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1.宮廷の九訳士
1-3.任暁(レンシャオ)将軍①
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――門下省。任暁将軍の職務室。
任暁将軍は椅子に座って机に肘を置き、溜息を額に乗せていた。机には問題となった例の手紙が広げてある。
装飾窓から明るい陽が差して、天井の鴨居には墨の書画が貼られている。手の込んだ内装でありながら色合いは茶と黒と灰色ばかりで大人しい。だからこそ任暁の、高貴な妃にも並ぶほどの美男子ぶりが際立つ。
「軽率なことを。妹だからといって、後宮の妃に恋文と勘違いされるようなことをするとは……刑部(※法を執行する部署)が黙認してくれたから良かったものの」
この部屋には任暁と、もう一人の男。
任暁の正面で背を伸ばして立っているのは静衛という武官だ。任暁が折りたたんだ手紙を正面の男に投げて寄こした。受け取った静衛は手紙を開いてから、まるで他人事のように、
「立ったまま書いたわりには……綺麗に書けている」
などと言ってのけた。
反省の色が薄いので、もう一度、任暁は大きく呆れた息を吐いた。
任暁と静衛は幼少からの顔馴染みだ。
同じ師から学問を教わった仲で、今でこそ立場は任暁が上になったが、『陰の任暁に陽の静衛』と評されており、文官の素質も兼ね備えている任暁の出世が早かっただけ。武官としての実力に差はない。そういう二人だから公の場以外では軽口を叩き合う関係を続けている。
任暁は髪を長く伸ばして、静衛はさっぱりとした短髪。
任暁は美男で、静衛は漢。
つまり二人は対極の印象だ。
「せめて雅語で書けば良かったのに。静月なら宮廷の言葉でも読むくらいはできる。そうすれば妙な疑いを持たれずに済んだ」
「妹への手紙だ、故郷の言葉で書いた方が安心するに決まっている」
「お前な……妹が後宮入りしていることをもっと意識しろ。地元では許されても、ここではまかり通らん。こういうのが続くと……せっかく都への滞在が認められたのに地方の監察に戻されることになる」
「だから悪いとは思っているさ。伝言はお前に頼むべきだったし、次からはそうする。俺の失敗は、お前の失敗。お前の失敗は、俺の失敗だ。そして残念ながら上官はそっちだ」
「やれやれ、顔馴染みだと上官である方が損だ……まあいい。この件はこれで終わりにしよう。ところで、せっかく都に来たのだ」
任暁は手元の小さな鈴を鳴らす。しばらく経って、下級の文官が酒を持ってきた。
「都への赴任祝いに軽く飲むとしよう」
「気が利くな。お前が将軍になった祝いでもあるか」
「……将軍とはいえ、鎮西だ。故郷を制圧するのが仕事だと言われているようで心境は複雑だ」
「言うな。少なくとも今は、酒と権力に酔えばいい」
二人は盃を交わし、しばし、想い出話に耽った。
戦で共に戦ったこと。
少年時代に師に悪戯をして叱られたこと。
ほどほどの酒の量に達したところで、再び話題が妹へと戻った。
「さっきの件はもう終わったと言ったが……」
任暁が盃を回しながら言う。
「手紙を読んだ者が便宜を図ったと聞いた。内々に処理を済ませるように言ったのは刑部の文官だが、兄から妹への手紙だから問題ないと言い切ったのは九訳の者らしい。今は後宮の近くに移されているはずだ。後で礼くらいは言っておくといい」
「それなら、もう行ってきた。てっきり同郷の者かと思ったが、そっちの言葉は知らんと」
「……ほう?」
任暁の盃を回す手が止まる。視線を酒に落としながら、少し黙った後に、
「……西南の言葉を知らないのなら、手紙の全てを読んだのではなく名前だけを読み取ったのか。ちなみに――どんな奴だった? 九訳は女に代が変わったと聞いたが」
「そうだな……えらく冷静で泰然としていた。物腰は丁寧だが、まるで蛇のような印象だった。武で語る性質ではないがな、あれは、恐ろしい女だ」
「……お前がそんな風に評するのは珍しいな」
静衛の証言に任暁の興味が膨らむ。これは面白そうだと言いたげに唇に笑みを浮かべた。
「そうなると、上官としても礼は必要だな」
「なんだ、会うのか。下世話な趣味か」
「馬鹿を言え。これは静月のためでもある」
そう言って任暁は酒を注ぐと、唇に人差し指の甲を当てて、まるで女のように微笑んだ。
任暁将軍は椅子に座って机に肘を置き、溜息を額に乗せていた。机には問題となった例の手紙が広げてある。
装飾窓から明るい陽が差して、天井の鴨居には墨の書画が貼られている。手の込んだ内装でありながら色合いは茶と黒と灰色ばかりで大人しい。だからこそ任暁の、高貴な妃にも並ぶほどの美男子ぶりが際立つ。
「軽率なことを。妹だからといって、後宮の妃に恋文と勘違いされるようなことをするとは……刑部(※法を執行する部署)が黙認してくれたから良かったものの」
この部屋には任暁と、もう一人の男。
任暁の正面で背を伸ばして立っているのは静衛という武官だ。任暁が折りたたんだ手紙を正面の男に投げて寄こした。受け取った静衛は手紙を開いてから、まるで他人事のように、
「立ったまま書いたわりには……綺麗に書けている」
などと言ってのけた。
反省の色が薄いので、もう一度、任暁は大きく呆れた息を吐いた。
任暁と静衛は幼少からの顔馴染みだ。
同じ師から学問を教わった仲で、今でこそ立場は任暁が上になったが、『陰の任暁に陽の静衛』と評されており、文官の素質も兼ね備えている任暁の出世が早かっただけ。武官としての実力に差はない。そういう二人だから公の場以外では軽口を叩き合う関係を続けている。
任暁は髪を長く伸ばして、静衛はさっぱりとした短髪。
任暁は美男で、静衛は漢。
つまり二人は対極の印象だ。
「せめて雅語で書けば良かったのに。静月なら宮廷の言葉でも読むくらいはできる。そうすれば妙な疑いを持たれずに済んだ」
「妹への手紙だ、故郷の言葉で書いた方が安心するに決まっている」
「お前な……妹が後宮入りしていることをもっと意識しろ。地元では許されても、ここではまかり通らん。こういうのが続くと……せっかく都への滞在が認められたのに地方の監察に戻されることになる」
「だから悪いとは思っているさ。伝言はお前に頼むべきだったし、次からはそうする。俺の失敗は、お前の失敗。お前の失敗は、俺の失敗だ。そして残念ながら上官はそっちだ」
「やれやれ、顔馴染みだと上官である方が損だ……まあいい。この件はこれで終わりにしよう。ところで、せっかく都に来たのだ」
任暁は手元の小さな鈴を鳴らす。しばらく経って、下級の文官が酒を持ってきた。
「都への赴任祝いに軽く飲むとしよう」
「気が利くな。お前が将軍になった祝いでもあるか」
「……将軍とはいえ、鎮西だ。故郷を制圧するのが仕事だと言われているようで心境は複雑だ」
「言うな。少なくとも今は、酒と権力に酔えばいい」
二人は盃を交わし、しばし、想い出話に耽った。
戦で共に戦ったこと。
少年時代に師に悪戯をして叱られたこと。
ほどほどの酒の量に達したところで、再び話題が妹へと戻った。
「さっきの件はもう終わったと言ったが……」
任暁が盃を回しながら言う。
「手紙を読んだ者が便宜を図ったと聞いた。内々に処理を済ませるように言ったのは刑部の文官だが、兄から妹への手紙だから問題ないと言い切ったのは九訳の者らしい。今は後宮の近くに移されているはずだ。後で礼くらいは言っておくといい」
「それなら、もう行ってきた。てっきり同郷の者かと思ったが、そっちの言葉は知らんと」
「……ほう?」
任暁の盃を回す手が止まる。視線を酒に落としながら、少し黙った後に、
「……西南の言葉を知らないのなら、手紙の全てを読んだのではなく名前だけを読み取ったのか。ちなみに――どんな奴だった? 九訳は女に代が変わったと聞いたが」
「そうだな……えらく冷静で泰然としていた。物腰は丁寧だが、まるで蛇のような印象だった。武で語る性質ではないがな、あれは、恐ろしい女だ」
「……お前がそんな風に評するのは珍しいな」
静衛の証言に任暁の興味が膨らむ。これは面白そうだと言いたげに唇に笑みを浮かべた。
「そうなると、上官としても礼は必要だな」
「なんだ、会うのか。下世話な趣味か」
「馬鹿を言え。これは静月のためでもある」
そう言って任暁は酒を注ぐと、唇に人差し指の甲を当てて、まるで女のように微笑んだ。
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