あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕

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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

20.右手と左手(1)

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 喫茶店の客席を漂うクラシック音楽は、『ブラームス』の『六つの小品・ロマンス』だそうです。

 優しくも物憂げなピアノの音色を聴いていると、遠いヨーロッパの田舎町に佇む屋敷が浮かんできました。かつては賑やかだったのに、今は主人とメイドさんの二人だけ。主人が奏でるピアノを一人、背筋を伸ばして立ったままの姿勢で聴いているメイドさんは、もしかすると愛の告白を待ち続けているのかもしれません。もう没落してしまったけれど、一緒になりたい。その一言を、ずっと。

 そんな妄想に浸っている私は、三条大正ロマン通りにある喫茶店の二階にいます。パステルカラーのレンガ造りの内観は年代を感じさせつつも、どことなく可愛らしい。

「時折、入る細かいノイズも、また時代の味なんです」

 テーブルを挟んで正面に座っている真神さんの瞳は、老紳士のような哀愁あいしゅうを秘めています。

 真神さんに改めて、食事に誘われました。

 ロマン通りを歩くモダンファッションの方々に負けじと、いつもよりオシャレを意識しています。小振袖に袴のスタイルは変わらないのですが、レトロモダン風に着物はレースで、シックなブラウンレッドの控えめな花柄です。袴は黒スカートで、裏地が白なのがポイント。真神さんは洋服で、イギリス紳士のようなチェックのダークブルーのスーツに、今は階段脇のスタンドに引っ掛けていますが、先程まで浅いハンチング帽子を被っていました。

 店内には白いテーブルクロスが覆う四角いテーブルに、紅い皮の椅子。レンガの壁にはレコードのジャケットが色とりどりに飾られています。何よりも目を引くのが、年代物の蓄音機の数々。昔話の葛籠つづらのように大小の四角い箱が一列に並んで、小さいのはテーブルの上に載っているのですが、中にはジュークボックスくらいの大きな物や、筒状の蓄音機なんて代物まで。蓄音機って円盤レコードが回転するイメージだけど、筒状のはどういう原理で音が鳴るのかな?

 プラームスの演奏が終わると、真神さんは立ち上がって、壁に張られているレコードを一枚、選びました。

「好きなレコードを、好きな蓄音機で鳴らしていい決まりなんです。あちらの左から二番目に置いてあるのがエジソン社のダイヤモンドディスクの蓄音機で――」
「ダイヤモンドのレコード?」

 私の耳が即座に、宝石に反応しました。

「レコードではなくて、針がダイヤモンドなんです。本体の値段もさることながら、専用のレコードしか使えなかったので普及しなかったのですが、素晴らしい品質ですよ」

 真神さんはダイヤモンド針とやらの蓄音機の前に立ち、ハンドルを回してからレコードをセットすると、席に戻ってきました。

 和楽器の笛や三味線の音色が店内に響きます。ベースはクラシックながらも、あくまで和のテイスト。お酒に例えるなら、白ワインで、それでいて日本酒のような、不思議な曲です。

「今では和楽器とクラシックの融合は珍しくないですが、当時は大正ですからね。表には流通していない『SAYING CROSS MY BRUE』という幻の曲です。日本からヨーロッパへ海を渡った人魚が、セイレーンに西洋音楽を学んで帰ってきたのをディスクに録音したものです。繊細なメロディですが、そこに秘めた想いは、女性による芸術分野での活躍を認めて欲しいと訴える側面があったとか。人間ですら個人の解放を訴える時代でしたから、人魚である彼女は功績を発表できなくて悔しかったのかもしれません」

 目を閉じると、彼女の熱情が伝わってきます。静かな曲調にあって、力強い一本の笛の波は、いろいろ大変だったけれど、この瞬間の輝きに満足しているのだと私に語りかけてくれました。

「でも、男性ばかりですね」

 思い描いた情景が女性の演者だったから、実際の店内に紳士ばかりが座っている光景を目にして、特に深い意味もなく、呟きました。

「過去に憧れるのは、いつも男ばかりで」

 真神さんが、申し訳なさそうに前髪に手を添えています。

「こういう場所に女性を連れて来るのは、趣味を押し付けるようで気が引けたのですが」

 慌てて私は、

「そんな、全然、全然!」

 手をぶんぶん、どうぞ好きな場所を選んでくださいと意思表示します。むしろこういうレトロのなの、大好き。

「蓄音機の趣味なんて、実用性やコストとは真反対ですからね。ロマンの追及には金が掛かるものです。家に置こうものなら奥さんとの戦いの日々になりますから、こうして店で聴くのが無難というわけでして」
「あ~、確かに外で聴く分にはいいけれど、家に置かれて大きな音を鳴らされるのは困るかも。みんな、負けたのかな」

 眼鏡からひもを肩に掛けている凛々りりしい紳士や、会社の重役っぽい恰幅の良い中年男性、しつけに厳しそうな軍服を着た赤鬼さんに、エスキモーの服を着ている雪男さん達が、家では奥さんに文句を言われて喫茶店までやって来たのかと想像すると、おかしくなって、クスッと笑ってしまいました。

 それから私達はカレーを注文して、待っている間、例の騒動について話し合いました。

「そんなことが表であったんですね。実はこちらでも、動向を気にしていまして」

 先程までの温和な雰囲気から、猟犬のように目付きが鋭くなっています。

「ここのところ、バクケンの連中が妙な動きをしているんです」

 初耳の横文字キーワードをキャッチ。何だか物騒な名前。

「とっても怖い犬、でしょうか」
「急進派の連中です。ご存じの通り私達の『アマモリ』はアヤカシ・デモクラシーの穏健派ですが、彼らは『アヤカシ幕府復権の会』を自称していまして、略して、バクケンと」
「アヤカシ幕府……」

 時代錯誤感が、凄い。

「裏二条に現代の徳川将軍がご健在ですが、将軍を担ぎ上げて、裏町から表に進出しようとしているのですよ」
「え~、そんな無茶な」
「他人から見れば歴然たる無茶ですが、大真面目に取り組んでいるのだからタチが悪い。武家政権から明治を経て、近代国家に遷移した日本の歴史を逆行しようと本気なんです」
「ん~ちょっと分からないんですけど、仮に武家政権に戻ったとして、彼らだって、アヤカシの自立を目指しているんですよね? 幕府復権がアヤカシのデモクラシーに繋がるんですか?」
「私達と彼らではデモクラシーの定義が違います。アヤカシたるアイデンティティを、人間からの尊敬と畏怖の念によって取り戻そうという思想です。そういった側面がアヤカシの誕生に寄与した事実を否定はしませんが、今はもう次の、そのまた次の段階に移り変わっています。人とアヤカシの共存、つまりは血の融合も含めて、文化も政治も日常生活に至るまでが深く混ざりあっていますから、先祖返りではなく温故知新を基調とすべきなのです。まあ、耳にタコの論争で、いつものことですから、今更、特別警戒態勢など敷く必要はないのですが」
「不穏な動きがあったんですね?」
「義経さんですよ」

 真神さんの目がキラリと光りました。

「薫さんが表で会った義経さんが、バクケンと接触しています」
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