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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花
28.東と南の祇園町(2)
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掛け声に、廊下側の襖が滑りました。女性が膝を落としていて、とても雅な衣装。あれは十二単かな。
「裏島原で太夫をやっております、犬塚どす」
名前は犬ですが、外見と耳から察するに化け猫のようです。
「犬塚姐さんは、踊りの師範もやってるんよ」
高千穂が教えてくれました。
「高ちゃん、私が師範なんて言うたらホンマの先生方に失礼やわ。裏町の百八花街は流派がややこしいから、踊りを合わせるために仲介役になるだけよ」
表京都には五花街と呼ばれる五つの花街がありますけど。
「裏には、百以上も花街あるんですか?」
「煩悩の数で呼んでるだけで、実際は……いくつやったかいね。高ちゃん、なんぼあった?」
「十くらいやったんと違う?」
高千穂が答えました。
「そんな少なかったかな。阿国姐さんなら知ってますやろ?」
「三十くらいや、なかった?」
「いくら何でも多過ぎ。阿国姐さん、江戸で情報が止まってる。総大将なんやからきちんと把握しといておくれやす」
犬塚さんからツッコミを受けて、阿国さんは「おお、怖」と袖を頬に添えました。
「それで、薫さん。こっちの二人と『表裏一体・都の賑い』の演目について既に話し合うてまして、まあ全然決まってないんですけどね、いずれ表の関係者とも談合せな――いややわ、談合って悪巧みしてるみたいやわ。演目を決めなあかんのですけど、とりあえず裏町としての方針くらい定めとようと……ねえ、やっぱり表に合わせるべきやと思う?」
阿国さんの質問を皮切りに、芸に携わる方々の議論が点火しました。表で開催される『都の賑い』では花街ごとに演目が分かれていて、最後に合同で共通演目を踊ります。それを踏襲した場合、表と裏を合わせるとプログラムが十や二十も縦に並ぶことになるため、合同祭は一つの演目に統一すべきではないか、というのが課題です。
「私が言うたら、強制させるみたいなんよ」
阿国さんとしては、ただでさえ忙しい芸舞妓に、裏町流を新たに覚えてもらうのは申し訳ないみたい。
「それとも演目を一つにして思いっきり逸脱した方が、むしろ文句が少ないやろか。ねえ、薫さん、どう思います? 裏町騒ぎは控えて、慎ましく、大人しく、真面目に、優等生に、演出した方がええでしょうか? ド派手にやりますって私が言うたらねぇ? 表の人らも従うしかないやろうし」
唐突な放り投げ。全員が私を見るので、遠慮がちに首を傾げながら、
「伝統も大事ですけど、あまり慎ましいのは裏町らしくない……かな?」
ボソッと呟きました。言葉とは裏腹に阿国さんは好きにやりたそうなので。
「薫さんが、こう言うてはるわ! ほったらもう、好きにやりましょ!」
「聞き方、明らかに誘導してますやん。薫さんに背中押させてズルいわ」
「その代わりに私がきちんと号令をかけます。犬塚さんも、一緒に表に来てくれますやろ?」
「協議はしますけど、合同祭には不参加どすえ。だってウチは太夫なんやから」
「姐さんも参加するんよ」
これは高千穂。
「え? 聞いてへんけど」
「今、言いました」
「高ちゃん、いっつもそれや。今言うたから聞いてないは通用しませんとか言うて、それがまかり通ったら法律変えなあかんやないの」
「裏町の太夫も参加するから、何でもありですよって理屈やよ。それと引き換えに手間はこっちで、言い出しっぺが関係者を裏町に連れてきますから、ね、薫は案内人やもんね?」
「ふへーい」
逃げようもなさそうだし、責任もあるし、何よりも話が終わらなそうなので了承するしかありません。
「何となく決まったから、そろそろ宴会にしましょか」
阿国さんがパンパンと、手を叩きます。待ってましたと襖が開け放たれ、五人くらいの可愛い禿さん達が料理を運んできました。私は一人一人の顔を凝視して、この中のどれが男の子なのかを探し当てようとしましたが、ちっとも分かりません。
四角い漆塗りの高坏が三、四つばかり並んで、煮物やら、お刺身やら、お正月のように華やかな小皿が整列し、円柱に伸びた白いご飯もあって、日本酒が注がれ、おちょこに透き通る水面が喉に甘みを想起させるものだから、ああ、お酒が飲みたいと右腕を伸ばしたところで、高千穂の左手が邪魔をしました。
「私の紹介なんやから、ここでの粗相はあかんよ。それにこの後、行くんでしょ」
私はお酒が好きです。なのに、周りが過保護になります。
「そんなん気にせんでええのに。お酒飲みはると、武勇伝、しはるって聞いたから見たかったのに」
「薫の場合、酔わなくても武勇伝してるよねぇ」
「褒めてないよね?」
料理を楽しみながら談笑して、落ち着いたところで舞が披露されました。せっかくの機会だからと音兎ちゃんが引っ張られて、阿国さんと太夫の犬塚さんに両側を挟まれて、恥ずかしそうにしながらも堂々と舞っていました。
三人で楼閣を出ると、後ろ髪を引かれ、それは音兎ちゃんも同じだったようで、羨望の感傷を交えながら煌々と宵を照らす無数の窓を見つめてから、今度は反対側の月を見上げていました。
「半分、欠けとりやすな」
裏町の月は、色が少し映えて見えます。
「北に実家があるんどすけど、今日は下や……見世出しの日、表の月からは見えはらへんやろうから」
月に住んでいる両親のことのようです。
「裏町での踊り、きっと見てくれるよ」
「はい。星の砂で便りを送りました。月から見とおくれやすって……ここまでしてもろうて、ホンマ、おおきに、薫はん。ウチ、薫はんにお礼のしようがおへんどす。だからせめて、芸で応えなあかんと思って」
「毎日、一緒に練習してるんよ」
高千穂に耳を撫でられ、頬を赤らめました。
「ウチ、逃げてばっかりやのうて、けじめを付けないけません」
祇園の花見小路を北へ戻る際に、気まぐれに咲いた紫陽花と擦れ違いました。私が通ったら黄色になって、音兎ちゃんが通ると黄色に深い緑が渦巻いて、青と紫が滲みました。
「一緒に行こうね」
そっと、音兎ちゃんの手を握ります。頭上に浮かぶ下器の月が、夜に伸びようとしていました。
「裏島原で太夫をやっております、犬塚どす」
名前は犬ですが、外見と耳から察するに化け猫のようです。
「犬塚姐さんは、踊りの師範もやってるんよ」
高千穂が教えてくれました。
「高ちゃん、私が師範なんて言うたらホンマの先生方に失礼やわ。裏町の百八花街は流派がややこしいから、踊りを合わせるために仲介役になるだけよ」
表京都には五花街と呼ばれる五つの花街がありますけど。
「裏には、百以上も花街あるんですか?」
「煩悩の数で呼んでるだけで、実際は……いくつやったかいね。高ちゃん、なんぼあった?」
「十くらいやったんと違う?」
高千穂が答えました。
「そんな少なかったかな。阿国姐さんなら知ってますやろ?」
「三十くらいや、なかった?」
「いくら何でも多過ぎ。阿国姐さん、江戸で情報が止まってる。総大将なんやからきちんと把握しといておくれやす」
犬塚さんからツッコミを受けて、阿国さんは「おお、怖」と袖を頬に添えました。
「それで、薫さん。こっちの二人と『表裏一体・都の賑い』の演目について既に話し合うてまして、まあ全然決まってないんですけどね、いずれ表の関係者とも談合せな――いややわ、談合って悪巧みしてるみたいやわ。演目を決めなあかんのですけど、とりあえず裏町としての方針くらい定めとようと……ねえ、やっぱり表に合わせるべきやと思う?」
阿国さんの質問を皮切りに、芸に携わる方々の議論が点火しました。表で開催される『都の賑い』では花街ごとに演目が分かれていて、最後に合同で共通演目を踊ります。それを踏襲した場合、表と裏を合わせるとプログラムが十や二十も縦に並ぶことになるため、合同祭は一つの演目に統一すべきではないか、というのが課題です。
「私が言うたら、強制させるみたいなんよ」
阿国さんとしては、ただでさえ忙しい芸舞妓に、裏町流を新たに覚えてもらうのは申し訳ないみたい。
「それとも演目を一つにして思いっきり逸脱した方が、むしろ文句が少ないやろか。ねえ、薫さん、どう思います? 裏町騒ぎは控えて、慎ましく、大人しく、真面目に、優等生に、演出した方がええでしょうか? ド派手にやりますって私が言うたらねぇ? 表の人らも従うしかないやろうし」
唐突な放り投げ。全員が私を見るので、遠慮がちに首を傾げながら、
「伝統も大事ですけど、あまり慎ましいのは裏町らしくない……かな?」
ボソッと呟きました。言葉とは裏腹に阿国さんは好きにやりたそうなので。
「薫さんが、こう言うてはるわ! ほったらもう、好きにやりましょ!」
「聞き方、明らかに誘導してますやん。薫さんに背中押させてズルいわ」
「その代わりに私がきちんと号令をかけます。犬塚さんも、一緒に表に来てくれますやろ?」
「協議はしますけど、合同祭には不参加どすえ。だってウチは太夫なんやから」
「姐さんも参加するんよ」
これは高千穂。
「え? 聞いてへんけど」
「今、言いました」
「高ちゃん、いっつもそれや。今言うたから聞いてないは通用しませんとか言うて、それがまかり通ったら法律変えなあかんやないの」
「裏町の太夫も参加するから、何でもありですよって理屈やよ。それと引き換えに手間はこっちで、言い出しっぺが関係者を裏町に連れてきますから、ね、薫は案内人やもんね?」
「ふへーい」
逃げようもなさそうだし、責任もあるし、何よりも話が終わらなそうなので了承するしかありません。
「何となく決まったから、そろそろ宴会にしましょか」
阿国さんがパンパンと、手を叩きます。待ってましたと襖が開け放たれ、五人くらいの可愛い禿さん達が料理を運んできました。私は一人一人の顔を凝視して、この中のどれが男の子なのかを探し当てようとしましたが、ちっとも分かりません。
四角い漆塗りの高坏が三、四つばかり並んで、煮物やら、お刺身やら、お正月のように華やかな小皿が整列し、円柱に伸びた白いご飯もあって、日本酒が注がれ、おちょこに透き通る水面が喉に甘みを想起させるものだから、ああ、お酒が飲みたいと右腕を伸ばしたところで、高千穂の左手が邪魔をしました。
「私の紹介なんやから、ここでの粗相はあかんよ。それにこの後、行くんでしょ」
私はお酒が好きです。なのに、周りが過保護になります。
「そんなん気にせんでええのに。お酒飲みはると、武勇伝、しはるって聞いたから見たかったのに」
「薫の場合、酔わなくても武勇伝してるよねぇ」
「褒めてないよね?」
料理を楽しみながら談笑して、落ち着いたところで舞が披露されました。せっかくの機会だからと音兎ちゃんが引っ張られて、阿国さんと太夫の犬塚さんに両側を挟まれて、恥ずかしそうにしながらも堂々と舞っていました。
三人で楼閣を出ると、後ろ髪を引かれ、それは音兎ちゃんも同じだったようで、羨望の感傷を交えながら煌々と宵を照らす無数の窓を見つめてから、今度は反対側の月を見上げていました。
「半分、欠けとりやすな」
裏町の月は、色が少し映えて見えます。
「北に実家があるんどすけど、今日は下や……見世出しの日、表の月からは見えはらへんやろうから」
月に住んでいる両親のことのようです。
「裏町での踊り、きっと見てくれるよ」
「はい。星の砂で便りを送りました。月から見とおくれやすって……ここまでしてもろうて、ホンマ、おおきに、薫はん。ウチ、薫はんにお礼のしようがおへんどす。だからせめて、芸で応えなあかんと思って」
「毎日、一緒に練習してるんよ」
高千穂に耳を撫でられ、頬を赤らめました。
「ウチ、逃げてばっかりやのうて、けじめを付けないけません」
祇園の花見小路を北へ戻る際に、気まぐれに咲いた紫陽花と擦れ違いました。私が通ったら黄色になって、音兎ちゃんが通ると黄色に深い緑が渦巻いて、青と紫が滲みました。
「一緒に行こうね」
そっと、音兎ちゃんの手を握ります。頭上に浮かぶ下器の月が、夜に伸びようとしていました。
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