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2章

30 ブラックマーケット

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 教会を後にしたロイド達が向かったのは外周区南東にあるブラックマーケット。

 魔導車を降りた3人はロイドを先頭にしてブラックマーケット内に足を踏み入れた。

「離れるなよ」

「はい」

 アリッサはロイドの着ている上着を指で摘まみながら後ろに続く。彼女の後ろにはローラが続き、1列になって人混みの中を歩いていた。

「しかし、随分と混み合った場所ですね。青空の下で堂々と開かれているとは思いませんでした」

 キョロキョロと周囲を観察するアリッサが想像していたブラックマーケットは、もっと薄暗い人気の無いような場所にあると思っていたようだ。

 だが、彼女の想像とは違ってブラックマーケットと呼ばれる場所は巨大な露店市場といった雰囲気。

 非正規品らしき魔導銃を堂々と露店の軒先に並べて値札を張り付けている店もあれば、露店の中に人が座っていて商品を並べていないところもある。

 加えて、様々な人種がブラックマーケット内で商品を見て回っていた。

 厳つい顔の男、胸を半分露出させたようなセクシーなエルフ女性、顔に傷のある男、片手が無い獣人男性、多くの人でごった返している。

 買い物客の多さだけで見れば内周区にある高級商業エリアや中間層向けの市場よりも賑わっていると言えるだろう。 

 しかも、ブラックマーケットと銘打ちながら軍服を着たロイドを見ても誰も逃げ出さない。不自然に道を譲る事すらない。

 市場自体も客も、堂々と売買を行っていた。抱いていた印象と違い過ぎたのか、アリッサは普通の市場と変わらないと感想を改め始めたようだ。

「とはいえ、ここは貧困街の入り口だ。外周区でですらお尋ね者になってる野郎共が平然と歩いてやがる。注意しろよ」

 外周区南エリアは貧困層が固まって暮らしており、外周区の住民からは貧困街と呼ばれている。外周区南東にあるブラックマーケットはその貧困街の入り口と呼ばれる場所であった。

 貧困街がどういった場所なのか。それはブラックマーケットに赴けば分かる、と言われている。

 というのも、実に簡単な話でブラックマーケットで売買を行う者ほとんどが貧困街に住む住人だからだ。

 ボロ切れを着て、何日もシャワーを浴びていないような不衛生な連中がほとんど。中にはロイドの言う通り、帝都内で何らかの犯罪を犯したお尋ね者もいるだろう。

 貧困街に暮らしている者達は金に困ったらブラックマーケットにある最低所得層(貧困者)向けの日雇い労働斡旋所に行く。金を手に入れたらブラックマーケットで食べ物やクスリを買う。

 時には金が無いのにクスリを買おうとして販売員に半殺しにされていたり、借金まみれになった者がマフィアから逃げ出す現場を目撃したり。

 そういった貧困層の日常が多く見られるのがブラックマーケットという場所である。勿論、非正規の商品や非合法の商品が売っているというブラックマーケットの基本的な役割も体験できる。

 しかし、貧困街の入り口と言われるだけあってまだ秩序が保たれている場所と言えよう。

「ブラックマーケットを仕切って、秩序を生み出しているのがネズミの王と呼ばれる男だ」

「ネズミの王?」

「ああ。本名はズロア。貧困街で唯一の商会経営者でズロア商会を経営する男。こいつがブラックマーケットを作り出した」

 ロイド曰く、外周区南東に誕生したブラックマーケットはズロア商会が行っていた露店市の規模が徐々に大きくなって出来たものらしい。

 ズロア商会発足のきっかけとなったのは、帝国貴族による低賃金労働者確保に向けた政策として、貧困層への定期的な食糧配給政策から始まった。

 元々ズロアは貴族の下で文官として働いていた男であったが、雇い主である貴族に抜擢されて貧困層向けの食糧支援商会を経営しろと命令を受ける。

 命令を受けたズロアは商会を発足。

 雇い主であり、政策の指揮を執っていた貴族の支援を受けて貧困層向けに格安で食糧を売る露店市を定期開催。

 政策の本質は『帝国経済のために貧困層を安い賃金で働かせる。最低限の投資金額で最大限の人手を確保する』といった貧困層を人とは思わぬ貴族特有の内容であったが、この時のズロアは若さ故に良心とやる気に満ちていた。

 発足当時のズロア商会は『貧困層の人々をせめて飢えさせないように』と神聖徒教会に似た貧困層向けの人道支援に近い形であったという。

 だが、徐々にズロアは殺人、強姦、窃盗、なんでもござれな貧困街特有の闇に飲まれていく。

 ズロア自身、身を守る為という事もあったのだろう。彼は貧困街に住まう犯罪者達とのコネクションを強めていき、彼等が求める物を提供し始めた。

 犯罪者が求める物を提供する事で彼の身の安全は保たれる。犯罪者達もズロアがいなくなれば商品を手に入れられなくなってしまうからだ。

 こうした依存関係が続き、徐々に露店市は拡大。ブラックマーケットと名を馳せる頃には、ズロア本人は貧困街イチの商人として君臨し始めた。

「そうして、ズロアは貧困街にとってなくてはならない存在になった。未だに貴族とも繋がっていて、ブラックマーケットの売上の一部は貴族の懐に入っているのさ」

 今はもう若き時に抱いていた人道支援の理念は持っていないだろう。

 非合法な仕事の斡旋、貴族への情報提供、非合法製品を扱った市場の売上、それらズロア商会発足に関わった全て貴族を潤している。ブラックマーケットは帝国帝都において利権の一部となったのだ。   

 だからブラックマーケットという場所が潰されない。摘発もされない。犯罪者は軍服を着た人物がいようと堂々と我が物顔で歩く。

 貴族に迷惑を掛けず、金を献上し続けていれば闇の存在でさえ許される。それを現在進行形で体現するのがブラックマーケットという存在だ。

 しかし、貧困街に住む者達からしてみればズロアは一種の外交を行っているようにも見えたのだろう。

 貧困街という他のエリアとは違う異彩を放つ場所に存在する男が貴族相手に状況維持をし続ける。それどころか拡大までしてみせた。

 まるで大国を相手に外交をする小国の王。

 貧困街を楽園、理想の国と呼ぶ犯罪者達からズロアが王のようなポジションと捉えられるのもあながち間違いではないのかもしれない。

「ネズミというのは?」

「本人を見れば分かる」

 ロイド達はブラックマーケットの最奥にあった木造3階建ての建物に到着した。

 外観は今にも崩れそうなほどボロボロであるが、建物の中からは多数の人間が話し合う声が漏れ出ていた。

 ロイドが遠慮なくドアを開くと中に入る。中には受付があって、その受付に並ぶ貧困街の住人の姿が。

「ここが斡旋所ですか?」

「ああ」

 どうやらこの建物は貧困街に住む住人向けの日雇い仕事を紹介する斡旋所のようだ。

 ロイドは一番手前にあった受付まで歩み寄ると、受付嬢と話しをしていた男の間に割り込んだ。

「ズロアを呼べ。ロイドが来たと言えば分かる」

「え、あ、はい」

 受付嬢の女性は困惑しながらもロイドの対応を優先した。彼の顔が怖かったのか、それともズロアの名を敬称無しで出したからだろうか。

「おい、兄ちゃん! 俺が話を――ヒッ!?」

 割り込まれた男は怒りの声を上げるが、ロイドは腰から抜いたマグナムの銃口を無言で向けて男を黙らせる。

「おいおい。こんな所に上等な女がいやがるぜ」

 しかし、今度はロイドの背後でそんな声がした。振り返ればアリッサのつま先から頭までいやらしい目で見ながら近寄って来る3人組の男。

 ボロ切れを着て、腰にはナイフや魔導拳銃を差していた。貧困街に住む者達で『非合法の暴力を扱う仕事』を求めて斡旋所へ来た輩なのだろう。

 アリッサに近寄って来る男達を排除しようとロイドが動き出すが、それよりも先に動いたのはメイドのローラだった。

 彼女はアリッサと男達の間に体を割り込ませると、無表情のまま男達を見つめる。

「お。メイドさんが先に相手になってくれるのか? 良いぜ、2人揃って相手を――」

 ニタニタと笑う3人組の1人がローラに手を伸ばした時、ローラの前に銀色の軌跡がスパッと鋭く伸びる。

 次の瞬間、床にボトリと落ちる男の手首。

 切断面からプシュッと血の雫が噴出し始め、本格的に出血が始まる前にローラは男の腹を蹴飛ばして返り血を浴びぬようにした。

「あああああッ!? 俺の手がああああッ!?」

「お嬢様。汚れはございませんか?」

 手首を切断された男はローラに蹴飛ばされた事で背中を強打するような倒れ方をした。しかし、背中の痛みよりも無くなった手首に注目して絶叫する。

 ローラは男の絶叫を無視して、アリッサへ振り返って彼女の服に血が掛かっていないかを確認していた。

「テ、テメェ!」

 仲間がやられた事で激昂した残り2人がローラに魔導拳銃とナイフを向ける。

「…………」

 相変わらず男達に背を向けていたローラだったが、彼女が着用していたメイド服の両袖口、手の甲を沿うようにナイフの刃が飛び出す。

 ゆっくりと振り返ったローラは常人には目にも追えぬ速さで男達と距離を詰める。所謂、瞬歩と呼ばれる距離の詰め方だろう。

 長いスカートが揺れると同時にローラは袖口から飛び出たナイフの刃で男達を襲う。

 右袖口のナイフで手前にいた男の両目に横一文字で斬りつけて。ワンテンポ遅れ、残り1人の首に左袖口から出たナイフの刃を突き刺す。

 次の瞬間にはバックステップで元の位置まで戻っていた。 

 目撃者達は何が起きたのか理解できなかっただろう。気付いた時には2人の男がやられて1人が悲鳴を上げていた、というくらいの早業である。

 両目を斬られた男は生きているものの失明は確実。もう1人は首を突き刺された事で苦しそうに口をパクパクしながら床に沈む。最初に手首を落とされた男は既に出血多量で死んでいた。

 しかし、ローラの表情は変わらない。ただ無表情。背筋をピンと伸ばし、一流メイドらしい立ち姿を見せる。

「マジか」

 あまりのスピードと華麗で流れるような攻撃に、さすがのロイドも呆気に取られる。

 大きくは動かず派手さはない。スカートの端がフワリと舞って、銀色の線が3度走っただけ。

 斬りつける際に声も上げない。気合を込めた雄叫びなど下品極まりないものとは無縁である。

 淡々と確実に。

 ナイフという確実な武器を使って、最小の動きで獲物を仕留める姿はメイド兼護衛というよりも『暗殺者』もしくは『仕事人』という言葉がよく似合う。

「お嬢様。お怪我は」

「大丈夫よ」

 ローラはアリッサを無表情で気遣うが、アリッサに怪我などあるはずがない。

 護衛対象であるアリッサの服を汚さぬよう配慮するような余裕すらも垣間見えた。ローラ本人でさえ返り血を浴びていないのだから、彼女の技量は相当なものなのだろう。

「アンタ、一体何者だ?」

 以前からただ者ではないと思ってはいたようだが、今日のこれはロイドが今まで予想していた範疇を越えたようだ。

「ただのメイドでございます」

 しかし、本人はロイドの問いにそう答えるだけ。ロイドが「嘘つくな」と言って彼女の腕を見るが、袖口から出ていたナイフの刃は既に消えていた。

「おやおや。随分と賑やかですなぁ。ロイドさん」

 たった今起きた悲劇を見た第三者の感想が奥から聞こえた。

 ロイド達が顔を向けると、そこにはボロボロのスーツを着る痩せ細った男がボディガードらしき屈強な男達を連れて立っていた。

「よう。ズロア。お前に聞きたい事があって来た」

「ええ。そうでしょうね。しかし……。貴方が来る時はいつもこうなりますな」

 ズロアは目を細めると前歯を出して下唇に当てながら、プクククと笑う。その姿はまるでネズミが笑っているようだ。

「上で話しましょう。おい、あれを片付けておけ」

 ズロアはボディガードに男達の片づけを命じるとロイド達を上の階へ誘う。

 斡旋所の奥にあった階段を使って2階へ上がり、3人は応接室に案内された。
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