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「次の街で休憩して水や食料を調達しましょう。この街を出たらしばらく店がなくなるわ」
綺羅は馬上から後方へ向かって声をかけると、後方を護衛する騎士達は返事をした。
亜麻色の髪を後ろでお団子に纏め、龍の皮でできた真っ白な騎士服に身を包む綺羅は龍宮王夫妻を乗せた一行の先頭を走っている。
「綺羅様もご立派な龍使いになられて・・・・・・。望月、嬉しゅうございます」
綺羅のすぐ後ろを走る馬車から、綺羅の乳母である望月が声をかける。
「今回は龍使いの仕事ではないのよ」
綺羅は望月の馬車と併走しながら答えた。
「まさか姫様の仕事ぶりを、拝見できる日が来るとは思いませんでした。この望月、感激しております」
しかつめらしい顔を崩さぬまま、大げさにハンカチで涙を拭く。
「本当に大げさね」
綺羅は呆れた。
望月はグレーの髪をきちっと纏め、服装も地味で堅苦しく乳母というより女教師のような風貌のわりに、表現が大げさなのである。
だが、王妃よりも綺羅のことを理解してくれ、辛いときには静かに寄り添ってくれる。そのおかげで、綺羅の心が慰められたことは数え切れない。しかし、このことは望月には内緒である。
「まぁ、昔の綺羅様は人前に出るのが苦手で、とても騎士団を牽引するなど想像もできませんでしたもの。感激するのは当然でございます」
「それは・・・・・・」
幼い頃のことを言われると綺羅は何も言えない。
「それに、とても大人しくて姫様をやっかむ輩がネチネチ文句を言っても、何も言い返せずに黙っておられて、何度悔しい思いをしたか・・・・・・」
「もう分かったから。帝都に着くまで休んでいて。着いたら忙しくなるから」
昔話だというのに望月は本気で悔しがった。
綺羅は隣に座っている侍女に、窓を閉めるよう、言いつけると先頭に戻った。
龍宮国はガルシャム帝国の船着き場から船で1日の島にある。
龍宮国の国民は皆、龍使いであり、本来は龍に乗って移動するので、1日も掛からない。
だが、今回は高齢で病に倒れた龍宮王をガルシャム帝国の帝都に連れて行くのが目的であるため、船で1日かけてガルシャム帝国に上陸し、ガルシャム帝国の馬車と馬、護衛の騎士団を借りて陸路を5日かけて移動しなければならなかった。
遙か昔は龍宮国もガルシャム帝国の一角にあったという。
だが、龍使いに痛めつけられた妖獣や妖魔が報復のために龍宮国を襲った時、関係のない人々が多く巻き込まれたため、現在の島へ移ったらしい。
龍使いが天から授けられる龍には、火・水・風・雷・治癒・結界のいずれかの力が備わっている。
つまり、海に囲まれた龍宮国の地理的条件と、龍の能力を合わせれば穏やかな海の水をかき回して妖獣を沈めることも、波と風の力とを合わせて近づく妖獣や妖魔を追い払うことも可能になるのだ。
そのせいか、近年龍宮国が妖獣や妖魔に襲われることはない。
綺羅は時折、後方を振り返って国王夫妻の従者や帝国の騎士団の様子を伺う。
龍宮国を出発して3日目。
従者の中には疲れを見せる者もいた。
普段は龍に乗って移動する者ばかりなのだから、慣れない馬や馬車での移動で疲労が溜まっているのだろう。
ここは王女である綺羅が気を配らなければならない。
とはいえ、綺羅も馬での移動は初めてなうえ、集団を纏める経験も生まれて初めてである。
ようやく、街の入り口が見えた。
「みんな。街に着いたわ。休憩しましょう」
綺羅は従者や騎士達を励ますように明るい声で告げた。

街で水や食料などを補給した後、綺羅達は帝都を目指して出発した。
休憩した街が遙か後方に消えかかった頃、綺羅の耳元でキーンという音が鳴った。
綺羅の両耳にはクリスタルでできた六角柱のピアスをつけている。
ただのピアスではない。六角柱には綺羅に授けられた龍が棲み、妖魔の気配を感じ取ると綺羅に知らせるのだ。
その龍達が妖魔の気配を知らせている。
綺羅は兵士達に止まるよう命令する。さらに、龍使いでもある望月に結界を張るように言いつけると馬から降りた。
辺りを探るが木々が風に揺れる音以外に何の気配もしない。だが、鳥や獣さえ息を潜めているような緊張感が漂っている。
「どこ。どこにいるの」
龍が気配を感じ取った以上、近くにいるのは間違いない。綺羅は周囲を見回すが妖獣や妖魔の姿はない。
「上かしら?」
綺羅が上を見上げたのは、妖獣には鳥型のものもいるし、妖魔は空を飛ぶことが可能だからである。
ところが、綺羅が上を警戒していると、足元がズズズっと沈んで行く。
「何?」
足元を見るとブーツが砂に埋もれて行く。
先程まで堅い土の上に立っていたはずなのに、いつの間にか砂へと変化して綺羅を引きずり込む。
まるで蟻地獄だ。
青龍せいりゅう
綺羅は咄嗟に青龍を呼ぶ。
姿を現した青龍は水を吐き出しながら綺羅を背に乗せた。
「一体どういうことなの」
綺羅が一息吐いたのも束の間。
綺羅を引きずり込もうとしていた蟻地獄から、砂を固めた正方形を組み合わせたような巨大な泥人形が現れた。
「ゴーレム?」
ゴーレムは無言で腕を振りながら綺羅を捕まえようとするが、その度に砂が舞って目を開けることができない。
青龍が水を吐き出して砂が舞い上がらないようにするが、水を浴びた砂は泥に変化して綺羅や青龍に飛び散る。
それでも綺羅はゴーレムの腕や指を切り落とそうと腰の龍剣を取る。
龍剣は龍の角や牙でできているため、妖魔の魂を喰うことができるのである。
しかし、ゴーレムからは妖気を感じないので、綺羅は多少不安に思いながらも剣を振るう。
ゴーレムが伸ばす腕ら逃げながら、青龍は綺羅の攻撃できる機会を伺う。
龍達と綺羅は言葉を交すことはできないが、言葉にしなくても龍達は綺羅が動きやすいように動いてくれる。
自由に飛び回る青龍をゴーレムは蚊を潰すように両手で捕まえようとするが、青龍はすんでのところでスルリと抜ける。そんなことを数回繰り返しているうちにゴーレムが苛立って来た。
動かないゴーレムを揶揄いながら、青龍はゴーレムの目の前をウロウロした後、背後へ回った。
ゴーレムは首が人間と同じくらいしか動かないらしく、背後に回った青龍を見失う。
綺羅はそこでゴーレムの右肩に剣を突き刺した。
すると砂を固めたようだったゴーレムが泥に変化し、剣が泥に飲み込まれて行く。
赤龍せきりゅう
綺羅が叫ぶと、赤龍が綺羅の隣に現れてゴーレムに向かって火を噴いた。
高温の火で乾いた泥により剣は抜けたが、ゴーレムはすぐに砂に戻る。そして、振り向きざまに綺羅と2匹の龍に砂をかけた。
咄嗟に綺羅を庇うように赤龍が覆い被さったので、綺羅は少ししか砂を被らなかったが、何度も砂や泥を被っているので、視界が悪いことに変わりはない。
綺羅が身に付けている騎士服は龍の皮でできているので、妖魔の攻撃や青龍の水や赤龍の火がかかるのを防ぐことができる。しかし、ただの砂や泥が付くことを防ぐことはできない。
綺羅と龍を捕まえようとするゴーレムに青龍が水を吐き出せば、ゴーレムは泥に変化して泥を飛び散らせながら綺羅達を追いかける。泥まみれになった綺羅や青龍の動きは緩慢になる。しかし、赤龍が火を噴いて泥を乾かせば瞬時に砂へと変化した。
「ゴーレムを操っている奴がいるのね」
青龍や赤龍に攻撃をされても、綺羅に剣を刺されてもゴーレムは声らしいものを発しない。
人間に近い姿の妖魔はもちろん妖獣も声を出すことはできるし、人と同じ言葉を話す。
だが、ゴーレムは妖獣に一撃を与えられる龍剣で攻撃されてもダメージを受けずに、無言で綺羅達を追い回している。
綺羅の考えを理解した青龍はゴーレムと距離を取って飛行し、赤龍がゴーレムに攻撃をする。
綺羅は青龍の上からゴーレムを操る妖魔か妖獣を探し始めるが、見つからない。
「どこにいるの」
目を凝らすが砂や泥にまみれていて、思うように目が開かない。
そこへ多量の砂が降って来た。
上を見上げるとゴーレムの大きな手が見えた。
捕まる、と目を瞑ると身体が宙に浮くのを感じた。次の瞬間、綺羅を助けようとした青龍に全身に水を浴びせられた。
だが、水の勢いを上回る泥が降って来て綺羅の身体が泥に沈んだ。
赤龍が火を噴いても砂に変わるだけで、綺羅の身体が砂に沈むだけだった。
「く・・・・・・。嫌だ」
こんなところで負けるわけには行かない。
そう綺羅が強く思った時、綺羅の身体から黄金の光が放たれた。
「何・・・・・・」
眩しくて綺羅は目を瞑る。
しばらくして目を開けるとゴーレムや砂、泥の山は跡形もなく消えている。そして、なぜか青龍と赤龍は六角柱に戻ってしまった。
綺羅が呆然としていると、身体が勝手に動き始める。
「そこで見ているのだろう。隠れていないで出てこい」
綺羅自身聞いたことがない声が出て慄く。誰に対して発したのかさえ分からない。
ところが、ゴーレムが消えた後から黒い影が現れた。
人型をしているが、頭はネズミで背中からウスバカゲロウの羽根が生えている。
「なんだ。妖獣か」
綺羅は興味なさそうに言い放つが、ネズミ頭は綺羅を見て目を輝かせている。
「とうとう運が回ってきたぞ。黄金龍おうごんりゅうを手に入れれば妖魔王になれる」
ネズミ頭が興奮している意味が分からず綺羅は首を傾げる。
黄金龍を手に入れた妖魔は妖魔王に生まれ変わる。
そういう言い伝えがあることは綺羅でも知っていた。
それは黄金龍を妖魔が使うことで、他の妖魔を従えて世界征服を果たせるからだ。
だが、何故ネズミ頭が興奮しているのか綺羅には理解できない。
その時、ほつれた自分の髪が見えた。
指に絡めると髪は金色に輝いている。よく見れば騎士服はプラチナに輝いていた。
一体、自分に何が起きているのか混乱する心を無視して、身体は乗っ取られたように動いて言葉を紡ぐ。
「お前のような雑魚。一撃で仕留めてやる」
綺羅は右腕を振るうと黄金の剣が出現した。その剣をネズミ頭に向けると黄金の光が放たれる。
「このチャンスを逃すか」
ネズミ頭は四つん這いになると綺羅に向かって飛びかかった。綺羅はタイミングを計って天に向けて剣を突き立てると、ネズミ頭の腹に突き刺さった。
「うぎゃぁ」
ネズミ頭は短く呻くと塵一つ遺さずに黄金の剣に喰われたのである。
綺羅は表情一つ変えず右腕を振ると金色の剣が消える。綺羅は空を見上げて声を放つ。
「いつまで高みの見物をしているつもりだ。出てこいシアン」
綺羅の呼びかけに反応したかのように妖魔が現れた。目の前に黒いマントを纏い、黒い瞳と長髪を金の紐で束ねた妖魔は、彫像のように整った顔を顰めている。
「高みの見物とはずいぶんな言い草だな」
シアンと呼ばれた妖魔は顰め面をしているが、口元には薄ら笑みを浮かべている。
綺羅は、人間と見紛う妖魔を目にするには初めてだった。
それも黒に近ければ近いほど強力な妖力ようりょくを持つと言われている妖魔の中でも、闇と見紛う漆黒の色彩を持つ妖魔である。
それなのに、耳元の六角柱は妖魔の出現を知らせるキーンという音を発せず、静まりかえっている。
「お姫さんは強いからな」
「どうだか。まだ、我の力を使いこなせないぞ」
綺羅の口が勝手に動く。
「そろそろ封じる。お姫さんが困っている」
「あぁ、後は頼んだぞ。シアン」
綺羅は嫌だと思いながらも動くことができない。
シアンは無言で頷くと綺羅の額に手を当てた。
綺羅の一部が閉じられる感覚に襲われ、思わず目を瞑る。
「目を開けていいぞ」
シアンに言われて目を開けると、綺羅は伸びをする。ずっと窮屈な場所に閉じ込められていたような気がした。そして、身体を伸ばすと指先まで自分の身体だと感じた。
「あ、あー」
試しに声を出してみると、思い通りに声を出すことができた。
「大丈夫か。お姫さん」
シアンに声をかけられて、綺羅は後ずさりをする。
「そんなに警戒するな。俺は貴方の味方だ」
「どういうことなの」
「それは、親から聞け。とりあえず、この先、雑魚が現れないようにしておく」
シアンは一方的に告げると姿を消してしまった。
いろいろ聞きたいことがあったのに、何も聞くことができなかった綺羅はモヤモヤした気持ちを抱えたまま都を目指した。
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