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2.後宮の生華
2-3.九人会④
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今度は、美人九人が踊りを担当する。
琴の音の聞き分けよりも踊りは視覚的だから判別しやすい。綺麗な娘ばかりが選ばれている中にあっても、静月の奥ゆかしい病的な魅力は男を虜にする。同性である英明ですらも、そのように感じてしまう。今までは箱にしまわれていた薄幸の令嬢なのに、こうして表舞台に立ったのだから目を惹いてしまう。
静月と似たような性質を持つ者が、もう一人。
それはあの、姜帆淑妃。
だけど、守ってあげたい、のような感覚は似ているが、姜帆淑妃と静月では少し違う。
姜帆淑妃の場合は、いくら不幸を装っても出自が裕福だから芝居にしかならない。演技は見事だから男を騙すことに優れているが、およそ女には効かない。
それが静月では、病弱で引き籠っていた娘が外の世界に触れたような、蜘蛛に捕まっていた蝶が解き放たれたような、隠された才能を発掘した時の快感にも似ていて、陸で呼吸ができなかった気の毒な魚が水を得た、の表現がそのままであるように、こうして踊ってしまったら終わりである。
これが西南での踊りの特徴なのか、それとも、本人の資質なのか。
当人は慎ましやかに振舞っているつもりだろうが、秋の暮れの紅葉と、冬入りの枯れた景色に溶けるように流れる手足の一挙一動は、すべてがゆっくりと、それでいてはっきりと目に留まる。
もはや、彼女の独壇場になった。
見守る宦官や官女の言葉が止み、あげくの果てには琴を弾く手を止める者までいて、競い合うはずの他の妃の心までも取り込んでいる。
なのに、とても寂しく見えるのは、どうして?
英明の瞳には、悲しく映る。
空を羽ばたいていたはずの鳥が、後宮という籠に入れられて、この一瞬だけの解放に、かつての自由を夢に見るから、そういう運命の悲哀を全身で表現しているかのように見えるから。
「なんと……美しい」
「まるで二喬のようだ」
こういう周囲の評価を耳にして、英明は淑妃の反応が一層に気になった。姜帆淑妃を見れば、静月を凝視する彼女は膝に添えていたはずの両手の親指を手の中に隠していた。表情は笑うでもなく、怒るでもなく、いや、微かに笑っているようにも見えて、大きい両目は瞳孔まで開いているかのようだ。
おそらくは、あの隠した親指の爪が手の平に刺さっているかもしれない。
ここにも、いるのか、私と同じ奴が。
そんなことを考えているように思えた。
「では、次は詩を順番に披露してください。題目は、秋の花です」
演目が終わると、最後の詩詠みになった。
参加者の一人ずつが順番に詩を詠んでいく。題目に対して、どのような詩にするのかは自由だ。もしも内容が被るようなら手を挙げれば題目は変えてくれるのだが、秋か、冬入りあたりが選ばれることは想定していただろう。
ここからは英明も他人事ではいられない。いったんは静月に向いた心を戻して、できるだけ中立者としての採点を心掛ける。
十人ばかりの妃が詩を披露し終えた後に、
「では、秋の花で心情を詠いなさい」
「菊の高々たる灼灼たり其の華の、之の都に帰ぐ其の秋明に宜しからん」
「……詩経ね。心は?」
「秋の白い菊のように高潔な妃になりたいと、願ってのことです」
こう読んだのは紫萱だった。詩経にある詩を秋明菊になぞられている。彼女の白の装いも、最初から菊の花を意識してのことだったのかもしれない。
十点。
古典を用いつつ、美人妃の称号にふさわしい内容になっている。また、菊の花が彼女の印象にも合っている。紫萱の性格はともあれ、詩の採点であれば満点は妥当だ。
続いて、詩を詠むのは、
「……静月美人妃ね。題目は秋の花のままでいいかしら?」
「……はい、よろしくお願いします」
「では、秋の花で心情を詠いなさい」
静月は、ひと呼吸置いてから、
「……秋風は尽きて、冬風は尽きず。花間、一輪の蜜、独り酌みで相親しむもの無し。何れの日にか世を平らげて、永く無情の遊を結ばん」
「……子夜呉歌と月下独酌……心は?」
「世の平定を憂いてのことです。いつの日か、秋の花のもとで、皆が笑い合える日々を送りたい」
秋を平和として、冬を戦乱として。
戦ばかりの世で人々が離れ離れになっているから、また、平和な日々が戻れば秋を楽しむことができるという世を憂う詩のようにも聞こえるのだが。
そもそも『子夜呉歌』は西方の異民族討伐に向かった夫の行方を想う妻の心情を表現している。都からの支配を逃れるために、西南から後宮に入れられた静月が何も考えずに選んだとは思えない。
そうなると、本当の意味は――
秋の風は、西からの風。
故郷からの風は枯れて、冬の風が後宮に吹いている。
そこにいる私は、兄たちとはもう会えないから、一人で花の蜜を吸っている。いつか笑い合える日が来ればいいけれど、もう叶わない、夢の日々。
この詩に、英明は頭を悩ませた。
さっきの踊りもそうだが、詩も簡素に済ませればいいのに、いっそのこと手を抜いてくれれば英明としても多少の手心は加えられたのに。
(……そう……覚悟は決めているのね)
十点。
どのみち、あの踊りを披露した時点で結果は見えている。詩はその確認にしかならない。
そうして九人会が終わった、わずか数日後のことだった。
静月の元に、寵愛の印が届けられた。
琴の音の聞き分けよりも踊りは視覚的だから判別しやすい。綺麗な娘ばかりが選ばれている中にあっても、静月の奥ゆかしい病的な魅力は男を虜にする。同性である英明ですらも、そのように感じてしまう。今までは箱にしまわれていた薄幸の令嬢なのに、こうして表舞台に立ったのだから目を惹いてしまう。
静月と似たような性質を持つ者が、もう一人。
それはあの、姜帆淑妃。
だけど、守ってあげたい、のような感覚は似ているが、姜帆淑妃と静月では少し違う。
姜帆淑妃の場合は、いくら不幸を装っても出自が裕福だから芝居にしかならない。演技は見事だから男を騙すことに優れているが、およそ女には効かない。
それが静月では、病弱で引き籠っていた娘が外の世界に触れたような、蜘蛛に捕まっていた蝶が解き放たれたような、隠された才能を発掘した時の快感にも似ていて、陸で呼吸ができなかった気の毒な魚が水を得た、の表現がそのままであるように、こうして踊ってしまったら終わりである。
これが西南での踊りの特徴なのか、それとも、本人の資質なのか。
当人は慎ましやかに振舞っているつもりだろうが、秋の暮れの紅葉と、冬入りの枯れた景色に溶けるように流れる手足の一挙一動は、すべてがゆっくりと、それでいてはっきりと目に留まる。
もはや、彼女の独壇場になった。
見守る宦官や官女の言葉が止み、あげくの果てには琴を弾く手を止める者までいて、競い合うはずの他の妃の心までも取り込んでいる。
なのに、とても寂しく見えるのは、どうして?
英明の瞳には、悲しく映る。
空を羽ばたいていたはずの鳥が、後宮という籠に入れられて、この一瞬だけの解放に、かつての自由を夢に見るから、そういう運命の悲哀を全身で表現しているかのように見えるから。
「なんと……美しい」
「まるで二喬のようだ」
こういう周囲の評価を耳にして、英明は淑妃の反応が一層に気になった。姜帆淑妃を見れば、静月を凝視する彼女は膝に添えていたはずの両手の親指を手の中に隠していた。表情は笑うでもなく、怒るでもなく、いや、微かに笑っているようにも見えて、大きい両目は瞳孔まで開いているかのようだ。
おそらくは、あの隠した親指の爪が手の平に刺さっているかもしれない。
ここにも、いるのか、私と同じ奴が。
そんなことを考えているように思えた。
「では、次は詩を順番に披露してください。題目は、秋の花です」
演目が終わると、最後の詩詠みになった。
参加者の一人ずつが順番に詩を詠んでいく。題目に対して、どのような詩にするのかは自由だ。もしも内容が被るようなら手を挙げれば題目は変えてくれるのだが、秋か、冬入りあたりが選ばれることは想定していただろう。
ここからは英明も他人事ではいられない。いったんは静月に向いた心を戻して、できるだけ中立者としての採点を心掛ける。
十人ばかりの妃が詩を披露し終えた後に、
「では、秋の花で心情を詠いなさい」
「菊の高々たる灼灼たり其の華の、之の都に帰ぐ其の秋明に宜しからん」
「……詩経ね。心は?」
「秋の白い菊のように高潔な妃になりたいと、願ってのことです」
こう読んだのは紫萱だった。詩経にある詩を秋明菊になぞられている。彼女の白の装いも、最初から菊の花を意識してのことだったのかもしれない。
十点。
古典を用いつつ、美人妃の称号にふさわしい内容になっている。また、菊の花が彼女の印象にも合っている。紫萱の性格はともあれ、詩の採点であれば満点は妥当だ。
続いて、詩を詠むのは、
「……静月美人妃ね。題目は秋の花のままでいいかしら?」
「……はい、よろしくお願いします」
「では、秋の花で心情を詠いなさい」
静月は、ひと呼吸置いてから、
「……秋風は尽きて、冬風は尽きず。花間、一輪の蜜、独り酌みで相親しむもの無し。何れの日にか世を平らげて、永く無情の遊を結ばん」
「……子夜呉歌と月下独酌……心は?」
「世の平定を憂いてのことです。いつの日か、秋の花のもとで、皆が笑い合える日々を送りたい」
秋を平和として、冬を戦乱として。
戦ばかりの世で人々が離れ離れになっているから、また、平和な日々が戻れば秋を楽しむことができるという世を憂う詩のようにも聞こえるのだが。
そもそも『子夜呉歌』は西方の異民族討伐に向かった夫の行方を想う妻の心情を表現している。都からの支配を逃れるために、西南から後宮に入れられた静月が何も考えずに選んだとは思えない。
そうなると、本当の意味は――
秋の風は、西からの風。
故郷からの風は枯れて、冬の風が後宮に吹いている。
そこにいる私は、兄たちとはもう会えないから、一人で花の蜜を吸っている。いつか笑い合える日が来ればいいけれど、もう叶わない、夢の日々。
この詩に、英明は頭を悩ませた。
さっきの踊りもそうだが、詩も簡素に済ませればいいのに、いっそのこと手を抜いてくれれば英明としても多少の手心は加えられたのに。
(……そう……覚悟は決めているのね)
十点。
どのみち、あの踊りを披露した時点で結果は見えている。詩はその確認にしかならない。
そうして九人会が終わった、わずか数日後のことだった。
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