。

執事のアデリーノもボクと兄上がシュタイン侯爵領に行くと知り、とても悲しんでくれた。

だけど彼らの出世に響くから、見送りを断った。

侯爵領に向かう馬車は二頭立ての質素なものだった。

それでも町で見かける商人の馬車よりはずっと立派だ。

王子時代に乗っていた、四頭立ての馬車に比べると質素というだけで。

荷物を馬車の屋根に乗せ、紐で固定する。貴重品だけは客席に乗せた。

「本当にいいのですかヴォルフリック兄上? 兄上には城で暮らす道もあるのですよ」

ヴォルフリック兄上は雨を降らせたことで、精霊の神子として国民からの支持を得ている。

父上も口ではああ言ってるが、本当はヴォルフリック兄上を手放したくないはず。

「髪が黒くなっただけで牢屋に入れ、農民が押し寄せてきても助けようとしなかったあの男の下で働けと? ごめんだな」

十三年の間、牢屋に入れられていたヴォルフリック兄上の心の傷は深い。

兄上に父上と仲良くしていただきたかったのだが、その架け橋となるべきボクがこの有り様では、どうしょうもない。

「それに言ったであろう、私はお前の側にいたいのだと」

兄上の腕がボクの腰に回り、そのままぎゅっと抱きしめられた。

兄上がボクの頬に手を当て、顔を上に向けさせる。

「私が幸せになれるのはお前の側だけだ、お前も私がそばにいることを許可してくれたはずだが」

アメジストの瞳に至近距離で見つめられ、胸がドキドキと音をたてる。

「ヴォルフリック兄上」

兄上の端正なお顔が、唇が触れ合うほど間近に迫る。

ヴォルフリック兄上は九歳の頃の価値観で止まっているので、他人との距離感が若干おかしい。ボクも九歳の頃は家族とこの距離で話していた、と思う多分。

そのことを指摘して、兄上が傷ついたらかわいそうなので今は黙っておく。

それにボクも兄上に抱きしめられるのは嫌いじゃない、いやむしろ好きっていうか……。

御者のことなんだけど、昨日父上から聞いた話では、若い御者がシュタイン領まで送ってくれる手はずだった。だけど今朝馬車の前にいたのは、おじいちゃんの御者だった。

おじいちゃん御者、ハンクの話では、昨日若い御者が二人夜逃げしたらしい。

「近頃の若いもんは堪え性がない」とハンクがぼやいていた。

それから気になるのは、兄上が腰に差しているバスタードソード。昨日父上に会いに行ったとき、兄上は剣を持っていなかった。ということは謁見のあと手に入れた。

兄上が差している剣は、ゲームのヴォルフリックが持っていた剣とよく似てる。兄上はどこで手に入れたんだろう?

あれ? 昨日の夜兄上が部屋に訪ねてきたとき、兄上はバスタードソードを持っていたような……?

昨日はいろいろあって疲れていたのと、兄上との口づけが気持ちよくてふわふわした気分になって、兄上とキスしたこと以外記憶にないんだよね。

侯爵領でのことについてヴォルフリック兄上と何か約束したような気がするんだけど……ダメだ全然思い出せない。侯爵領についたら兄上に聞こう。

「ヴォルフリック兄上がボクと一緒に来てくださってとても嬉しいです」

ボクの言葉を聞いた兄上がふわりと笑う。兄上の笑顔にボクの心臓がドキドキと音を立てる。

本当は傷ついていたのだ、父上と母上と二人の兄上たちの仕打ちに。

ヴォルフリック兄上が側にいて支えてくださらなかったら、ボクは壊れてしまっていた。

兄上が侯爵領に一緒に来てくれると言ってくださった時、とても嬉しかった。

侯爵領行きが兄上のためにならないことは分かってる。それでも兄上がボクと一緒に侯爵領に行ってくださるのが嬉しい。

兄上のやさしさに胸が熱くなる、兄上のぬくもりが心地よい、今はほんの少しだけ兄上に甘えていたい。

「大好きです兄上」

兄として、人として尊敬しています。

「エアネスト……!」

兄上とボクの唇が触れ合う。

外だし、人目もあるけど、兄上からの口づけを拒めなかった。

兄上がボクの髪が金色でなくなり、目が青くなくなったことを気にして、ボクに光の魔力が戻るわずかな可能性にかけて、罪悪感からキスしてくださっているのは分かってる。

ボクを愛しているからキスしているんじゃないと知ってる。

それでも兄上と唇が触れ合うのは嬉しい。兄上の唇だけでなく舌も求めてしまう。

口内に入ってきた兄上の舌に自身の舌を絡める。

兄上が好き、ふたをしようと思っても兄上を好きって気持ちがあふれてくる。

尊敬とか博愛とか家族愛じゃなくて、兄上を愛しく思うこの気持ちは多分……。

「ん、ふっ…ぁ……兄上」

また兄上にとろんとろんにされてしまった。

「ゴホン」

という咳払いでわれに返る。

御者のハンクが、困ったような顔でこちらを見ていた。心なしか頬が赤い。

「ヴォルフリック様、エアネスト様、お取り込み中申し訳ありませんが、そろそろ出発したいのですが」

「は、はい」

ボクは兄上から体を離し、急いで馬車に乗り込む。

続いて兄上が馬車に乗り込む。兄上が隙間一ミリも空けずにボクの隣に座る。

兄上の腕がボクの腰に回り、抱き寄せられた。兄上がボクの顎に手を当て、上を向かせる。

唇が触れ合って、口内に侵入してくる兄上の舌をボクは受け入れる。

くちゅくちゅと舌が絡まる音が客席に響く。

兄上のキスが気持ちよくて溶かされてしまう。御者席に音が響いたら恥ずかしいから、声を我慢する。

一度唇が離れ角度を変えてキスされる。兄上の肩に腕を回し、兄上の口づけを受け入れる。

侯爵領までは馬車で三日、こんな調子で兄上とキスしていたらボクの体がもたない。


◇◇◇◇◇


シュタイン侯爵領は王都の北にある。

面積は広いのだがほとんどの土地が荒野で、特産品もない。冬の時期は薪(まき)にもことかくほどの貧しい土地だ。

それでも一つ良いところがある。シュタイン領内の東には、精霊が棲む森がある。

ヴォルフリック兄上の母方のお祖父様は、森に住む精霊だったという。名前はラグ。

ラグ様は男爵家の一人娘のエリー様と恋に落ち、精霊の森から出られた。

エリー様はレーア様を産むとすぐに亡くなり、ラグ様は精霊の森に帰られ、レーア様はエリー様の祖父母に育てられた。

ラグ様は精霊の森に帰られてからも、森からレーア様を見守っていたと言われている。

精霊の森に行けば、ラグ様にお会いできるだろうか。


◇◇◇◇◇
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