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第百四話『僕のプライド』

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「――そろそろバスの時間も近くなってきたけど、ほんとに見てるだけでいいの?」

「うん、見てるだけで十分だよ。……正直、アクティブに楽しむには体が消耗しすぎてるし」

 砂浜に敷いたシートの上で、僕と千尋さんは並んで座ってそんな言葉を交換する。少し離れたところでは観光客がそれはもう楽しそうにはしゃぎまわっていて、海の持つ魔力なようなものが存分に発揮されているのが分かった。

 ただしそれは高揚感が与える一時的なもので、行き過ぎた負担は翌日に筋肉痛となって体全体を行き渡る。それを経験した身からすると、どうかストレッチを欠かさないでくれなんて現実的なことを思わずにはいられなかった。

「ここから見ても海はきれいだしね。千尋さんと一緒に居られるからなおさら」

「紡君、この二日間でなんかすごく積極的になったね……。あたしはそっちの方が嬉しいからいいけど、やっぱりまだ少し照れちゃうな」

 少し顔を赤らめながら、千尋さんは少し上ずった声でそんなことを呟く。亜子さんにしっかりと塗ってもらったという日焼け止めがその役割を果たしているのか、白い肌は日焼け一つしていなかった。

 だが、その頬は違う理由で今少し赤くなっている。……僕としては嬉しいことだから、これなら歓迎することが出来るね。

「うん、ちょっとだけ自信が付いたのかも。僕よりも長く千尋さんを知ってる人たちに受け入れてもらえたんだと思うと感慨深さもあるしね」

 俺と二人きりで話していた時の新谷さんの表情を、亜子さんの表情を、僕は今でも鮮明に思い出すことが出来る。心の底から嬉しそうで、どこか安心した様でもあって。……千尋さんの隣にいつもいる人がいるというのは、新谷さんたちにとってとても大きなことだったらしい。

「だからさ、わざわざ遠慮する必要もないんじゃないかなって、僕は千尋さんの彼氏で、誰がなんて言おうがその立場は変わらない。まあ、千尋さんが心変わりしちゃったら話は別だけど――」

「大丈夫だよ、紡君が紡君でいてくれる限りそんなことはありえないから。他の誰がどれだけひどいことを言ったって、紡君はあたしがずっと一緒に居たいって思えた人なんだから」

 他の皆は絶対紡君にはなれないんだよ――と。

 海なんてお構いなしで僕の方を見つめながら、千尋さんは眩しく笑う。それに思わず僕は目を細めて、そして笑みを返した。

 千尋さんの言う通り、この世界にいる誰も僕になることはできないだろう。新谷さんも亜子さんも、自分ができるならとっくに千尋さんの隣に付き添う存在として毎日を過ごしていたはずだ。……きっとカスミさんも、それを目指した時期があったのだろう。

 だけどそうはなれなくて、何の因果か僕がその立場にいる。それはきっととてもありがたくて、尊いものだ。

「ありがとうね、千尋さん。……なんだか、ずっと踏み出してこなかった一歩をようやく踏み出すことが出来た気がする」

 誰かにとっての何かになるんじゃなくて、たった一人の隣に望んだ形で居られるようになる。後者の方が言うまでもなくはるかに難しくて、きっと達成できないまま終わってる人も多くいる。……だから、自信を持ってその立場に立つのがせめてもの誠意と言うか、僕のほかにもこの位置に立ちたいと思っていた人たちに対して僕ができることだ。

 信二にとっては、その光景は酷なものなのかもしれない。僕のことを憎みたくなるかもしれない――いや、今だって憎らしくてしょうがないだろう。それを思うと彼氏として振る舞う事に引け目を感じるが、だがそれも信二にとっては必要なことだと信じたい。

 運命と言うか宿命と言うか、偶然に偶然を重ねた末にたどり着いたような立ち位置だけど、それを掴んで話さないと決めたのはほかでもない僕だ。……なら、それに相応しいだけのプライドを持って進んでいかなくちゃね。

「僕は千尋さんの彼氏で、千尋さんは僕の彼女。誰も横やりを入れることなんてできない――って、心の底からそう思ってもいいんだよね?」

「もちろん。あたしと紡君の絆を揺らがそうなんて千年早いよ」

 海を横目に見つめながら、僕と千尋さんはそんなことを言って笑いあう。傍から見たらバカップルもいいところだろうけど、それでも幸せだった。千尋さんの隣にいられることが、今はただ何よりも大切だった。

――だから、その日々を揺らがせかねない事件が近づいているのにも気づけなかったのだ。
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