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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

35.サルビアの花(2)

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 そうして屋台での食べ歩きを終えて、烏丸からすま通の交差点で一休みしました。いつの間にか空は青く染まり、夕日が山の裏手へと落ちようとしています。

「お墓は、どの辺にあるの?」
鞍馬くらま山」

 鞍馬くらま山は鴨川を北上した先の、鞍馬くらま川の上流です。今は四条だから、電車で一時間くらいでしょうか。風神電車のルートになっていないかと調べたら、残念ながら北には行かないみたい。別の路線があるようですが、裏町の電車は目的地に行ったり行かなかったりするので、急いでいる時はリスクがあります。

「いつもは、天狗かごを使ってる」

 天狗かごとは人力車みたいなもので、裏町の交差点に置いてあるかごに入って待っていれば、天狗が目的地まで連れて行ってくれるシステムです。早くて格安で、裏町ではメジャーな乗り物の一つ、なのですが。

「あっちゃ。カラスだよ」

 あまりにスピードが遅いのでアヤメさんがかごの窓から空を見上げると、天狗さんではなく数羽のカラスがバサバサと。格安な反面、当たり外れがあるのが特徴です。
 
烏丸からすま通で乗ると、カラス率が高いよな。鞍馬くらま口で乗れば天狗率がグッと上がったけど」
「これはこれで、のんびりしてていいかも」

 優雅に緑茶をすすりながら空の旅を楽しむ私達。たわいのない話をして、お互いの家族の話になって、そういえば最近、お父さんと会っていない気がする。

「会えるうちに、会っておくといいよ」

 アヤメさんの両親は、どちらも亡くなっているそうです。これから誰のお墓に向かおうとしているのかも、同時に知りました。

「遅くなっちまったね」

 のんびりと遊泳した代償として鞍馬くらま山に着いた頃には、すっかり暗くなっていました。鞍馬くらま川のせせらぎが聞こえて、杉の木立のざわめきが聞こえて、ぼうっと、山の暗さが目に映ります。この近くには貴船神社と鞍馬くらま寺があります。私がいる場所は鞍馬くらま寺の仁王門の手前です。夜の山は怖いものですが付近には茶屋が並んでいるので、それなりの安心です。

 だと思ったけど。

 ――ぐぇあ、ぎゃあ。

 時折、嗚咽おえつのような謎の声が聞こえます。アヤメさんによると天狗の鳴き声らしく、思い出せば、バクケンの会合主は鞍馬くらま天狗だったような。そうなると、ここは敵地なのでは?

「ま、それはそれ、これはこれだから」

 さすがは裏町住人。信心と心情を分けています。

 門を抜けて、九十九折参道を通って、本殿で手を合わせてから西側へと逸れる山道を登りました。石段の両脇に朱色灯篭が並んでいます。墓地に続いているせいか、道中で下ってくる幽霊とすれ違い、驚きのあまりに飛び上がりましたが、誰とも出会わないよりもマシかと考えれば、幽霊とも「こんばんは」「うらめしや」の挨拶を交わすことができました。そのうちに、アヤメさんは途中の分岐点で石段のない土道を選んだため、荒れた道には雑草が生えていて、ついには誰とも出会わなくなりました。

 夜の静かさだけが残ります。

 あまりの静寂と暗さに、さすがに怖い。もしもアヤメさんがいなかったらここで引き返しているでしょう。

「着いたよ。寂しいところだけど」

 やがて、ポッカリと開けた草地に辿り着きました。この丘からは星がよく見えます。とても綺麗な満面の星空です。その下の、林の手前には墓石が二つ。近付くと、赤と青の花が添えられていました。

「父さんと、母さんの墓なんだ」

 アヤメさんは墓の前で屈みました。花を摘んで、壺に生けてある花を新しい花と入れ替えました。

「ほら、こっちの青いのは先月に買ったやつ。アタシの髪は赤いのに、青い花がアヤメの花だって、ややこしいよな」

 線香を点てて、火を灯して、二人で手を合わせます。アヤメさんは裏町に来る前は人間社会にいたらしく、二十歳を過ぎるまで山梨県の夜叉やしゃ神峠じんとうげに住んでいたそうです。父親とは幼い頃に離縁して、母親と二人で暮らしていたそうです。

「父さんも、母さんも、三年前に亡くなった。母さんとは最後に、裏町で過ごした。ずっと二人だけで暮らしてきたけど、父さんの死がキッカケで裏町に来た。それまではアタシも、母さんも、ずっと父さんとは会わなかった。難しいよな、人間とアヤカシの夫婦って。いや、薫のところは仲良くやってんだ、夫婦によるか」
「私のところは……お父さんが、あんまり言わないタイプだから」
「男が尻に敷かれる方が、上手くいくよな」

 アヤメさんが笑って言います。ここに来て悲しい雰囲気だったから、少し、救われました。

「父さんはさ、想い出は少ないけど、相当の頑固者だったよ。武士の家系で、アタシに武芸を叩き込んだのは父さんで、厳しくて、真面目で、融通が利かなかった。由緒正しい家柄だって、それが邪魔をしたんだろうね。父さんは、母さんとアタシを捨てた。それを、ずっと恨んでた。でも、大人になると、父さんにも事情があったんだろうなって考え直した。少なくとも、別れてからも二人が愛し合っていることを知った。亡くなる直前のことだけどね。薫はさ、血の契約って知ってる?」

 私は首を横に振りました。

「アヤカシと人間じゃ寿命が違うからって、大抵は人間が先に死ぬから残された側が寂しくなるからって、夫婦で寿命を揃えるんだよ。母さんはアヤカシで、父さんは人間で、二人は血の契約を結んだ。それで三年前に、母さんの具合が急に悪くなった。同時に、父さんに死が迫っていることを悟った。原因は明らかに父さんの方だった。でも母さんは文句の一つも言わなかった。『お父さんに死が迫っているから、こちらから会いに行きましょう』って。呑気だよな、薄情な奴に、わざわざこっちから会いに行くだなんて」

 アヤメさんは赤い花を一つ手に取って、くるくると回していました。

「アタシさ、向こうが謝ってくるまでは絶対に会ってやるもんかって、自分から迎えに来るまで絶対に許さないって、そう決めてた。でも母さんが会うって言うから、仕方なく会ってやるけど、じゃあ一発、思いっきり殴ってやろうって決めてた。でも、いざ会ってみたら……殴れなかった。アタシの知ってる父さんは、もっと堂々としていたのに、すっかりやつれて、まだ五十も手前なのに爺さんみたいに老けて、あれじゃあ死んじまうからさ、アタシ、殴れなかった」

 アヤメさんは赤い花弁を一つちぎって、夜の風に流しました。髪紐がほどけて、アヤメさんの長く、赤い髪がなびいています。

「サルビアの花言葉は、家族の愛。いろいろあったけど、二人は再会して、今はここで眠ってる。この花は失った時間を取り戻すための花なんだ。だからこうして、飾ってる。父さんと母さんのために。それから――」

 アヤメさんは立ち上がると、夜空を見上げました。一つの星が斜めに落ちていくのが見えます。突然の流れ星に、私も、アヤメさんも願い事が間に合わなくて、ただ黙って見つめていました。

「アタシにはね、弟がいるんだ」

 これは初めて聞いたので、とても驚きました。両親のこともそうですが、今までアヤメさんから兄弟の話をされたことがなかったので意外です。

「ちっとも知らなかった。言ってくれればいいのに」
「ごめん、ごめん。別に隠してるつもりはないんだけど、言ってもさ、微妙な空気になっちゃうから。だって何処にいるのか分からないんだよ。父さんと母さんと離れた時に、弟とも離れ離れになった。弟とは仲が良かったからね、アタシは会いたかったんだけど、母さんですら弟には会うなって、居場所どころか連絡先も教えてくれなかった。それ以来、ずっと、探してるんだ。ほら、あの星」

 アヤメさんの指の先は、遠くの星を差しています。強く、煌々こうこうと輝いています。

「あそこでポツンと光ってる星。あれが、今のアタシ。強い光を放っているようで、どこか寂しそうに見えない? きっと、近くに別の星があったんだよ。それがなくなって消えてしまって、それでも、自分まで消えてしまったら探せなくなるだろ? だから、ああして光ってる。ずっと、もう一つの星を探してる。それが今のアタシ。欠けちまった胸の穴を埋めるために、酒を飲んで、騒いで、喧嘩して、誤魔化してる。でも思い出したら寂しくなって、そのうちに大切なものまで失くしてしまいそうだから、この花を飾ってる。ここにサルビアの花がある限り、きっと再会できるって信じてるから……なんて、アタシには似合わないか。こういう湿っぽい感じ。辛気臭くなるから、言わなかった」

 アヤメさんは照れ臭さそうに、頬を指でなぞりました。切ない話だけど、聞けてよかった。私に何ができるか、今は分からないけど、みんなで目指せばゴールに辿り着ける気がするから、私も歯車の一つになりたい。

「尚更、言ってくれれば良かったのに。私、案内人なんだから」
「頼りにはしてるよ。でも、案内人の仕事とは毛色が違うからさ」
「観光案内だけじゃないってば。人と、アヤカシと、みんなの想いや心を繋ぐのが仕事なの。音兎ちゃんのこともそうだけど、探し人、なんてのもあったりするし。ちょうどね、そんな話を……あれ?」

 なんだっけ、と考えて、もう少しで思考がまとまりそうなところで、振動に邪魔されました。巾着袋からスマホを取り出します。

「薫、どこおんの? もう集まってるよ」
「あれ、そんな時間?」

 よくよく見れば、不在着信が盛り沢山。ハルと高千穂と、真神さんからも。

「え、作戦会議やるんだっけ? 悪い、悪い、忘れてた」

 アヤメさんにも電話が。時間を見れば、夜の十時。

「え、どうしよ。今から戻って、一時間以上、かかるかな?」

 困って、アヤメさんと顔を見合わせました。

「何とかなるだろ、ほら、この辺は天狗だらけだから。アイツらに運んでもらえば間に合わないってことはないだろうし、作戦なんて、正面突破で十分だ」

 正面突破で十分とは思いませんが、まあ、複雑な戦略を聞いても理解できないのは同意です。とはいえ、会議に参加しないわけにはいきませんので、急いで戻らないと。

「あ、そうだ」

 一つだけ、思い出しました。縁結びのおまじない。

「ご利益があるんだって」

 ほどけた髪紐の代わりにと、アヤメさんの髪をきゅっと結びます。紐は一瞬だけ蝶に戻って、虹色の光を放ちました。

「また、流れ星だ」

 アヤメさんの声に反応して空を見上げれば、斜めに尾を引く光に、今度は間に合えばと、アヤメさんと私は手を合わせました。

 ――アヤメさんが、弟さんと再会できますように。
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