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反魂香と鶏生姜の粥 2

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 インパクトのある言葉を放った少女に、橘は毒気を抜かれながらティーカップを出した。精神を落ち着かせるカモミールティの香りはもはや興奮気味の少女のためだけのものではなくなっていた。セーラー服の少女は遠野奈子と名乗った。この山から程ない東光高校に通っているのだと学生証を見せる。

 「それで、幽体離脱ってどういうことだ。順を追って話せ」
 「あの、まず、幽体離脱してるっぽい子は私の幼馴染なんです。それで、彼女は一年ほど前に交通事故に遭いました。……帰り道、トラックにはねられて。それでも一命はとりとめたんです。身体の方ももうちゃんと治っていて。……意識だけが戻らないんです」

 苦しそうに顔を歪める少女に対して橘は顔色一つ変えない。

 「で、なんで幽体離脱って話になる」
 「……この前、いえ、秋ごろに彼女が街を歩いているのを見たんです。彼女の身体は病院にあるはずなのに」
 「へえ……?」
 「ありえないんです。でもあの子は確かにいたんです。幼馴染の私が見間違えるなんてことありません。あの子は暗い髪色の女の子と一緒に歩いていました。慌てて追いかけたんですけど、気が付いたら二人ともいなくなってて」
 「だから、幽体離脱しているに、違いない、と。反魂香で身体に魂を戻せないかと思ったんだな」
 「はい……」

 幽体離脱なんてあり得るのか、と橘の顔を見やるが、どうも真剣な顔で聞いてやってる。もしあり得ない話ならまた彼女は追いだされてるだろう。ならきっと橘の知識の中でも幽体離脱という不思議現象は存在するという認識なのだろう。

 「普段幽霊とかの類は見えてるか?」
 「い、いえ、幽霊だなんて見たことないです。その、あの子の姿だけで。あの子はまだ幽霊じゃありませんし」

 試すように飛梅がするすると遠野の座る椅子によじ登る。それを目で追う私と橘に対して、彼女は何の反応も見せなかった。

 「それが見間違いじゃないってんなら偶然見えたんだろうな。時間と、状況と、関係性で。幼馴染はもう一人、連れがいたんだろ。そいつは誰かわかったのか?」
 「……それが見つからないんです。間違いなくうちの高校のセーラー服だったんですけど、どの学年にもそれらしい子がいなくて」

 逡巡するように橘が顎を撫でる。
 意識が戻らず病院にいるはずの幼馴染。同じ高校の制服を着ていたのに見つからない生徒。ミステリ小説の謎解きのようだ。この状況ならきっと橘が探偵役だ。どこか他人事のように話を聞きながら少し離れた椅子に腰かけた。

 「街でそいつらを見た時、どんな風に見えた?」
 「どんな風って、」
 「ただ虚ろに彷徨っていたのか、恨みがましく徘徊していたのか、それとも楽しそうに歩いていたか」
 「……楽しそうに、していました」

 遠野は先ほどの様子と違い、何か耐えるように吐き出した。冷静に彼女を見下ろす橘から、つい視線を外した。
 橘は虚ろに彷徨い這いずる彼女を悼み、血を吐く思いで憐れんでいる。
 けれど遠野は楽し気に歩く友達を、精神をすり減らし眺めていた。
 似通った境遇であると、話を聞きながら考えていたが、この二人の感覚には絶対的に埋められない溝がある。

 「じゃあわかるんじゃないのか、なんで身体に戻ってこないのか」
 「…………あの子が戻ってきたくないから、ですか」
 「心当たりがあるならそうなんだろうよ」

 強く強く、遠野は手を握りしめた。
 きっと彼女には、幼馴染が戻ってこない心当たりがある。けれどそれを飲み込み切ることなどできないのだろう。当然だ、魂だけ抜け出た幼馴染が楽しそうにしていたって、自分の目の前にいるのは動かなくなった身体だけなのだから。
 感情などわからない、動くだけの身体と一体どちらがましなのだろう。

 「あの子は、苦しんで生きていたかもしれません。でも、だからって戻ってこなくていいわけじゃないでしょう……!?」

 うっすらと目に涙を湛えて遠野は絞り出すように橘に訴える。

 「私はずっと待ってる、あの子のお父さんもあの子が目を覚ますのをずっと待ってる。楽しそうなあの子を、辛い現実に戻らせようとするのはそんなに悪いことですか!? 私たちの願いは身勝手ですか!?」

 橘が息を飲んだ。彼にしては珍しい、傍からでもわかる明確な動揺。何かが琴線に触れたのか、それとも彼女の気迫に押されたのか。

 椅子に登っていたはずの飛梅は気が付いたら姿を消していて、ようやく少しだけ理解した。

 遠野の感覚と橘たちの感覚は決して同一ではない。そこには絶対的な違いある。けれど、遺された者の思いとしては、まごうことなく同じものだった。戻って来るよう願う遠野も、安らかな眠りを祈る橘と飛梅も、どんな形であれ生きていよと縋る槐も、同じ遺された者で、一方的に望むばかり。
 誰もかれも、身勝手さを自覚しながら、それでも願うことをやめられないでいる。

 「……辛いばかりだ」

 この場で唯一なににも遺されていない、からっぽの私は、窓から差し込む日差しから逃げるように瞼を閉じた。
 どうしてこうも、生きている者ばかり辛いのだろう。
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