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四十九話「新月の女神と水の竜」

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――シエル視点――


宿の一階はレストランも兼ねていて、大勢の客で賑わっていた。

特別席に案内されそうになったが、普通の席でいいとノヴァさんに伝え断ってもらった。

「シエルこのりんご美味いぞ、それともいちごの方が好きか?」

向いの席に座ったノヴァさんが、果物の盛られた皿を手にオロオロしている。

ノヴァさんは駅馬車のときと行動が変わってない。ちょっとしたことで拗ねてしまう俺も、人の事は言えないが。

ノヴァさんがしつこくブラジャーを付けてくれと迫ってきたので、つい枕で殴ってしまった。

パンツはともかく、ブラジャーを身につけるのはハードルが高い。そこは男としての最後の砦のような気がする。

リーブ村の宿で、紙袋から出てきた女の子の下着にうろたえていた、ピュアなノヴァさんはどこに行ってしまったのだろう?

たった数日でこの変わりよう。

俺がノヴァさんを変えてしまったのだろうか? ザフィーアは美少年だからなぁ。見目麗しい少年怖い、人様の人生をたやすく狂わせる力がある。

運悪く俺の投げた枕が食事の乗ったカートを直撃。カートが倒れ食べ物が散乱。床に落ちたりんごを拾って口に入れようとしたら、ノヴァさんに止められてしまった。

俺は床に落ちた物でも食えるんだけど、ノヴァさんは食べさせたくなかったらしい。

エッチな下着を着るかどうかは後で議論するとして、ノヴァさんが買ってくれた服を着て、一階のレストランに向かった。

新しい服も靴もローブもひと目で高級品だと分かった。まず肌触りが違う、すべすべしてる。それに軽い、羽のようだ。

袖や裾に金の刺繍みたいなのも施されてるし、きっとすごく高価な品だ。

冒険者ギルドに登録して働いたとしても、今までかかった服代や宿代や食事代をすぐには返せそうにない。

高価な服を買ってくれた訳だし、素直にベビードールや紐のブラジャーやレースのTバックを身につけるべきだっただろうか?

うーん、でもなぁ、やっぱりちょっと抵抗が……。

ちなみに俺が今履いているのは、ノヴァさんが買ってくれたものの中で一番地味なパンツ。ピンクと白のチェックで、縁の部分に白のレースがついている。

めちゃくちゃ少女趣味なパンツだが、これが一番地味で覆う面積が多かったのだ。

早く冒険者として働きたい、パンツぐらい好きな物を履きたい。

俺としては、白とかピンクの無地でフロント部分に小さいリボンが一つついてるのものが理想…………って、なんで女の子のパンツを履くことを想定してるんだよ!

追っ手から逃げるために女装しているんであって、決して趣味ではない! スカートは仕方ないとしてもパンツぐらい男物を履きたい!

隣のテーブルに座っていた客が席を立つ、読んでいた新聞を置いていった。

隣の客が置いていった新聞に手を伸ばす。ちょっと行儀が悪いが、俺はレーゲンケーニクライヒ国の出来事が知りたいので許してほしい。

新聞に目を通したが、書いてあるのはボワアンピール帝国のことばかりだった。

王太子に婚約破棄された元婚約者の公爵令息が王太子に断罪され護送中に逃亡……もしくは死亡なんて、民衆が好みそうな話題だと思うんだけどな。

ボワアンピール帝国にとって、小国の王太子が婚約破棄しようが、その婚約者が行方不明になろうが死のうがどうでもいいことなのだろうか?

扱いが小さくても載っているかもしれない、目を皿のようにして新聞に目を通すが、どこにもそのような記事は書かれていなかった。

ボワアンピール帝国にはまだ情報が届いてないのかな?

「オレ、レーゲンケーニクライヒ国に行ってきたんだけどさ……」

隣の席の食器が片付けられ、新しい客が座る。

座ったのは商人風の男が二人。太った男と痩せた男。レーゲンケーニクライヒ国に行ってきたと言ったのは太った男の方。

「それいつの話?」

「ん~、半月ぐらい前かな」

半月前か、ザフィーアが断罪される前だな。それじゃあ何も知らないか。

新聞をたたみ食事に戻ろうとしたとき。

「ちらっとだけど水の神子を見たけど、あれは不気味だったぜ」

太った男の言葉に新聞をたたむ手が止まる。

カラスのように真っ黒な髪と墓石のような漆黒の瞳、血の気のない真っ白な顔、唇だけ血のように赤い不気味な子供だった。その顔で邪悪そうな笑みを浮かべるから気味が悪かったぜ、あれは悪魔の使いだな」

「まじかよ、レーゲンケーニクライヒ国じゃそんな化け物みたいなガキを水の神子として崇めてんのか? うける~~!」

水の神子はレーゲンケーニクライヒ国では、神聖な竜の使いとして崇めていた。

黒檀色の髪も、黒真珠のような瞳も、神秘的だ、神々しい、この世界にはない色だと、褒め称えられ、崇拝されていた。

それを気味が悪い?

水の神子の恩恵を受けてない国の人が、『神子は神聖なもの』という先入観なしで見ると、そういう印象を受けるんだ。

俺はパンをちぎり口に入れる。ハーブを練り込んだパンで、ハーブの香りはするのに青臭さや苦味が一切ない。

「そもそもレーゲンケーニクライヒ国自体おれは気に入らないぜ」

痩せた男が話す。

「かつて悪竜に世界を滅ぼされかけたってのに、たった四百年でまた別の竜にすがるとかよ! どうかしてるぜあの国の連中は!」

痩せた男が声を荒げる。

「それはオレも思う! ヌーヴェル・リュンヌ様が悪竜を倒し、初代皇帝ジェニ様がこの地を統一、悪竜の被害が一番酷かったシャウアー国の跡地もおなさけで傘下に入れてやったっていうのに、水竜が現れたらあっさりと裏切って独立するとか、信じられないよな!」

太った男が興奮気味に話し、水をごくごくと飲む。
 
「水の竜が現れたら、月の女神なんて知りません独立します~だもんな」

「ヌーヴェル・リュンヌ様の加護とボワアンピール帝国の支援があって復興したようなもんなのに、恩をあっさりと忘れて独立するとか感じ悪いよね」

食事が運ばれて来たのでそこで男たちの話は一旦途切れ、魚が美味しいとかスープが絶品とか食事の話に移った。

国が違えば歴史の捉え方も当然違う。

千年前、まだボワアンピール帝国もレーゲンケーニクライヒ国もまだなかった頃。

現在のレーゲンケーニクライヒ国の王都付近にシャウアー国という小国があり、そこに悪竜オー・ドラッヘが住み着いた。

悪竜は村を襲い、人をさらい、女、子供を食い殺し、村を焼き滅ぼし、地震を起こし、大雨を降らせ、この大陸に壊滅的な打撃を与えた。

のちにボワアンピール帝国の初代皇帝になるボスケ国の王子にして大賢者のジェニ・ボスケが、大陸の惨状を憂い神に祈りを捧げた。

神々に祈りが通じ、新月の女神ヌーヴェル・リュンヌが神々の国から地上に派遣された。

ヌーヴェル・リュンヌはとても強く、悪竜オー・ドラッヘをあっという間に倒し、地上に平和をもたらした。

ヌーヴェル・リュンヌを呼び出したボスケ国の王子ジェニ・ボスケは神々と交渉、荒廃した世界を救うためヌーヴェル・リュンヌにしばしこの地にとどまってほしいと願う。

ヌーヴェル・リュンヌはその願いを聞き届け、ボスケ国に居を構えた。それが現在の帝都フォレ・カピタール。

神を呼び出し大陸を救ったボスケ国の王子ジェニ・ボスケは大陸を統一、国名をボワアンピール帝国と改め、初代皇帝となった。

現在ヌーヴェル・リュンヌは神々の国に帰り、神々の国からこの地を見守っている。新月の夜に帝都フォレ・カピタールの月の神殿に現れ、皇帝とそれに準ずるものだけがその姿を目にすることが出来るという。それ故にボワアンピール帝国における皇帝の力は絶大だ。

悪竜オー・ドラッヘが滅んだ四百年後、滅亡したシャウアー国の跡地、現在のレーゲンケーニクライヒ国の王都ヴァッサーに一匹の竜が現れた。

人々は悪竜オー・ドラッヘの再来かと恐れたが、竜は枯れた大地に雨を降らせ、大地を潤わせた。

ボワアンピール帝国から遠く、ヌーヴェル・リュンヌの加護をあまり受けられなかったシャウアー国の跡地に住む人々は大喜び。現れた竜を神竜と崇めた、それが水竜メルクーアだ。水竜メルクーアの加護を得た人々はボワアンピール帝国から独立。

そうして誕生したのがレーゲンケーニクライヒ国だ。

レーゲンケーニクライヒ国の歴史では、ボワアンピール帝国から奴隷のような扱いをうけ、高い税金を徴収されていた、独立したのはそのためだとされ、独立を正当化している。水竜メルクーアはボワアンピール人の横暴から民を救ってくれた、救いの神として祀られている。

ボワアンピール人から見たレーゲンケーニクライヒ人は、ヌーヴェル・リュンヌによって救われたのに、ヌーヴェル・リュンヌへの信仰心を忘れ、どこの馬の骨とも分からない竜を神と崇める、恩知らずな国民なのかもしれない。

国が変われば、歴史の見方も変わる。

「お前、レーゲンケーニクライヒ国に行商に行くなら気をつけろよ。復活祭が近づくとボワアンピール帝国の人間は神隠しに会うらしいからな」

メインディッシュを食べ終えた痩せた男が、太った男に忠告する。

「なんだよ、やぶから棒に」

ブラックベリーのパイを食べていた男の手が止まる。

「マジだぜ、死んだひいおばあちゃん言ってたんだ。昔復活祭を見に行ったいとこが神隠しにあったって」

「怖いこと言うの止めろよ、食欲が無くなるだろ!」

と言いつつ太った男は二切れ目のパイに手を伸ばす。

「ひいおばあちゃんが言うにはな、いとこ以外にも復活祭を見に言っていた冒険者や旅行者が何人も神隠しに会ったらしいぜ。特に神子のいる時期の祭りは危険だから絶対に行くなって、ガキの頃何度も説教されたぜ」

「オレ、当分レーゲンケーニクライヒ国に行商にいくの止めるわ」

太った男がふた切れ目のパイを呑み込み、三切れ目に手を伸ばす。

「そうそう、それが賢明な判断だ」

食事を終えたらしい痩せた男が紅茶をすする。

復活祭は毎年四月一日に行われる。

なんでもその日は六百年前に水竜メルクーアが現れた日らしい。

水竜メルクーアは十年起きて、九十年眠るという不規則な生活をしている。

九十年眠ったメルクーアは、やはり四月一日に目を覚ます。

不思議なのは、メルクーアが眠っている九十年間は天候が安定しているのに、起きている十年間天候が乱れ雨が振らないこと。

その天候の乱れを正すのが、百年に一度復活祭の日に現れる水の神子だ。

神子は異世界から現れ、この世界にはない漆黒の髪と黒い瞳を持つ。水の神子は水竜メルクーアの加護を受け雨を降らす。

歴代の神子は皆王族と結婚したらしいが、メルクーアが眠りについたあと、彼らが表舞台に姿を見せたことはない。

レーゲンケーニクライヒ国にいたときは、疑問に思わなかった。いや、疑問に思うことを許されなかったというべきか。

水竜メルクーアが起きている時には天候が乱れる謎、復活祭が近づくと神隠しに会うボワアンピールの人々、水竜メルクーアが眠ると同時に表舞台から消える神子……。

考えてみればおかしなことばかりだ。

「シエル、りんごを食べるか?」

顔を上げると、りんごをフォークに刺したまま泣きそうな顔をしているノヴァさんと目が合った。

もしかしてずっとその姿勢でいたんですか?

「うわぁ~~! 美味しそうだなぁ~~! 食べたいなぁ~~!!」

ノヴァさんがいたたまれず、咄嗟にぶりっ子の演技をしたが、かなり棒読みになってしまった。

「そっ、そうか!」

ノヴァさんがパァァと顔を輝かせる。この人、やっぱりチョロいな……。

「シエル、あーん♡」

「あーん♡」

差し出されたりんごを口の中に迎え入れる。

「美味いか?」

「はい、とっても♡」

「よかった!」

にこやかに答えると、ノヴァさんの顔に笑顔が戻った。


◇◇◇◇◇
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