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呪いを解きましょう

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大分、冷え込んできた。空のグラデーションに変化が出る。それは間もなく夜明けが来ることを知らせていた。
夜が明ければ捜索はおそらく本格的なものとなり、捜索動員人数も増員されるだろう。このままどこかへ逃げるならともかく、ルルヒ王国を目指し、そのことが蛙の王子に知られている以上何とか夜明けが来るまでに森を抜けてしまいたかった。微かに疲労感を感じさせる足を叱咤し、早める。


「オオサンショウウオさん、」
「ああ、もう間もない。すぐに植生が変わってくる。草地から赤土に変わればあと君の足なら数十分もないだろう。」
「……植物の数が減るってことですか。」
「種類もな。人の丈もものよりも3メートル以上の背の高い樹が中心になる。……つまり紛れる人の姿は捉えやすくなるだろう。」


籠の中のオオサンショウウオさんはヒタヒタと落ち着きがない。
既に追っ手が先回りしていて待ち伏せしていれば、一巻の終わり。姿を隠すことはできない。闇に紛れることもできないのだ。逃げ切るのは難しい。


「草地でなくなれば歩きやすく、走りやすくなります。」
「走っていくつもりか。」
「まあ。オオサンショウウオさんはせいぜい酔わないように籠にしがみ付いててください。」
「……うむ、」


草が減り、湿気も少なくなってきた土を蹴る。すでに目は慣れている上に森の終わりがなんとなく感じられる。オオサンショウウオさんのナビはもういらない。

鬱蒼としたところよりも物音は立てずに済む。つまり遠くからは発見されにくい。それが吉と出るか、凶と出るか、私にはわからない。だが至近距離で見つかっても、追っ手の発見に遅れても、その時はその時。この世はすべからく、なるようにしかならない。

地面が赤土に変わり、背の高い樹々が姿を見せた、ちょうどそのころ。
空が、白み始めた。
焦りを抱えたまま、もっともっとと、足を動かした。



*********



「なあおい、これ大丈夫なのか?」
「知らねぇよ……死ぬときゃしぬ。ここに居る連中、一蓮托生だ。」
「縁起でもねえこと言うんじゃねぇ!ていうかこっちにはルルヒ王国の王子が居んだから問題ねぇだろ!」


見慣れない植生の森の中。王子のわけのわからない指示の元、おれたちは国境である森にいた。
まさにルルヒ王国の目と鼻の先。敵対しているわけではないが、強大な軍事国家の側に他国の兵を配置させるなど、正気の沙汰ではない。

全ての原因は、自称ルルヒ王国王子、フロッシュ・フェアディーンストだった。

突然城の中に現れる他国の権力者など、とんでもない外交問題に発展するはずだと言うのに、何故か王も姫も悠長にしている。トーテムポールと名高い王はともかく、姫はああだこうだ文句を言うなりヒステリーを起こすなりするのが通常運転なのに、随分と大人しくしている。もっとも、あの王子の顔にヤラレたなら納得というものだが。


「にしても、『自分は魔女に蛙にされてた』とか。気でも狂っちまってるって思うのが普通じゃねぇのか?」
「本当にな。何しれっと受け入れてんだか、うちのお偉方は。」
「魔法云々言われてもとても信じられねえな。何より何でおれたちはサンショウウオなんて探してんだ。」


そもそもそれがおかしいのだ。百歩譲って、王子が魔女に蛙に変えられてたとしよう。だったら何で魔女はサンショウウオになってんだ。サンショウウオが魔女なのか、魔女がサンショウウオになってるのか。前者であればサンショウウオに出し抜かれた蛙王子は何なのだ。後者であれば何で魔女は行動のとりにくいサンショウウオの姿を取っているのか。

ここには矛盾しかない。ゆえに茶番にしか思えない。
そんな茶番劇のためにおれたちはこうして軍事国家の目と鼻の先で命を晒しているのだから、放棄したくもなる。

足の速い連中で構成された小隊だが、一日走りづめでようやく何とか夜明け前につくことができたのだ。既に空は白み始めている。


「魔女だかなんだか知らねえけど、さっさと掴まってくんねえかな。」
「ばあか、それを捕まえるのがおれらの仕事だろうが。」
「両生類捕まえる仕事か……天下の王国兵がこの様たあ情けねえ。」
「大体よお、サンショウウオってぇ小せぇもんだろ?常識的に考えたら見逃しちまうだろ。」


サンショウウオと言えば掌に乗るくらい小さいものだ。王子は大きくて黒いとか言っていたが、それも怪しいものだ。いや、蛙の王子本人も怪しい。本当に王子なのか。王子ならなぜルルヒ王国の軍人を使わない。そっちの方が多くの人が使えるし、情けない話だが優秀な人間も多いだろう。

ぼう、としているとき、森の奥に人影が見えた。

国境の森。夜も明けきらぬ早朝。一人の女。
完全なる不審人物だ。


「おい女止まれ!!」
「女?」


怒鳴ればぴたりと動きが止まる。息を飲む音が聞こえた。少なくとも、怪しい人物であることは確定している。なにか咎められる心当たりがあるのだろう。


「魔女はサンショウウオの姿してるんじゃなかったのか?」
「……私は、魔女じゃありません。」
「何者だ!」


ザッザ、と赤土を踏みながら、砂埃で薄汚れた女が姿を現した。


「私は王城に勤める下っ端メイドです。」


しっかと前を向いた女ははっきりとそういった。よく見れば、彼女が身に纏っているのはメイド服。ところどころ擦り切れているが、見る限り、あのわがまま姫付きのメイドだ。まだ、若い。


「メイドが、なぜこんなところに居る。」
「皆さんと同じです。ルルヒ王国の王子を蛙に変えた悪い魔女を、サンショウウオを探してるんです。」
その言葉におかしなところはない。魔女の捜索は兵士、文官、メイド、コック問わず駆り出されている。
「まあこの森にひとりでいるってことはそういうことなんだろうけど、」

「君、足早すぎない?」


王国兵の中でも走りに自信のある兵を集めた小隊がここに着いたのは数十分前。一日中走り続けて、だ。
なのになぜ普通の少女に見えるこのメイドは夜も明けないうちにここに居る。


「……お城で働く前は流浪の民族でしたので。足に覚えはあります。」
「流浪、な。」
「……まあいい。とりあえず、その籠の中身を見せてみろ。」


メイド服に合わない、大きな籠。確か庭師が高枝を切るのに使ったり、果物の収穫に使うもの。そう詳しくはないが、少なくとも姫付きのメイドが持つに相応しいものではないことはわかる。

ぐい、と籠を引き、中を覗きこむ。


「やあ、ごきげんよう。」


しゃべるオオサンショウウオが、いた。



**********



空が白み、地面が赤土になったころ、高い樹々の葉の間から、そびえたつ城の尖塔の頭が見えた。
だがちょうどそのころ、先回りしていた王国兵に姿を見られた。


「おい女止まれ!」
「……どうしますか?」


背中にいるオオサンショウウオさんに顔を動かさずに問うた。


「……逃げ切るのは無理だろう。ここには三人だが、まわりに何人かいる。」
「では突っ切ります。異論はありませんね。」
「君に任せよう。」


促されるまま、前に進み声を掛けた兵の前で止まる。誤魔化すことなどできない。私が怪しいのは百も承知だし、この大きなサンショウウオを隠し通すことはまず無理だ。淡々と正直に答えていく。三人の兵を見るが、見知った顔はない。

作戦なんてそんな上等なものはない。
私はただ、隙を突きオオサンショウウオさんをもって森から抜けるだけだ。
隙はきっと一度だけ。それを逃せばしがないメイドたる私は屈強な兵士から逃れる術はない。


「やあ、ごきげんよう。」
「……は、」


愕然とし言葉を失った兵たち。その隙を逃さず、オオサンショウウオさんを抱き上げ大きな籠を一人に押し付け、道を塞いでいた一人を蹴り倒した。

そのまま振り返ることなく駆けだす。後ろから怒声が聞こえる。
ほとんど無心になって足を動かす。掌から伝わるひやりとしたオオサンショウウオさんの身体の冷たさだけが確かに感じられた。


「っは、っは……!」
「追え!サンショウウオだ!デカいサンショウウオを持ったメイドが逃げている!捕まえろ!!」


背後の声は、もはや三つだけではない。だが目の前に広がる木々は確実に減っていた。
もうすぐ、森を抜ける。
演習場、そうオオサンショウウオさんから聞いていた。だから私はてっきり広場のようなところに出ると思っていたのだ。だが木々の間から見えたのは広場ではなかった。


「っ壁……!?」
「……すまない、どうやら森の中にいるうちに方角がずれていたようだ。」


忌々し気に呟くオオサンショウウオさん。
追っ手はもう数メートル後ろまで迫っていた。


「じゃあこれどうするんですか!?森から抜けて、右ですか!?左ですか!?あれを乗り越えるのは無理ですよ!」
「……っ右だ!そっちから回った方がおそらく出入り口に近い!」
「止まれッ!!」


背後に伸ばされた手が、背中を掠めヒュ、と息を飲む。
仮に森を抜けられたとしても、もうその出入り口にたどり着くことはできない。
ぐ、とオオサンショウウオさんを抱えなおす。


「オオサンショウウオさん!」
「……ミーシャ?」
「とりあえず、王城まで行ければ魔法を解くことのできる可能性があるんですね!?」
「たぶんな。少なくとも、害されることはまずないはずだ。」
「いざとなれば叩きつけろと言っていましたが、私にはできません。」
「……ああ、」
「オオサンショウウオさんは王城に行って、魔法を解いてください。」


壁まで、もう50メートルもない。


「なにを、」
「壁の内側に投げ込みます!ちゃんと着地してくださいね!」
「ミーシャ……!」
「頑張ってください!」
「……君のことはすぐに迎えに行く!」


壁の数メートル手前、追っ手を数センチ後ろに付けて、私はオオサンショウウオさんを大きく振りかぶった。


体長50センチメートルを超える両生類、オオサンショウウオが空を飛んだ。

それと同時に、追っ手の兵士に首を掴まれ、地面に引き倒される。

倒れ行く視界の端で。


オオサンショウウオさんが壁に激突するのを見た。


「ああああああっオオサンショウウオさんっ!!」
「……何してるんだお前は、」
「腕力が、腕力が足りなかった!!!」


憐れ空飛ぶ両生類は、木製の壁を超えることはできなかった。鈍い音をたてて壁に叩きつけられる。

背中にのしかかる兵士でさえ呆れたように声を上げた。あっという間に十数人ほどの兵士たちに取り囲まれる。


絶望に暮れているとき、ボフン!と間の抜けた音と共に煙が上がった。


「ふん、やればできるじゃないか。怪力娘。」


煙の中からオオサンショウウオさんの声。だが白い煙に浮かぶシルエットは、決してオオサンショウウオではなかった。


「ま、魔女かっ!!」


兵士たちがざ、と武器を構える。


「はっ、弱小国の無礼者どもが。」


煙が晴れた壁の前には両生類の姿はなく、気品あふれる黒髪金目の麗人が立っていた。


「お、オオサンショウウオさん……!?」


唖然とする私たちをよそに、オオサンショウウオさん(仮)は口元に指を寄せる。
ピイイイ、と甲高い指笛があたりに響き渡る。その直後、バタバタとどこからかたくさんの足音が近づいてきた。


「き、貴様!何をした!!サンショウウオはどこだ!」
「黙れ、無礼者。それとさっさとミーシャを離さないか。」


かみ合わない、いや嚙合わせる気のない一方的な会話。苛立ったように、オオサンショウウオさん(仮)は私の上に乗って拘束していた兵士を蹴り飛ばし、ぞんざいに私を抱き起した。状況が飲み込めずただただ瞠目する。

足音と共に現れる黒い制服の兵士たち。その胸にはルルヒ王国の紋章があった。


「何者だ!ここをどこの領地と、お、王!なぜここに!今までどこに居らっしゃったのですか!?」
「王!?」


突如として現れた軍事国家ルルヒ王国の王国兵士たち、そして王子という言葉に追っ手の兵士たちは顔を青くさせた。

今自分たちは最悪の事態に陥っているのだと、察する。


そんな兵士たちにオオサンショウウオさん(仮)は朗々と告げた。


「私はルルヒ王国第12代国王ザラマンダー・フェアディーンスト。愚弟が随分と引っ掻き回したとみる。迷惑をかけたな。」


ひとかけらも申し訳なさそうな色を見せず、オオサンショウウオさん改め、ザラマンダーはにやりと笑った。



*********



オオサンショウウオさんとの逃亡劇から一カ月が過ぎた。私はなぜかルルヒ王国の王城にいた。


「なぜ君はメイドのままでいる。」
「それは私がしがないメイドだからじゃないですかねぇ。」


もうわがまま姫付きのメイドではない。今は傲慢高慢王付きのメイドである。


あの日私が城に連れ帰ったオオサンショウウオさんは、強大な軍事国家ルルヒ王国の現王様であらせられた。
そんな王をペットにしてあまつさえ蛙を頭に乗せたとあれば極刑一択だが、彼自身は気にした風もなかった。


ことの次第はこうだ。

魔女によって両生類に変えられた王と、王弟はそのまま国境付近の森に捨てられた。そしてそれぞれわがまま姫、姫のメイドと出会い、紆余曲折を経て同じ王城に連れ帰られる。
一足先に人間に戻れた蛙の王子こと、王弟フロッシュ。以前から王である兄ザラマンダーに不満があり、これ幸いとばかりに山椒魚にされて身動きの取れない兄を殺してしまおうとした。

結局は敵国の手先であった魔女の両生類魔法と壮大な兄弟喧嘩の末の事件であったのだ。

ちなみに領地に侵入した追っ手の兵たちだが、事情も事情、どちらかとばルルヒ王国が面倒事を持ち込んだのが原因であったため、特に御咎めなしとなり、今では国交を始める準備をしているらしい。


「この私が妃にしてやると言うのに何が不満なんだ。」
「不満とかそれ以前の問題だと気が付かない、そういうところですかねぇ。」


何をトチ狂ったのかわからないが、ザラマンダーさんが求婚してくる。
喜びとか、恐れ多いとか、そういう感情は当然なく、もはや面倒だな、という感想しか抱かない。


「興味ないんで。」
「む、あれだけ派手な愛の逃避行を繰り広げておいてか。」
「愛の逃避行とか身に覚えがないんで。しいて言うなら逃避行を繰り広げたのは貴方ではなく私の可愛い可愛いオオサンショウウオさんです。」
「いい加減オオサンショウウオが私だと受け入れたらどうだミーシャ。」


呆れたようにため息を吐くふてぶてしい国王。
ため息を吐きたいのは私の方だ。私の可愛いペットを返せ。


「……そういえば、魔女の言ってた魔法を解く真実の愛(笑)は何だったんですか?まさか真実の愛(物理)じゃないでしょう?」
「ああ、壁に叩きつけて魔法が解けたのは魔女の想定外だったらしい。本来はそんな魔法じゃなかったそうだ。」


当然だろう。魔法にかけられた被害者を壁に叩きつけようなどと、誰も思いはしない。


「指定されていた解除方法は若い娘からの接吻だったそうだ。」
「それじゃ魔法が解けるわけないですね。」
「いや、君なら解いてくれたかもしれないだろう?」
「いえ、流石に両生類とキスはハードル高いです。」


可愛い。可愛いがキスができるかと言えば全く違う問題だ。オオサンショウウオのあの大きな口は普通に怖い。肉食なだけあってなかなか迫力がある。


「ほう、では人間の今なら何の問題もないな。」
「っはは、王様とはもっとハードルが高いです。」


ぐいと腰を引かれ反応もできず、王の座っていたソファに尻餅をつく。そのまま手足が絡みついて来てゾワリと鳥肌がでた。彼がオオサンショウウオのときもここまで接触したことはない。最後彼を投げるときまでは。


「あまり生意気を言っていると、カワイイペットでも噛みつくぞ。」
「……御冗談を。」


近づく顔をぐ、と両手でガードする。怪力娘と称された力は伊達ではない。


「人間に戻ってから一度も名前も呼ばない。もう少し距離を縮めようとは思わないか。」
「思いませんねぇ……!」
「素直じゃない所も悪くない、が。優しく口で言ってやってるうちに大人しく私のものになった方が身のためだぞ?」


弧を描く大きな口、笑う金の目が私の可愛いペットの面影があるところがずるいと思う。
情が割と移りやすく状況に順応しやすい私が、この山椒魚の王様に陥落される日は、案外遠くないのかもしれない。
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