あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕

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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

27.東と南の祇園町(1)

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 実家の庭に、クチナシの花が咲いていました。

 背の低い緑葉に、雪の星が白く散らばっています。猛暑を予感させる五月の日和は、雨が多かったせいか、もう梅雨時だと勘違いしたのかもしれません。開いたばかりの花弁の群れに、見事に咲いた八重の一輪。黄色い柱頭に鼻を近付けると、幸せが甘く香りました。

 いつもは通り過ぎる、裏町四条の花屋さんの前で足を止めました。
 
 花屋さんのクチナシは、まだ咲いてはいないようです。店頭の花々と目で会話していると、店の奥から出てきた女性とも目が合います。

「アタシの花だって言うからさ」

 青と赤の花束を抱えているのはアヤメさんでした。青いアゲハ蝶を彷彿とさせる花は名前の通りに、アヤメの花。もう一つはアヤメさんの赤い髪のように燃えた稲が実っています。

「こっちはサルビア。ここだと年中、売ってんだ」

 私の知らないところで、乙女心を飾っているようです。

「聞いたよ、舞妓の件。また大胆なこと、やろうとしてんだろ?」
「本当は表で開催したかったんだけどね」
「裏町開催でも十分に面白いよ。表と裏の全員が出るの?」
「香月さんが五花街の関係者に話をしてくれてるの。裏は阿国さんに協力してもらおうと思って、今晩、裏祇園に行くけど、一緒に行く?」
「今日は珍しく予定アリ。この花」

 軽く持ち上げて、花束の匂いを嗅いでいます。

「酒を控える日も、たまには必要かなって」

 町が暮れて、今宵の月は半分に欠けていました。真横に斬った下半分は下器げき月と言いまして、裏町だけの月型です。裏町では満ち欠けの順番もデタラメで、満月、新月、上弦の月、それから満月のように、日ごとに変わります。

 南祇園の裏花見小路通の手前で、高千穂と音兎ちゃんと待ち合わせ。打掛と振袖が並んで角に立っていました。

「さっき、ハルさんと擦れ違ったわ」

 高千穂が言います。

「薫が門を開いたって暗号みたいなこと、言うてたよ」
「転機は都の賑いだったみたい。あ、音兎ちゃん、久しぶり。高千穂にはもう慣れた?」

 今にして思えば、高千穂の家に居候させたのは気の毒でした。兎だから蛇が苦手だったと、後になってから知りましたので。

「はい、普通にしてる時は平気どす」
「たまに逃げるんよ」
「だって姐さん、ウチの布団に裸で入ってきはるんやもん」
「アンタねぇ、音兎ちゃんにもそれ、やってんの?」
「使命感やね。薫も久しぶりに私と寝る?」
「遠慮しておきます」

 三人で、夜の裏祇園へと足を踏み入れました。

 石畳の花見小路通りは茶屋に挟まれ、ひさしには、ぼんぼり。窓にはすだれが垂れ下がり、茶屋と道の間を灌木かんぼくが隔てて、季節ごとの花が左右の視界を埋めるのです。今日は白、赤、黄色、ピンクのバラが咲いています。この白の中に、クチナシが混ざっていないかと探していると、

紫陽花あじさいがありましたえ」

 気の早い花は、クチナシだけではなかったようです。

 祇園の空にはいつも花びらが風に散っています。遠くには背の高い楼閣ろうかくと七重の塔が建っているのが見えますが、普通に目指しても絶対に辿り着けません。真っすぐに進んでも楼閣ろうかくとの距離は一向に変わらず、左右の細道へと曲がっても同じ景色に遭遇して、すだれから漏れる楽しそうな声だけが変わります。それなのに後ろへ引き返した途端に、四条通へと戻されます。

 あの楼閣へ行けるのは、裏町の芸妓だけ。一見さん、お断りでして、その紹介は必ず芸妓を通さねばなりません。

 高千穂と連れ立って歩いていると、いつもは遠くに見えるだけの楼閣ろうかくが、あちらから迫ってきました。龍の彫像が屋根に載った絢爛けんらん豪華な門を見上げてから、振り向くと、坂を上ってきた覚えはないのに、いつの間にか道が下っていて、幾何学きかがく模様を描いた祇園の町が夜景となって視界に敷かれていました。

 キンモクセイの甘い香りがします。こっちは秋で、時間が止まっているのかも。

「ようこそ、お越しやす。お待ちしておりました」

 紅い柱が連なる大玄関で、阿国さん自ら出迎えてくれました。禿かむろと呼ばれる、おかっぱ頭の少女を二人連れています。後ろに見える廊下の奥でも、せかせかと少女達がお茶を運んでいます。

「お客さん以外は、男性、禁止なんですわ。女装すればいけますから、何人か男の子も混ざっていて――こっちの左の子がそうなんです」

 これはビックリ。全っ然、気付かなかった。白粉を塗っているとはいえ肌が綺麗で、髪も艶やか、目はパッチリ。両肩も少女らしくすっと降りています。

「なんか、負けた気がします」

 音兎ちゃんが複雑な心情を表明しました。外見では音兎ちゃんも負けてはいませんが、何となく悔しくなる気持ち、分かります。

 座敷へ通されると、平安貴族の食事風景のように御前の台が向かい合って並んでいました。美味しい食事が待っている、そんな期待が膨らみます。

「今回のことで、薫さんに謝ろうと思いまして」

 阿国さんが畳に両膝を引き、両手を前に添えて頭を下げました。

「私の勤めであるべきでした。時代は変わりつつあるのに、江戸を過ぎてからというもの裏町に引き籠ったままで、えらい恥ずかしい」

「いえ、私なんかテキトーですから! 阿国さんは歴史の生き証人ですし、表に出づらいでしょうし」

 恐縮されると恐縮してしまう私です。

「出づらいことを、言い訳にしてきたんですよ。京都の芸を守るのは芸妓自身であらねばなりません。表は表の管轄やからと、実際には裏町の舞妓ばかりに気をかまけて――そんな壁、作ったらあきませんって偉そうに言うときながら」
「でも、今回の合同祭も表京都では実現が難しいからって、裏町での開催になっちゃって」
「遅々としても歩むことが大事なんです。時代は進んで、たまに後退もしてますけど、ここでまた一歩を踏み出せたことに意義を感じています。私も薫さんと一緒に想いを紡ぎとうございます。どうか、協力させとおくれやす」
「もちの――」

 すんでのところで止めました。おのれ、麻雀。変なダジャレを教えた恨み、いつか晴らさでおくべきか。

「勿論です。というより、阿国さん達の協力がなかったら開催できませんから、最初からすっごくアテにしてました」
「私も好きに協力させてもらう前提でしたから、お互い様ですわ」

 阿国さんが、ほほほ、と笑ってくれました。

「もういろいろと動いていまして、太夫はん、入ってきなはれ」
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