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3.呪詛の像
3-1.呪詛の像③
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深淵ヲ開く、神の像は七と五に託サレル
カノ汪は不死の山に居ゾらえて 形の在る竪とナリ
守護の時をトドメテ 個々にアリ
席次の十三ハ、神託を受けザルもの也
資格あらざる者、ケシて祭器を手二しては成らず
禁を破りしモノにハ、戒めが襲うことと成る
――古の民、呪詛の像の誓い
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
不幸は唐突に、やってきた。
九嬪の修容である梓琪妃は、また、夜更けに女の声を聞いた。寝室で横になっていた彼女は必死に布団に潜り込む。肩が震えて寒気が止まらない。窓を閉めているのに冬の冷たい風が流れてくる。
ここは『香梅堂』と名付けられた殿舎だ。
梓琪妃は最近になって一人だけで引っ越しをすることになった。侍女も御付きの公々もいない。転居は本人が望んだものではなく強制されてのことだ。
これではまるで、疫病神のような扱い。
最初に自分が熱を出し、意識が朦朧とし、そうして看病をしている侍女の具合が悪くなって、ついには公々までもが倒れた。流行り病でも持っているのだろうと疑われて、こうして単独で転居を命ぜられた。
かつて、この香梅堂に住んでいた妃は香を炊くのが好きだったと聞く。
それで、不審な死を遂げたと聞く。
それっきり誰も住んでいない場所に強制移動させるとは、あまりにも酷い仕打ち。何も悪いことなんてしていないのに、いったい、どうして。
(あの……女……か)
ただでさえ具合が悪いのに、孤独に苛まれては余計に気が滅入ってくる。もしかすると厄介払いの首謀者は淑妃・姜帆妃かもしれない。確かにこれまで、いろいろと淑妃に対する妨害活動に手を貸してきた。だから自分を孤立させようとしているのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
今は、もっと恐ろしい存在と相対している。
アレと比べれば淑妃なんて、取るに足らない。
――ドタドタドタッ!
「ひいっ!」
いつもの足音、そろそろ来ると、思っていた。
外を闇が覆って一切の物音がしなくなると、こうして部屋の外壁を沿うようにして誰かが走り回る。近くで聞こえていた足音が、すぐに遠くなって、またこちらに向かって大きくなると、すぐに離れていく。なぜ、ずっと部屋の外を回っているのか分からない。戸を閉めきっているから、侵入を防ぐために板を打ち付けてあるから入ってはこれない。だから、ずっと、諦めないのか。
――ドンドンドン!
戸を叩く音がした。
梓琪妃は、恐怖でさらに身を縮めた。
走り回った後は、決まって、ああして戸を激しく叩く。そのせいで、どれだけ窓や戸に板を打ち付けても安心できない。いつか戸が叩き割られて、アイツらが入ってくるかもしれない。
きっと、殺されるに違いない。
そうだ、私は、殺される。
怖い、怖い。
とにかく今は、耐えるしかない。
どうか早く朝になってほしい、この恐怖から解放されたい。そうして無事に、あの子と同じ朝を迎えて――
「どうして……だけ……いるの?」
また、女の声がした。
部屋に入れはしないと諦めて、今度は往生際悪く、囁くようになったか。とても恨めしそうな声で、まるで物乞いのような哀れな声だ。だけど、決して同情してはいけない。騙されてはいけない。こんな夜中に、こんな場所に訪ねてくる相手が正常であるはずがない。だから窓を開けてはいけない。
「あんよが、上手、あんよが――」
上手。
母親の声。
小さい赤ん坊を遊ばせている。
いつも親子で私のところにきて邪魔をする。子供が産まれて、そうだった、子豪は男の子だった。身ごもって、産まれて、よく泣く子だった。
「きいっと、元気な証拠なんです、よ、ねえ」
侍女の間延びした声が、あいつは首をくくって死んだ。お前のせいだ。東宮に移す前に遊ばせてた、それで死んだ
!
もしも、あの子がいるのなら!
そこで一緒にいる母親とは、私か。
「子豪!」
布団をはぐ。
部屋には、誰もいない。
代わりに閉じていたはずの窓が開いていた。風が吹いて、蝋燭の台が倒れて、窓の向こうに二つの顔だけが覗いている。
小さい白と、大きな白い顔。
こちらを、じっと、覗いている。
「どうして、お前だけが」
生きている?
真っ白な眼球だけで私を睨んでいるのは、そう、私自身だ、それで私に死ねと言っている。
だったら!
このとがった板を喉に突き刺して!
やればいい!
……
視界が赤に染まってゆく。
梓琪妃の倒れた床には自分で貫いた首の血が池になって広がっている。そこに顔をうずめているから、彼女の開いたままの目には段々と赤が滲む。
やがて、梓琪妃は動かなくなった。
足音も、声も、もう聞こえなくなった。
彼女を見下ろしているのは銀の衣を羽織った不気味な像が一つだけ。遠い地に納められたはずの十三番目の像が、彼女に死を運んできた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数日後、後宮の『香梅堂』では宮女と宦官が慌ただしく掃除をしていた。梓琪妃の遺体は片付けられて、壊れた窓を修復されて、物騒な床の血は洗い流されていた。
「こんなに慌てて掃除して、いったいどうするんだ?」
宦官の一人が冷たい水で濡らした布で壁を拭きながら不平を言う。もう一人は床を掃除している。
「すぐに誰か、引っ越してくるらしいぞ」
「……梓琪妃が死んで数日しか経っていないのに?」
「後宮でそんなのを気にしても仕方ないからだろ。それを言ったら、どの部屋だって誰かが死んでいる」
「まあ、それもそうだが……直後ではさすがに嫌な気がするのではないか。ちなみに誰が引っ越してくるか知っているのか?」
「あ~、美人妃の誰かだったかな」
「ふ~ん、それでは出世になるわけか。なら、名誉なことか」
そういう二人を、銀の衣を羽織った像が、じっと見つめている。
カノ汪は不死の山に居ゾらえて 形の在る竪とナリ
守護の時をトドメテ 個々にアリ
席次の十三ハ、神託を受けザルもの也
資格あらざる者、ケシて祭器を手二しては成らず
禁を破りしモノにハ、戒めが襲うことと成る
――古の民、呪詛の像の誓い
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
不幸は唐突に、やってきた。
九嬪の修容である梓琪妃は、また、夜更けに女の声を聞いた。寝室で横になっていた彼女は必死に布団に潜り込む。肩が震えて寒気が止まらない。窓を閉めているのに冬の冷たい風が流れてくる。
ここは『香梅堂』と名付けられた殿舎だ。
梓琪妃は最近になって一人だけで引っ越しをすることになった。侍女も御付きの公々もいない。転居は本人が望んだものではなく強制されてのことだ。
これではまるで、疫病神のような扱い。
最初に自分が熱を出し、意識が朦朧とし、そうして看病をしている侍女の具合が悪くなって、ついには公々までもが倒れた。流行り病でも持っているのだろうと疑われて、こうして単独で転居を命ぜられた。
かつて、この香梅堂に住んでいた妃は香を炊くのが好きだったと聞く。
それで、不審な死を遂げたと聞く。
それっきり誰も住んでいない場所に強制移動させるとは、あまりにも酷い仕打ち。何も悪いことなんてしていないのに、いったい、どうして。
(あの……女……か)
ただでさえ具合が悪いのに、孤独に苛まれては余計に気が滅入ってくる。もしかすると厄介払いの首謀者は淑妃・姜帆妃かもしれない。確かにこれまで、いろいろと淑妃に対する妨害活動に手を貸してきた。だから自分を孤立させようとしているのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
今は、もっと恐ろしい存在と相対している。
アレと比べれば淑妃なんて、取るに足らない。
――ドタドタドタッ!
「ひいっ!」
いつもの足音、そろそろ来ると、思っていた。
外を闇が覆って一切の物音がしなくなると、こうして部屋の外壁を沿うようにして誰かが走り回る。近くで聞こえていた足音が、すぐに遠くなって、またこちらに向かって大きくなると、すぐに離れていく。なぜ、ずっと部屋の外を回っているのか分からない。戸を閉めきっているから、侵入を防ぐために板を打ち付けてあるから入ってはこれない。だから、ずっと、諦めないのか。
――ドンドンドン!
戸を叩く音がした。
梓琪妃は、恐怖でさらに身を縮めた。
走り回った後は、決まって、ああして戸を激しく叩く。そのせいで、どれだけ窓や戸に板を打ち付けても安心できない。いつか戸が叩き割られて、アイツらが入ってくるかもしれない。
きっと、殺されるに違いない。
そうだ、私は、殺される。
怖い、怖い。
とにかく今は、耐えるしかない。
どうか早く朝になってほしい、この恐怖から解放されたい。そうして無事に、あの子と同じ朝を迎えて――
「どうして……だけ……いるの?」
また、女の声がした。
部屋に入れはしないと諦めて、今度は往生際悪く、囁くようになったか。とても恨めしそうな声で、まるで物乞いのような哀れな声だ。だけど、決して同情してはいけない。騙されてはいけない。こんな夜中に、こんな場所に訪ねてくる相手が正常であるはずがない。だから窓を開けてはいけない。
「あんよが、上手、あんよが――」
上手。
母親の声。
小さい赤ん坊を遊ばせている。
いつも親子で私のところにきて邪魔をする。子供が産まれて、そうだった、子豪は男の子だった。身ごもって、産まれて、よく泣く子だった。
「きいっと、元気な証拠なんです、よ、ねえ」
侍女の間延びした声が、あいつは首をくくって死んだ。お前のせいだ。東宮に移す前に遊ばせてた、それで死んだ
!
もしも、あの子がいるのなら!
そこで一緒にいる母親とは、私か。
「子豪!」
布団をはぐ。
部屋には、誰もいない。
代わりに閉じていたはずの窓が開いていた。風が吹いて、蝋燭の台が倒れて、窓の向こうに二つの顔だけが覗いている。
小さい白と、大きな白い顔。
こちらを、じっと、覗いている。
「どうして、お前だけが」
生きている?
真っ白な眼球だけで私を睨んでいるのは、そう、私自身だ、それで私に死ねと言っている。
だったら!
このとがった板を喉に突き刺して!
やればいい!
……
視界が赤に染まってゆく。
梓琪妃の倒れた床には自分で貫いた首の血が池になって広がっている。そこに顔をうずめているから、彼女の開いたままの目には段々と赤が滲む。
やがて、梓琪妃は動かなくなった。
足音も、声も、もう聞こえなくなった。
彼女を見下ろしているのは銀の衣を羽織った不気味な像が一つだけ。遠い地に納められたはずの十三番目の像が、彼女に死を運んできた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数日後、後宮の『香梅堂』では宮女と宦官が慌ただしく掃除をしていた。梓琪妃の遺体は片付けられて、壊れた窓を修復されて、物騒な床の血は洗い流されていた。
「こんなに慌てて掃除して、いったいどうするんだ?」
宦官の一人が冷たい水で濡らした布で壁を拭きながら不平を言う。もう一人は床を掃除している。
「すぐに誰か、引っ越してくるらしいぞ」
「……梓琪妃が死んで数日しか経っていないのに?」
「後宮でそんなのを気にしても仕方ないからだろ。それを言ったら、どの部屋だって誰かが死んでいる」
「まあ、それもそうだが……直後ではさすがに嫌な気がするのではないか。ちなみに誰が引っ越してくるか知っているのか?」
「あ~、美人妃の誰かだったかな」
「ふ~ん、それでは出世になるわけか。なら、名誉なことか」
そういう二人を、銀の衣を羽織った像が、じっと見つめている。
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