恋人以上、恋愛未満

右左山桃

文字の大きさ
上 下
31 / 135
1章 そんな風に始まった

31 おかあさん

しおりを挟む
母が到着したのは、雅が来てから1時間後。
タクシーで高速を飛ばして来てくれたのだと、思う。
廊下から母の怒号と足音が聞こえてきて、私は思わず椅子から立ち上がった。
何を言っているのかはよくわからないけれど、金切声を上げながら怒っている。
かなりヒステリックな状態だ……。
そう思ったら、背中から嫌な汗をどっとかいて、体が小刻みに震えだした。
落ち着いて、とか。
ショックを受けているから、お嬢さんをあんまり刺激しないで……とか。
警察の人が色々言って母をなだめているのが聞こえる。


「美亜……?」


雅が不安そうな視線を私に向けている。
もうどう取り繕うつもりもない。
そうだよ、この人が私の、おかあさんだよ。
それから母がこの部屋に来るまで時間はかからなかった。
扉がバン! と音を立てて開かれる。
着の身着のままの姿で母は立っていた。
急いで来てくれたことを喜ぶ余裕はなかった。
怒っているのか泣いてるのか判断がつかない、興奮する母の肩を警官が抑えている。


「帰るわよ!」


開口一番の母の言葉は、意外なものだった。


「かえ……る……?」


どこに?
あの家に?

帰ることを望んだこともあったし、今のままじゃ駄目だとも思っている。
だけど、こんな状態で帰っても、何も変わらない。
ううん、前よりも悪いかもしれない。
息が詰まるような閉塞感と、母を苦しめてしまう私の存在。
母だって重々承知で、絶対にそんなこと望んでいない筈なのに。


「や、嫌だ……」


爪が食い込むほど強く掴まれた腕を振り払うと、母は激昂した。


「だって、じゃあ、私はどうすればいいのよ!! アルバイトの帰りだったんですってね。お金、ちゃんとあげてたじゃない。なんで? 足りないなら、なんで言わないの。なんでそんな夜遅くに危ない道をわざわざ選んで歩いてたの? 私へのあてつけのつもりなの!?」

「ち……ちが……」


あてつけるつもりなんて、もちろんない。
お金が欲しかったのは、本当だけど。

おかあさんからもらったお金は――全額ではないけど――使うことができなかったよ。
これが、私が愛されてる証なんだって思ったら。
唯一の絆なんだって思ったら、使うことができなかった。
そう言ったら、おかあさんは何て言う?
信じてくれない?
それとも、馬鹿にするな?
恥をかかせるな?

負の感情が返ってくることしか思い浮かばない。
声が……言葉が……出てこない。

雅が椅子から立ちあがって、私達の間に制止に入ろうか迷っているのが目に入った。
私はそれを、手で「やめて」と制して母に向き直る。


「ごめ……なさ……」

「もうアルバイトも、ひとり暮らしも辞めなさい! 大学は家から通いなさい!」

「嫌……」

「美亜っ!」

「駄目、できない……っ……」


おかあさんが、私と居たら壊れてしまう。
振り上げられた手を、目をつぶって受け入れる覚悟をする。
私の脇を通り過ぎた風が、肩を掴んで後ろに抱き寄せた。


「あのっ……! はじめまして。美亜さんと、お付き合いさせていただいています! 神庭雅です!」


緊迫した空気に、場違いな声が耳のすぐ傍で響く。
母は今初めて雅の存在に気がついたようだった。


「えっと……美亜さんとは……夜道はいつも一緒に帰っていたんですけど、今回だけたまたま俺が都合つかなかったんです」

「……嘘……」

「申し訳ありませんでした」

「……雅……っ……」


雅が私の方を見る。
じゃあ、どうするの? そう問いかける視線に言葉を噤む。
今の私は結局、雅の作り話に甘える選択肢を選ぶしかなかった。


「これからはできる限り、俺が美亜さんを守ります。もっと安心できる所に引っ越して……美亜さんさえ良ければ、今度は傍で暮らせたらいいなって……思ってます」


どこまでが嘘で、どこからが本気なのかわからない雅の言葉を、私はただ呆然としながら聞いていた。

引っ越す?
暮らす?


「だから安心してください」


そう言ってから、雅は、あ、という顔になった。


「あ、えっと、俺がいたら全然安心じゃ……ないか……。えっと、暮らすって言っても、あの、同棲とかじゃなくて……も っと健全ていうか……大切にします……!」


もはや……何を言っているのか意味がわからない。
雅もテンパり過ぎて今何を言っているのかわかっていないのかもしれない。
私以上に恋愛に希望を抱けない母が、雅の存在にどんな反応をするのか未知数だったけど。
毒気を抜かれたような顔で母は雅を見ていた。
暫くの沈黙の後、渋い顔で何か言おうとして……でもすぐに諦めたように俯いた。
私の顔を面と向かって見ようとして、できなかったのが何となくわかった。


「……美亜のこと、宜しくお願いします」


どちらかと言えば反対されるかと思っていたけど、母はそう言って雅に頭を下げた。
私とは最後まで目を合わせてくれなかった。


「警察の方と話してくるわ……」


母は踵を返すと小さな背中を更にまるめるようにして、部屋を出て行った。
へた、と椅子に腰を下ろした私の横に、雅も座る。
息を短く、吐く。膝の上の拳が少しだけ震えていた。
きつく握った私の拳を雅は手に取ると、一本ずつ時間をかけて指をはがしていた。


「…………」


 手のひらが開ききると、そこに指を絡めて、私の手をぎゅっと握った。


「悪いのは全部、犯罪者だよ」


ポツリと雅が呟いた。


「そいつがいなければ、こんなこと起きなかったんだし」

「…………」

「お母さんもきっと、そんなことわかってると思うんだけど……気が動転しちゃったんだよね。俺も。駄目だね。ああいうときって、自分には何かできなかったのかって、やっぱり、考えちゃうよね」


俯いた私の頭を、雅がポンポンと撫でる。


「美亜、大丈夫だよ」


雅には、今の私と母のやりとりがどんな光景に見えたんだろう。
雅は、私のこと、どんな風に思ったんだろう。


 「美亜、頑張ったね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】

remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。 干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。 と思っていたら、 初めての相手に再会した。 柚木 紘弥。 忘れられない、初めての1度だけの彼。 【完結】ありがとうございました‼

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜

湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」 30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。 一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。 「ねぇ。酔っちゃったの……… ………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」 一夜のアバンチュールの筈だった。 運命とは時に残酷で甘い……… 羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。 覗いて行きませんか? ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ・R18の話には※をつけます。 ・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。 ・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。

【完結】やさしい嘘のその先に

鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。 妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。 ※30,000字程度で完結します。 (執筆期間:2022/05/03〜05/24) ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ 2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます! ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ --------------------- ○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。  (作品シェア以外での無断転載など固くお断りします) ○雪さま (Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21 (pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274 ---------------------

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...