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3章 夏と教会
第36話 ありがちな薄暗いバー
しおりを挟む同日の夜、俺は再び南東区へ向かった。
寮を出て行く際、シャルに見つかって「どこ行くの?」なんて聞かれてしまったが……。
正直に「南東区へ行く」なんて言えない。
南東区は風俗街だと誰もが知っているし、学園でもあまりよろしくない地区だと周知されているからね。
「そりゃまぁ、よろしくはないよな」
南東区の半ばまで進むと、娼館や飲み屋の客引きが多くなる。
際どい恰好した男女が道に立ち「遊んでいかない?」と誘ってくるのだ。
思春期の男女ならホイホイ着いて行って食い物にされちまうよ。
他にも酔っ払い同士の喧嘩はもちろん、単に酔い潰れて動けなくなったやつらがゴミの山をベッドにして寝ている光景まで。
前世でも同じような光景は見たことがあるが、人間が堕落して行き着く姿は異世界でも同じらしい。
「それに……」
何より、シャルに誤解されたくない。
俺が娼館にハマってるんじゃないか? ってね。
俺は今世こそ、素人童貞を卒業するんだ。今度こそ甘い青春を過ごしてしっかり卒業するんだ。
品行方正、紳士的な男というイメージを崩させずに生きて幸せな家庭を築くんだ!
だからこそ、余計な誤解を抱かせた結果、シャルに『お店で童貞卒業しちゃったの?』みたいなセリフは吐かせないようにしないと。
あいつのことだから、うっかりリリたんの前で言いそうだし。
リリたんにまで誤解されたら、俺はどうやって生きてけばいいんだよ。
そんな心配を抱いていると、今回の目的地に辿り着いた。
南東区の奥に存在する怪しいバー『サザンカ』である。
目印はカモフラージュとなっている普通の飲み屋なのだが、飲み屋の脇にある小道を入って行くと地下室に直通する階段がある。
数段しかない階段の先には扉があって、扉の先にバーがあることを周知する看板などは無し。
知らない者が見れば「ああ、地下室の入口かな」「飲み屋で使う酒や食材の搬入口かな?」と勘違いするだろう。
しかし、扉を潜ると質屋の親父が言っていた通り薄暗いバーがあるのだ。
「…………」
もう想像していた通りの薄暗いバーである。
照明は壁に取り付けられた照明魔道具が数個のみ、人の顔を確認するにはじっくり見つめないと確認できないくらい絶妙な塩梅の薄暗さ。
店内にはバーカウンターの他に三席だけテーブル席が用意されている。
木造のカウンター内には白髪の初老バーテンダーがグラスを磨いており、入店してきた俺を横目でチラリと見た。
しかし、何も言わない。
チラリと見ただけで視線をすぐにグラスへ戻してしまう。
他にいる客――いや、客かどうか分からないが、店内にいるのは奥のテーブル席に座る二人の男性だけだった。
しかも、この二人の男性は見るからに怪しいフード付きのローブを羽織っている。
超絶怪しい。怪しさ満点。
しかし、フードから露出しているであろう口元さえ見えない。
店内が絶妙に薄暗いからね!
だが、俺は見過ごさないぜ。
片方の男、フードの先が尖がってやがる。
あれは獣人の耳が中にある証拠だ。
僅かな情報を得ながらも、怪しまれないようカウンター席に座った。
「ブラッディ・マリーを」
カウンター席に着いたあと、これが合図。
ただ飲みに来た客じゃなく、この店の特徴をよく知る人物だと周知する合図がこれだ。
「…………」
俺の注文を聞いたバーテンダーは静かに酒を作り出した。
まずは酒を提供するところから始まるらしい。
「どうぞ」
出てきたのは血のように濃い赤色の酒である。
前世でも同名のカクテルはあったが……。こちらはどんな酒なのだろう?
ぐびっと一口飲んでみると、口の中にはトマトの濃厚な味が広がった。
ネーミングも同じなら味も同じ……。いや、ちょっと割った酒の度数が弱いかな? ウォッカより軽い蒸留酒で割っているっぽい。
前世のブラッディ・マリーを知っているとパンチが足りないというか、やや物足りない感じになってしまう。
ただ、どういうわけか使われているトマトジュースはこっちの方が美味しい。
個人の好みに因るだろうが、こっちのトマトジュースはより濃厚で酸味が強い。
俺はこっちの方が好みかも。
というか、そもそも久々に飲む酒自体が美味しいと感じてしまう。
「つまみある?」
本題に入る前に一杯くらいは全力で楽しもうと追加注文すると、バーテンダーは静かに小皿に乗ったピーナッツを出してきた。
うん、悪くない。
「……他のご注文は?」
俺が普通に酒を楽しんでいるせいか、バーテンダーの爺さんが焦れてやがる。
爺さんを焦らす趣味はないが、前世ぶりの一杯くらいは自分のペースで楽しませてくれよって思うがね。
「とある人物を探している。リカルドって暗殺者だ」
仕方なく本題を口にしながらも、ピーナッツを口に放り込む。
すると、テーブル席にいた男性二人が反応した。
ギィッと安物の椅子が軋んだからね。
「そういった注文は受け付けていませんね」
「今回の仕事に関わる注文だ」
拒否されるものの、それでも引かない姿勢を見せる。
あくまで強気に。これが重要。
「……生憎とそのような人物は知りませんね。ですから、そもそも注文を承ることができないのです」
「本当に? 東の国では有名みたいだが」
たぶんね。
東の国からやって来た暗殺者、という薄い内容に縋るしかない。
加えて、身体的な特徴も伝えてみると――
「……そいつなら知ってるよ」
声は後ろから。
振り返りたくなるがグッと耐える。
静かに一口酒を飲むと、ローブを纏った男――獣人の方が俺の横に座ってきた。
「リカルドを知っている」
そう言った獣人男性に顔を向けると、ローブの中にあったのは狼の顔だ。
こいつは『純血』の獣人らしい。
――獣人について補足しておくと、この世界には『純血』と『混血』が存在する。
純血は見た目が、特に顔が『獣』らしい形をしている者達。狼の顔やら熊の顔やらね。
混血は他種族との間に出来た獣人で、こっちは人間の顔に動物的な特徴を併せ持った見た目だ。人間の顔に獣耳が生えている、とかね。
獣人は純血の方がより獣人らしい身体能力を有しており、混血は『血が薄まる』という理由で能力に劣る……と、設定資料集にもあった。
「リカルドと知り合いか?」
「知り合いとまでは言わないが、確かにリカルドは有名だよ。悪い方でね」
曰く、リカルドは暗殺者として生きていることは正しい。
ただ、暗殺者としては三流だそうだ。
「リカルドが眼帯をしてる理由を知っているか?」
「いや?」
設定資料集にも無かったからね。
素直に首を振ると、獣人の男性は鼻で笑った。
「あいつは暗殺に失敗したんだ。殺しに失敗しただけでなく、暗殺対象に反撃されて目を失ったんだよ」
反撃を受けて片目を潰されたリカルドは、暗殺者としてのプライドを捨ててその場から逃走。
依頼に失敗したリカルドは暗殺者の斡旋所に戻るも、三流の烙印を押されてしまった。
「失敗した暗殺者に未来はない。ヘマしたヤツが捕まれば全体に影響が出るからな」
失敗したリカルドは暗殺対象に顔を見られてしまった。
仮にリカルドが騎士団に捕まった場合、彼が暗殺者達の情報を漏らすかもしれない。
他の暗殺者に影響が及ばないよう、リカルドのような暗殺者は即座に処分して痕跡を消すのが通常だそうだ。
「じゃあ、もう死んでいるのか?」
「いいや。あいつは……。暗殺者より逃走者としての才能があったらしい」
獣人は肩を竦めて鼻で笑う。
リカルドは仲間達から殺されそうになるも、どうにかその場を切り抜けて姿を消したそうだ。
「東の国じゃ、あいつは懸賞金が掛けられている」
なるほど……?
つまり、そこまで落ちぶれた野郎がブルーブラッドに加入して幹部になるってか?
暗殺者として三流だったって野郎がどうして幹部に?
そもそもゲーム内では結構強かったし、ビジュアルも『強キャラ感』が出てたのだが……。
「ふぅん……」
一度は逃走したリカルドが、どういう訳か強くなってカムバックするとか?
ゲーム内や資料で敵キャラの背景が語られていないだけに謎が多い。
「こっちからも質問いいか?」
考えていると、獣人男性がそう言った。
彼は俺の答えを聞かずに問うてくる。
「どうしてリカルドのことを知っている? どうしてヤツに依頼しようだなんて思った?」
フードの中にある男性の目は、完全に俺を疑っていた。
ヘマしたリカルドを追い、彼を皮切りに闇に包まれた暗殺者共を一掃しようとする騎士団から派遣された潜入捜査員とでも勘違いされているのだろうか?
さて、どう言い訳しようか。
「……言えないね」
迷った末、俺はフッと軽く笑いながら酒を一口飲んだ。
「あ?」
「俺はプロだ。安易に喋るはずがない。あんたと違ってね」
そう、演技力勝負だ!
今、俺の将来的な舞台俳優適正が問われる!
「これだけは教えてくれないか? あんたは懸賞金稼ぎか? それとも……」
「…………」
ここで問われるのは纏う雰囲気の質である。
言葉じゃない。
むしろ、言葉数が多ければ多くなるほどオーディション失敗だ。
俺は静かに酒を飲み干し、席を立った。
そして、カウンターに金を置きながら獣人男性に顔を向ける。
「俺は掃除が得意なだけさ」
そう告げた途端、獣人男性の顔が強張った。
それどころか、グラスを磨きながら聞き耳を立てていたバーテンダーすらも驚愕の表情を浮かべて、磨いていたグラスを床に落としてしまったのだ。
……あれ?
「……掃除屋か。初めて見たぜ」
あれぇ?
想定よりも遥か上にいっているような気がするが……。
まぁ、いいか! このまま押そう!
「あんたらも気を付けるんだな」
俺はフッと笑い、扉へと歩いていく。
背中から俺を見送る三人の視線がビンビンに伝わって来るぜ!
無事にバーから脱出した俺は――
「俺、カッケェ……」
自画自賛した。
前髪を手で払いながら、悦に浸るように自画自賛したのである。
今の俺ならいくらでも演技賞取れそう。
俳優としての自信が胸の中に充満していく良い夜だった。
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