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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

36.四条決戦(1)

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 今宵は満月。決闘に相応しい、透き通るような夜空です。

 四条通から河原町通を北上して三条通へ、そこから二条通を越えて丸太町通を西に曲がると京都御苑ぎょえんに辿り着きます。御苑ぎょえんとは皇室の庭園のことで、皇室の方々は東京へ移住されていますから、今は一般開放されている公園になっています。裏町では未だに朝廷の方々が住んでおりまして、これはあくまで噂ですが、あの織田信長さんが『本能寺の変』の時に実は生きていて、この裏町の御苑ぎょえんに居たとか、居なかったとか。

 御苑ぎょえんの南側には堺町さかいまち御門ごもんと呼ばれる堅牢な門があります。この門が、今夜の決闘でのアマモリ側の本拠地となります。私とアヤメさんが到着すると、どうやら私達が最後だったようで、既に人だかりならぬアヤカシだかりができていました。まるで戦国時代のように三本足スタンドのかがり火がずらりと並び、床机しょうぎ椅子があって、アマモリの旗まで立っています。

「遅かったやないの。一時間後には始まるよ」

 徳利を片手に話し掛けてきたのは高千穂。事前に作戦会議をすると聞いていましたが、なぜか飲んでいらっしゃる。しかも鬼ごっこをすると言っているのに、高千穂は大振袖を着ています。

「走る気ある?」
「後方支援やからね。最前線は薫と、足の速い兎さんに任せたわ」
「こんばんは。薫はん、アヤメはん」

 後ろから袴をぐいぐい引っ張られて、振り返れば、音兎ちゃんが立っていました。白シャツにジーンズ生地のショーパン、真っ白な運動靴。こっちは走る気、満々です。

「母さんに買ってもろうたんどす。草履やと走られへんやろうからって」

 音兎ちゃんもアマモリ側として参加します。もう逃げてばかりはいられないと、彼女の覚悟を歓迎しました。ちなみに私は袴にブーツですが、大丈夫、これで走れます。というより、スピードを重視したところで体力が持つはずがない。

 なぜなら、今夜の鬼ごっこは広範囲で繰り広げられるから。

 この京都御苑ぎょえんと八坂神社を結ぶ正方形が決闘の舞台で、最短ルートでおよそ三キロほど。これだと一週間経っても捕まるはずがないのですが、なにせ決闘ですから、ただ逃げ回っていればいいわけではないのです。

「おや、薫殿。参陣されましたか」

 蛙男さんが、ひょこひょこ、近寄ってきました。蛙男さんの頬もしっかりと赤い。

「ちなみにルールは頭に入っておいでですかな?」
「まあ、なんとなく」
「自信なさげですな。主役ですから、復習なされ」

 るうるぶっく、と書かれた巻物を手渡されました。べっとりと焼き鳥のタレで汚れています。事前にハルから教えてもらっていたけど、なんとなくしか覚えていません。ここは復習しておいて然るべきでしょう。巻物を広げたら、すみ文字でつらつらと文字が書きつづられて、挿絵もあって、鳥獣戯画ぎがみたいなタッチでした。

 ――呪い鬼について。チーム戦での鬼ごっこ。お互いのチームで参加人数を揃えた方が好ましいが、だいたい同数であればよい。お互いに『呪い札』を持ち合い、二枚の札を体に貼られた者は脱落となる。脱落者は季節問わずに、鴨川で泳ぐべし。

 ――勝敗条件について。制限時間内で生き残りが多い方の勝ち。もしくは、敵の本拠地に勾玉まがたまを先に持って行った側の勝ち。

 ――呪い札について。札には呪いが掛けられており、体に貼られた者に行動の制約をすことができる。呪いを解くためには、神社で『二礼二拍手、一礼』をしなければならない。

 ――勾玉まがたまについて。各チームに一つだけ、勾玉まがたまが渡される。これを相手の陣地に持っていくことで勝ちとなる。味方同士の譲渡は自由、敵の勾玉まがたまを奪ってもよいが、必ず誰かが勾玉まがたま持っていなければならない。故に、特定の場所に隠すような行為は認められない。勾玉まがたまは時折、強く輝いて居場所を参加者に知らせるため注意が必要である。

 だいたい、こんな感じです。

 基本的には相手の体に札を貼って失格にさせて、夜が明けるまでに脱落者の多いチームが負け。全員が鬼であり、逃げる側でもあるのですが、私としては難しいことを考える必要はなくて、運動会の騎馬戦のように、とにかく逃げ回って生き残ればいいだけ。

 なんて思っていたのですが。

「主役って、どういうこと?」

 蛙男さんの発言が気になりました。同時に、バクケンとの討論で一番前に座らされた記憶が蘇ります。騒動の発端としての主役、という意味かもしれませんが、

 ――勾玉まがたまを相手の陣地に持って行けば、勝ち。

 この特別ルールが脳内で繰り返されて、嫌な予感がしてきました。今夜の決闘はアマモリ側だけで百名ほどになると聞いています。クラスで先生に学級委員に指名される確率よりも低いわけで、しかも真神さんやハル、他にも武勇に優れた面々が参加するはずだから、私に任せるはずがないとは思うけど。

「あらぁ、薫さん。ちゃんと飲んではりますか?」

 続いて話し掛けてきたのは、阿国おくにさんでした。流れのままにおちょこを渡されて、なみなみとお酒が注がれました。

「秘蔵の酒なんです。戦の前の、気付けにどうぞ」

 お酒からは薬効の、微かに甘い匂いがします。注がれてしまっては仕方ない。不本意だけど、ここは飲むとしましょう。

「あ~、美味しい。もう一杯!」
「ほどほどにしとけ」

 おちょこを取り上げられました。こんなことをするのは――黒い着流しで夜更けに溶け込んでいるハルしかいません。しかもハルだって、ウイスキーのグラスを持っているのに。

「ケチ。いざとなったら酔い冷ましの丸薬があるのに――あ、切目さん、こんばんは」

 ハルの隣でウイスキーの瓶を持っているのは、切目さんでした。彼も今回の騒動を聞いて参加を表明してくれたのです。鬼ごっこにおいて偵察は大事ですから、百目鬼とどめきである切目さんが協力してくれるのは心強い。

「お手伝いに来てくださって、ありがとうございます」
「礼には及びませんよ。あくまで個人的な趣味ですが、きな臭い動きも察知しとりますんで、一応、公務も兼ねとるんですわ」

 切目さんの仕事に関わる事案といえば、おそらくは五臓さん。ここのところ騒動の裏に隠れて存在を消していますが、バクケンとの決闘に至った背景には五臓さんが関与しているはず。今回の切目さんの参加は、疑惑の裏付けでもあります。

 ――ガン! ガン!

 ここで、壊れた鍋を叩くような音がしました。音のした方へ視線を移せば、座敷童ざしきわらしがすり鉢の棒で銀色の鍋を叩いていました。真神さんも手をパンパンと叩いて、注目を集めています。

「みなさん、三十分前になりましたので簡単に作戦を伝えます」

 三々五々に散っていた、士気の向上という名目で飲み会を実施していたアヤカシ達が真神さんを中心に輪となって集まりました。百名近いアヤカシが集合していますから、百鬼夜行だってできるわけで、ろくろ首、のっぺらぼう、火車などのアマモリのレギュラー陣に、ゲスト出演として孫悟空や羅刹女らせつにょまでいます。これは錚々そうそうたる顔ぶれです。

「本当に作戦会議すんの? 敵に向かって正面特攻すればいいだけだろ」
「まあ、だいたい合ってます」

 アヤメさんの質問に、真神さんが冷静に答えています。

「とはいえバクケンは武闘派です。生存者の数で競っては厳しいでしょうから、我々の基本戦略は『勾玉まがたまによる決着』になります。そのためには、勾玉まがたまを運ぶ本隊と、サポートする陽動部隊に別れる必要があります。他にも要所となる橋を抑えなければなりませんが――細かい指示はグループメッセージに記載しています。全体方針と、小隊ごとに行動指針を定めていますので確認してください」

 通信手段は現代の利器、つまりはスマホです。文字でやり取りすればサイレントで状況報告できますし、仮に敵に奪われてもパスワードロックで直ぐには情報漏洩ろうえいしないでしょう。

 早速、全体方針をチェックします。

 要約すると、勾玉まがたまを持つ人は丸太町橋を渡って、東大路通の手前から南下して敵陣の八坂神社を目指す作戦でした。他の人は鴨川を渡るための橋を守ったり、呪いを解くための神社を守ったり、札を運んだり、陽動したり、敵を脱落されるために札を持って特攻したり、とにかく、いろいろです。

 それで、私の役目は何なのか。

 勾玉まがたまを運ぶ係――玉藻薫。

「どどど、どうして私が!?」

 悪夢の予感が的中しました。アマモリ側の作戦は勾玉まがたまによる決着で、つまりは敵陣まで突っ込む必要があって、だけど奪われてはいけないわけで、まして札を貼られて私が失格になったらどうするつもり?

「だって、大将やないの」
「そりゃあ、薫しかいないだろ」
「薫はんなら、平気どす」
「刑事の目線としても、適任だと思いますよ」
「薫さんが勾玉まがたまを持てば、きっと楽しくなりますから」

 真神さんまでもが、ニッコリと微笑んでいます。

 ああ、どうしてこんなことに。以前の五神札の時とは違って、決闘するだなんて言っていないのに。とはいえ、騒動の発端に関わっているのも事実。気楽にやればいいってアヤメさんにも言われたけど、勝敗を左右する勾玉まがたまを運ぶ係とあっては責任重大。サッカーのPKのキッカーを任せられているような気分になり、一度は乗り切ったプレッシャーが再び、押し寄せてきました。

 そんな雰囲気を察したのか、ハルが私の肩をポンと叩きました。

「ま、何とかなるだろ」

 頼れるのか、頼りにならないのか、よく分からない発言です。何とか……なるかな?
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