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2章
33 薬の効果
しおりを挟む「ア"ア"ァァッ!!」
奇声と雄叫びが混じった叫び声を上げると、男はロイドに向かって走り出した。
といっても、変化しなかった下半身では膨れた上半身を制御しきれないのかスピードは遅い。
向かって来る速度は成人男性が全力疾走しているくらいのスピードで、目にも止まらぬ速さとは言い難い。これならば十分に見て回避できるだろう。
が、未完成なワーウルフが持つ最大の脅威は足を使ってのスピードではなかった。
「ヴァア"ア"ッ!」
涎をダラダラと垂らす未完成のワーウルフは巨大化した上半身を反らせつつ、太い腕を振り上げると力一杯に振り下ろす。
足ではなく、上半身全体を使った攻撃こそが最大の脅威。
「チッ」
振り下ろしが始まった瞬間、上半身に秘められた力が爆発するように腕が一瞬視界から消える。
ロイドは危険を察知してバックステップすると、辛うじて回避する事が出来た。しかし、手の伸びた爪先が軍服を切り裂いて縫い付けられていたボタンが宙を舞う。
鋭い爪の攻撃だけでは終わらない。叩きつけた腕は地面にめり込み、爆発したかのように地面の土が周囲に吹き飛んだ。
吹き飛んできた土や土の中に混じっていた石がロイド目掛けて飛んで来ると、攻撃と同時に目潰しのような手段となる。
「ロイドさん!」
思わず腕で顔を覆ったロイドの背後からアリッサの叫び声が聞こえてきた。
目を細めて相手を見ると既に次の攻撃を繰り出そうとモーションを取っている。
「クソッタレがッ!」
一撃食らえば致命傷を負うのは間違いない。ロイドは握っていた魔導拳銃のトリガーを連続して引き、相手に向かって魔弾を連射する。
牽制して相手の動きを少しでも遅らせられれば、と思ったようだが……。
「グガァァッ!」
相手は弾を避けずに真っ直ぐ突っ込んで来るではないか。
連射した4発の弾はワーウルフの腕と体にヒットし、体毛と肉を抉って血が噴出するも痛覚など感じていないといった様子である。
「くっ!?」
ロイドは横っ飛びで相手の叩きつけを再び回避した。ゴロゴロと地面を転がって、顔と軍服に土や泥が付着する。
されど汚い、汚れた、と思っている暇など無い。迷っている暇も無い。
すぐに態勢を整えたロイドは使っていた魔導拳銃を投げ捨てて、腰からマグナムを抜いた。
「くたばれッ!」
片足を地面についた態勢のまま、ロイドはマグナムの銃口をワーウルフに向ける。
トリガーを引いて赤い弾が飛び出した。
しかし、相変わらず相手は魔弾を避けようとしない。奇声混じりの雄叫びを上げて、目の前にいる人間を殺す事しか考えていないように見えた。
結果、マグナムの弾はワーウルフの腹にぶち当たる。
従来の魔導拳銃とは比較にならない威力を発揮し、ワーウルフの腹に大穴が開いて上半身と下半身が千切れ飛んだ。
大量の血をぶちまけながら上半身が地面を2回ほどバウンドして止まる。
「ア"ァ"……」
が、相手の口からはまだ声が漏れ出た。それだけではなく、腕はビクビクと痙攣しながら動き出して両手で地面を這いながら未だ殺意溢れる目をロイドに向けて来るのだ。
「おいおい……」
さすがのロイドもマグナムを構えたまま唖然としてしまった。辛うじて漏らした言葉通り、信じられないといった表情を浮かべて。
人間が上半身だけになって動くだろうか。どんなに執念深くともあり得ないだろう。普通は即死するはずだ。
「ア"……ア"……」
ゆっくりと這っていたワーウルフは2~3歩分這い進んだ進んだところでようやく動きを止めた。
出血多量で死んだのだろうか。
「どういう事だ……?」
まさにロイドの言葉通りである。
これは一体どういう事なのか。獣人が麻薬を飲んだ瞬間に変身して、上半身と下半身が千切れ飛んでも数秒は戦う意思を見せつけた。
魔弾を避ける素振りすらも見せず、相手を殺す事しか考えていないような直線的で好戦的な動き。
薬が獣人を狂わせたのは明らかであるが、問題は薬の種類である。
これは麻薬じゃない。麻薬なんて生易しい代物じゃないのは確かだ。
「ロイドさん!」
「お嬢様、お下がりください!」
アリッサと珍しく叫んだローラの声を聞いて振り返ると、彼女を庇うように立っていたローラの前に2人の獣人男性が。
1人は先ほどの先ほどの男と同様に犬耳を持つ獣人、もう1人は山羊のような巻き角を持つ獣人であった。
彼等は袋小路の入り口を塞ぐように立って、ロイド達を睨みつける。
「よくもジェスを!」
獣人の1人がそう叫ぶと道を塞ぐ2人が揃ってポケットから小瓶を取り出した。蓋を開けて、ワーウルフに変身した男のように中身を飲み干す。
ビキビキと体を変化させて、2人の獣人は化け物へと変身を果たす。
ただ、変身した2人の姿は先ほどのワーウルフと少し違った。
山羊の獣人はは足が太くなって、上半身は貧弱なまま。しかし、頭に生えていた角が太く伸びて先端が槍のように鋭く変化した。
もう1人の犬耳を持つ獣人は、四つん這いになると顔が動物の狼そのものに変化し、同時にズボンから出ていた狼の尻尾が太くなって毛が逆立つ。
手足は人間のまま。服から露出している肌は体毛で覆われたが、体格自体は巨大化はしなかった。
例の麻薬を飲むと獣人が変身するのは確定だろう。だが、その変身には個人差があるのか形が定まっていない。
「何だってんだよ!?」
変身した2人の獣人が入り口を塞いでいるせいでロイド達は逃げようにも逃げられない。
袋小路に追い詰めたはずが、今度は自分達が追い詰められてしまった。
ロイドはローラの背に隠れるアリッサの腕を引っ張り、袋小路の奥へと追いやった。こうなればロイドとローラでアリッサを守るべく戦うしかないと判断したのだろう。
「ギィア"ァァ!!」
「ガア"ァァッ!!」
それぞれ奇声混じりの鳴き声を上げた獣人達は、殺意の眼差しを向けてロイド達へ襲い掛かる。
山羊獣人の方は相手をローラに決めたようだ。
角を伸ばした山羊獣人は角を武器にして突進。太くマッシブに変化した足の脚力も相まって、先ほどのワーウルフとは比べ物にならないほどのスピードである。
「ギィア"ァァッ!」
「―――ッ!」
猛スピードで向かってきた山羊の突進をサイドステップで躱しつつ、ローラは袖口から飛び出したナイフですれ違いざまに相手の体を斬りつける。
一文字に伸びた傷跡から血が噴き出るも、やはり相手の戦闘意欲は衰えない。
一方で、四つん這いになって顔を狼へと変えた獣人はロイドに向かって走り出す。
一直線に走るのではなく、なんと右手にあった壁を斜め上へと登りながら走って。
繰り返しになるが、相手が薬を飲んで変化したのは顔と尻尾、体中に生えた体毛だけだ。足には人間の時に履いていた靴が履かれているし、手も人間のままである。
どういう理屈で走っているんだ、と言わんばかりの意味不明な状況だが、そんな事を考えている暇は与えてくれない。
壁を走っていた獣人はある程度の高さまで行くと、狼になった顔にある口を開けてロイド目掛けて飛び掛かって来たのだ。
「マジかよッ!?」
マグナムで迎撃しようにも間に合わないと判断したロイドは横っ飛びで飛び掛かりを回避する。
回避された獣人は地面に着地するとそのまま直進し、目の前にあった壁を再び登っていった。
「ロイドさん! 後ろ!」
サリッサの声に反応してロイドが後ろを振り返ると、今度はローラが回避した山羊獣人の角が迫って来ていた。
今度は腹から地面に飛び込んで山羊の角を回避する。地面に飛び込んだロイドは体を横にして銃口を山羊獣人の腹に向ける。トリガーを引いてマグナムを撃つも相手には当たらず。
「クソッ! 狭すぎる!」
ブシューッとマグナムの銃身から冷却用の煙が噴き出る中、ロイドはバトルフィールドとなっている袋小路に文句を言った。
だが、言っている隙に壁を登っていた獣人が再度ロイドへ飛び掛かってきた。
「ガァァッ!!」
今度は立ち上がる余裕も無く、ロイドは首を動かして相手の噛みつきを躱す。
覆い被さった状態になった獣人は涎を垂らす口を大きく開けて、ロイドの頭に噛み付こうとするが……。
「このッ! チックショウがッ!!」
ロイドは手で相手の首を掴み、噛みつかれないよう必死に耐えた。その上でマグナムを相手の腹に向けようとするが、今度は相手がロイドの手を押さえてマグナムを封じる。
覆い被さられたロイドと獣人の力比べが開始された。
しかし、頭部しか変身していないせいかワーウルフほどの力は無いようだ。
この獣人はすばしっこさや壁を走るといった特性に開花した個体なのだろうか。
といっても、この状況で押されているのはロイドの方だろう。相手は下半身が無くなろうと殺意を漲らせる異常な状態になっているのだ。
このまま根競べしていては、いつかロイドの頭部が丸齧りされてしまうだろう。
何か打開策はないか。そう考えながら耐えていると、不意に脇から何かが走って来る気配を感じた。
「このッ! ロイドさんから、離れなさいッよッ!!」
そう言って落ちていた角材を手に獣人の頭部へフルスイングを決めたのはアリッサだった。
彼女の振るった角材は変化した頭部の鼻っ柱にジャストミート。
「ギャインッ!」
動物の頭部に変化した獣人は、まさに犬科らしい悲鳴を上げた。だが、アリッサの一撃によってロイドを押さえつける力が一瞬だけ弛む。
「ナイスだッ!」
ロイドは相手の腹下へ足を潜り込ませると、相手を思いっきり蹴飛ばした。
背中から壁に叩きつけられた獣人はすぐに体勢を整えるが、既にロイドは上体を起こしてマグナムを構えていた。
「くたばれッてんだよ!」
再び相手は大口を開けてロイドに飛び掛かる。が、ロイドがトリガーを引く方が早い。
発射されたマグナムの弾は相手の口の中に吸い込まれ、頭部を破壊しながら体を貫通していく。
頭部は爆発するように弾け、弾が貫通した体は引き裂かれるように千切れ飛んだ。
「はぁ、はぁ……」
地面には大量の血と肉が飛び散って、獣人だったモノの死体が散乱する。肩で息をするロイドは相手の様子を窺うが、さすがにこうなっては動かないようで即死に至ったようだ。
ようやく1人を排除する事が出来たロイドは、角材を持ったまま固まるアリッサと目が合うと親指を立てて無言の礼を言った。
「残りは……」
あと1人。ローラが戦っているであろう相手に視線を向ける。
「とんでもねえな、オイ」
ロイドの目に映ったのは空中を舞うメイドの姿だった。
-----
ロイドが奮闘している頃、山羊獣人の相手をしていたローラ。
彼女の戦闘を一言で例えるならば『華麗』に尽きる。
「ギィア"ァァッ!」
相手は奇声混じりの雄叫びを上げて、何度も伸びた角を前に突進を繰り返すが彼女はヒラリヒラリと花びらが舞うように回避し続ける。
回避するだけではなく、すれ違う度に相手の体を斬りつけて。
既に10回は繰り返された突撃であるが、獣人の体中は傷だらけである。しかし、ローラが使う袖口から飛び出た仕込みナイフでは致命傷を与えられていなかった。
手数は多いが、一撃が軽い。そういった表現が正しいだろう。
ローラが得意とするのは相手の虚を突き、一撃で急所を攻撃する事。こうも激しく動き回られ、逆にこちらが一度でも攻撃を食らえば致命傷……といった状況では不利と言わざるを得ない。
彼女が確実に相手を仕留めるには相手の足を止める必要がある。
「ギィア"ァァッ!!」
再び突進して来る山羊獣人。鋭い角を使った突撃力は凄まじいが、何度も何度も同じ行動の繰り返し。
「…………」
ローラは「もう慣れた」と言わんばかりに足を止めた。そして、袖口から飛び出していたナイフの刃を仕舞う。
同時に袖口の中へ自分の両手を引っ込めると、取り出したのはクナイのような暗器であった。
両手の指の間に挟むように持った2本のクナイを突撃して来る山羊獣人の目に向かって投擲。
「ギィエ"ェェ!?」
1本は角に弾かれたが、もう1本は山羊獣人の右目に突き刺さる。
彼女は右目にクナイが刺さった事を視認すると、体を相手の右目側へズラした。
悲鳴を上げながらも足を止めず突進してくるのをしゃがみながら躱し、すれ違い様に相手の右ふとももへ再び取り出したクナイを突き刺す。
突き刺したクナイから手を放さず、相手の突進を利用して右ふとももを深く切り裂いた。
バランスを崩した山羊獣人は突進方向にあった壁に激突すると、ヨタヨタと立ち上がってローラへ体を向けなおした。
が、獣人がローラへ体と顔を向け直した瞬間に残りの左目へクナイが突き刺さる。
「ギィ――!?」
ローラは振り返る瞬間を待ってクナイを投げたのだろう。相手の行動が馬鹿みたいに直線的であれば予想もしやすい。
両目にクナイが刺さった山羊獣人は悲鳴を上げるが、それでも突進を繰り出した。
だが、目が見えなくなったせいでローラを正しくターゲッティングできない。山羊獣人は斜めに走り出すと、袋小路の壁に角を擦り付けるようにしながら激突した。
ローラにとっては明確なチャンスタイムである。
相手の背後に向かって距離を詰めたローラは袖口から飛び出したナイフで山羊獣人の足を斬りつける。
彼女の狙いは足の腱。腱を引き裂き、確実に動きを止めてから仕留めようという魂胆か。これまでの彼女を見ていれば、彼女らしい手順と言える。
相手はガクッと膝から地面に落ちてようやく足を止めた。
「ギィィィッ!!」
が、相手だってそう簡単にやらせてはくれない。
足の腱が切られても上半身は動く、と言わんばかりに腰と頭を使って角を振り回した。
背後にローラがいると本能的に悟っているからこその行動だったのだろう。しかし、彼女はもう背後にいない。
獣人が振り返る素振りを見せた瞬間、バク転で距離を取ってその勢いを利用して空中へ飛んだ。
丁度、ロイドがマグナムでもう1人の獣人を殺害した時の事である。
空中を舞ったローラは背後にあった、袋小路を形成する建物壁をトンと蹴って前方へ再び跳躍。
跳躍し、落下地点に選んだのは山羊獣人の頭上である。
スカートをたなびかせながら重力に引かれるローラは空中で体勢を変える。落下の威力を利用して袖口から飛び出したナイフの刃2本を相手の脳天に突き刺した。
一瞬だけローラが相手の頭の上で逆立ちしているような恰好に。が、すぐにナイフを袖口に収納して相手の背後へ着地する。
相手と背合わせになるような形で地面へ着地したローラは、振り返り様に再び袖口からナイフの刃を出す。
両手を相手の首に押し当てるようにしてナイフを突き刺すと、両腕を広げて首の肉を横に切り裂いた。
深く切り裂かれた首から大量の血が噴出して壁に飛散する。同時に切断された首が地面にポロリと落ちた。
返り血を浴びそうであるが、当然ながらローラはもう背後にはいない。
血を噴出しながら山羊獣人が地面へ沈む頃には少し離れた距離で姿勢よく立ち、サッサッと手でスカートの汚れを払っていた。
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