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紫苑とハーブのクラムチャウダー  5

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 ほくほくと温まった身体と満たされたお腹に一息ついたところではっとする。

 いまここにいるのは生きた人間の私と橘。良い妖である座敷童の飛梅。人食いの妖である伊地知。そして地獄の獄卒である縛兎だ。
 私たちはいいだろうが伊地知と縛兎の相性は最悪ではないだろうか。縛兎の仕事の一つ、この世にいるべきものじゃないものをあの世へ連れていく。伊地知は私にとってはとても優しい素敵な妖だが、存在だけ見れば人に害をなす妖だ。

 二人のことをちらちら見ていると縛兎がため息をついた。

 「ベニ、心配しなくても何もしない。そこの送り狼に何かしようという気はない」
 「やだベニちゃん私の心配してくれてたのー? 可愛いー優しい! 食べちゃいたい!」
 「笑えない愛情表現はやめろ送り狼」
 「怒んないでよ、可愛いうさちゃん」

 特に問題ない雰囲気だったのに一気に殺伐としだす。それも全面的に伊地知が悪い。事情は分からないが完全に伊地知が縛兎のことを煽っている。

 「伊地知、無駄に煽るな。お目こぼしを受けてる自覚をしろ」
 「もっと言ってやれ橘」
 「お前もだ縛兎。少し煽られたくらいで乗るんじゃない」

 橘が二人の保護者か何かのように叱りつける。二人ともいい大人のように見えるのに今ばかりは小学生か何かのように見えた。
 状況がわからず目を白黒させている私に飛梅が補足した。

 「さっき言ったけど、伊地知は人食いの送り狼。生者に害を与えるからあの世で捕まっちゃってもおかしくない。でも送り狼は人食いだけど伊地知が送り狼になってからはなんとか人間を食べずに生きてるの。お腹が空けば山の兎や鹿を狩って食べる。それ以外はこの花橘でお腹を満たすの」
 「そう、人を食べない襲わない、それを条件に私は現世を好きに走り回ってるのよ。お腹が空いてしょうがないってときに、炉善のことを食べようとして、食べられる代わりにご飯をくれたの! それがもうおいしくてねー! すっかり居ついちゃったわ」

 からからと伊地知は笑うがとんでもないことを聞いた気がして、橘の顔を見るとすました顔で湯飲みを啜っていた。

 伊地知が人食いの送り狼だということは知っていた。けれどやはりそれはずっと遠くのどこかの話のように聞いていて、実際に彼女のその食欲を目の当たりにしたのは初めてだったのだ。その食欲を向けられた当の本人と言えばまるで気にした風もない。どうすれば自分のことを食べようとしてきた妖に対して食事を振舞えるというのだろう。

 「ベニちゃんは私のこと怖くなっちゃった?」

 灰色の目が私の顔を試すように覗き込む。

 「今更怖くはありませんよ。伊地知さんがいてくれたから、私は花橘に来ることができました」
 「あなたのことを食べちゃうかもしれないのに?」
 「それこそ今更、ですよ。それに食べないと約束してるんですよね。伊地知さんがどういう経緯で送り狼になったのか、私は知りませんが、人間よりも花橘のご飯の方がおいしかったんでしょう? それなら私は、私の作ったものをあなたに食べてほしいです」

 初めて伊地知と会った日、伊地知は元人間だという話をしてくれた。だからこそ、妖である自分や山の中のモノたちを恐れるのはわかると言ってくれた。ならば彼女自身の感覚は人間よりのはずだ。人間のことを好き好んで食べたいと思っているようには思えなかった。

 「……本当この子健気ねー! 可愛い! 初対面の時はあんなに怖がってたのにすっかりこっち側にほだされちゃって……! ずっとここにいてほしいわー」

 ぐいぐいと頬ずりしてくる伊地知。かすめる長い髪が擽ったい。なるほど確かに、出会ったころであればこんな事されれば、すぐに飛び退いていたに違いない。

 「それで縛兎の兎っていうのはね」
 「いい飛梅。他人から説明されるのは好きじゃない。……俺は元兎だ。生前は普通の兎で、死んでから今の姿になった。人型の方が何かと都合がいいからな」
 「兎……」

 ついまじまじと縛兎のことを見てしまったが、兎感のなさに首をかしげてしまう。同じく伊地知は送り狼でありながら人型をしていて、狼の耳と尻尾だけを残している。けれど縛兎の耳は普通の人間の耳だし、尻尾が生えているわけでもない。奇抜な髪色をした人間にしか見えなかった。

 「……兎?」
 「言いたいことはわかるが、兎だ。この俺の青い目は生前のまま、ネザーランドドワーフのブルーアイドホワイトだ」

 これだ、と目を指さされるがいまいちぴんと来なかった。兎と言えば白い毛に赤い目というイメージで、青い目のイメージがない。

 「それと、兎らしい特徴を残しておくと周囲から舐められる! 人間の姿をしているのも拷問道具を扱いやすくするため、身体の小ささを補うためだ」
 「た、確かに拷問してるのに兎の耳とか尻尾とかあったら癒されちゃいますね……」
 「俺は人間が嫌いだ。嫌いだから死後こうして化けて出た。人間を恨んでいたから地獄での亡者の呵責の獄吏を希望した」

 思わず彼の顔を凝視した。その真意は何なのかと。人間が嫌いだと、憎いと話す縛兎だが、その目に私たちに対する怒りも憎悪もなかった。

 けれど思えばこの花橘に来てから人間に対して明確な嫌悪感を表す妖に初めて出会ったのだ。信楽狸も人を嫌っていたが、それはどちらかと言えば知らない世界、あるいは交わることのできない世界に対する警戒心から来るものであった。

 だから縛兎のこの表明に私に小さくはない衝撃を与えた。

 「昔は人間なんてみんな嫌いだったが地獄へ、あの世へ行ってからはいい人間もたくさん見てきた。橘もいい奴だし、ベニもあの野兎を守ろうとしていた。お前たちは別に嫌いじゃない」

 その言葉に誤魔化しなどは微塵もないようで、私たちに向けられた青い目は至極穏やかだった。つい数時間前に顔を合わせた瞬間など、まさに鬼のような形相で私のことを見下ろしていたが、今はそんな様子はまるでない。気づかれないように安堵の息をこぼす。

 「橘のことも信用している。だからその送り狼のことも捨て置いているし、ここに出入りすることのある妖、それに準ずる者たちにも目を瞑っている。……だがその送り狼はもう少し俺に対して感謝の念があってもいいんじゃないか!?」
 「結局そこに戻ってくるのか縛兎」
 「やだ、心狭いわねえ。他人から感謝の念を引き出そうなんてみっともない」
 「感謝しろと言ってるんじゃない。せめて自重しろと言ってるんだ。俺にわざわざ喧嘩を売るな! お前が黙っていれば俺も黙っているというのに」
 「あら、私は縛兎と仲良くなりたくて声かけてるのよ? それなのに喧嘩を売るだなんて人聞きの悪い。自分の狭量を人のせいにしないで」
 「だとしたらお前のコミュニケーションの取り方は大いに間違っている。一から人との関りを学びなおしたらどうだ?」
 「人型になって数年の仔兎ちゃんにそんな説教されるだなんて思ってなかったわー。私これでも社会人経験者よ」

 口を開けば自然と喧嘩になる二人は根本的な部分で相性が悪いのかもしれない。もはや人間も兎も狼も関係ない。ただただ馬が合わないのだろう。

 「伊地知、縛兎、何回繰り返すつもりだ」
 「いや……」
 「伊地知、暇ならちょっと手伝え。ヒイラギと南天を採りに行く」
 「あ、橘さん、今日は午後から葛を、」
 「今日はいい。葛は別日に採る。今日はヒイラギと南天を優先して採るぞ」

 葛の採集が予定していたことを思い出し、声をかけるがあっさりと跳ねのけられる。おもむろに立ち上がる橘にそれ以上言い募ることはできない。

 ヒイラギと南天。私でもわかる。どちらも魔除けの植物だ。

 「縛兎は、」
 「悪いが俺はこの辺でお暇させてもらう。随分長居したが、一応使いの最中だ。雨が途切れているうちに地獄へ帰る」

 縛兎は何か言おうとした橘を素早く遮ると持っていた椀を片付けた。橘はまだ何か言いたげに縛兎を見ていたが彼は橘の方を見ようともしなかった。まるで橘が何を言おうとしているか察していて、それを牽制しているように。

 「……大王にはよろしく言っておいてくれ。いくぞ、伊地知」
 「ああ、伝えておこう。また近いうちに来る」

 客であるはずの縛兎を置いて、橘と伊地知はせかせかと裏口から出ていった。庭を突っ切って山へ入るらしい。すっかり寒々しくなった店内に戸惑ってると、店の入り口へ向かっていた縛兎が手招きする。けれど私が店から出てしまえば飛梅が一人になる、と思い彼女の方を見るとひらひらと手を振った。どうやら問題ないらしい。よく考えたらついさっきまで店の中にいた中で彼女が一番長生きなのだ。
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