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1.宮廷の九訳士
1-3.任暁(レンシャオ)将軍②
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――宮廷・西ノ門。
任暁の予定では、昼には九訳殿に着くはずだった。
それが結局、夕刻になってしまった。
九訳殿に向かっている道中で相談事を持ちかけられて、さらには女の群れに行く先を阻まれたせいだ。任暁は若くして将軍に封ぜらるほどの期待の新星で、文官職まで兼任しているから知識の幅も広い。
――困ったことがあれば、任暁に聞け。
これが宮廷内での彼の評判になっている。だから道を歩けば誰かに話しかけられる。その度に余計な仕事が増える。しかも彼の美貌は性別を超越しているものだから、男からも、女からも、いろいろな意味での『あわよくばの誘い』を受けたりもする。
(……おかしいな。目立たぬようにしていたはずだが……)
任暁は九訳殿に向かう際に、宮廷内を移動するのではなく、わざわざ正門を出てから路地を迂回する念頭ぶりだった。しかし彼はいつも白地に青紫色の装束を着ていて、これは別に構わないのだが、陰陽五行の教えに精通しているため背中に五行盤のような刺繍が施されており――
要するに、目立っている。
本人は目立っていないと思っているが、かなり目立っている。
――あの装いは、任様に違いない。
道行く女が足を止め、将たるもの愛想よくしなければならないと対応しているうちに、武官や文官にも気づかれて呼び止められる。
後は、いつも通りの展開。
相談事を持ち掛けられて、そっと、見知らぬ女から櫛を渡されたりする。せっかく貰ったのだから無下にしてはならないと、櫛を腰に下げて、髪の毛にも差したままにする。色とりどりの櫛が七、八本ほど集まったあたりで、やっと九訳殿に着いた。
「突然の訪問だが、私は――」
「あ……任鎮西将様……少々、お待ちくださいませ!」
初対面であるはずの九訳殿の侍女の小鈴にまで、正体がバレていた。
(俺を知っているのか? いや、もしかして……俺が来るのを、静衛がここに先に来たことで既に予想していたか。なるほど、ここの主は本当に頭のいい女のようだな)
何のことはない。
髪に櫛を大量に差している男など、宮廷広しと言えども任暁しかいない。彼は非常に有能だが、自分のことになると抜けている側面がある。これが任暁という男の性質だ。
「お待たせしました、どうぞこちらへ」
小鈴に案内されて九訳殿の門を抜ける。
庭を通り、玉石で固められた道の左右には灌木が低く揃えられいる。池があって、池の周りにはケイトウが咲いて、名前の通りに鶏冠の形をした黄色や赤や薄紫の花に混ざっている。羽毛のような形をした桃色が美しく匂う。
任暁がここを訪れるのは初めてのこと。
彼はこれまで遠方に出向く用事が多かったため、都にはそれほど長くは滞在してこなかった。それが人手が足りないからと門下省への内勤を頼まれて、以来、宮廷で寝泊まりをするようにはなったが、門下省の前任者が放棄に近い引継ぎをしたものだから、しばらく仕事に籠りきりになっていた。
(いい所だ、風情がある)
九訳殿については、前から興味を抱いていた。
少し変わった場所であると。
九訳殿はかつて、秘書省(※書物の管理)の隣に建てられていたようだが、女に代替わりしたのと同時に後宮に喰い込むようにして、この特殊な場所に移されたらしい。つまり目の前の殿舎はそのまま後宮と繋がっていることになる。時には妃が訪れる場所でもあって、そこに男が出入り可能なのは異例のことだ。どうしてそのような特例扱いになっているのか経緯は知らない。もしかすると地方から呼ばれた若い妃たちへの『言葉の壁』に配慮したのかもしれない。
そう、今回の騒動にもなった静衛の妹の、静月のように。
任暁と静衛は幼馴染。
当然、その妹の静月も幼少期から知っている。ずっと実の妹のように接してきたから静月が後宮に入ると知らされた時は、複雑な心境になった。
あの不器用な娘が、皇帝の寵愛を素直に受け入れられるだろうか。
他の妃との地位争いに加われるだろうか。
願わくば一度も寵愛を受けずに払下げになって欲しいのが本音だ。しかし静月は西南地方の族長の娘であり、政治的な都合を考慮しても外に出されるとは考えにくい。
そもそも後宮に入れば終身で努めるのが原則である。
せめて争奪戦には加わって欲しくはないが。
美しい十七の生娘が新しく入って、皇帝から一度もお呼びがかからないなど起こり得るだろうか?
もしも皇帝の寵愛を受けて、それが度重なれば、彼女は後宮に渦巻く嫉妬の炎に焼かれることになる。静衛は直線的な行動を好む男だから、妹の身を案じて官位を下げてまで転属を希望した。あの手紙も、いても立ってもいられずに筆を走らせた結果だった。
(……状況によっては地位の高い宦官を籠絡して、間接的に監視してもらおうとも考えたが)
任暁としても、そろそろ動かねばならないと思っていたところに今回の騒動である。
後宮と繋がっている九訳殿までなら、任暁もこうして入ることができる。ここで九訳士を通じて宮女と話ができれば、静月の置かれた状況を間接的に知ることもできる。そのためには九訳士の女の性質を見極める必要がある。
(いずれにせよ、訪問の理由を考えていたところだ。静衛の行動は、好機とも言えるか)
つまり今回の訪問は単なる下世話な興味だけではなく、実妹同然の静月のためにも、任暁には必要なことだった。
任暁の予定では、昼には九訳殿に着くはずだった。
それが結局、夕刻になってしまった。
九訳殿に向かっている道中で相談事を持ちかけられて、さらには女の群れに行く先を阻まれたせいだ。任暁は若くして将軍に封ぜらるほどの期待の新星で、文官職まで兼任しているから知識の幅も広い。
――困ったことがあれば、任暁に聞け。
これが宮廷内での彼の評判になっている。だから道を歩けば誰かに話しかけられる。その度に余計な仕事が増える。しかも彼の美貌は性別を超越しているものだから、男からも、女からも、いろいろな意味での『あわよくばの誘い』を受けたりもする。
(……おかしいな。目立たぬようにしていたはずだが……)
任暁は九訳殿に向かう際に、宮廷内を移動するのではなく、わざわざ正門を出てから路地を迂回する念頭ぶりだった。しかし彼はいつも白地に青紫色の装束を着ていて、これは別に構わないのだが、陰陽五行の教えに精通しているため背中に五行盤のような刺繍が施されており――
要するに、目立っている。
本人は目立っていないと思っているが、かなり目立っている。
――あの装いは、任様に違いない。
道行く女が足を止め、将たるもの愛想よくしなければならないと対応しているうちに、武官や文官にも気づかれて呼び止められる。
後は、いつも通りの展開。
相談事を持ち掛けられて、そっと、見知らぬ女から櫛を渡されたりする。せっかく貰ったのだから無下にしてはならないと、櫛を腰に下げて、髪の毛にも差したままにする。色とりどりの櫛が七、八本ほど集まったあたりで、やっと九訳殿に着いた。
「突然の訪問だが、私は――」
「あ……任鎮西将様……少々、お待ちくださいませ!」
初対面であるはずの九訳殿の侍女の小鈴にまで、正体がバレていた。
(俺を知っているのか? いや、もしかして……俺が来るのを、静衛がここに先に来たことで既に予想していたか。なるほど、ここの主は本当に頭のいい女のようだな)
何のことはない。
髪に櫛を大量に差している男など、宮廷広しと言えども任暁しかいない。彼は非常に有能だが、自分のことになると抜けている側面がある。これが任暁という男の性質だ。
「お待たせしました、どうぞこちらへ」
小鈴に案内されて九訳殿の門を抜ける。
庭を通り、玉石で固められた道の左右には灌木が低く揃えられいる。池があって、池の周りにはケイトウが咲いて、名前の通りに鶏冠の形をした黄色や赤や薄紫の花に混ざっている。羽毛のような形をした桃色が美しく匂う。
任暁がここを訪れるのは初めてのこと。
彼はこれまで遠方に出向く用事が多かったため、都にはそれほど長くは滞在してこなかった。それが人手が足りないからと門下省への内勤を頼まれて、以来、宮廷で寝泊まりをするようにはなったが、門下省の前任者が放棄に近い引継ぎをしたものだから、しばらく仕事に籠りきりになっていた。
(いい所だ、風情がある)
九訳殿については、前から興味を抱いていた。
少し変わった場所であると。
九訳殿はかつて、秘書省(※書物の管理)の隣に建てられていたようだが、女に代替わりしたのと同時に後宮に喰い込むようにして、この特殊な場所に移されたらしい。つまり目の前の殿舎はそのまま後宮と繋がっていることになる。時には妃が訪れる場所でもあって、そこに男が出入り可能なのは異例のことだ。どうしてそのような特例扱いになっているのか経緯は知らない。もしかすると地方から呼ばれた若い妃たちへの『言葉の壁』に配慮したのかもしれない。
そう、今回の騒動にもなった静衛の妹の、静月のように。
任暁と静衛は幼馴染。
当然、その妹の静月も幼少期から知っている。ずっと実の妹のように接してきたから静月が後宮に入ると知らされた時は、複雑な心境になった。
あの不器用な娘が、皇帝の寵愛を素直に受け入れられるだろうか。
他の妃との地位争いに加われるだろうか。
願わくば一度も寵愛を受けずに払下げになって欲しいのが本音だ。しかし静月は西南地方の族長の娘であり、政治的な都合を考慮しても外に出されるとは考えにくい。
そもそも後宮に入れば終身で努めるのが原則である。
せめて争奪戦には加わって欲しくはないが。
美しい十七の生娘が新しく入って、皇帝から一度もお呼びがかからないなど起こり得るだろうか?
もしも皇帝の寵愛を受けて、それが度重なれば、彼女は後宮に渦巻く嫉妬の炎に焼かれることになる。静衛は直線的な行動を好む男だから、妹の身を案じて官位を下げてまで転属を希望した。あの手紙も、いても立ってもいられずに筆を走らせた結果だった。
(……状況によっては地位の高い宦官を籠絡して、間接的に監視してもらおうとも考えたが)
任暁としても、そろそろ動かねばならないと思っていたところに今回の騒動である。
後宮と繋がっている九訳殿までなら、任暁もこうして入ることができる。ここで九訳士を通じて宮女と話ができれば、静月の置かれた状況を間接的に知ることもできる。そのためには九訳士の女の性質を見極める必要がある。
(いずれにせよ、訪問の理由を考えていたところだ。静衛の行動は、好機とも言えるか)
つまり今回の訪問は単なる下世話な興味だけではなく、実妹同然の静月のためにも、任暁には必要なことだった。
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