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「あ?  何だよ、テメェには関係ねぇだろ?」
「隣の部屋で変な事件とか起きたら嫌だし、何か言い合いしてるっぽいし、気にすんのは普通だと思うけど?」
「っクソ! おい亜子、また来るからな」

 強気に出ていた正人だけど、お隣さんが正論を口にした事や、相手が引かなさそうだと悟ったのか、苦々しい表情を浮かべると、『また来る』という台詞を残してアパートの階段を降りて行った。

「…………」

 正人がアパートから離れていくのを確認した私は安堵して小さく息を吐く。

「――平気?」
「え?」
「顔色、悪そうだけど……」
「へ、平気です!  それよりもありがとうございました、助かりました」
「ああ、別に大した事はしてねぇから。つーか、さっきの男は――」
「ママぁ!!」

 お隣さんが何か言いかけた時、部屋の中から凜が泣き叫ぶ声が聞こえて来た。

「あ、すみません、あの、本当にありがとうございました、失礼します!」

 出先から帰宅したタイミングで正人がやって来た事もあって凜だけを先に部屋へ入れていたせいか、いつまでも私が戻らない事を不安に感じたのだろう。普段あまり泣かない凜が泣いている事に焦り、お礼もそこそこに助けてくれた隣人の鮫島さめじまさんよりも先に慌てて部屋へ戻ってしまった。

「ママ!!」
「凜!  ごめんね、一人にして」
「うわぁーん」
「よしよし、もう大丈夫だからね」

 泣きじゃくる凜を抱き締めた私はポンポンと規則正しいリズムで背中を叩きながらあやす。

 今日は何とか正人を追い返す事が出来たけれど、彼はまた来ると言っていた。

 その言葉が頭から離れず、先程のやり取りや過去の暴力の数々を思い出して再び身体を震わせていると、

「ママ、だいじょーぶ?」

 いつの間にか泣き止んでいた凜が心配そうな表情で私を見つめていた。

「う、うん、大丈夫だよ。お腹空いたよね、ご飯の準備しようね」

 凜の顔を見たら、いつまでも震えてなんていられなくて、大丈夫と心の中で言い聞かせながら笑顔を向けた。






 この日を境に私の人生は、

 大きく動く事になるのだった。




 予想通り、あの日以降正人は定期的に私と凜の前に姿を現すようになって、私は困り果てていた。

 ある時は私の職場でもある弁当屋に現れ、ある時は凜の通う保育園の周辺で待ち伏せ。

 正人に付き纏われているせいで自宅までタクシーでの移動を余儀なくされて、金銭的にも精神的にも困っていた。


 そんなある日の週末、

「正人……もういい加減にしてよ……」

 懲りずにアパートを訪れた正人。

 初めはドア越しに会話をしていたものの諦める気配が無いのでドアを開けて応対するも、部屋にだけは入れたくなくて諦めて貰えるまでとことん話し合うつもりでいたのだけど、

「またお前かよ、懲りねぇな。知り合いに警官いるから呼ぶぞ?」

 休日で仕事が休みだったのだろう、隣人の鮫島さんが上下スエットというラフな格好で外へ出て来ると、正人を見るなり溜め息を吐きながら知り合いの警官を呼ぶと言い出した。

 彼の手にスマホが握られていて、何やら操作しだしたのを見た正人はハッタリではなく本当に警察を呼ばれると思ったのか、

「分かったよ!  帰ればいいんだろ!?」

 慌てて階段を駆け下りてアパートから離れていった。

 そんな正人の姿を見送った鮫島さんはふぅっと息を吐き出すとズボンのポケットにスマホをしまい、

「あのさ、あの男に付き纏われてんだよね?」
「……はい」
「余計なお世話かもしれないけど、警察に相談した方がいいんじゃねぇの?」

 私と正人の事情を訊いてきた上で、警察に相談してみてはと提案してくれる。

 確かに彼の言う通り警察に相談するのは一つの手だと思うけど、警察はこれくらいの事じゃ動いてくれない事を私は知っている。

「付き纏われてるだけで、それ以外に被害が出ている訳じゃないから、警察は動いてくれないと思います。すみません、二度もご迷惑をお掛けして。ありがとうございました」

 凜は今眠っているので起きる前に部屋へ戻ろうと鮫島さんにお礼と謝罪の言葉を口にして部屋へ入ろうとすると、

「あのさ――俺で良ければ力になるよ?  お節介かもしれないけど、女一人で子供守りながらじゃ不安だろうし、隣に住んでて何かあればすぐに駆け付けられるから、警察が無理なら俺を頼ってよ」

 腕を掴まれ、真っ直ぐな瞳に見つめられながら、頼ってと言われた私は困惑した。
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