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2.後宮の生華
2-4.夜伽の知らせ②
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笑顔で告げられたが、意図を察せず、思考がまとまらない。
女官長の報告に鉢を降ろした宦官たちが、一斉に両腕を掲げて腰を低くした。林紗と麻朱も雰囲気に飲まれて慌てて身を低くするが、二人の表情には静月と同じ戸惑いの色が浮かんでいる。
「今回の催しは素晴らしかったと、才ある妃が集まったと帝もお喜びです。美人妃からは……あなたと紫萱妃が選ばれました。この印と花は、その知らせです。夜伽の順番までは決まっていませんが、近日中にお声が掛かるでしょう」
「は……はい……えっと、その……」
夜伽は通例、当日の晩に、帝が決めた相手を知らされる。「本日はあなたになりましたから、これから準備をしてください」と宮廷に近しい者から告げられる。それが今回は九人会というお披露目の舞台だったせいか、お気に召した妃を事前に指名するようだ。それに静月も選ばれた。
肩が震える。
覚悟は……していたつもりだった。
九人会が何のために開かれるのかも理解していた。そこで目立たないようにしていれば今日と変わらない明日が待っていたのかもしれないが、もしも永遠に目を掛けられることがなければ――
平穏な明日すらも、失うことになるかもしれなかった。
兄たちは、自分に強く生きて欲しいと言ってくれた。自分も、兄たちの助けになりたいと願う。もしも帝に見染められれば全てが丸く収まってくれる。駄目なら駄目で仕方がないけれど、役割を全うせずに逃げてしまえば、みんなに迷惑が掛かる。
せめて私らしく振舞ってみよう。
自信はありませんけれど。
こういう私ですが、よろしいですか?
踊りと詩に、込めたつもりだ。
それで選ばれたのだから、喜ばしいことに違いない。
「……どうしたの?」
「いえ、私なんかが……どうしてなのかなって」
「あなたは素晴らしい演技をしたのだもの、当然でしょう。しかも古典を知っているのだから」
「それは……書物を読めればできることです。詩も、ほとんどが引用でした」
「読み書きができれば上等です。点数も、全体で上から二番目です。選ばれて当然です」
「点数……帝は、その……」
私について、何か言っていましたか?
聞こうとして、止めた。そんな厚かましいことを言える身分ではない。帝が良いと思って選んでくれた。名誉なことだと喜んで受け入れるべき。ただ、それだけのこと。
「分かりますよ、誰だって不安になるものだから」
女官長が窄んだ静月の肩を撫でた。そうして、宦官たちに退室するように促した。
男たちが全員、去ってから、
「いろいろな人を見てきたけど、最初はみんな、上手くできるのかな、怒らせたりしないかなと、心配になるものです。ですが、あからさまに失礼な態度を取らなければ問題ありません。とはいえ、さすがに行為の最中までずっと恐縮していたら帝も気を遣われますから、もっと自信を持ちなさい。これから細かい手順や作法を教えます」
女官長が机に置いてある箱を開いた。中に入っていたのは丸みを帯びた木製の棒で、もしかして、これは――
「あなた、生娘だったかしら?」
「はい……そうですが」
「では、この張形で事前に慣らしておきましょう」
「……えっと……それは、自分でそうして、問題にならないのでしょうか」
「帝は政務や軍務でお忙しいのです。とても疲れていらっしゃいます。子を成すのが妃の勤めです。帝に余計な心労を増やしてはなりません。もしも、あなたが悲痛な表情を浮かべれば、帝のお気持ちも萎えてしまわれます。せっかく指名されたのに二度とお呼びが掛からないのはとても辛いことです。これは帝からの指示でもありまして、そのための事前準備なのです。いつ、お呼びが掛かっても良いように、今晩か、明晩までには済ませておきましょう」
張形を見つめた。
心がざわついてくる。
「最初のことだから、なかなか気が乗らないときは、こちらの邪香を使えば気分もそれなりに良くなります。それと、この阿膠は古来の妃も使っていた出産を促す美容薬で、こっちは――」
視界が歪んで、声が遠くなる。夜伽の手順についても説明されたようだが、頭に入ってこない。気が付けば女官長はいなくなっていて、自分と、侍女の三人だけになっていて。
いつの間にか日も暮れて、雨が降っていた。
青暗い部屋に、誰かが灯を点けて、黒い箱だけが浮かんでいる。
『ねえ……月』
林紗の声に、首を上げた。二人は、自分たちが悪いわけではないのに申し訳なさそうにしている。
『良かったら……手伝おうか?』
『え? これを?』
静月は無理やりに笑ってみせる。
『平気だって。それに、友達に見られるなんて恥ずかしいから』
『まあ……そうなんだけどね。何も言わずに固まっているから、大丈夫なのかなって』
『急なことだから……ほら、いろいろと情報が多くて。まだ、心が追い付いていないだけ』
『だといいけど……どうする? 先にご飯、食べる?』
『う~ん、今は……いいかな。少し疲れたから、ちょっとだけ寝たい。これ、寝室に持っていくね。食卓に置いてあるの、変だから』
そう言って、箱を抱えて寝室に独りで入る。
ぱたんと、戸を閉めてから、布団の上に倒れ込んだ。
分かっている、分かっていたことだ。
自分が守ってきたことなんて、何にも価値のないことだ。遅かれ早かれ皇帝に捧げるのだから、その対象が物であったって何も変わらない。その程度のことは、後宮に入ると決まった日から分かっていた。
だけど。
少しだけ。
純愛にも期待していた。
前向きになれる理由を探していた。
それなのに、改めて、私はただの所有物だった。
私の価値は、この張形と変わらない。血の通わない、人形と変わらない。私は、私は――
しばらく、外の雨は止みそうにない。
このまま雨の中に身を投げて、そのまま溶けてしまいたい。
女官長の報告に鉢を降ろした宦官たちが、一斉に両腕を掲げて腰を低くした。林紗と麻朱も雰囲気に飲まれて慌てて身を低くするが、二人の表情には静月と同じ戸惑いの色が浮かんでいる。
「今回の催しは素晴らしかったと、才ある妃が集まったと帝もお喜びです。美人妃からは……あなたと紫萱妃が選ばれました。この印と花は、その知らせです。夜伽の順番までは決まっていませんが、近日中にお声が掛かるでしょう」
「は……はい……えっと、その……」
夜伽は通例、当日の晩に、帝が決めた相手を知らされる。「本日はあなたになりましたから、これから準備をしてください」と宮廷に近しい者から告げられる。それが今回は九人会というお披露目の舞台だったせいか、お気に召した妃を事前に指名するようだ。それに静月も選ばれた。
肩が震える。
覚悟は……していたつもりだった。
九人会が何のために開かれるのかも理解していた。そこで目立たないようにしていれば今日と変わらない明日が待っていたのかもしれないが、もしも永遠に目を掛けられることがなければ――
平穏な明日すらも、失うことになるかもしれなかった。
兄たちは、自分に強く生きて欲しいと言ってくれた。自分も、兄たちの助けになりたいと願う。もしも帝に見染められれば全てが丸く収まってくれる。駄目なら駄目で仕方がないけれど、役割を全うせずに逃げてしまえば、みんなに迷惑が掛かる。
せめて私らしく振舞ってみよう。
自信はありませんけれど。
こういう私ですが、よろしいですか?
踊りと詩に、込めたつもりだ。
それで選ばれたのだから、喜ばしいことに違いない。
「……どうしたの?」
「いえ、私なんかが……どうしてなのかなって」
「あなたは素晴らしい演技をしたのだもの、当然でしょう。しかも古典を知っているのだから」
「それは……書物を読めればできることです。詩も、ほとんどが引用でした」
「読み書きができれば上等です。点数も、全体で上から二番目です。選ばれて当然です」
「点数……帝は、その……」
私について、何か言っていましたか?
聞こうとして、止めた。そんな厚かましいことを言える身分ではない。帝が良いと思って選んでくれた。名誉なことだと喜んで受け入れるべき。ただ、それだけのこと。
「分かりますよ、誰だって不安になるものだから」
女官長が窄んだ静月の肩を撫でた。そうして、宦官たちに退室するように促した。
男たちが全員、去ってから、
「いろいろな人を見てきたけど、最初はみんな、上手くできるのかな、怒らせたりしないかなと、心配になるものです。ですが、あからさまに失礼な態度を取らなければ問題ありません。とはいえ、さすがに行為の最中までずっと恐縮していたら帝も気を遣われますから、もっと自信を持ちなさい。これから細かい手順や作法を教えます」
女官長が机に置いてある箱を開いた。中に入っていたのは丸みを帯びた木製の棒で、もしかして、これは――
「あなた、生娘だったかしら?」
「はい……そうですが」
「では、この張形で事前に慣らしておきましょう」
「……えっと……それは、自分でそうして、問題にならないのでしょうか」
「帝は政務や軍務でお忙しいのです。とても疲れていらっしゃいます。子を成すのが妃の勤めです。帝に余計な心労を増やしてはなりません。もしも、あなたが悲痛な表情を浮かべれば、帝のお気持ちも萎えてしまわれます。せっかく指名されたのに二度とお呼びが掛からないのはとても辛いことです。これは帝からの指示でもありまして、そのための事前準備なのです。いつ、お呼びが掛かっても良いように、今晩か、明晩までには済ませておきましょう」
張形を見つめた。
心がざわついてくる。
「最初のことだから、なかなか気が乗らないときは、こちらの邪香を使えば気分もそれなりに良くなります。それと、この阿膠は古来の妃も使っていた出産を促す美容薬で、こっちは――」
視界が歪んで、声が遠くなる。夜伽の手順についても説明されたようだが、頭に入ってこない。気が付けば女官長はいなくなっていて、自分と、侍女の三人だけになっていて。
いつの間にか日も暮れて、雨が降っていた。
青暗い部屋に、誰かが灯を点けて、黒い箱だけが浮かんでいる。
『ねえ……月』
林紗の声に、首を上げた。二人は、自分たちが悪いわけではないのに申し訳なさそうにしている。
『良かったら……手伝おうか?』
『え? これを?』
静月は無理やりに笑ってみせる。
『平気だって。それに、友達に見られるなんて恥ずかしいから』
『まあ……そうなんだけどね。何も言わずに固まっているから、大丈夫なのかなって』
『急なことだから……ほら、いろいろと情報が多くて。まだ、心が追い付いていないだけ』
『だといいけど……どうする? 先にご飯、食べる?』
『う~ん、今は……いいかな。少し疲れたから、ちょっとだけ寝たい。これ、寝室に持っていくね。食卓に置いてあるの、変だから』
そう言って、箱を抱えて寝室に独りで入る。
ぱたんと、戸を閉めてから、布団の上に倒れ込んだ。
分かっている、分かっていたことだ。
自分が守ってきたことなんて、何にも価値のないことだ。遅かれ早かれ皇帝に捧げるのだから、その対象が物であったって何も変わらない。その程度のことは、後宮に入ると決まった日から分かっていた。
だけど。
少しだけ。
純愛にも期待していた。
前向きになれる理由を探していた。
それなのに、改めて、私はただの所有物だった。
私の価値は、この張形と変わらない。血の通わない、人形と変わらない。私は、私は――
しばらく、外の雨は止みそうにない。
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