宮廷の九訳士と後宮の生華

狭間夕

文字の大きさ
上 下
37 / 41
3.呪詛の像

3-3.神連れ⑤

しおりを挟む
 改めてのことになるが、英明インミンは九訳である。通訳である。闇の調合師でもなければ薬師でもない。薬学に関する専門的な知識を得ようとしたわけではないが、翻訳する過程で文献を読み漁るため、草花や金属の性質にも勝手に詳しくなっただけのこと。それを実際に試したり配合したことはないし、あくまで文字としての知識に留まっている。

「まさか毒に精通しているとは思わなかった」

 心なしか、任暁レンシャオが身を引いている。

「あのね、精通してないの、多少は知っているだけなの。しかも異語で書かれているのだからひも解くのに苦労したのよ」

  英明インミン は不服と一緒に反論した。

「しかし君には先人の知恵が、字引きがあるのだろう?」
「古の民は表立って活動していないから通訳の用事はない。だから字引きは存在しない。こうして自前で作るしかなかった」

 英明インミンは文字でびっしりと埋め尽くされた紙を見せた。いろいろな言葉を当てはめて、何度も取り消し線が引かれている。

「地道で大変な作業だ、知らない言葉を解読するのは一苦労だな。しかも、それが趣味ときた」

 任暁レンシャオは「ほほう」と声を漏らして、頼まれてもいない調査に心血を注ぐ英明インミンの好奇心に感心しているようだ。

「さっきは先入観を抱いてはいけないと言ったけれど、ある程度の方向性を定めてから翻訳を始めるから全くの当てずっぽうではないの。それでね、手順を話すと、呪詛じゅその像の伝承には『神ヲ連レルは十三ノ死』と記されているから、これは毒か呪術の類だと当たりを付けたわけ。ちょうど刻まれている単語の数も十三、何かの材料と考えるのが自然でしょ」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 神連レ、王魔、赤一重、麦ノ角、桂ノ枝、邪立、猫願、薄願、捻転
 羊ト猪ト牛ノ背二、女ノ血酒
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 このような文字が、像の背中に刻まれている。

「最初の『神連レ』が呪いの固有名詞とも考えたけど、それを含めての十三だから、『神連レ』も材料の一つ。そこで、西方の花の名前を想い出した。別の地域ではカモミールと呼ばれているらしくて、香草として使われていて精油にすれば神経に作用する薬にもなる」

 聞き慣れない発音のせいか、任暁レンシャオは困ったような仕草でつややかな髪をいた。

「西方の知識がいるとなると、さすがに厳しいな。私は西南の出身だが、カモール? などと、そういう妙な発音を聞いたこともない」
「あなたの出身の西南より、もっと西だから。貿易と関わっていないと無縁でしょうね」
「他の単語も草花を表していると?」
「だいたいが、そうなるかな」

 英明インミンは筆を取って、像に刻まれた十三の文字を紙に書いた。くるっと紙を回して任暁レンシャオに見せる。

「次に分かりやすかったのが、『邪立』ね。立麝タチジャはタチジャコウソウのこと。そして『桂ノ枝』は桂皮けいひだから漢方薬。漢方が入っているとなると、『王魔』が最初は何か分からなかったけど、同じ漢方の麻黄まおうじゃないかって気が付いた」
「……桂皮けいひは胃腸に、麻黄まおうは発汗作用か。神経系に作用する良薬のように思えるが、良薬も量を誤れば毒になる。まさに陰陽の教えだな」
「さすが目の付け所がいいのね。カモミールとジャコウも似たような効能だから、あなたが言ったように過剰だと毒にもなる。神経に作用する材料が記されているのだから『赤一重』は赤一輪、つまり赤芥子けしの実のことで、こっちは逆に鎮静効果があるのだけど、用法を誤れば強い陶酔状態に陥ってしまう」
「幻覚作用か。それで――」

 任暁レンシャオあごに手を添えて考えにふける。そうして人差し指でのどを、とんとん、突いた。

梓琪ヅーチー妃は木の板をのどに刺したまま絶命していたらしい。香梅堂に移される前から体調が悪かったそうだ。報告では熱を出していたとされているが……君の話を聞いた後だと、むしろ過剰な発汗によって冷えていたのではないか。そこに幻覚作用が相まって、ついに神経が持たなくなったと」
「自我を保てなくなれば妙なことを口走ったりもするし、はたから見れば呪いのように映るわけ」

 呪いの性質がおおよそ判明して、任暁レンシャオは深い息を吐いた。

「なんともたちの悪い。どういう性質の毒だったのか分かってきたが、羊や猪や牛は何だろう? 神経系に作用するとは思えないが」
「そっちは油だけを使うの。草花から成分を抽出するのには煮るのが早いのだけど、香りを重視したい場合は、特に香草は油に吸着させることで成分を移すのよ」
「……えらく詳しいな、聞いたこともない」
「砂漠地帯の技術らしくて、古の民も砂漠に住んでいたから発祥は同じかもね」
「彼らの末裔まつえいが宮廷にもいるのか。なるほど、物騒だな」
「あら、どうしてそうなるの?」

 英明インミンの質問に、任暁レンシャオは机に肘を付いて、口角を少し上げながら横目で彼女を見る。

「なんだ、私を試すのか」

 いつの間にか扇子せんすを持っていて、ぱたぱたとあおいでいる。ちなみに今は冬である。

「試しているわけじゃないけど、本当に理解しているのか聞いてみようと思って」
「そういうのを試すと言う。簡単なことだ、君がそこまでの知識を披露してやっと解読した毒の製法を他人が易々と読めるはずがない。この毒を用いた人物は最初から製法を知っていたか、古代の文字を理解していることになる。つまりは彼らの末裔まつえいだと考えるのは当然だ」
「いい線、行ってる。あと一押しね」

 嬉しそうに、ぱん、と手を合わせる英明インミン

「やれやれ、今の私は生徒らしい。この件に関しては君が先生なのは認めよう。それで、何がまだ足りない?」
「この神経毒を本当に彼らが使ったのかってこと」
「それは梓琪ヅーチー妃の症状から察することだろう」
「そうなんだけど、彼らからすれば別に後宮内の権力闘争なんて知ったことじゃないもの。かといって金で動くとも思えないでしょ? 動機は何だと思う?」
「他人への献上品にされたり、権力闘争に悪用されたりすれば腹が立つだろう」
「そんなところね。これは決まりなのよ。時代と共に曲解されたの。ほら、あなたが持ってきた紙の最後には何て書いてある?」
「うん?」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
  資格あらざる者、ケシて祭器を手二しては成らず
  禁を破りしモノにハ、戒めが襲うことと成る
  ――古の民、呪詛の像の誓い
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 最後の一文を読んで、任暁レンシャオは眉をしかめた。

「言われてみれば、誓い、とは妙な表現だ。いったい何を誓った?」
「本来の意味は『金ではなく水源を神とするべき』っていう誓いだった。それで裏切り者の王を殺すための毒だったのに、時が経つにつれて『資格あらざる者』を余所者と誤認するようになった。呪いの伝承は本物だと証明し続けるのが誓いだと勘違いして、像を持つ余所者を排除し続けているってこと」
「だから見境がないわけか。しかし、それこそ推測だろう。実際に犯人を捕まえたわけでもないのに、彼らに聞いてみなければ真相は分からない」
「だから、最後の一押しをやらないかってこと」

 英明インミンが微笑む。

「まさか……ここにおびき寄せるつもりか」
「だって、ここまでの解読が正しいのか気になるでしょ? この像を置いておくだけであっちから証明しに来てくれるんだもの、楽な答え合わせね」
「楽って……武芸にも自信があるのか?」
「いいえ、さっぱり。あるように見える?」

 空になったかゆの皿を、任暁レンシャオの盆に戻した。そうして両頬を手の平に乗せて、にこにこと、少女のような笑顔になる。

「頼りにしてるわ、任暁レンシャオ鎮西将様」
「やれやれ、生徒のままにしといてくれ」

 任暁レンシャオは頭のくしを外した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

―異質― 邂逅の編/日本国の〝隊〟、その異世界を巡る叙事詩――《第一部完結》

EPIC
SF
日本国の混成1個中隊、そして超常的存在。異世界へ―― とある別の歴史を歩んだ世界。 その世界の日本には、日本軍とも自衛隊とも似て非なる、〝日本国隊〟という名の有事組織が存在した。 第二次世界大戦以降も幾度もの戦いを潜り抜けて来た〝日本国隊〟は、異質な未知の世界を新たな戦いの場とする事になる―― 日本国陸隊の有事官、――〝制刻 自由(ぜいこく じゆう)〟。 歪で醜く禍々しい容姿と、常識外れの身体能力、そしてスタンスを持つ、隊員として非常に異質な存在である彼。 そんな隊員である制刻は、陸隊の行う大規模な演習に参加中であったが、その最中に取った一時的な休眠の途中で、不可解な空間へと導かれる。そして、そこで会った作業服と白衣姿の謎の人物からこう告げられた。 「異なる世界から我々の世界に、殴り込みを掛けようとしている奴らがいる。先手を打ちその世界に踏み込み、この企みを潰せ」――と。 そして再び目を覚ました時、制刻は――そして制刻の所属する普通科小隊を始めとする、各職種混成の約一個中隊は。剣と魔法が力の象徴とされ、モンスターが跋扈する未知の世界へと降り立っていた――。 制刻を始めとする異質な隊員等。 そして問題部隊、〝第54普通科連隊〟を始めとする各部隊。 元居た世界の常識が通用しないその異世界を、それを越える常識外れな存在が、掻き乱し始める。 〇案内と注意 1) このお話には、オリジナル及び架空設定を多数含みます。 2) 部隊規模(始めは中隊規模)での転移物となります。 3) チャプター3くらいまでは単一事件をいくつか描き、チャプター4くらいから単一事件を混ぜつつ、一つの大筋にだんだん乗っていく流れになっています。 4) 主人公を始めとする一部隊員キャラクターが、超常的な行動を取ります。ぶっ飛んでます。かなりなんでも有りです。 5) 小説家になろう、カクヨムにてすでに投稿済のものになりますが、そちらより一話当たり分量を多くして話数を減らす整理のし直しを行っています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕
キャラ文芸
「今日からわたくし玉藻薫は、人間をやめて、キツネに戻らせていただくことになりました!」京都でOLとして働いていた玉藻薫は、恋人との別れをきっかけに人間世界に別れを告げ、アヤカシ世界に舞い戻ることに。実家に戻ったものの、仕事をせずにゴロゴロ出来るわけでもなく……。薫は『アヤカシらしい仕事』を探しに、祖母が住む裏京都を訪ねることに。早速、裏町への入り口「土御門屋」を訪れた薫だが、案内人である安倍晴彦から「祖母の家は封鎖されている」と告げられて――?

処理中です...